kitakamiさんへの返信。

kitakami 2013/11/29 13:25


mimisemiさんいろいろな本を教えていただいてありがとうございます。「集合と論理」の著者は誰でしょうか?amazonでチェックしたんですけど、松本幸夫さん著では見つからなかったので、おそらく「代数系入門」の松坂さん著の「集合・位相入門」のことかなと思ってるのですが。


早くビジュアルとイメージ重視の教育は導入して欲しいですよね。飛び級やグローバル人材育成の議論よりも教育の中身を変える議論を行って変えていって欲しいです。本当に学校の勉強は退屈でした。そんな中でも歴史と国語の授業は楽しめたんです。今思い出してみると、人物の感情を想像したり、情景を思い浮かべたり感覚的にやれたから楽しかっんだと納得しました。歴史と国語はそれが自然にやれたんです。でも数学はそれができない。最初はビジュアルやイメージで理解しようとやってたけれど無理で先生は問題の解き方ばかりを教えるのでそれが数学なのかと理解してたけれどなんか違和感があったんですね。でも無理な話なんです。教科書がイメージで理解させようとしてないんです。それに周りから数学は論理という声が聞こえてくる。これが私の数学遍歴ですね。当然数学嫌いになりました(笑)


だからmimisemiさんの数学はイメージというのは目からウロコが落ちまくりなんです。とにかく紹介された本をよんでそういった理解で数学を学ぼうと思います。私にとって今日は数学解放記念日です(笑)


いくつか質問がありましてmimisemiさんは数学以外でもイメージやビジュアルで理解したりすることが多いのですか?
ちまただと論理的思考が流行ってるじゃないですか、それとmimisemiさんの言っている思考は違うのですか?あとは文章からビジュアルをイメージして理解するのは概念を把握することになるのか?


長文失礼します。


すみません!「代数系入門」と「集合・位相入門」は松坂和夫著ですね。


いや、学校の授業は本当にクソですよねーといっても中学の途中で登校拒否になったので、そんなに長く犯されていたわけではないんですが、でもまぁ算数や数学と言えば地獄ですよね。楽しい夏休みに無理やり計算ドリルをやらされるとかっていう「悪」のイメージしかありませんよね(笑)kitakamiさんが歴史や国語は楽しめたって凄く分かります。僕がいつも数学は数学史と同時並行でやらなきゃいけないと思うのもそこなんですよ。実際に数学って歴史ですからねっていうか歴史抜きには語れないはずなんです。問題の解き方なんてのは数学じゃないですからね。それを「数学」として教えているのにまた問題があるんですよね。名前を「算術」とかにしてもらえればいいなって思うんですけど。


教科書は本当にクソですね。っていうか一応ああいうのって大学教授とかが編纂に関わっているはずなのに、なんであんな風になるのか本当に理解に苦しみますね。日本のアカデミアの数学のレベルに疑問を持ってしまいますね。実際に日本人の凄い数学者って大体海外の大学にいるんですよね。まぁとはいっても京大は別格だと思いますが。


ところでkitakamiさんの数学解放記念日に携われて本当に光栄に思います!で、僕のイメージ理解なんですが、全部と言っても過言ではないぐらいイメージやビジュアルで理解したり思考していますね。元々音楽をやっていたんですが、作っていたのはバリバリのイメージのみの音楽だったりしたんです。あとはノイズとかなんですけど全部イメージとビジュアルですね。なので普通の音楽を作ったことがあまり無いぐらいです。


論理の思考と言うのはそもそも流行るような代物ではなくて、色々と考えるうえでのただの基本なんですよね。アメリカだと教育でそれが成されてるのでアメリカ人は嫌味なぐらいロジカルだったりします。ようは論理的思考が流行るということは日本に論理的思考が根付いていないからですよね。実際に日本人ってその場の空気や主導権を握った人についていくとか長いものに巻かれろ的な、思考をしない癖がありますよね。あとは論理的過ぎると嫌われたりする傾向がある。でもまぁつまりは論理ってAなら次はBになるっていう当たり前のリニアな思考法なんですよね。あとは前提としていたAと矛盾するようなことが出てきてしまったとかなんとか、論理の整合性というのもありますよね。朝まで生テレビとかを見ているとこれが出来ていない人が大半ですよね。まともな人が2〜3人いればマシなぐらいな感じで。まぁ最近は全然見ないんですが、昔、よく見ていた時期があって見ながら本当にイライラしていました。


僕は特に訓練とかを経て論理的になったとかではなくて元々ロジカルな人間なんだと思います。まぁようは元々基本を押さえることが出来たってことですね。で、特性としてビジュアルやイメージで理解するというのがあるという感じで、なのでロジックvsビジュアル的な二項対立ではないですね。ロジックはあくまで基本でビジュアルやイメージ理解は特性といった感じです。ただ色々と読んでみて思うのはロジックのみで語られているような数学や哲学は本質的なものが欠けているような印象を受けるのが多いんですね。前期のウィトゲンシュタインなんか典型的なんですが。


あとあれですね、ビジュアルをイメージというと共感覚というのがありますね。どういう基準でこれを持っているといえるかは分かりませんが、自分は子供の頃からこれがあります。音楽にしても楽器の音や質感なんかに色や触感みたいなのを感じますし、あとは特定の形とかが浮かんだりすることもあります。例えば灰色の四角とか黒の丸とか。何らかのインプットに対してそれを受けるものと同時に別のインプットに対して受けるものも同時に反応しているという感じなのかもしれません。音楽や映画や哲学や芸術全般といったものに関しては自覚をしていたのですが、数学でそれがあるとは思っていなかったし、むしろ数学こそイメージの理解が肝心だと思うに至ったので、なんだか自分は結局は数学に向いていたんだなって思うんですね。


それは数学が得意というよりかはイメージやビジュアル理解や共感覚的なものを持っているから向いているといった感じでしょうか。なのでこれと論理は全く別物なんですね。全ては論理ありきなのは言うまでもありません。ただ論理だけじゃないよねってことですよね。例えば文学が論理だなんて言うのは違和感がありますよね。文学って人間のアンビバレントな感じとか感情とか実存みたいな、実態の掴めないものを文章で表現したりしているわけですよね。で、モノにもよるんですけど哲学もそうだと思うんです。論理はあるけどやっぱり真の理解とは共感なわけで、共感した場合、その哲学者が自分の心の師であるかのように思えてきますね。


数学然りでベースはロジックだったりしますが、最終的に腑に落ちる場所というのは脳ではなくて心だと思っています。心に落ちたものは忘れようにも忘れられなくなりますね。で、それって内容というよりかは概念だしイメージなので別に本とかを読み返さなくても心に残っているのですぐに想起可能なんですよね。なんでしょうね、心の感じっていうとまぁ恋愛したときの感じとかショックを受けたときの感じとか不安なときの感じとか、こういう「感じ」全般のことですね。哲学の場合、この「感じ」と文章の論理というのがセットなんですが、数学の場合、「感じ」のみが強く残りますね。なので証明の手順とか証明の仕方とかは全然覚えてないし興味も無いので覚えられません。ただ見ればすぐに想起できます。そういう意味では数式はイメージを想起させる絵みたいなものかもしれません。


でもその数式に至るまでの手順とかを踏まないといけないし、そこはやはり論理なんだと思います。でも一回手順を踏むと全体に流れがイメージとして掴めるようになりますね。これの面白いところは手順も含めて対極的な流れということになるので、同じものを述べているものでも色んな記述がありうるので、すでに知っている内容のものでも色んな本を読んでみることでまた違った感覚が得られたりする場合もあるんですね。で、これは多いに超したことはないんです。なので色んな本を大量に読むというのが良いと思うんです。一個一個の論理のチェックなんてやってたらこういう読書法は無理ですよね。そういう意味で僕は浴びるように分厚い数学書を読み漁ってます。それが結果として数学という知覚の拡張に繋がってると思うんですね。まぁ数学書を多読といったところでしょうか。まぁ今思えば哲学を読んでいたときも同じようなやり方をやってたと思います。


そんなわけで長くなりましたがこの辺で失礼します。何かあればまた返信ください。