ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

Naoさんへの返信。

Nao 2013/12/19 18:11


メールで何度かやりとりしたnaoです。


いやーすげえ今悩んでます。というか数学やめようかとすら思います。いや、そんなことは日常茶飯事なんですが、今すげえ長続きしてます。この悩みが。大抵一日悩んで、結局数学やりたくなってやるんですが。いや、ただまあ簡単にやめるわけにもいきませんし。というのも8月なんかはもう思い切ってやめたんですよね。数学。そしたらすること何もないもんですから壊れましたね。ホントに。ネットばっかやってっていう。でもやっぱ月末には数学やりたくなっちゃって、で一応ちょっとエネルギーためる感じで数日やんなかったんですよね。それでやり出したらトポロジーとかハマっちゃって。


いやーで、今ホント昨日からずっと続いていて大抵やめようかな?→やっぱやる!ってなってそっからやれるんですが、もう昨日、今日は、やめるようか?→やっぱやりたいかも…→やっぱやめたほうがいいんじゃない?→でももうちょっと…→…って感じでもうなんか今まで以上に酷いです。というか読書が凄いやっぱダメで苦痛です。まあ思索はそれなりに楽しめますが、読書しようと思ったらなんか凄い嫌な気分になってきてネットやっちゃうんですよね。ホントネットでうろうろしてるだけっていう。ああもうすげえ積ん読ばっかです。ちょっと買い過ぎました。うーん、積ん読が余計に読む気失せさせる。もったいないですし、いずれは読むでしょうけど、正直楽しくない。でもまあ思索してて分かったときの快感はヤバい。ああもうなんかだからホントに分かんないですよねぇ。好きなのか嫌いなのか。いや、嫌いではないですね。当然学校数学なんてもう嫌いですけど。


いや、ホント快感とかあるし、まあ知りたい!ってのもあるんで好きなのかと思いきや読書が苦痛なんで。いや、専門書とかテキストだけじゃないんですよ。それだったら分かんないし、難しいしっていくらでも言い訳つけれますけど、やっぱり数学史とかそういう読み物ですら読めない。まあこないだ代数の歴史みたいな感じの本は良かったですが。というかあれで知的好奇心が刺激されて代数幾何とか代数的整数論とか面白そうだなあとは思いましたが。p進数とかはすげえ興味ありますよね。でも読めない(笑)。あ、んで思索も同じことこねくり回してるだけなんですよね。というか大抵数学やってる方って風景が何かしら見えてるんですよね?僕それがないんですよね。だからもう言っちゃいますけどガロアとか何やりたかったのか分かんないんですよね。


まあそんな数学史とかやってないってのもありますけど理論的なガロア理論とかも分かんないですし、好きだって思ってるトポロジーなんかもよくよく考えれば何も知らないっていってもいいくらいなんですよね。初歩的なこともおそらく分かんないですよね。なんかディティールとかみたいのはどうでおいいですけどなんだかんだで概観みたいなこともできてないなと。馬鹿の考えるに似たりとかいう言葉みたいのあったと思いますが、馬鹿が一生懸命考えても無駄ってことなんでしょうけど自分はまさにそれなんじゃないかと。まあ数学なんて、っていうか何でも好きか?とか楽しいか?とかでやればいいんでしょうけどやっぱ数学って才能がある程度は必要な気もしますよね。というか読書って意味だと正直なんかあんま好きじゃないし、それが苦痛になってるようにしか思えない。ちなみに日本語/英語関係なくですんで。


英語無理とかなら逆にまだ救いがありますよ、英語やりゃいいんですから。でも英語もある程度頑張らなきゃいけないように読書もある程度やんなきゃいけませんかね?うーん、ホントああ英語ってそれこそwant toのためのhave toって感じですけど読書もそうなんですかね?• • • とか思ったら最初から読書あんましないで自分でやっちゃうみたいなこと書いてありましたけどどうなんでしょう?まあそりゃ全部自分でやるとしたら時間かかるんでしょうけど。でもなんか自分は同じことずっと永遠にやってるだけな気もしますし、っていうかそもそも気づいたら別のこと考えてたなんてこともありますし、まあそれはともかく、でもやっぱ読書と思索のバランスが大事というか、それでいうと今僕は読書5%思索95%でちょっと知識少ないのにそれって意味あるのかな?っていう。まあ読書はあくまでも近道なんでまあそれこそ王道なしですから思索だけでやったほうがもしかしたた自分はそのほうがいいのかもしれませんが。グロタンディークも3年でルベーグ積分の概念編み出したらしいですし。ネットの情報なんでウソかホントかちょっと分かんないんですが。


うーん、というかそもそもやっぱ読書できないって点で数学好きなのか危ういというか怪しいというべきか。どうなんでしょう。でも数学なくなったら確かに他にやることないんですよね。なんかでもそうなったらちょっと死みたいなことそっち系の思考いっちゃいますよね。最近こういう数学関連の悩みも増えてきたんでなんか死と隣り合わせって意味が分かるんですよね。というか数学やるなら極めたいっていうのが分かるんですよね。趣味というかアマチュア的なのはなんかすごく嫌なんんですよね。だからこそ悩むんですが。んーホント分かんないです。でもなんか最近ホント生死の境目というかそんな感じしますね。


なんか今回ホントこの悩みが長続きしてるんですよね。なんか誤魔化しなのかな?っていう。まあとりあえずやるってことになったらリー群に関連することを自分で編み出すしかないなって思ってます。というか本読むのが嫌な理由にやっぱ考える前に定理とかでも知っちゃうのは負けって感じしますね。でもあとなんか分かんないこと出てきた瞬間一気に嫌になりますし。でも数学史みたいにただ読めばいいやつでも読めないし。なんかホントわけ分かんないですね。ああなんかいつ死んでもいい感じしますねやっぱり。逆に順調なときは死にたくないんですが。っつっても順調っていうほど順調なときってないですけど。うーん、いや、なんか分かんないところ出てきたら先を読んでみるってできないんですよね。


でもそれって僕が嫌う紙とペン方式だなと。なんかそのノロノロした感じがさらに読書を嫌にさせるという。かといって勢いで読んじゃうってやっちゃうとわけ分かんないですし。単純に読書が下手なんですかね。なんか凄い数学書ってでも読むの難しいですよね。なんかでも苦痛で読むとなるとホント嫌な気分になるんですよね。たまにある快感のために毎日苦痛を味わいつつ読書するのもどうなんだろう?って気もしくもないですよね。というか逃げかもしれませんけどときどき数学やめるって思ったらなんか気が楽になるんですよね。かといって数学なくなったらホントなんか自分に価値ないですし。というかホントなんか数学しかないって気がするんですよね。ストイックとかじゃなくてホント数学くらいしかハマってるものがないんですよね。でも数学も危機なんですが。って同じこと書いてます?


ああでもなんか毎日読書やってるってのがストイックでしかないんですよね。学問って努力じゃないですよね。勉強は努力でしかないですけど。学問を努力でやるっておかしいですっていうか矛盾してますよねえ。まあ多少は努力いるのかもしれませんけど、でもmimisemiさんとか努力してませんよね?別に。なんか最近の記事でももう努力の世界じゃないって書いてありましたし。努力してる時点で向いてませんよね。いや、というか僕は常に研究というか発見ってことを意識しながらやってきたんでやっぱりなんでしょうね、アイデアを得たいというかどうしてこういう発想なったのかっていう、これから僕が何か発見していく上でのヒントが欲しいんですよね。まあだからこそ細かい定理の証明みたいなことはどうでもいいし興味もないんですけど。まあそういう意味天才だと思い込めば楽ですけど分からん!ってなった時点でそりゃ無理ですし。


ああなんか最近なんか本書きたいですね。5000ページでも1万ページでもいいんですけどそれ一冊というか一シリーズ読めば全くの初学者がかなりの知識つけれるっていう。うーん、なんでしょう。良書が多いのは知ってますよ。でもなんかなんだろう、ホント例えば数学ガールにしてもうやっぱ前提知識みたいの多少いるじゃないですか。あとさっき書いた代数の歴史みたいな本でもある程度知識あったんで面白いと思えたんですけど、別にそれらの本は悪くないですし、僕にとって最強の本なんですけど、でも大抵こうやって前提知識みたいの要求されるんでそれだけでも読む気失せる人がいるんですよね。自分みたいに。まあ本を書くレベルじゃないのに偉そうに言うなって感じですけど最近そう思うんですよね。まあホントに本書くことになったら凄まじい時間使うことになりますけどそれで至宝みたいな感じで今後数学の発展に役立つならそれでもいいと思ってますね。なんかブルバキとかすごく分かるんですよね。ブルバキについてあんま知らないんですけどでもブルバキなりの思想があったんですよね。まあ学校数学の教科書は悪書ですけど一般の数学書とかにはエレガントなのいっぱいあるのは分かってるんですけどね。


どうなんでしょう。ホントなんか分かんないですね。まあ多少努力もいるんですかね?でもなんか凄い数学やめたら楽になる一方で数学やめたらホント何すればいいか分かんない一方で、んでも数学を苦痛な読書ばっかやるってのもどうかと思いますし、思索はまあまあ楽しいですけどこれもまあうーんホント分かんないです。もっと風景見えるみたいな才能みたいのもっとあればいいんでしょうけどホント馬鹿の考えるに似たり状態だと意味ないなって思うんですよね。ホント凄い悩みますね。思索といってもやっぱりそんな集中できるわけじゃないんですよ。まず抽象世界にどっぷりって感じじゃないですね。部屋を歩き回らないと思索できないですし、それでも気づいたら他のこと考えてたとか、考えてても同じことばっか考えてるとかなんですよね。そんなんで意味あるのかっていう。でも一方でそれやめたらホントマジでないんですよね。することが。なんかそういうときって死んだほうが楽だって声が聞こえてきますよね。


っていうか聞こえるで思い出したんですが素数とか数式見てて歌が聞こえるとかって人いますよね。あとはなんか色が見えてくるとか。なんかもうそんな最強なレベルの話聞くとなんかすごく自信失いますよね。カレンダーの黒い太い数字みたり、電線みたり、赤信号みると恐怖感じるっていうわけ分かんない「感じる何か」ってのはありますけど。


まあこれだけ悩んでやってるわけで惰性ではないですよね。まあそれはいいんですよね。あとは思索も一応はやってるわけでまあ読書しかできないっていうよりかはマシだとは思いますけどね。うーんやっぱなんか楽しいだけじゃダメな気がしますというかある程度はやっぱ才能とか絡んできますよね。その上僕なんて数学楽しんでるといえるのか?っつー状況ですし。


勝手に過去ウォール伝から引用しちゃいますけど


で、朗報なのは脳科学なんかで分かってることは元々の才能はともかくとして何かにおいて絶大な能力を発揮するっていうことの背景には凄まじい訓練の時間があるってことね。ようは凡人でも心を決めて何か一つのことに取り組めば極められるかもしれない!っていうのが割と科学的にも立証されてるってことなんだよね。まぁそれに取り組めること自体が才能なんだって言われればまぁ確かにそうで無い人には無理な話なんだけどね。だからこそあれじゃないですか、やっぱり何か見つけないといけないんだよね。俺の場合、何かを極めるっていうことになってるけど、別にこれだけじゃなくて他にも家庭を持つとか天職を見つけるとかなんとか色々あるよね。その人にとっての「何か」って千差万別なわけだ。だから正解があるわけじゃない。だからまぁあれなんだよね、それがエロゲーであれアイドルであれなんであれ没入できる何かってのを持ってる人は基本的に最強なんだよね。オタクが最強なのはまさしくこれだって昔から書いてると思うけど、まぁ改めて思うよね。これこそまさしくピュアな概念ですよね。論理とか実利とかではない完全なる心の世界じゃん?だからまぁ見つけたもん勝ちですよね。


俺でいえば数学の思索をやるって取り組めば極められるかもしれないってことなんですかね。まあ確かにここまで数学やってこれたって意味ではそれは凄いといってもまだ一年もやってませんし、ちゃんとした態度で数学やってるのってやっぱりトポロジーにハマった9月はじめあたりからなんですよね。となるとたった3ヶ月なんですよね。それはまだ取り組んでるとはいえませんよね。正直。まあでもこの調子で地道ながらも思索を続けていくことによって、というか数学ってホントその分かる!っていう快感を得られるまでが非線形性なんで急に分かった!ってなるわけじゃないですか?それってまあある意味希望があるってことですよね。といってもどうなんでしょう。思索だけっていうか独創だけだと限界ありますよね。まあそりゃ全く読書しないわけじゃないですけど、もう仮に数学をやり続けるってことになったら思索9読書1くらいですね。というか今7:3くらいですけど3ですら読書キツいんですよね。


まあグロタンディークも独創とはいえどこまで独創だったんでしょうかね?マジな独創なんでしょうかね。でも独創だからこそあんな凄い業績というか結果を残せたともいえますよね。というか今なんちゃら山脈に篭ってるともことですが、絶対その20年くらいの間にえらい発見してますよね。もしかしたらリーマン予想とかゼータ函数とかについてもいろいろ分かってるかもしれませんし。(ちなみに篭っても数学やってるんですよね?)うーん、ただまあホントこれは馬鹿の考えるに似たりですよね。グロタンディークには何らかの素質があったからこそそこまで独創できたんでしょうし(あ、全部ネットに基づいてますので)そもそも3年間やれるってすごいことじゃないですか。んで数学がなくなったらホント何か見つけなければいけませんよね。


で、その「何か」ってのがホントその人にとってハマってる極めてるものだったらホントなんでもいいと思いますね。ただまあ僕はホントゲームでもなんでもそうですけど、やっぱりあくまでも時間つぶしなんですよね。ハマってるって感じじゃないんですよね。まあ数学だって実は時間つぶしなんじゃないの?って聞かれたらちょっと難しいですよね。というか、数学以外に仮にその「何か」が見つかったとしたら数学やめるんじゃないかって思えばもしかしたらその可能性はなくはないんですよね。数学が一番ハマれるのでっていうなんというか消極っていうか。そうなんじゃないかって言われたらその可能性はあってというかおそらく他に「何か」が見つかれば数学やめると思いますね。マジで。数学で感動したりってことはありますし、快感もありますし、でも日々が苦痛だとするとやめるでしょうね。


まあ思索はそこまで苦痛じゃないんですし、どっちかというと読書してて新しい発見するよりも思索しててこうなんじゃないか!?って思った瞬間のほうが興奮しますよね。というかそもそも思索してるときのほうがそういうのって多いですよね。ああやっぱ読書は分かんないってのもあるんで余計に苦痛なんですよね。どっちかというと分かった!とかそーなんだ!!ってよりかは意味不明……のほうが多いですよね。もっと敷居を下げればいいのかもしれませんが、でもそれでやってもただ字を追ってるだけになるんですよね。だからやっぱこれからもし数学を続けるってなったらこの脳科学の朗報を信じるしかないですよね。


やっぱその意味でホント物語とか幻想って必要ですよね。現実というか事実に気づいちゃうとキツいところありますよね。でもなんかこれって結構やってる人が陥るものなんじゃないんですかね?初学者の段階でこんな風になりますかね?やっぱりただの苦痛なんでしょうかね?ホント好きとは何か?って思っちゃうんですよね。別に禅問答的な意味じゃなくて。苦痛が介在してる時点でそれは好きとはいえるのかっていう。なんかでも最近異常に読書無理ですね。9月とかは結構自然に読書やってたというか気づいたら本を読んでたってこともあったくらいなんですけどね。なんかもうその「よし!読もう!」ってのがダメじゃないですか。それがすごく嫌ですし、そんなのがあるから余計苦痛なんですよね。


というかそもそも学校数学がそこまで嫌いじゃなかったし、普通に受験勉強やってる過去があるんでそれだけでなんか自信失いますね。なんか受験勉強でもすごく物語つくってたんですよね。意外と受験勉強いいじゃん!とか思ってた時期とかもあったんでホントなんか有り得ないですね。まあ過去は別人と思えばいいのかもしんないですけど。でも虚しいというかなんでしょう、去年とかもすごく受験勉強で虚しさ感じてて、今なんかそれと似てるんですよね。


なんかこういうのも含めて考えると数学ってのが好きなようで苦痛にもなってるなって思うんですよね。ただ問題なのはそこでやめるのはどうなんだってことなんですよね。これでもし快感もなく知りたい!ってのもなくなってたら完全やめますけどね。同じことばっか書いてる感じになって申し訳ないんですが、ホント分かんないですね。あああと自分はやっぱ天才か秀才かでいうと秀才ですよね。どっちかっつーと。まあ秀才にすらなれないっていう感じなんですが。でも数学って天才派ですよね。なんか好きなことに対しては異常な集中力あったりしますよね。そう、僕にはそれがないんですよね。別に天才と勝負する必要はさらさらないんですが。というかリー群の概念を編み出すってのでもあと定理を読書の前に考え出すってのでもなんでもいいですけど、それって自信繋がるってのもあるんですよね。というか自分はやっぱり何か発見するっていうのを目標みたいな感じでやってるわけですから編み出すってのは学習の段階から必要なんですよね。


というか中学の時点でホントは数学って全部自分で考えて編み出すべきだろって思ってたんですよね。そう、やっぱ学校って悪影響及ぼすんですよね。公式を覚えないで全部考えて自然に覚えるか覚えてなかったら自分で導くってのは妥協しませんでしたが、それ以外はやっぱり悪影響受けてきましたよね。って言い訳かもしれませんが。というか分数とかあとは有限のものって凄い苦手なんですよね。だから微分とかも分かんないですし、代数的構造でもなんちゃら空間でも有限のものってダメなんですよね。凄いわからない。すべてはビジュアル化することによって理解するってのがポリシーなんですが、分数ってそもそも3/5という数としての分数すらよく分かんないですよね。というか分数って凄いわかりにくいと思いますね。それこそ計算だけならどうってことないんですけどね。でも概念とかビジュアル化とかイメージっていったときにさっぱり分からんし、微分とかもすごく考えるのが面倒なんですよね。あとmimisemiさんはどうやら三角関数が分かんないとのことですが、ホントそうですね。分かんないですね、あれは。で、学校の悪影響といえばやっぱ学校数学でも考えながらやってきたつもりでもこういうのって三角関数とかに疑問って持ちませんでしたからねえ。


快感を得られたりするんだけどやっぱり数学ってそういう多少の虚しさと苦痛と戦いながらやっていくものなんでしょうかね?まあ分かるようになるまでの苦労は必要な苦労だとは思いますが、ちょっと分かんないんでコメントしてみます。というか何かあんま記事と関係ないですね。ただの相談みたいな感じですね。すみません。うーん、ただまあこういう悩みで悩んでいる人はいると思うのでもし参考になればいいなと思ったので今回はメールでなくコメントにさせていただきます。


どうも。


あれですね、所謂、数学疲れというやつですね。所謂ってまぁ数学疲れっていう言葉があるのかはともかくとして、僕も最近気がついたんですが、数学ってめちゃめちゃ精神力を消耗するんですよ。正直、哲学とかの比じゃないです。でも自分は好きでやってるんだから疲れるわけないし、別に疲れているっていう実感はない。んでもなんか鬱っぽくなったり「あーもう無理かなぁー」とかって思えてきたりするのは単純に疲れているということなんだと思いますね。いや、なんか数学者とかのエピソードとか見てると一日中やってるとかってよくありますけど、まぁ調子が良いときはそれも可能かもしれませんが、「自分もそのぐらいやらないといけない!」とかって思うじゃないですか?仮にそう思ってたらそれは絶対にそう考えるのはやめたほうがいいです。人には人のペースってのがありますし、一番効率がいいのは結局、自分のペースでやるってことなんですよね。なので気が向かないときは別にやらなくてもいいってことがあってもいいわけですよ。


いや、仮に僕がずーっと数学やってる人だって思っているならそれは間違いで、実際はネットをやってる時間とか映画を見ている時間だとか、特に最近だとゲームをやっている時間も相当多いですよ(笑)まぁでもこれってようはいつも書いてますが、数学をやるための充電だと考えれば別になんてことはないどころか必要でさえ思えてくるんです。あとは数学ばかりではなくて色々と興味があったりすることってあるじゃないですか?数学以外に調べたいことがあるとか、数学以外に興味がいっている時期があればそれはそれでいいんですよね。その時はその時一番やりたいことをやるべきで無理に数学をやるべきではないです。無理にやると絶対悪いサイクルに入りますからね。無理にやると頭が働かないんで「あーやっぱ俺には無理なのかなー?」とか「本当に俺は好きなのかなー?」なんて思えてきて、それが条件付けみたいになっちゃうんですよね。それ自体の経験が「数学系の本を読んでいるときに起こること」って感じてしまうので数学=苦痛みたいになっちゃったりするんですよ。でも気が向いたときだけやってればようは楽しくて知りたくてやってるわけですから「数学系の本を読んでいると楽しいと思える」っていう条件付けになりますよね。このほうが絶対に効率はいいわけです。


あと読書嫌いに関してなんですが、読書って体力ですよ。基本的に。なんか僕は今でこそ膨大に本を買って買いすぎて母親に怒られてるとか(笑)自分のベッド周りが本の山だらけになってるとかそんなハイパーな感じになってますが、基本的に僕は本が読めない人だったんですよ。で、まぁこれは書くと色々と長くなりますが、今みたいなレベルの本をそんなに頑張らなくても読めるようになったというのは蓄積があるからなんですよね。色々と読んできた中で体力がついてきて読めるようになったわけで、そういう意味で僕は最初から読書の鬼だったわけではなくて、色々とやってきて読書の鬼になったって感じなんですよ。いや、それこそこれに関して言えば10年以上の積み重ねがありますよ。例えば10年前ぐらいを思い返して見ると頑張ってマルクス資本論を読もうとして気合を入れて買ったはいいけど全然読めなくて本棚の飾りみたいになってたとか、でもまぁ10年前なんてそこそこもういい歳だったわけです。ここに書き込んでくれる人なんかもそうなんですが、僕が超アホだったぐらいの年頃に彼らはもう色々と本を読んでいてかなりマスターもしていたりして自分とは大違いだなぁーって思うんですよね。


10年前とかだとあれですよ、僕が読んでた本とかってブックオフとかで300円とかで買ってくるような新書ばかり読んでましたよ。で、知ったような口を叩いたりしてたりして。分厚い本を読破したなんてまずありえないことでしたね。で、ブックオフで簡単な新書ばかり読んでいるって時期は結構長かったんですよ。それで読書家のつもりでいたりして。もう最悪ですよね。・・・とまぁそんなこともあり段々とレベルアップして今に至るわけですし、今は10年って書いていますが、読書で言えばまぁもっと長いですね。そういう積み重ねの中で色々と読めるようになったわけです。だからまぁそれってnaoさんがどのくらい読書をしてきたか?に依りますよね。あんまり本を読んでこなかったら正直に言うと嫌いで当たり前って気がしますね。僕の場合、哲学とか社会系の本とか音楽系の本とかっていう数学をやる前にも色々と読んできていて読書をするっていう習慣があったのと、まぁそんな中で培われた読書力みたいなのがあったので、分野が変わっても問題なく色々と読めるってことなんですよね。


とまぁそんな感じなんですが、もうちょっと具体的に読書の何が嫌なのか?を書いてくださるとありがたいです。僕は元々読書家ではなかったのでnaoさんの気持ちがよく分かるんですね。元々の読書家だと「なんで読書が嫌いなの?」ってことになると思うんですけど、僕は元々あんまり本を読むのは得意ではなかったので自分の経験から何か言えることがあるかもしれないので読書について色々と具体的に教えてください。


あとあれですね、数学をやっている人は風景が見えているっていうのもまぁ元々めちゃめちゃ凄い人の場合、最初からそうかもしれませんが、まぁこれもまた僕もそうなんですけど最初から風景が見えてきたわけではないですよ。これも読書と一緒で色々とやっていく中で見えるようになってきたという感じです。とはいってもあれなんですよね、哲学とか他の分野で色々と考えてきたってのがあって、抽象思考みたいなのはやっぱり鍛えられてたと思うんです。だから概念的な数学に触れると概念的な意味ですぐ分かったりすぐ風景が浮かぶってのはあったと思います。でもこれは最初からそうだったんではなくて、哲学やら音楽やらなにやら色々やってきたって中で数学という分野に触れることになったのでゼロからのスタートではないんですよね。まぁだからいきなり集合論に感動してのめりこむなんてことが可能だったわけです。・・・とはいってもやっぱ集合論自体面白いですから、こればかりはこれ単体でも感動していた可能性はありますけどね。


いや、誤解を恐れずに言えば自分のペースってめちゃめちゃ速いんですよ。なんでそんないきなり色々と読んで分かるの?ってことだと思うんです。でもそれには長年色々と考えてきたり読んできたっていう基盤ありきのことなんですよね。やっぱりこれがあるのと無いのとでは全然違うと思います。だから僕が本格的に数学をやり始めて3年半ぐらい経つなんつっても正直、普通の人が3年半でこのぐらいのレベルになってるとは思わないんですよね。結構長い間読書をしてきていて哲学にも相当のめり込んで概念的なことや抽象的なものに対するセンスとか考える力っていう基盤があっての3年半なんですよね。ゼロからの3年半じゃ絶対無理だと思います。別にこれは自分が凄い!ということではなくて単純に積み上げの話ってことなんですよね。特に集合論ガロア理論なんてのは概念的ですから具体的にどうとは言えませんが、やっぱり概念的なものや抽象的なものについて考える素養が身についていたから苦労無く理解できたんだと思っています。


才能云々の話はもっと先の話ですよね。とりあえずこのぐらいまで理解できるようになった・・・っていう中でこの先どうしよう?ぐらいになったら才能の話になると思っています。まだ知らないことが多い中では才能って全然関係ないと思います。少なくとも大学院ぐらいのレベルまでの数学だったら積み上げてやっていけば誰でも出来ると思います。まぁお勉強的な意味でですけどね。本質的な理解というよりかはとりあえずやれるようになるという意味では受験とか大学レベルの学問と対して変わらないと思うんですよ。大学受験とか大学レベルの学問なんて誰でもやれますよね。だからみんな大学を卒業できるわけで。才能が必要だったらそれは無理な話ですよね。なので勉強すればできるようになるレベルのものは才能云々は関係ないと思います。


生死の話になるのもその先の話なんですよね。とりあえず色々と一通りやって次のステップで自分が数学を編み出したり作り出したり発見したりするフェーズになった!っていうところで「何も出来ない・・・」ってことになると「いや、死ぬしかないでしょ」みたいになるとは思いますね。これってあれなんですよね、中学生で大学院レベルの問題を解いていた!みたいなやつでも数学者になれるのか?っていうと別な話ってことなんですよね。自分が数学を発見したり作る側になるとそれまでの大学の成績だとか早熟の天才と呼ばれていたとか全然関係なくなると思うんですよ。


実際に大学院をトップの成績で卒業したみたいな人が自分が数学をやるっていうフェーズになったら伸び悩んでいたりパッとしなかったりして、逆に学校においての成績があんまり良くなかった人が自分がやる側になったらどんどんと論文を発表するようになったとか、これが才能の差だと思うんですよね。だからまぁすげー先の話なんですよ。そこまでたどり着いてない場合は杞憂としか言いようがないですよね。あとはまぁ1万時間の法則なんてのもありますが、やっぱり取り組んできた時間ですよね。始めたばかりの場合、1万時間には程遠いので才能云々の話が介在する余地が無いと思いますね。才能云々の話は1万時間やった後ですよね。


そこで最初に書いていたような「ペース」という話になると思うんです。僕はとりあえず1万時間やらなくては!ということに強迫観念みたいなのに頭が支配されていたんですが、んじゃあ一日10時間やって3年で1万時間達成だ!とかって思ってたんですけど、まぁー無理なんですよね(笑)最初に書いたように数学って死ぬほど頭を使いますし、ゲームのFPSみたいなもんで調子が悪いときは全然はかどらないわけです。だから1日10時間やりたくても出来ないわけですね。だから自分なりのペースでコツコツとやっていくしかないってことに必然的になりますよね。だからまぁようは長期的にに考えるしかなくなるという感じなんですよね。1日かかさず10時間やれれば別ですが、僕もnaoさんもそれは無理なので自分のペースでやっていくしかないわけです。


だからもうそれしかないんじゃない?としか言いようがないですよね。でも確かに数学が無くなると生活がすげーつまらなくなるってのはあるので、調子が悪いときとかあんまり気が向かないときに何かやれることってのを探すのは大事ですよね。で、そういう時に必要なのがゲームとか映画とかネットとか娯楽全般なんですよね。充電に最適なものですよね。ゲームとか映画って全く違う世界に行った気分になるのでそれが脳のリフレッシュになるし、まぁ別にそれで言えば旅行とかでもいいし、それこそ恋愛なんて最高だと思いますね。彼女とディズニーランドとか行けばそりゃー脳はリフレッシュするし多幸感に心が満たされるでしょう。まぁこれはこれ自体の幸せでいいんですが、あえて数学を軸に考えるなら、こういうのも全部数学をやるための充電ですよねってまぁ恋愛を充電のツールにするというわけではないんですよ(笑)そりゃ彼女に対して失礼ですからね。ただまぁでもどんな人でもやっぱり軸でやるメインのことってあると思うんですよ。それがあってまた他のことも色々あるってことなわけで、それは「他の色々なこと」があってこその軸だと思うんですよね。娯楽もあるし友達もいるし趣味もあるし彼女もいる。そんな中で軸のことをやるパワーも出てくるしそういう色々なことがあるからこそ軸のことを続けられると思うんですよね。


ストイックにやり過ぎると鬱っぽくなったりあとは燃え尽き症候群みたいになりますよね。数学をやらなきゃいけないんだ!ってことになると数学自体が苦痛になっちゃうしそれじゃあ本末転倒なんですよね。基本はやっぱり楽しくなきゃ駄目だと思うし続かないと思うんですよ。だからこその続けるための工夫ということで、なんというかまぁ生活自体の設計が必要になってくるというかなんというか、で、また僕の話になりますけど、娯楽ってめっちゃ大事やなーって思ってて、だから今はゲームにハマり倒すことに関して凄く肯定的なんですよね。あくまで数学が軸にあれば数学に取り組み続けられるような生活をしていればいいわけで、その中でゲームってのがある場合にはそれって必要なものですよね。駄目なのは「ゲームのみ」ですよね。それだとまぁただの廃人ですから(笑)


あとあれですね、数学書を読むスピードなんですけど、「全てを理解しなきゃいけないんだ!」って思うとこれまた読むのが苦痛になりますね。大体分かればいいやーって感じでパラパラ読むぐらいの大胆さが必要だと思いますね。いや、そのために本を借りるんではなくて買うことが重要になるんですよ。とりあえず量が膨大なのでミミズのように読むのではなくて大枠を掴むようにしてスラスラと読んでいく。勿体無い感じもするんですが、頑張って読もうとして結局、読んでないってのが一番勿体無いので読まないよりかはマシ!ぐらいのつもりで読んじゃったほうがいいと思います。で、一通り読んだら別の本を読むとかなんとかして、でもあれなんですよ、パラパラ読みをしたものは読破はしていないので、またいつかは戻ってこなきゃいけないんだっていう留意があるわけですよね。今度はもっとちゃんと読まないとなっていうことでとりあえず本棚に納めるとかっていうこれが本を買うことの重要性ですよね。一回読んで終わりなわけじゃないですから。


で、変な話、次に読むのが半年後とか1年後とかでもいいわけですよ。いや、実際に色々と読んでいるとほったらかしにしていたつもりではないのに読むのが多すぎて次にちゃんと読むために戻ってくるのに1年とかかかる場合もあるんですよ。んでもまぁそれでいいんです。大体普段から数学やってれば1年後に同じ本を読んでても全然雰囲気が違うように感じられると思いますし、意外に簡単だなんて思えるようになってると思うんです。それは単純にその1年の間に色々と読んだり考えていた結果、スキルが上がっているからですよね。僕はこういう経験をしょっちゅうしてるんです。だから「あー分かるようになってるなぁー」っていう実感が得られるんですよね。


でもまぁこれってnaoさんが言うように努力ではないですよ。簡単にパラーッとした感じで読んでまた1年後に同じ本に戻ってくるって間に数え切れないほどオナニーをしていたりゲームをしていたり映画を見ていたりボケーっとしながらネットを徘徊していたりするわけです。その戻ってくる間にめちゃめちゃ努力をして数学のスキルを上げる!なんてことは一切してませんよ。こういう生活の中で当たり前に数学があるって中で自然にスキルが上がっていった結果、1年前になんとなく読んでいた本が楽に読めるようになっていた!とか、理解度がかなり上がった!とかってことなんです。


だからあれですよね、生活の中に数学があるってことなんで、例えばどっかに行くときに電車かなんか何でもいいんですがとりあえず待ち時間が相当あるってことでなんか持っていったほうがいいなってことで数学の本を持っていくとか、なんか時間が空いた時に何かをやれたほうがいいってことで外出時は必ず数学の本を持ち歩くとか、ピースっていうコンビの又吉って知ってますか?彼の文学に対する情熱ですよね。彼の文学に対する接し方ってのが本当にこれだよな!って思うんですよね。彼は好きだから文学を読むのであってストイックに頑張って文学を読んでるわけじゃないですよね。


で、彼のインタビューとかを読んでても文学っていう好きなことがあるから自分は救われているし幸せなんだ!っていう、本当にそれなんですよね。文学を読めなければ自分は生きている意味は無いんだ!ってことではなくて文学があるから自分は救われているし生きられるんだ!ってことなんですよね。僕は一時期、自分の身の程も知らずに数学キャリア志向で物事を考えていて数学を究めねば!と思っていたんですが、結局、これって考え方の軸が競争ですよね。世界の数学者達と競争するってわけではないんですが、まぁ少なからずそういうことになりますよね。んでもまぁそんなことをして果たして自分は幸せになれるのだろうか?っていうといやー違うなぁーそれはってことになったんですよ。キャリアのために数学をやるのか?って違いますからね。有名になりたいからとか業績を残したいから数学をやっているのか?って違いますからね。好きだからやっているんだったらこの「好き!」を軸に考えなければ駄目だろうってことで、「好き!」ということの鏡とも言えるのがピースの又吉の文学に対する情熱ってことに落ち着いたんですよね。俺は好きだから数学をやっているんでしょっていうこれに尽きるってことなんです。


naoさんの場合、他にもっと好きなことが出来たらそれに移るだろうってことなんですがそれでいいと思うんですよ。僕の場合、20代後半にしてようやくめちゃめちゃ好きなものを見つけられた!っていうまぁ凄い幸運があったわけですよ。んでもまぁ考えてみれば10代から20代前半ぐらいまでは音楽が軸だったし、それから段々と哲学になってきて、で、今はそれが数学になっているっていうまぁ色々と変わってきてるわけですよね。でも全部それは繋がっていてかつて軸だったものが繋がって今の軸になっているってことなんですよね。それがさっき色々と書いたことなんですが、ようは哲学なんかでも色々と読んだり考えてきたし音楽でもそうだったし・・・っていう積み重ねってことになるんです。その結果、今は数学に落ち着いているということなんですよね。


結局、そんな中に全部内包されてるんですよね。数学をビジュアルで考える!とか数学超好き!だとか数学に救われてる!とか色々とあった人生の流れの中でそういうのがあるわけで、離散的な点ではないんですよね。いきなり数学を始めて数学だ!ってことではないんです。まぁこれについては何でもそうですよね。人間である限り何かを始めたなんつってもそれまでの人生の流れの中に位置するものなんで過去とは必ず関わり合いがあるわけですよね。だからそういう意味でなんというか、才能とか向いているのだろうか?とかやろうかな?それともやめようかな?って問題は一概には語れないということに尽きるんですよね。凄く個人史的なことが関わってくるわけなんですよね。自分の場合は哲学に色々と失望したり限界を感じていたときに凄いタイミングで数学に出会えたのでやっぱりその経験が大きいわけです。


あとアメリカで天才数学者を名乗る詐欺師に騙されたというのも実存的な意味で凄く影響を及ぼしているんですよね。ちょうど数学に興味を持ち始めたぐらいの時に書店の数学のコーナーで出会って数学者だなんて言うものだから「えー!すげー!」なんてことになって「彼みたいな数学者になりたいなぁー」っていう自分の理想像をこの詐欺師に投影することになってどんどん騙されていったわけですが、色々と反省する中でこの理想像の投影というのは幻想だったわけですが、だったらまぁその理想像を自分に投影すればいいんじゃん!ってことでまぁ自分がその理想的な凄い数学者になっちゃえばいいんだなってことになったなんてこともあったりして、まぁこれってすげー個人的で実存的なことですよね。自分と数学というよりかは自分の人生の流れの中で数学というのが大きな意味を成しているんですよね。


だからなんというか一概に向き不向きだけでは語れないところがあるってことなんですよね。まぁとりあえず長くなっちゃったんでまた返信ください。


あと最後に。数学の中で苦手なものがあるってプロでもそれは同じだそうですよ。連続的なものはあまり得意じゃないけど離散的なものは得意だとかなんだとか、色々とあるみたいです。苦手なものを克服するのもいいんですけど、得意なところを伸ばすというほうがいい気がしますね。ちなみに三角関数なんかはあれなんですよね、三角関数っていうジャンルで捉えるんじゃなくて解析学の図形の中で考えるんですよね。そうすると数式の自明性とか論理性よりも図面による直感性によって理解できたりするんで、まぁようはアプローチ次第ってことですね。


恐らく学校でやらされるようなものだとほとんど式だけで暗記をする感じだと思うんですが、それって幾何を無理やり図形を使わずに全部数式だけでやるようなものですよね。そこに何の意味があるのかさっぱり分かりませんよね。こういう場合、分からなかった原因はアプローチにあったわけで三角関数自体にあったわけではないってことなんですよね。だからそういう理解できるアプローチに導いてくれるような本が必要になるわけですが日本の数学書は悪書だらけですしテキストなんて問題外ですよね。なのでnaoさんが言う数学の理解に対する違和感とか数学書を読んでいて嫌な感じになるというのが一切無いすっきりしためちゃめちゃ分かりやすい数学の本を書くという夢は諦めないでほしいですね。本当に和書ではそういうものが必要とされていると思います。


あとあれですね、良いテキストであってもテキスト通りの順番でやっても分からないことなんていっぱいあるわけです。で、それを一個一個しらみつぶしに完全に理解しようと思ってたらまぁ永遠と先に進めないですよね。で、これも僕の経験からなんですが、三角関数然りなんですが、高次の数学のパラダイムが頭にあるとそれを使って理解できるようになったりもしますね。数学的上から目線とでも言いましょうか(笑)だからとりあえず興味の赴くままにガンガンと色々と読んじゃったほうがいいって思うんですよね。デュドネというブルバキのメンバーだった人の解析学の6巻か7巻ぐらいある長いモノグラフがあるんですが、これは高次の概念で基礎的な解析学を記述しているというような例の典型だと思うんですねっていうかまぁブルバキスタイルがそうなんですが、そういう意味で僕としては高校数学の枠組みの中でのみ説明される微積分や三角関数ほど難しいものは無いと思っています(笑)


まぁようは何が言いたいのか?っていうと今分からないことが全てではないってことですね。数学と言えども広いので今では全く関係ないと思えるような組み合わせ論やグラフ論や確率論や統計学みたいな数学の知識が今分からないと思っていることの理解に劇的な効果を表す場合もあるわけです。なので長い目で見て色々と読みながら理解していくっていう地道な方法がベターなんですよね。確か数学ガールの著者の方が言ってたか数学ガールの主人公が言ってたか忘れたんですが、一つの分野に関してのテキストを少なくとも20冊ぐらいは読むって言ってましたね。ようは何種類ものテキストを読んだほうがいいってことですね。一冊って言っても例えばその人が工学系の人だったらそりゃ恐らく記述は工学系のものになるでしょう。で、分かりづらい!ってなる。例えば物理系の人が書いた微積分の本とかってのは自分の経験から言うとめちゃめちゃ分かりづらいです。でも先ほど書いたようなデュドネブルバキといった抽象的な数学を使って記述されているものは自分にとってはめちゃめちゃ分かりやすいので、まぁ凄く目からうろこだ!みたいな経験が多かったわけですね。


なので今分からないことが全てだとは思わないでくださいね。むしろ視野を広げれば分かるようになる可能性のほうが高いわけです。