Naoさんへの返信。2。

Nao 2013/12/20 14:59


うーん、なんか凄い疲れてたんでしょうね(笑)。というか無駄に力入ってたっていうかなんかストイックにやってるつもりはなかったんですけど実際はめっちゃストイックだったなと。なんかホント労働というかそれに近いくらいなんかもうhave toに近いくらい最悪でしたね。まあこれからは気楽にやろうと思います。というかわざわざやめるとかってことを今決める必要ってないですよね。なんかあたかも禁煙するみたいな感じでやめようか?って考えてましたが、というか今までもそんなことが多々ありましたが、それは別にやり続けるかやめるかっていう二者択一にする必要はなくて単純に気が向いたらやって向かなかったらやらなければいい話ですからねえ。それこそ極端な話10年くらい気が向かないとしてもそのあと気が向いたら別にまたやってもいいわけですし。というかホント充電ですよね。いや、トポロジーに目覚めたのも充電ありきなんですよね。一ヶ月数学やってなかったわけで、でもやりたくなってきたわけで、やっぱやめるというよりかは充電というほうがいいですね。ネットでもなんでも充電って思えばいいわけでそれこそ用がなくてぼーっとネットをやっていてもそれでも充電と考えれば別に問題ないというかそこで無理矢理やろうとするってホントださいですし、妙なトラウマというかそれこそ苦痛っていうイメージついちゃいますからねえ。


というかまあなんか妙な焦りみたいのがあったなと。知識量とか関係ないって分かってるんですけど、なんかあれもこれも知っとかなきゃ!みたいのがあったと思いますね。そんなんで本を読むわけですから当然気合入り過ぎてダメですし、なんでもうまくいくのってリラックスしたときですからねえ。数学分かるのもリラックスしたときが大半ですし。まあさすがにもう一日中数学やんなきゃいけないとかそういう思い込みは前からなくなってましたし、mimisemiさんも一日中数学やってるとは思ってませんでしたが、なんか精神的にストイックだったなと。なんかホント全部自分のペースですよね。いつやるかってのも知識身につけるとかも全部自分のペースでいいわけですし、ホントなんかそれこそ「好き」とか「楽しむ」ってことが一番重要ですからね。なんかそれを分かってるつもりでしたけどなんか数学疲れですね。ホントに。ちょっとしばらく充電ですね。今自分の状況にピッタリな言葉ですね、数学疲れ。おそらく。


で、読書なんですが、もうこれは敷居を下げるしかないですよね。それこそもう字を追うだけでもいいですし、英語力なんかもこれでだいぶ身についたわけでとりあえず読書に慣れるまでは読むってことが重要で、というか全部理解しようと思うのがもうダメですし、そもそも読もう!っていう気合がダメすぎる。いや、本だってホント自分のペースでいいわけですからそれに何回読んだっていいんですよね。ホントに。というか考えて思ったのがウォール伝読む感じで読書すればいいんだって今更ながら思いましたね。ウォール伝みたいに長いやつが読めるわけですから(笑)読書もできるわけで、要は本になった瞬間どっか気合入っちゃってるんですよね。でもまあ何も知らないで言うのもなんなんですが数学書って多分読むのが難しいと思うんですよね。でもまあそんなのを理解を目標にするとそれこそ紙とペン方式になっちゃいますしそれは一番嫌ですからねえ。ホントもうなんか大雑把でいいんですよね。ウォール伝なんかも大雑把ですもんね(笑)。で、数回読むんですよね。別に何回読んでもいいですし、それこそウォール伝読んだとして内容頭に入ってるかっていうと全部は入らないですし、全部内容理解するとかよっぽどの読書家でも無理ですよね。よくよく考えると。だからまあ読書嫌いっつーよりかは単純に読書の習慣の問題な気がしてきましたね。


そもそもホントこれはまあいつも思うことなんですけど、向いてるかどうかなんて分かんないですよね。だからホント1万時間の法則ですよね。それこそ。1万時間やればいいってわけじゃないですけど才能云々とか本気で考え出すのはそっからでそれまではもうとりあえずやるってことしかないですからね。ちょっとやっただけで分かるはずもないですし。


あとまあ風景が見えなくてもまだいいんでしょうかね。というかそれは安心しました。それだけでも結構不安材料になってましたんで。


すいません、自分ではいろいろ思ったことあるんですけどあんまうまく書けないんでそんな感じですね。まあちょっとしばらく素直に充電ですね。ネットとか動画見たりとかしようと思います。気が向いたら数学やりたいと思います。ただやっぱここで終わらせたくないってのはあります。まだまだ知りたいことだらけですので。


あとまあ視野を広めるってことですよね。ブルバキとかも読んでみたいんですよね。だからまあ自分が書きたいのは数学的上から目線の数学書なんですよね。初学者でも上から目線で学べる本というか。そんな本はおそらくないんじゃないかと。まあ書くなんてのには相当な能力が必要でしょうけど、それも一つの分かりやすい目標ですかね。結局上から目線で見るほうが一番楽なんですよね。ホント考えれば考えるほど上の高度というか抽象世界いっちゃうんですよね。僕が一個一個チマチマやるのが嫌なのもそのためですね。もうごちゃ混ぜな感じでやりたい感じですね。なんか数学はスパゲティだと思いますね。スパゲティの麺とかキノコとかウィンナーだけ単体で食う人はいなくて一気に絡まって麺からキノコから全部食べる感じで、全部絡めてやるのが一番いいと思うんですよね。数学は。キノコだけとか食ってもスパゲティだと分かんないですけどやっぱ一気に食ってこそスパゲティじゃないですか。そんな感じで数学はスパゲティだと思うんですよね。


あと、ちょっと変ですがもしかしたらスパゲティにチョコ入れたらめちゃくちゃうまくなるかもしれないじゃないですか?そのスパゲティにチョコは合わないという先入観はダメですよね。ホント数学ってどこで相性がいいかというかどこで繋がってるか分かんないわけですよね。あと多分スパゲティ好きはいろんなスパゲティ食べますよね。同じトマトパスタでも店によって違うんで20店舗くらいはいくでしょう。ごめんなさい、例えが無理矢理で。でもなんかホントスパゲティのようにいろいろ絡めて数学やるのはそれは一番重要だと思うんですよね。高校数学なんてケチャップだけしか使ってないトマトパスタみたいなもんですよ。偽トマトパスタですね。でも高校数学なんてニセ数学だと思います。


多分圏論とかトポスとかスキームとかまあ言葉の乱用で申し訳ないんですがその辺から上から目線でいけばそれだけで結構ヤバくなりますよね。おそらく。


Nao 2013/12/21 02:59


読書慣れしてない人が読書苦痛に感じる理由を考えてみましたが、いや、まあ面倒だとか慣れてないというのが最大の理由なんだと思いますが、自分の場合すごくペースを保ちたいというのも一つですね。いやまあ数学書なんてのはそんなスラスラ読めませんし、あと数学書は図があったほうが分かりやすいんですが、自分の場合ホント文字見たり図見たりしなきゃいけないのとか面倒なのかもしれません。いや、数学書は図があったほうがいいに決まってますし、ビジュアルで学べる本とかああいうのは凄い助かるんですけど、ちょっとたまに図が面倒なときあるなと(笑)、別に図があることをどうこう言ってるわけじゃなくてこれは完全にこっちの責任ですので。いや、なんかホント等速で読みたいんですよね(笑)。なんか止まっちゃうとか一旦図を見てペース落ちるっていうそれだけでも嫌になってるなと(笑)。というか初等幾何っていうかユークリッド幾何っていうんですか、あれが嫌な理由に内容がどうでもいいのもありますけど(笑)、無駄に点Pやら角DEFとかってアルファベット登場しまくりますよね、あれ面倒臭いんですよね(笑)。まあ興味ないゆえほとんどやりませんが。まあちょっと読書の何が嫌なのかってことだったのでちょっとそれを考えてみました。これってやっぱ読書慣れしてない人は大抵そうなんでしょうか?それとも僕だけですかね(笑)あ、本によっては表とかグラフとかもそうなんじゃないですかね。


ああと脚注でたまにそのページじゃなくて後ろにまとまってるやつありますよね?もう面倒いんでそういう本は脚注はよっぽどじゃない限り見ないんですが、それか鉛筆かなんか挟んでおきますがあれってなんでわざわざそのページじゃなくて後ろにまとめちゃうんですかね(笑)?あれホント面倒ですし意味が分からないですよねえ(笑)。


まあそんな感じですかね。まあ今思いつく感じですと。ああと初学者には読みにくい本があって初学者だから読みにくいのか悪書なのかって判断できないっていうのもありますよね。実際そういうどっちなのか分かんないって本実際いくつかあります。あとはまあこれはウォール伝で何度も言及されてますけど文体ですかね。語るようなやつは読みやすい。ウォール伝はその最たるものだと思いますね…ってあんまもの読まない自分が言うのも変かもしれませんが。


いや、「無理やりやろうとするってホントださい」ってこれに尽きますよ!努力するのはダサくないんです。まぁでも努力は嫌いなんてあんまり肯定したくないんですが、無理やりってのはまさにhave toベースでやるってことなんでつまりはマインドが奴隷的になってるってことですよね。ようはwillが無いわけですよ。そんなマインドで練習だ!なんつって計算の問題とかやりだしたら完全に終わりですよね(笑)まぁなぜか教育の場合、これをやらされるんですが学問的には最高にアウトでしょうね。あとまぁあれですよね、あえて書く必要はないかもしれませんが、それに対して無理やりにでもやらない限り取り組めないとか、やろうとする意思が生まれないってことはズバリそれってそれに向いてないってことだと思うんですよ。向き不向きには色々な要素があると思いますが、これは凄く大きいと思いますね。


好きでしょうがない人の場合、やるなと言われてもやっちゃいますから数学的才能云々以前にそれに没入したり離れることができないので結局、気がついたら1万時間ぐらい取り組んでいたってことになりますし、Naoさんはゲームをやるかは分かりませんが、オンラインゲーム廃人の話とかってネットでよくある話なんですけど、まぁ究極的にそれにとりつかれるぐらいやってしまうっていうのはこういうことですよね。でもまぁゲームは楽しいしオンラインってのは恐らく相当中毒性があると思うのでハマりやすいと思うんですが、数学ってそうはいかないですよね。なんだかんだ言ってもやっぱり無味乾燥な本が多いし面倒なこととか煩雑なことが多かったりして楽しいことばかりではないですよね。でもやっぱり分かったときの快感とか分からなかったものが分かるようになって読めなかった本が読めるようになっただとか、こういうのってやっぱ快楽じゃないですか。だからまぁ本質的にこれってゲームをやったりエロサイトをずーっと見ちゃうようなことと快楽って意味ではあんまり変わらないと思うんですよね。なので凄く快楽主義的というか、ストイシズムとは対極にあるんですよね。


でもなんか勉強とか学問ってストイックなイメージがありますけど、まぁ大半の学者とか研究者なんて楽しいからやっているわけで頑張ってる人ってあんまりいないと思うんですよ。むしろ頑張るのはアカデミックなポジションにいることでやらなきゃいけない責務とかそういうところでしょうね。学問そのもので努力するということはあんまり無いんじゃないかと思いますね。いや、単純に頑張ってネットゲームやる人と誰かが見てないと死ぬまでやり続けてしまう廃人とどっちが強いのか?って明らかに廃人じゃないですか?(笑)廃人ぐらい没頭したくてもなかなか出来なくてもでも好きだったらゲームだろうが釣りだろうがやっぱりやりたいときはやりますよね。でも永遠とそれをやらされたらやっぱ苦痛になるでしょう。これって別に学問に限らずなんでもそうだと思うんですよね。


結局なんていうか知識量を増やさなきゃいけない!って焦るのも分かるんですが、変な話、それって取り組み続けていれば勝手に知識ってついちゃいますからね。ネットゲーム廃人がめちゃめちゃゲームが上手いのと同じ原理です。だから結局はいかにそれと長く接しているか?っていうまぁようは続けることの重要性ですよね。継続は力なりとはよく言ったものです。


あと読書なんですが、まさしくウォール伝読む感じでいいんですよ。まぁ前にも書きましたが本を買うことの利点ってやっぱこれなんですよ。適当に読もうが熟読しようが読者の勝手ですからね。でも持っておけば適当に読んだ後に熟読も出来ますし、そもそも減るものじゃないんでやっぱり所有するってことは大事だと思いますね。あとはまぁやっぱり身銭を切るってことですよね。金払って学校来てるんだから学ばないと損だ的なことですよね。でも別に適当に読むことがただの本の消費なんではなくて再読はいつでも出来るっていうことなんでむしろ適当に読んでいいと思うんですよ。適当に読んでもいいんだってことで読書の敷居ってめちゃめちゃ下がりますからね。漫画本を読むような感覚で読めばいいわけです。分からないところがあってもこれは数学書なんだから分からなくて当たり前ぐらいの気持ちでいいと思うんですよね。結局、読み方が大雑把でもそれってまだ通読した内に入ってないと思うんですよ。とりあえず偵察みたいな感じで全部読んじゃうっていう。で、ちょっと流れが掴めたらまた読むっていうまぁこれって何気に読書法なんかでよく語られている定石なんですよね。


あとあれなんですよね、本を読むっていっても一語一句全部覚えるなんてことはサヴァンの人じゃないと無理なんで、結局はまぁどんだけ頭が良かろうが本の内容が全部頭に入ることなんてありえないわけですよ。だから2割か3割ぐらいの理解でも頑張るよりマシだと思うんですよ。ウォール伝を読むように2割か3割ぐらいの理解でいいかなーぐらいの気持ちで読めばそもそも労力がいらないですからね。で、それで数をこなすって話なんですよね。あと接する時間をそれで稼ぐっていう。頑張るとやりたくなくなるんで絶対に接する時間は減るはずなんですよ。適当に読んでもいいんだったら絶対にそれと接している時間は増えますよね。


でもまぁあれなんですよね、まぁいつも書いてるんですけど数学書の読み方なんつって一般的に言われていることって全部紙とペン方式だし酷いのだと1冊に1年かけるみたいなことを書いてたりするんで、そんなやり方ありえないわけですよ。でもなんか偉い先生とかがそういうやり方をしろって言ってると権威的にそれが正しい数学書の読み方なんだって思っちゃいますし、実際にそういうのが正しい読み方なんだってことが常識になってるんで、まぁ僕はあえてそんなの大間違いだ!って言いたいですよね。いや、小説とかもっと言えば漫画を読むぐらいでいいんだってことなんですよ。まぁ哲学然りなんですけどね。


僕が大量に本が読めるようになったのもようは読書の敷居をめちゃめちゃ下げた結果なんですよね。数学書に関してはやっぱり読み始めた頃は力が入ってましたが今はホントに普通にその辺に読みかけの数学書がゴロゴロ転がっている感じなんですよ。雑誌とか漫画が散らばっているような感じで数学書が散らばってるわけです。なんか学問のイメージって深夜にノート開いて筆記用具を出して丁寧に大事な本を読むみたいなのがありますけどまぁこれって昔の話ですよね。今は時代が違うし情報自体の意味合いが変わってるわけで、こんな方法は時代遅れもいいところなんですよね。でもまぁ恐らくアカデミックな世界全般そうだと思うんですが、大体まぁ古狐みたいなやつらが永遠と学会とかを支配しているっていう構造じゃないですか?だから爺が言うようなやり方が永遠と続いちゃうんですよね。B29に竹やりで対抗するような感じで(笑)


本がどうも面倒な感じに読ませるようになっているのもそういう古いメソッドでやってきた人たちが書いている本だからそうなっちゃうんですよね。紙とペンとか机でガッツリ読むみたいなのがもう当たり前の前提条件になってるわけですよ。でもまぁそれはあれですよ、書いてるやつがお堅い学者さんでホントにどうしようもないぐらいに思っていいわけですよ。っつーかアカデミックなものに威厳なんて無いんですよ。元々無いからこそ虚栄を張るために学術書とかって大層な作りになっていたり大げさにケースとかに入ってたりするんですよね。だからまぁ「ずいぶん威張り倒してるなぁー」とか思いつつ威張り倒してるからこそジャンプを読むような感じで読んでやれ!って思って読んでやればいいんですよ(笑)


「いや、そんなんじゃ駄目でしょ」って意見があってもそういう読み方で成功しているっていう例がここにありますからね。論より証拠ですよ。まさに。あ、ちなみに僕も幾何は嫌いで図もめんどうだしつまらないし慣れなくてもいいと思いますよ(笑)まぁあと変な話、幾何の本も漫画を読むように読んじゃえばいいわけでいちいち面倒な図とかも大体で読めば「色んな図が書いてある絵本」みたいな感じになりますよね。どんだけ偉そうでもこっちがそういう風に取り組んじゃえばどうにでもなりますからね。で、結果的に分かったもの勝ちなんですよ。


俺はこんなに努力して頑張ってきたんだ!っていう人でも、いや、自分は頑張らないで楽しんでやってきましたよって人でも概念の理解に違いはないですからね。理解の深さとかは個人によるので問題にはしませんが、ようは努力をしてきたんだ!みたいなのは全く問題にならないってことですね。それもクソ読みづらい戦前ぐらいに書かれた本を頑張って行間も埋めて読んだんだ!なんつー人もいるかもしれませんが、まぁそういうのは「ご苦労様です」ってことですよね。そういう人にとっては「いや、僕はめっちゃ分かりやすい本を楽しんで読んで理解しましたよ」なんて言われたら自分の努力を否定されてるみたいになって顔真っ赤になると思うんですよね。まぁようは下手糞な取り組み方に利点は何も無いってことですよね。思うにこういう接する方法とか理解をするアプローチの方法なんかも結局は向き不向きの話になると思うんですよ。そういう意味で僕はかなり向いていたんだなって今ぐらいになってようやく気がつけたんですよね。それは今の自分っていう結果があるからなんですよ。


まぁでもあれですよね、例えば僕みたいなやり方で学んできた人とかが教科書とかを書くようになればそりゃ楽しい教科書になると思うんで、Naoさんには是非、数学的上から目線のテキストを書いて欲しいって思いますよね。まぁようは数学業界も世代交代が必要ってことですよね。


というわけで今日はこの辺で失礼します。