返信です。

はじめまして、です。 2014/07/16 09:41


数学に習熟されていたとのことですから、数理ファイナンス方面に食指を伸ばされるのでしょうか?


数理ファイナンスの魅力とかはよく分かりませんが、上のレベルになると高度な数学(確率微分方程式など)が用いられているようです。


自分のことで恐縮ですが、私も最近少し金融工学に興味をもって(まだなにもしてませんが…), とりあえずルベーグ積分とか確率解析の数学でも勉強しとこかなー^^; という感じです。ちなみに、自分は数学全然ダメですが、一応代数学方面を勉強しており、整数論がやりたいので繋げられたらなぁと思っています。


自分の話ですいません。耳蝉さんは代数的な数学を確かされてましたよね。実はちょっと前からこのブログにお邪魔してました^^; 刺激的で啓発的であり個人的にファンです(笑)。金融や経済学は、数理科学としてガンガン数学が入る余地があっておそらく耳蝉さんもそこに向かって行かれると感じていますので、その向きの話もまたブログで上げて頂けたらと期待しております!楽しみにしております!!


自分が数学を習熟したかは分からないんですが、経緯を簡単に話すと僕も数論系がやりたかったり、あとは代数幾何圏論集合論とあとは位相系の量子力学をやろうと思っていたというかまぁそういうのをやっていたんですが、正直、行き詰まりを感じたんですよね。だんだんやっていくと理論自体が理論のための理論になっていって、またそれが理論になっていって・・・っていう実体から離れていく感じに違和感を感じたんですよね。まぁもちろん数学って抽象的ですから実体なんてないだろーって話なんですが、でもまぁ実際に理論物理学の世界とかって虚しさと表裏一体だと思うんですよね。数学も高度化すれば結局はそういうことになりますよね。局所的に何をやっているのかは理解しているんだけど、大局的に見たときにこの局所的なものは結局何に繋がるんだろう?とかっていう疑問が生まれてくるんですね。理論がad hocになり過ぎるって感じですかね。僕が求めてるのって普遍的なものなんですよね。ad hocなんじゃなくてそれ自体が森羅万象を記述するようなものに繋がってるみたいなそういうのがやりたいんですけどやっていくうちにやりたいこととかけ離れてる感じがしてちょっと幻滅したんですね。まぁでも特に代数幾何圏論はそういうのに関わらず数学自体が凄くエレガントなのでまたいつか再開するとは思うんですけどね。


で、なんで数理ファイナンスにいったのか?っていうと僕は社会学とか政治学とかもやってるんで経済学について知らないとダメでしょ的なことがあって色々とかじってたんですけど主にマンデルブロとかの数学に影響を受けてカオス理論が好きになったんですね。まぁ元々カオス理論は好きだったんですが、バタフライエフェクトのような物理的な意味でのカオス理論っていうのにはあんまり興味が持てなくて、んでそんな中で数理ファイナンスの中でのランダムウォークとかフラクタルっていうのに異様に魅力を感じまして、で、元々確率論や微分方程式などはエレガントじゃないので好きじゃなかったんですが、数理ファイナンスのコンテキストだとめちゃめちゃ抽象的な数学とは違ってそれが具体的に何を記述しているのか?ということが明らかなんですよね。ずーっと抽象的なことばかりやっていたので、こういうような現実の株価だとかなんだとかの現象を記述できる数学っていうのに魅力を感じたんですよね。とはいってもまぁ基本モデルは不完全ですし、まぁモデル化って無理なんですよね(笑)


なんていうんでしょうね?リーマンショック以降の数理ファイナンスの行方っていうんでしょうかね?マンデルブロやタレブやウィルモットといったような、古い数理ファイナンスをぶっ壊すような次世代の数理ファイナンスというのに興味を持っているんですね。全ては数学で記述できるのだ!みたいな全能感に立たない現実に即した数理ファイナンスっていうんですかね?まぁ簡単に言っちゃえば「複雑で予測できなくて正直まぁわかんないよね」って話なんですが、僕的にはそこに量子力学のような分からない感の面白さってのがあるんですよね。粒子だのなんだのっていうような物質に関わる力学の記述などには興味はないんですが、株とか経済とか人々の期待値といったようなものが素材になる場合、なんか一気に面白くなるんですよね。だから正直「これだ!」っていう感じがしてます。数学に目覚めたときみたいな「これだ!」感を今は数理ファイナンスに感じていますね。とにかく楽しくてしょうがないです。


で、話は一気に変わってルベーグ積分なんですが、あれって集合論的に考えると凄く楽なんですよ。僕の場合、自分の得意分野が集合論や代数的なものだったりするので解析的なものもなるべく代数的なものに引き付けて理解するようにするんですが、こう考えると確率解析も特に構造ファイナンスと呼ばれるような分野ではブロック的な理解の仕方が出来るので一見複雑そうな確率微分なんかもブルバキ的な構造的理解が出来るようになるんですよねってこれは最近やっててわかったことなんですけどね。でも数理ファイナンスに出てくる数学はガチの純粋数学に比べたら子供みたいなレベルですよ。はじめましてさんはご存知かと思いますが例えば整数論の世界って深すぎますよね。でも数理ファイナンスなんて所詮はただのなんかの記述なんで深みはないんですよね。だからこそまぁ僕程度の数学レベルでも理解できるっていうことも言えるんですけどね(笑)でも現実と純粋数学的なフレーバーがリンクするセクシーな瞬間って数理ファイナンスにもあるし実体ベースでイメージしやすいっていうのも好きな要素として大きいですよね。あとまぁ数理ファイナンスが面白いのは当然現実の社会とリンクしてますからそういうものがリンクして金融の事件とか詐欺とかが起こったりどっかの国が財政破綻したりとか、そういうことが分かるようになるから面白いですよね。面白いというと不謹慎な感じもするんですけど。


あと最近面白いと発見したのが統計学ですね。今はLeonard Savageの「The Foundations of Statistics」を読んでいるんですが、ほとんど哲学なんですよね(笑)人間の根源的な認識に関わるものなんですよね。それ言い出すと確率論なんかも哲学的で今はElie Ayacheの「The Blank Swan」という本も読んでるんですがこれが死ぬほどツボで「こういうのがやりたかったんだ!!」って歓喜してます(笑)ようは立場ですよね。仕事のために数理ファイナンスとか確率論をやるんじゃなくて、おこがましい言い方になるんですが哲学的に見るって感じですね。なのでまぁ基本的なattitudeというのが哲学なんですよね。なのでまぁ基本的にやってるのはPhilosophical Inquryですね。その分野が今は数理ファイナンス中心になっているという感じです。


まぁそんな感じなので今後もよろしくお願いします。勉強している最中なのでちゃんとしたことは書けないかもしれませんが、数理ファイナンスとか確率論のネタを投下できたらいいなぁーとは自分でも思ってるので末永く見守ってやってください。

kitakami 2014/07/16 10:50


こんにちは。先日は質問に答えてくださってありがとうございます。また小さな質問なんですけども「庵を結ぶ」って出家みたいなことなんでしょうか?ぐぐってもちょっとよくわからなかったんでよろしくおねがいします。


「庵を結ぶ」なんですが、基本的には空の教えですね。ホームレスを想像してほしいんですが、適当にダンボールを拾ってきて一応雨とか風がしのげるような家らしきものを作ったとしても、それは確固たる家と言えるほどの存在ではなくて、また移動の必要が出てきたら一瞬で解体できるわけですよね。自分がいてダンボールで家らしきものを作っているということがあって家が出来るけど、自分がいなくなったらそれはただのダンボールだし、多分放っておけば勝手に崩れてゴミになるでしょう。というか元々その「家らしきもの」と「ゴミ」の差なんてないってことなんですよね。結局はこれって諸行無常だとかってことにもなってくるんですが、自我とかに関してだって勝手に自分は自分だって確固たる認識があるわけですが、でもそれはただ「自我がある」と思い込んでいるだけででは実際の自我って何なの?って話になるんですよね。ダンボールハウスにしたって自分にとっては今のところ家だけど放っておいたらゴミになるし、任意で解体すればその家は無くなるわけですよね。自我にしたってとりあえず自分ってのは親がセックスして出来たわけですが、全ての存在って基本的にはこういう時系列的な関係性の所産ですよね。水の流れがあって気候とかの関係で一瞬渦が巻いてるようになっていてもまた次の瞬間にはまた普通の川の流れに戻ってたりするわけですよね。


この水の渦というのもそういった物理現象が発生する因果性によって一瞬発生したものでそれはただの現象で一瞬で消えてしまうし、そもそもそれは渦という存在というよりかは因果性による現象の所産なんですよね。それを渦と呼んでいるけど実はそんなものは存在しないんじゃないか?みたいな話ですね。まぁそれを渦と呼んでいるだけのことであるってことで、まぁ唯名論みたいな感じになりますよね。まぁ渦は存在しないということにはならないんですが、そもそも人間が何らかのものを「これだ」と名指しで呼んでいるものに実はそれほどの実在性はないみたいな話ですね。


株が良い例であんなもん価値ないわけですよ(笑)ただ価値があるとされるから価値が上がるんであって全てはそういった人為的な因果性による刹那的な現象ですよね。昨日まで価値があったものが明日には一気に暴落しているって諸行無常の極端な例だと思いますね。でもまぁそれ言い出すと生命も同じですよね。今生きてるけど明日には死んでいるかもしれないわけで。全ては因果性によるものですよね。それ自体が流体的なものなんであって固定的な存在と看做すものは便宜的に存在として名づけているだけであってそこに確固たる実在性など存在しないっていう話ですね。数学で言えば変数がほぼ無限にある偏微分方程式だらけの世界ってことですね。でも実際の世界ってそうですよね。世界がカオスなのはそういうことなんですよね。不規則過ぎるので何もかもがちゃんと定義できないわけですよね。まさしくフラクタルって話なんですが。僕が数理ファイナンスにハマっていうのもこういう世界観だから面白いって感じてるんですね。ネットと庵を結ぶというのがどう関係するのか?ってまだ明文化はできないんですけど、基本的に何でもネット化するって因果性が増えるってことですよね。


例えばウォール伝にしても僕が考えたことが一瞬で誰かに伝わるわけですよね。僕の脳内写像みたいなのを誰かが見てそれが一瞬で伝達するわけです。もちろん伝達におけるプロセスの中での理解の違いとかまぁデリダの散種みたいなみたいな話なんですが、それがどう伝わるかはともかく何かしらのものが伝わるということはそこにもう因果が成立しているわけですよね。で、それが読んだ人の人生に影響したり、日々の生活の中における選択に影響したり。書いている僕も書き込みをくださる方から影響を受けたりしているので因果バリバリですよね。そうなると不思議なことにこのウォール伝というのが僕の「場」になるんですよね。場のつもりはなくても場になってしまっているっていう現前性があるわけです。作為的なものではない自然な流れとしての場の形成というのに僕は庵を結ぶような感覚を覚えるわけですね。これって別に経済とか関係してないですからねってまぁ完全にってわけではないんですが、別に金銭的なインセンティブとかこの場を設けるためのお金とかいらないわけですよね。なんか思ったこと書いてたら場が出来ちゃったみたいな自然な感じっていうんですかね。家は出来てませんがこの場という庵は出来てるじゃん!っていう感じですよね。別にこれは出家しなくても出来ることですよね。


ただこれを実際のインフラレベルの話にするとなかなか難しいんですよね。自分が生きたいように生きてたらやっていけるようになっちゃった!ってそれが最高なんですが、実際は経済活動に拘泥しないとやっていけなくて、で、これが人生を支配してしまうってことなんですよね。でもまぁ僕としては生きるってことは庵を結ぶぐらいのことでいいじゃん!って思ってるんで、この世の中のただ生きるだけということをやるだけのコストが上がりまくっているというのに凄く反感を覚えるんですね。だからどうにかならないもんなのか?ってずーっと思ってるんです。

nao 2014/07/16 15:06


またメールでのnaoです。


この世(というか人間社会というか)という生物に死が訪れるのでは・・・。その生物はエントロピー増大化していって秩序がなくなっていってるって気が・・・。今はなんかもはやブラック化がヤバくて無政府状態ですよね。


僕も快を増大させてはいますけど、人間性はロクでもないやつなんで実質ゾンビです。前は弱い善人でしたが今はそれどころか偽善者ゾンビです。僕はまさにゾンビと言われて自分でそう認めてしまう人間です(笑)それくらい俺はゾンビだなと思います。自覚してるんですけど、なかなか行動にうつせない。でも疑問なんですが、この世のおかしいところにおかしいと言うにしてもキリがない気がしますし・・・。まあそれは何もしない側の言い訳なんですけどね。こういうと失礼ですが、ズバッと何でも言える(できる)mimisemiさんが羨ましいです。というかまあ素晴らしいと思います。っつうか素晴らしいも何も自然なことなんでしょうけど、それを戸惑う必要があるくらい世の中はブラック化してるってことでしょうか。でもそれもまあ僕が何もできないことの言い訳ですよね・・・。


でもなんというか将来の不安はもはや意味ないというかこれ杞憂ですよね。なんかブラック化さえ防止できれば逆にここまで世の中が積んでるんである意味気楽ですよね。将来の不安が無駄だってことですから。それは逆に不安になる必要がないってことですから。いやーやっとそれが分かってきた気がします。


でも数学やったり哲学やったり楽しいけどすべて僕がゾンビであることから目を背けているとしか思えません。幸福は逃避だとかなんとか言ってる人いましたがなんとなーくですが分かる気がします。ましてや哲学なんて実践すべきなのに読んだり考えたりとただのヒッキーじゃないですか。まさに哲学コントですよね。やっぱり哲学っていうか頭でいろいろ考えたりして分かってるのに実際の人間性がクズってゾンビと一緒ですよね。


極論的には数学やってるなら人間がゾンビでもいいと思ってます。でも哲学やってるなら人間性がゾンビなら絶対アウトでしょう。まあ数学者でも大抵哲学もやってたりするんであれですけど。


目指すは哲学者でも数学者でもなくとりあえずはUltimate Badass Japaneseですけどね。僕みたいなゾンビは結局そう簡単には変わりません。


最近哲学に手出し始めたんです(数学は難し過ぎるのでここ一ヶ月離れてます)。そうなると自分がゾンビだってことが浮き彫りになりますよね。前は数学やってればヒッキーだろうと構わないってトンデモないこと思ってましたが今はなんか絶対そりゃダメだなって思います。やっとなんかいろいろ分かってきました。


すみません。相変わらず的外れコメントになりました。なんかちょっと書きたくなったんで書いたみたいな感じです。失礼しました。とりあえずウォール伝でエネルギー貰いつつ強い善人になりたいと思います。とりあえずそうならないとまずは何も始まりませんので。いや、こればかりはもう自分が行動するしかないですので。行動というと大袈裟ですけど強い善人状態、ultimate badass japanese状態を常に維持しないと弱い善人になったりゾンビになったりしますが、その維持するのは自分ですから。


それから言葉勝手にいろいろ使ってしまいました。僕なんぞが気軽に使ってすみませんでした。


生物に死が訪れるならまだマシだと思うんですよね。最悪なのが前にも書いた二極化で基本的に資本があるやつが生きていけて無いやつは死ぬか労働力の提供をするしかなくてまぁどの道ロクな人生を送れなくなるっていうやつですよね。なんでこの生きるか死ぬか?ってのが資本に依存するんだ?って話なんですよね。まぁ自分で成り上がった人ならともかく元々資本を持ってる家に生まれたからラッキー!的なリスポーン位置に恵まれたってだけでゲームを進めるのが楽になるっていうこの不公平さですよね。それがとにかく胸糞悪いですよね。


あ、んで僕はnaoさんのことをゾンビだとは思わないし、実際にゾンビだったらなんか嫌がらせの書き込みとかするはずなんですよ(笑)彼らって人間が嫌いなんで人間的なやつに攻撃を仕掛けるんですよ。脳みそを食べたいのかなんなのか分からないんですけど。あと僕もかなり人間性はロクでもないですよ。優しかったり繊細だったり良いところもあるんですが助けようがないぐらい怠け者なんですよね。あと感情的ですぐキレますね。人間性がロクでもない=ゾンビなんだったら僕もゾンビになってしまうわけなので、naoさんのゾンビの定義には同意しかねますね。


世の中詰んでるから気楽ってのは落ちるところまで落ちればみんな一緒なんで楽っていうパラドキシカルな問題ですよね。みんな回りは上手くいってるのに自分だけ詰んでるとかだと焦りますけど世界的に若者が詰んでるどころかまだ世界と比べれば日本の若者はマシってことになるとまぁあんまりそういうネガティブな要素と比べて安心するって良くないんですけど、話がドメスティックなものではないってことでまぁみんな一緒なんだなっていう安心感はありますよね。5年後食えてるか分からない心配はみんなあるというのは逆に言えば不安のバッファ機能が生まれますよね。311以降にネットってデマなんかで不安を増大させた面もあるんだけどやっぱり不安バッファ機能って凄くあったと思うんですよ。基本的になんか大きいのきたらみんな死ぬよねっていう不安を共有できることで不安がバッファされるってことですよね。で、将来への不安ってのもあまりに世の中が酷いからバッファされてる面はあると思いますよね。まぁそういう意味では「自分だけじゃない」って思うのはある程度必要なんだなとは思いますよね。そもそも今の時代に一生安泰って言える人がどんくらいいるのか?って話なわけですから。だからまぁnaoさんがおっしゃるように将来への不安の持ちすぎはただの杞憂ってことになりますよね。だってみんな同じだし今調子良くたって将来分からないのは変わらないわけですからね。そういう意味だと逆にあれですよね、安定性はないけど流動性がある世の中のほうがいいですよね。まぁただ日本の場合、雇用の年齢差別が激しいので実際にそれが難しいっていうことはあるんですけどね。


ところで「哲学やってても人間性がクズってゾンビと一緒ですよね」ってことになると多分、過去も現在も含めた大抵の哲学者はゾンビになっちゃいますよ(笑)哲学者で人格者だった人って少なくとも僕は知りませんね。あと凄く良いことを書いてるのに全然実行出来てないとか、実際の生活では些細なことを気にしていちいちイライラしてたとか、まぁ逆に「彼らも人間なんだよなー」って感じるんで僕はそこに人間性を感じますけどね。人間的にクズってワタミ的なブラック的なクズとか他人を傷つけるようなクズはともかく、僕みたいに怠惰でしょうがないクズとか甲斐性無さ過ぎてクズとかっていうのは別にゾンビってことではないですよね。まぁそれはむしろ人間的なんじゃないですかね?それで良いかはともかくとして、短所があってこその人間だと僕は思いますよ。僕は好きなことに熱中する以外の長所って全く無いですからね。市場価値がゼロか下手すりゃマイナスぐらいな感じですからね(笑)でもそれってso what?ですよね。ゾンビであるよりかは人間であったほうがいいと思うので自分の市場価値なんて関係ないわけですよ。自分の市場価値を上げるにはゾンビになるしかないって言われたら僕は断りますよね。人間でい続けることを選びます。で、ギリギリまで人間らしく生きますね。それを貫徹できるマインドセットってやっぱり哲学だと思うんですよ。まぁ思想ですよね。別に具体的に哲学者の誰々の教えであるとかってことじゃなくて、生き方のattitudeってようは哲学じゃないですか?俗に言う「哲学を持っている」といわれるような哲学ですね。経済的なインセンティブとか社会的な強制的なダイナミズムに動かされない確固たるものですよね。思想ってのはそういうもんだと思ってます。だからまぁ流行とか全く関係ないし人気あるなしなんて全く関係ない話なんですよ。全てから自由ですよね。思想は。まぁ全てから自由にしてくれるのが思想とか教養なんだと思ってますが。まぁ所謂リベラルアーツってやつですね。自由になるための技巧っていうんでしょうかね。


なのでまぁ色々と勉強していけば変わりますよ。僕の20歳前後とかもう恥ずかしくてしょうがないですよ(笑)なんであんなに馬鹿だったのか?ってぐらい馬鹿でしたからね。でもまぁ人間って変われるんですよね。逆に若いのにもう完成してるみたいなやつを見るとちょっと僻んじゃいますけどね(笑)俺がこのぐらいの年齢の時なんてmegoとかの電子ノイズ聴きながら深夜から早朝までずーっとオナニーしてたのに・・・とかって思いますね。まぁあんま最初からちゃんとしてる人っていないと思いますよ。大抵の人は何らかの経験とか契機があったりとかして改心してちゃんとした人間になろう!って思うようになるんだと思うんですよね。まぁ別にその社会的な意味での一人前って意味じゃないですよ。まぁ社会的なレッテル貼りをすれば僕はダメ人間なんでしょうがいつも書くようにそういうレッテル貼りをする自称社会人たちこそがダメ人間なんであってそういうやつらがコペ転してくれないと世の中変わらないんだけどなぁーとか思いつつ自分は自分でやれそうなことをやっていくしかないよねーってことになるんですよね。だからまぁあんまり絶望的なことばかりに目を向けないで自分でやれそうな建設的なことをやっていくってことになると思うんですよ。まぁそっちのほうが人生楽しいですからね。


あと最後になるんですが、naoさんが言う「ダメさ」に関して僕は別にそれ自体は悪いことじゃないと思うんですよ。僕が言うゾンビって「普通はみんな苦しまなきゃいけない」みたいな変な世界観を無理やり押し付けてくるような輩全般を指すんであってっていうかまぁ他にもゾンビの特徴ってあるんですが、まぁそれは置いておいて、naoさんが言うようなダメさは人間が持ってるダメさですよね。僕で言うところの凄まじく怠惰であるというようなことですよね。で、これが哲学とか勉強すれば治るのか?ってそれとこれとは別ですよね。別に怠惰であるけど自由ならそれでいいし、リーサルなレベルで怠惰じゃなかったらそれはまぁそういう人間ってことでいいんじゃないでしょうかね。善くあることっていうのは別に良い人であることを意味するわけではないですからね。変な話、人間的にクズでも凄く世の中のことを考えていて若者の貧困について何かできないのか?っていってなんかしらの活動をしている人とか、あくまで僕の「善」の尺度って社会と照らし合わせたときの関係性なんですよね。おいしいものを独り占めしないで分けてくれる人みたいな意味での良い人ではないんですよ。逆にすげー良い人でもめちゃめちゃドリームキラーな人だったらそれは僕的に言えばクズですね。社会にとっての悪ですから。それは。


あ、んで僕はというとあんまり関係ないことなのでここに書いたりしませんが、個人のレベルで言えば主に自己防衛のために凄まじく利己的に振舞うようになってますね。絶対に良い人ではないと思いますね。まぁ悪い人じゃないし嫌なやつではないと思いますけど、でもまぁ思ったことをすぐ口にしちゃうので人によってはすげー嫌なやつだって思われるでしょうね。でもまぁ僕にすればそんなの本当にどうでもいいことなんですよ。自分にとって気になることってのがまぁようはここに書いてる大きいことだったりするので、人にどう思われるか?みたいな小さいことは問題にすらならないんですよね。まぁ怠惰なのは問題ですが、んでもまぁ気が向けばずーっと本を読んでるんでダラダラしちゃうのも充電って勝手に解釈しちゃえばまぁ別にいいですよね(笑)


とまぁそんな感じです。基本的に僕が右翼が「肉体言語」と言ってテロを実行したりするのを肯定するのもこの善の定義が違うからですよね。そりゃーまぁ一般的な尺度で言えばテロは悪ですが、そもそもテロリストなんて非じゃないぐらいの悪人を成敗しようとして何が悪い?って話ですよね。そんなやつらがのうのうと生きてるほうが悪いと思うので、アルカイダとかの洗脳されたテロリストとかではない政治的なテロに関しては肯定なんですよね。まぁイスラム原理主義にしても愛国心から国を防衛しようとしている人もいれば、イスラム教を過去のような世界教にしようとテロをする人もいればまぁ色々なんですよね。まぁ一口にテロだけでも色々あるので、何が善なのか?ってのは本当に気が遠くなるような難しい問題ですよね。ここはサンデル先生の出番だって感じがしますが(笑)でも善の定義ってマジで本当に重要なんですよね。凄く根幹的なところですからね。ラディカルなものを問うってそういうことなんですよ。まぁそういうのも含めて哲学を勉強するって善いことだって思いますよね。なのでどんどん色々と読みまくってください。