イスラム国とかについて。その2。

サイイド・クトゥブの「道しるべ」って前に読もうと思って読んでなくてさ、んでこないだイスラムについて色々と書いたついでに読もうと思って早速読んだんだけどまぁ予想通りの内容だったな。BBCのThe Rise of The Politics of Fearってドキュメンタリーがあったけどさ、ネオコンvsイスラム原理主義みたいな感じでレオ・シュトラウスとサイイド・クトゥブをパラレルに見立ててた内容だったけど


http://www.filmsforaction.org/watch/the_power_of_nightmares_13_the_rise_of_the_politics_of_fear/


やっぱ両者がイデオローグたる所以ってのはやっぱりイデオロギーの流布のテクニックだよね。シュトラウスの場合、プラトンとかマキャベリとかの古典を持ち出してきて賢人統治とかエリーティズムを正当化させようとしてたんだけど基本これってまぁ当然シュトラウスの「俺はこう思うんだけど」っていうのありきなんだよね。で、「自分はこう思う」ってところを古典から抜き出してきてあたかも古典による強いバックグラウンドがあるかのように見せるんだけど基本的にあれはシュトラウスの意見じゃん?まぁ本人もそういうもんだって言ってるし別に隠してないんだけどね。ようは名前があるオーソリティを持ってきてそいつに喋らせるって手法はプラトンプラトン自体のイデオロギーソクラテスに喋らせてるっていうさ、んでまぁシュトラウスはそれに自覚的で古典を自分の手法で再構成したんだよね。んでも基本まぁあれだよね、なんかを読み解くっつって学者とかが自分を意見を「解釈」として書いて流布させるってまぁどこでもやってることだもんね。それが文学だったり詩だったりさ、まぁでも大抵あれでしょ、本人が言いたいことを評論を通して言ってるってだけなんだよね。


で、なんでそれがイデオロギー流布に有効なのか?っていうとようは元がプラトンだったりマキャベリだったりするともうオーサライズされてるものじゃん?学術的にも「マキャベリ論」とかって言えば通るわけでさ、あとまぁ読む側も「これは新しいマキャベリ解釈だな!」とかって感じるわけじゃん?実際はただのイデオロギーなのに。まぁシュトラウスは隠さずに言ってるもんね。基本宗教で洗脳するのが手っ取り早いって。ようはマスを洗脳するのはそれが一番だってことなんだよね。で、これって何でもそうなのよね。マルクス主義なんかも同じなんだよね。マルクスってのを聖典にしてんで都合のよいところだけ持ってきて武力闘争とかテロの正当化に使ったりさ、基本なんかのこういうオーセンティックなテキストに依拠してやるってのはまぁ虎の威を借る狐なんだよね。でもそれはダサいっつーよりかは狐ってまぁ狡猾ってことのシンボルだったりするわけで、まぁ狡賢いってことなんだよね。まぁでも目的は自分の言説を流布することなんだったら合理的にそういう方法を取るのが一番良いってことになるよね。「俺はこう思うんだけど」っつっても誰も聞かないから迫力のある古典を持ってきてそれを「マキャベリ論」とか「プラトンの高貴な嘘について」っていうような評論として出すんだよね。まぁあと引用とかもそうじゃん?とりあえずキルケゴールとかハイデガー引用しておけばテキストの格と説得力が上がるみたいなさ、でも実際はそのテキストに説得力があるか?ってことが問題なわけで、引用すれば説得力が上がるってわけじゃないよね。まぁでもなぜか説得力が上がるんですよ。だからまぁほとんどが引用と受け売りみたいな内容の文章とか本はいくらでもあるからね。


これってまぁ仏教でも同じだもんね。で、変な解釈になるとオウムみたいなポアの論理とかも出てくるわけで。でもそれは元は仏典なんだからっつー言い方があるわけじゃん?実際はめちゃめちゃ間違いなのにも関わらず。まぁでも少なからずそういうようなことは言ってなくもないってことではあるんだよね。んでもイデオロギー化のプロセスでは特定の部分を誇張してさ、んで「仏陀がこうおっしゃってるんだ!」とか「イエスがこうおっしゃってるんだ!」っていうさ、まぁなんつーか崇められてる人が言ってる言葉なら絶対になるじゃん?んだからそれがほんの一部の発言を誇張したものであっても元ネタが聖者の言葉だったりすると正当化されるように見えちゃうんだよね。まぁ基本テキストなんて全部これが起こるんだよね。後天的に色んなやつが勝手な解釈とか付け足してんだからまぁ色々な党派が生まれるわけじゃん?で、それ同士で争ってたりってのが昔から絶えないわけで。マルクス主義とかにしてもマルクスは絶対だ!って思ってるような宗教的なやつらからすればさ、元がマルクスの言葉なら「それは間違いだ!」とかって言えなくなるじゃん?まぁようはこの「マルクス」って関数なんだよね。そこに「神」とか「グル」とか「池田大作」とか「渡邉美樹」を放り込むと独特の経典がアウトプットされるっていう。これがまぁようはイデオロギーとか宗教的な構造だよね。まぁもちろんそれはアナロジーとしての関数なんであって、そりゃ実際は誰かが書いてるものだったり自分が書いてたりするものだから自然に出力されるってことではないんだけどさ、ただまぁなんつーか構造は普遍的ってことなんだよね。


んだからイスラム原理主義なんかもこれと同じなんだよね。だから例えばイスラム国なんかはスターリンによる共産国家とか毛沢東による共産国家みたいなさ、下地にアラーだのマルクスだの神だのってのを使ったイデオロギーによる国家形成なんだよね。基本全体主義国家ってそうだもんね。ヒトラーもようは自分で本を書いたりアジテーションしたりしてそれが原典となるような「言葉」を作り出してたわけじゃん?宗教の場合それが「神の言葉」だったりするんだけどまぁ「んなわきゃないでしょ」ってのは明らかなんだよね。別にこんなもん政治哲学とかを齧ってなくたって分かることなわけだ。んでもなんでそんな国家が生まれたりするの?ってのがまぁこないだ書いたような知的水準の低さなんだよね。そもそもこんな馬鹿げた論理のものが多くの人の心を掴むわけない!って思うかもしれないけど低開発国っつーかさ、それこそ砂漠とヤギと石造りの家ぐらいしかないような原始的な場所に住んでる人たちにはそれが天啓に感じられたりするわけだよね。よくモチーフであるよね。日本の田舎で土着の変なカルトがあって生贄の儀式をやってるとか変な神を崇拝してるとかさ、まぁ古代マヤなんか典型だよね。まぁそれを気の狂ったカルトって見るのは現代人の画一的な見方だって言い方もあるけどまぁあんなもん野蛮以外のなんでもないしさ、まぁそこで勝手にやってる分にはいいけど世界を彼らが崇拝する神に従属させなきゃいけない!なんて思われた日にゃたまらないわけですよね。だからまぁ軍隊の出番が来ちゃうわけですよ。


んまぁーでもさ、話は変わるけど軍隊はいらない!って本当に呑気な考え方だよね。軍隊が無かったらそれこそイスラム国みたいなのが覇権を握って世界を征服しようとしたりもするわけですよ。あとまぁ中華思想なんかもイデオロギーじゃん?基本中国が世界の中心だからっつーわけの分からない理由で自国は世界の中心じゃなければいけない!みたいなさ、まぁでもそれって大体古典とかにルーツがあったりするわけでしょ?まぁそれで言えば日本もまぁ神の国っつっちゃー神の国なんだよね。それを国民が信望してるかどうかは別として。んでもそれって何の根拠も無いじゃん?まぁ勝手に神の国って言ってる分には人畜無害だけど基本イスラム原理主義とかの場合、崇拝してるのが唯一神でそれ以外ありえないし、それ以外の神を崇めてるなんて異教徒っつーかアラーに対するディスだなんつー判断をするわけじゃん?だからそういうのは撲滅しなきゃいけないっつー論理になるんだよね。完全なる狂気ですよね。


こないだ書きたかったのはイスラムっつっても色んなレベルがあるけど野蛮なことを平気でやるようなレベルのものは基本的に古代のマヤみたいな野蛮人のカルトレベルのものってことなんだよね。逆にそんなものをどう文明人が感化されるのか?っていうのはまぁこないだ書いたようにクトゥブとかが上手いのはさ、反西洋っつーのを掲げるわけだよね。あいつらは確かに凄いけどんでもそれによって多くの人が不幸になる!とかさ、文明の堕落を生み出す諸悪の根源なんだ!とかさ、んだからまぁイデオロギー化するんだよね。ようはそういう多くの人が共感しうるシニフィアンをいかに経済的にドグマの中に配置させるか?っていう配置の美学だったりするんだよね。経済的ってのは無駄に長くならないで簡略化された形でそんなに頭が良くない人でも「そうだそうだ!」って言えるように配置するって意味ね。んでも面白いのがさ、日本でも特にバカな右の人たちって右であると同時に神道を信奉してたりするじゃん?で、なぜかその神道ってのがすげー排他的なイデオロギーに変わっちゃってるんだよね。ようは古事記とかから続いてるような地続きのもので成立してるのが神の国の日本だから外国人とかありえない!ってことでまぁ在日の差別をしたりするわけじゃん?んでもなぜか西洋に対してはそうでもないんだよね(笑)中国とか韓国とかをすげー下に見るっつーかなんつーか。


まぁ基本フランスなんかでもそうだけど右って大体頭が悪くて排他的だよね。まぁフランスなんかでもっつーかまぁ世界どこでもそうなんだけどね。ロシアなんかもそうじゃん?移民がスキンヘッドの連中に襲撃されたりとかさ、基本的にバカで野蛮なんだよね。バカで野蛮なものと排他主義とか規定されてるイズムから外れるものは一切認めない!みたいなことの相性が良いのってまぁようはバカで野蛮なやつらにとって都合が良い話だからなんだよね。色んな価値観を認めよう!みたいなのはレベルが高すぎて理解できないしなんか基本的に感覚的に受け付けないわけでしょ?かといってもまぁリベラルならいいのか?ってリベラルも若干知的レベルは上がるけどまぁ同じような党派性があってまた独特のイデオロギーがあるじゃん?日本の場合はなぜかそれが自虐史観だったりさ、あと極端な人権主義とかだったりさ、あとは反戦主義とか反原発とかさ、極端すぎて実際のポリティクスとの整合性が全然無いんだよね(笑)結構頭が良さそうな人でさ、イデオロギーの構造とか分かってそうな人でも自分がリベラル病になってるっつーのを理解できてなかったりするんだよね。まぁようはイデオロギーってそういうシニフィアンの複合体なんだよね。


あ、今書いたところだと「反戦主義」とか「反原発」とか「人権主義」とかさ、あ、んでこないだ書いたことで言うとイスラム国的なものが一部の先進国の若者の共感を得てたりするってのがようは「反米」とか「反資本主義」とか「反自由主義」とか「反欧米」みたいなシニフィアンなんだよね。でもそれってまぁようはデカイ標語みたいなもんでさ、で、イスラム原理主義なんかではまぁクトゥブの言う「反米」とか「反欧米」っつーのはクトゥブ自体の半生っつー実存が関わってくるわけじゃん?っつーかまぁ色んなことがあってとにかく「世界を欧米化させてはダメだな」って思ったってことだよね。まぁそれがコンテキストなんだけどんでもシニフィアンとしての「反米」とか「反欧米」ってまぁスローガンとして機能するじゃん?だから別にイスラムについて理解する必要も無ければクトゥブがなぜ欧米的なものに反感を覚えたのか?なんてことを理解する必要もないんだよね。個々の色んな事情で「反米」になった人たちが勝手にスローガンを自分の中のコンテキストで理解して取り入れて勝手な意味論を生成させるわけなんだよね。まぁデリダがテキストは読む人の数だけ解釈が存在するみたいなさ、あとはストロースの浮遊するシニフィアンみたいな話なんだよね。


で、こないだ金融モデルがマーケット自体を形成するってことについて書いたけどさ、マーケットってそれが顕著なんだよね。市場に参加してる人の数だけいろんな市場の解釈があってさ、んで金融モデルってのはその解釈の一端を担うってことでそれが市場の解釈への形成の影響を与えるってことなんだよね。まぁそれが画一的に決めるんじゃなくて色んなモデルがあってんで個々が勝手にそれを使ったり乱用したりしてマーケットの解釈ってのが生まれてその解釈自体が当然フィードバックを生むからようはそれ自体が市場の形成を生むってことになるんだよね。だからまぁ効率的市場仮説なんてまずありえないわけだ。あとアービトラージの機会があるってことはまぁそりゃやっぱどんだけ情報のスピードが速くなったって市場に歪みはあるわけだよね。んでもシカゴ系の連中とか新自由主義なんてのは効率的市場仮説ってのを信じてるからなるべく放っておいたほうがいいっつー放任主義になるわけじゃん?っていうかレッセフェールが良いに決まってる!っつー話になるんだよね。いやーこれも完全にイデオロギーですよね。それが科学だったらイデオロギーじゃないんだけど新自由主義ってのがイデオロギーたる所以がこれだよね。すんげー偏ったマーケットの解釈とか経済の解釈があるんだよね。で、金融で言うとマイロン・ショールズが本当に酷いよね。あいつは頭湧いてるよマジで(笑)ありえないことを信じ続けることが出来るからこそあんな無茶なことが出来たんだよね。で、今もあんま反省してないっつーのはようはモデル自体は完璧だって思ってるからなんだよね。


だからなんつーのかな?なんかこういうイデオロギー的なものを巡る勘違いと世界の混乱ってさ、野蛮人みたいなレベルから数学オタクまで結局は共通してどこでも起こってるって話なんだよね。で、どれもこれも厄介なのは彼らが信じてるってこと自体の根拠が何も無かったりそれがなんらかの科学的根拠があっての論理じゃなかったりするところなんだよね。あとまぁ科学的って言葉を出すとそれも科学主義というイデオロギーだ!っつー言い方もあるじゃん?まぁでもあれなんだよね、科学っつってもまぁ例えば「合理性」とかを基準にしたりすると基本的にそれって最終的には優生学に結びつくからね。基本そりゃ優秀な遺伝子の連中で社会が営まれてたほうが何事も円滑に進むに決まってるんでそれがいいに決まってるんだけどでもこれって倫理的には問題があるじゃん?だから何もかもを科学とか合理性を根拠には出来ないって話なんだよね。あ、それで言うと新自由主義は弱肉強食っていう考え方が強いよね。前も書いたけど基本ダーウィニズム的なそれが自然の摂理なんだ!みたいな考えがあるよね。いや、これはこれでなかなかのもんでイスラム原理主義ばっか批判してられないよねってぐらいやっぱ酷い話なんだよね。だから妙に「反米」とか「反自由主義」っていうシニフィアンが強くなるんだよね。これ自体の説得力を例えばアメリカ的な社会が補強しちゃってるんだよね。だからまぁある種ビンラディンとかは全部間違ったことを言ってるわけじゃないってのはやっぱ事実としてあるんだよね。んだからまぁなんかすげー微妙なところなんだよね。特にアメリカってその欧米的なものの一番悪いものを一番持ってる国じゃん?


それがイスラム過激派の殲滅をしてるっていうとどっちもどっちな印象になっちゃうんだよね。まぁ例えばワープアがアメリカみたいな金持ちばっかが永遠と金持ちになって社会制度も金持ちのほうが有利になるような社会とイスラム社会主義みたいな社会のどちらかを選べって言われたらとりあえず食えるイスラム社会主義を選ぶよね。だってアメリカ的なものだと圧倒的に食えない人が多い社会になるわけじゃん?これがやっぱあれだよね、イスラム国的なものの妙な説得力って話なんだと思うんだよね。だから一概に野蛮人の宗教国家と言えないところもあるってことになるわけっつってもこれもこないだ書いたようにアメリカ的な社会が嫌だからイスラム国家のほうがマシっつー考えはおかしいんだよね。イスラム国的なものの妙な説得力ってのはアメリカ的なもののダメさが露呈しているどころか世界を悪くしてるっていう事実があるから相対的に「イスラム国のほうがマシじゃない?」って見えるだけで実際のイスラム国の論理ってのはそりゃ言うまでもなく狂ってるわけですよ。でもアメリカ的なものの論理も同じぐらい狂ってるからだからまぁ麻痺しちゃうんだよね。だからイスラム国に参加しよう!とかって思う若者がいても不思議ではないんだよね。だってそんだけアメリカ的なものってのが酷い社会を作り出してるわけだからね。っつーかまぁいつもの話になるけどよくこういう極端な格差社会っつーかさ、あとあんだけ派手な金融バブルってのが起こったのにも関わらず基本やってるのはレントシーキングじゃん?なんらかの負債を作り出すことで利益を生み出すっつー不毛なゼロサムゲームってことね。


だからまぁなんか唯一神とかに出てきてもらったほうが都合が良いってのは分からなくも無いよね。いや、本当になんつーかさ、世界的に金融主義だよねっていうか歴史を見ると20世紀初頭から資本主義っつーよりかは金融主義になってるんだよね。世界が。まぁあと現在では昔みたいに何かを生産して儲けるっつーベーシックな商売が出来なくなっちゃったからこそ変な金融商品とかを作って売るぐらいしかやり方が無くなるってのはあるよね。んでまぁこれで言うとさ、この金融主義ってのを広義に捉えればね、ようはなんらかの形でいらないものにローンを組ませてそれの金利で儲けるみたいなね、これ自体を金融的なやり方ってことにするとまぁ全く意味がない専門学校とそういうところと提携してる名前だけの奨学金を提供する学資ローンの会社とかね、なんらかのいらないもんに余計な金を出させてローンを組ませるってやり方で見ればまぁ実際は大抵そんなもんだよね。いるもんなんて自ずと分かるから宣伝とかされなくても買いに行くけどさ、んでもいらないもんはそれだけじゃ売れないからんだからまぁイメージ戦略とかさ、「こんな生活に憧れませんか?」とかさ、まぁマルクスとは違った意味での虚偽意識をメディアが作り出すっていうね、まぁでもメディアの影響力も少なくなったし、そういう虚構の世界の虚しさに気づいた人が多いからこそみんな金を使わなくなって貯金ばっかするわけだし、まぁそういう意味でみんな賢いんだよね。んでもなんか虚しいなぁー・・・っていうさ、逆にその虚しさのフィードバックで別な虚構に時間を費やすって人は多いよね。アイドルとか仮想世界とかネットとかなんでもいいんだけど。


まぁでも現実が資本主義末期の焼け野原だからしょうがないんだよね。俺だってようは学問的なものに救いを求めてるわけでさ、そういう意味で迷える子羊だしウェーバー的な宗教的不安に常にかられてるわけだよね。まぁでもドゥルーズだかが言ってたように哲学っつーかまぁ哲学に限らずなんだけど知的な行為ってようはバカになるってことを阻止するっていうことなんだよね。んだからちゃんと考えてればアメリカ的な新自由主義も明らかにダメだし、かといってもんじゃあそれで別のカウンターヘゲモニーっつってイスラム国なのか?っていうとそれは違うよねってことが分かるわけじゃん?なんかそういう最低限のことを常に分かってる状態に維持しつつ困難な現状をいかに打開していくか?っていう闘争がようは知的な行為ってことだと思うのよ。で、それって実存の問題にしても社会の問題にしてもなんにしても基本は同じだよね。なんらかの形で詰んでてそれを打開する必要があるわけでさ、やっぱでもそれって考えるってことからしか生まれないわけだよね。貧すれば鈍するでバカになってしまいがちな状態にあってもやっぱり知の部分って捨てちゃいけないよね。なんかだからさ、そういう意味で何らかのイデオロギー的なものに依拠するって知的な怠慢なんだよね。自分で考えるのが嫌だったり何の基盤も無いから不安っつーのをなんかデカイものを持ってきてそれで解決しようとするわけじゃん?んでもそれってやっぱ行き着く先が戦争だったりさ、全体主義だったりするわけよ。歴史がそれを証明してるよね。ヒトラーだって国民の支持を得てたわけだから。


なんかやっぱここは譲れないよねっていう防衛線みたいなのは張ってないと本当にヤバいよね。まぁ全くそういうのが無い国でイスラム国みたいなのが出来上がるわけでまぁ日本もバカは多いけどやっぱ平均的な知的水準は低いところから見れば当然高いしだから平和なんだよなぁーって改めて思うよね。貯蓄率が他の国と比べて異様に高いのもまぁある程度賢いからだよね。アメリカみたいに底辺はとことん底辺みたいな国の場合、払えないのにカード使いまくってカード破産するやつとかさ、ゴロゴロしてるもんね。金融危機って金融側ばっか責められるけど無茶な借り方をしてた借りてたやつらも同じぐらい悪いのよ。「騙された!」じゃ済まない話なわけですよ。まぁ勝手にアメリカが大変なことになるってことだけで済むならいいけど結局まぁ金融になると全部が関係してるからどっかで爆発みたいなことが起こると世界が影響を受けるわけじゃん?だからまぁなんか最低限の知の防衛線って張ってないとさ、世界が共倒れになるんだよね。これはまぁグローバリゼーションの悪夢ではあるんだけど実際にそうなっちゃってるんだからしょうがないよね。んだからまぁなんか庶民のリテラシーもさることながら金融系のリテラシーって無いと大変なことになるわけだからさ、なんかそこはやっぱ考えなきゃダメだよね。なんかやっぱ義務教育で金融の基礎ぐらいは教えないとダメだろうなって思うよね。


結局みんな無茶な借金して共倒れってことになるとそれって個人の話で済まないからね。あとまぁそれと同じく重要なのが金融系の仕事をしてる人たちのリテラシーね。これは世界どこを見ても唖然とするぐらいリテラシーが無い人が平気で仕事をやってたりするわけでこれってまぁまた大惨事が起こる引き金になるわけでさ、政策レベルでなんかやらないとダメだよね。あとまぁやっぱHippocratic Oath的なものを作る必要があると思うね。最低限の倫理コードを作らないと無茶するやつは永遠と無茶し続けるわけだから。まぁでもやっぱ規制だよね。どんだけ利権絡みでやっかいだろうが基本的な諸悪の根源は金融制度にあるわけでやっぱこれはなんとかしなきゃダメだよね。あとさ、よく利益を社会に還元するべきっていうような考えがあるけどこれってようは人間の品格の話じゃん?理想的ではあるけどやっぱ基本「俺だけ儲かればいい」って考える利己的なやつが多いわけじゃん?だからもうそこはなんつーか社会に利益を還元するような考え方にしていくべきみたいな話をするんじゃなくて強制的にそうなるような制度設計が必要だと思うよね。そこはやっぱなんか人に任せられないじゃん?いや、もうさ、金融の歴史とか見てると酷いんだよね。なんでここまで自分の利益を追求するの?ってぐらい狂ったように取り付かれたように他を無視で利益ばっか追求するやつとかさ、それこそ経済テロみたいなことをしてるやつとかさ、悪を見るとキリないんだよね。社会に利益を還元していくべきなんてのが理想論に聞こえるぐらいとんでもないやつらが大勢いるんだよね。


まぁーでもこれも難しいんだよねぇー。規制し過ぎると規制が無い国に資本を移動しちゃったりするわけじゃん?愛国心もクソもないやつらが多いんでそれはしょうがないんだよね。資本がなくなっちゃうっつーのはマズいし、だからやっぱある程度企業がそこの国で経済活動をすることのイニシアチブって残してないとダメなんだよね。合理的に考えてここでやるのが一番儲かるっつー余地を残してないといけないわけで、んでそこでやっぱ規制だっつって規制し過ぎるとやりづらくなっちゃって他行っちゃうのも仕方ないってことにもなっちゃうんだよね。まぁだからただ規制すりゃいいっつー簡単な話ではないんだよね。あとまぁ考え方を投機じゃなくてプラスを作り出す投資にしていくべきだっつーのもあるけどまぁ普通の人には無理ですよね。そんなの金があるvisionaryみたいな人しか出来ないわけで個を投資のエージェント化するってのは無理だよね。みんなそんな余裕ねぇーし。だから投資だなんつってみんな実際やってるのは投機ばっかになるわけじゃんね?んでああいうのって考えれば分かるけどさ、いや、儲かる話をあっちからしてくることはないっつーのは分かりきったことなのにも関わらずFXの広告とかすげーいっぱいあるじゃん?あれがなんであるのか?ってあれは商品だからなんだよねって当たり前のことなんだけどね。口座作らせて手数料取るっつー商売なわけでさ、んでまぁ投資アドバイザーだの投資セミナーだのなんつーのもまぁ結局はギャンブルに参加させるやつを増やすためのものなんだよね。そもそもマジで儲かるやり方があるんだったらそれは独占してるほうがいいわけだし、共有されてるような情報のレベルだったらそれをやってれば儲かるみたいな話なんてないわけだしさ、いや、それはプロですらもそうなんだからさ、まぁあれも産業なんだよね。まぁ根本的にカジノとかと変わらないよね。


いや、パチンコとかって明らかに無駄なんだけどでも娯楽として成立してるし大抵の人は負けるんだけどあれはあれで産業なわけじゃん?まぁ結局あれがあることでキープされてる雇用ってあるわけだしそれに付随するようなパチンコ情報誌とかさ、パチンコの番組とかさ、まぁ経済活動ではあるんだよね。ゼロサムの。で、結局まぁ投機なんかも一緒なんだよね。賢く見えるだけで実際の大半はパチンコと変わらないようなギャンブルだし、意味があるように見せてる理論とか分析の方法とか出鱈目ばっかだもんね。まぁ少なくとも科学じゃないわけよ。まぁ山師が跋扈する業界なんだよね。まぁあとやっぱああいうのって5割ぐらいなら見積もれないこともないみたいなレベルの話ってさ、ようは場合によってはモデルとか分析が全く当てはまらないケースとかってのもあるわけでさ、そうなったときにどうしようもないってことになるとなんかリスクしかないじゃん?そもそもそんなのやらないほうがいいってことになるよね。あとこれもよく言われることだけど前年度の成績とかって全然関係ないんだよね。完全にノンリニアだから。で、一回ダメになるとそれが大打撃で一気に破産っていうさ、なんかホントなんのメリットも無い世界だよね。まぁでも投資なら別なんだけどね。投資ってまぁようはなんかやろうとしてる人に金出すって話なわけでさ、んでそれで成功すれば金出した側も儲かるし当然出してもらった側はそれを産業としてやっていけるわけじゃん?まぁようは生産者になれるわけだよね。これはすげー健全っつーかまぁこうあってほしいよね。金融って。


まぁ本来金融とはそういうものなんだって述べてる本はいくらでもあるんだけどなんかでも実際のイメージって素人が投資っつーよりかは投機に手を出して失敗してるとかさ、くだらない本が大量に出てて「先月買ったけど今月負けた」みたいな完全なナンセンスを喋ってる株をやってる気になってるサラリーマンとかさ、なんか民度が低いイメージがあるよね。まぁ実際そうなんだけどね。なんかでもやっぱ投資と投機って別物だからさ、なんかだから金融って本来の投資っていう生産的な面にフォーカスするべきなんだよね。んーまぁだからあれなんだよな、まぁ確かにリスキーではあるんだけどまぁなんかやりたいとか始めたいって思ってる人には金を出すっていうさ、まぁそれは公的機関でも銀行でも結局貸さないってことが金を滞らせている原因でもあるからやっぱそこは出さないとね。やっぱそこで必要なのは投資っつー発想なんだよな。投資をしてパイを増やすっていうイメージだよね。まぁーそれがあれだよね、具体的に現れてるのがクラウドファンディングだよね。まさに投資っつー発想の金融だよね。まぁ楽観視は出来ないんだけどなんかその明るい金融ってことなんだよね。私腹を肥やすための金融なんじゃなくて社会を育むための金融なんだっていうさ、なんかやっぱ発想としては経済を円滑にするものとしての金融だよね。


まぁ金融の話はいいや。んでまぁイスラムの話に戻るけどさ、なんか色々と書いてて思ったんだけどイデオロギーとしてのイスラム原理主義って結構面白いよなぁーとか思ったりなんかしてさ、なんか良さそうな文献はないだろうか?って思ってたところ「まさにこれ!」みたいなのを見つけたんですよね。



イスラム原理主義って宗教っつーよりかは散々書いてきたように宗教をベースにしたイデオロギーじゃん?んだからまぁイデオロギー的な分析をするのが一番なんだよね。で、どういう論理でジハードなんて言い出すのか?っていうさ、世界戦争しろなんてコーランに書いてないのになんでそうなるのか?とかやっぱイデオロギーを理解しないと分からないからね。クトゥブの場合、明らかに本人の実存っつーか人生経験がベースなんだけどさ、イスラム原理主義はなんでもかんでもクトゥブがベースなんじゃなくてまぁ過激派とかの流れっつーのはあるわけだよね。それを理解したいなと思ったわけですね。ただ狂ってるって言うだけじゃなくて具体的にどういう論理によって狂気に走らせてるのか?っていうさ、そのダイナミズムの分析だよね。そうなんだよねぇー。分析ってさ、金融とかも同じだけど金融自体で何かやるとかってことには興味ないんだけど分析が面白かったりするわけだよね。イスラム原理主義にも同じような興味を覚えるよね。どう転んでも信仰するようにはならないしそういう意味で実存とは全く関係ないんだけどイスラム原理主義が引き起こしている現象っつーのかな?そのバックグラウンドを根っこから理解したい!って思うようになったんだよね。いや、こういうのってあるよね。色々と書いてたらなんかもっと詳しく調べたくなったなー的なことってね。いや、今まさにそんな感じなんだけどねっつーかまぁイデオロギー分析が好きなんだよね。多分。だから一時期右翼のイデオロギーとかについてもすげー調べたしね。


まぁそんな感じですね。んじゃまた。