ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

今後はDJ路線?。その10。


↑この画像を見ながら下のYoutubeの動画の曲を聴いてみてください。



では続きですっつーかさ、書いてて色々と当時のことを思い出したんだけどさ、んで渋谷の街って今どうなってんだろ?と思ってさ、ストリートビューで見たらなかなかの寂れっぷりっつーかもう渋谷じゃないねっていうか大体まぁどこもああいう感じになるよね。道路があってチェーン店があるっていうのはどこも変わらない。っつーか別にそれは海外でも同じだからね。まぁそりゃそうだわな。経済ってのが街をシェイプするわけでさ、レコード屋は売れなくなるから潰れるわけだし、個人でやってるセレクトショップとかもまぁ同じ感じだもんね。でもまぁこれは思い出補正もあるんだろうけど今さ、とりあえず手に入る音源は全部俺のネタってことになるわけでさ、色々と音源収集してんのよね。打ち込みも含めてなんだけど。で、やっぱ思うのは90年代中盤から2000年前後のやつがいいね。コンピとかも含めて。


この辺がちょうど俺が音楽に目覚めた時期でなおかつめちゃめちゃ買ってた時期でさ、そりゃ青春補正ってのがあるにせよやっぱ好きなんだよね。なんつーのかな?大雑把なサンプルモノとか多かったじゃん?ただなんか持ってきてループさせただけみたいな。駄目なのもあるんだけどそういうシンプルなやつで異様にグルーヴ感があるやつとかがあったりしてやっぱそういうのがたまらんよね。んでも2000年以降はサンプル自体に著作権団体がうるさくなってきたってのもあるんだけど、ブロークンビーツとかが流行ってたのもあってみんな同じようなリズムとドラムセットを使うようになったんだよね。その結果、なんかどれも同じような感じになっちゃって、差と言えばウワモノだけっていうようなさ、なんかまぁやっぱあれだね、完全に洗練される以前の荒い段階が好きってことだね。まぁ俺の好みですよ。それが普遍的に良いというわけじゃなくて。


でもなんなんだろうね?荒いファーストアルバムでそれで評価を得てんでセカンドっつってある程度予算が増えたっつーんで生演奏とか生の歌とか入れたりさ、あと打ち込みの割合とかが多くなったりするとなんか一気に普通になるんだよね。どれもこれも同じ現象って凄まじいよね。もちろんそんな中であの時代からやっぱmadlibはヤバかったよね。madlibは死ぬほど聴いてたわ。マジで。なんかでも最近思うんだけど俺ってヒップホップ的なものが好きなのでは?って思い始めてるんだよね。ジャンルとしてのヒップホップじゃなくて広義な意味でのヒップホップカルチャーね。かっこいい部分だけ取り出してループさせちゃいました的な感じとか著作権とかそんなのあんま考えてないっていうまぁラフなストリートな感じっつーのかな?洗練されすぎたのが嫌いって意味でもまぁやっぱストリート的なもんが好きなんだろうなって改めて思いましたよね。あとまぁここでも書いてるように食えるかどうかとか関係ないとか違法だろうが関係ないみたいなところもさ、パンクっつーよりかはヒップホップだよね。パンクはやっぱ反抗ってのがあるけどヒップホップはかっこいいけど違法だったりするのをかっこいいを優先して違法ってのはあんま関係ないって感じになるじゃん?まぁ商業化されてないヒップホップね。


散々ニューヨークにいたくせに今更か!って思うけど映画のWildstyleとか見て感動したんだよね。例えばグラフィティみたいなのが好きとかって意味じゃなくてイズムが好きっつーのかな?もちろんヒップホップカルチャーも好きなんだけどね。でもそれはやっぱヒップホッパーからすればにわか程度のものだから好きだなんて言えないんだけど、まぁそのイズムとかattitudeって意味でのヒップホップはドストライクなんだなって思ったね。


とまぁそんな感じで続きです。


んだからまぁなんつーのかな?レア度って特権性が無い中でもそれが好きでかけるってのがやっぱその曲への本当の愛なんじゃないのかな?って思うよね。色々と騒がれてたりちょっとしたプチブームとかになった後でもそれをやり続けるとかかけつづけるってのがやっぱまぁマジってことなんじゃないかな?って思うんだよね。まぁあとあれだよね、レアジャズとかが騒がれてた時代にあえてよくあるジャズをかけるっつーのも基本はレアジャズへのアンチテーゼだったりしてようはその価値基準がそういうところにあるとつまらなくなるっていうかそういうのは嫌だよなってことになるんだよね。


そういうのとは関係なく自分が良いと思うものをかければいいわけで。だからまぁ中にはベタみたいなものもあると思うんだよね。あと何から何・・・みたいなルーティンの流れがベタとかクリシェとかね、でもまぁそれも結局は情報の差なんだよね。よく知ってる人から見ればクリシェでも新人からしてみるとどれもこれも新しいことっつーか知らないってところから知るわけで新しいも古いもないわけじゃん?なんかこういう究極的に相対化されてるっていう環境と音源もアーカイヴ化されてて経済力とかレア度とかに依存してないって意味でキャリアが長いDJとかも原点に立ち返れるんじゃないかな?って気はするよねっつってもまぁ長くやってる人ってのはブレてないだろうからそんなの関係ないと思うんだけどね。そもそも自分の感覚でやってるわけだから。


そう思うとブームとかレア度とか話題性とかそういうので騒ぐとかってやっぱにわかなんだよね。で、ブームがさればやらなくなるとかさ、で、次はなぜかクラシックハウスが流行ってるみたいだよっていうと一気にハウスに鞍替えするとかね、まぁそれはサービス度で言えば世間的にクラシックハウスが流行ってるんだとすればっていやこれは実際にって意味じゃなくて仮定なんだけどね、で、まぁだからそれはようは需要ってことでみんなそういうのを聴きたがってるからクラシックハウスをかけるとかサービス的にはそれでいいのかもしれないけどなんかそのイズムが無いっつーか軸が無い感じがして浅いよね。それって。まぁハウスはハウスですげー深いミックスができれば全然いいんだけどさ。


まぁでもブームって無いんだよね。まぁちょっとしたブームはあるんだろうけど。だからもう本当にチョイスっつーか自分が何を聴きたいか?っていうそれだよね。DJとかもしがらみなく選べるのかな?って気はするけどそれはまぁ現場分からないからなんとも言えないけどね。まぁでも古い音源に関しては掘りつくされてるし古い音源は増えないから限られてるよね。だからまぁなんでももう大抵はかけられちゃってるっていうと自分のカラーみたいなのを出しづらいのかな?って気はするけどさ、でもそれ言い出すとなんでもそうだよね。ハウスにしたってまずクラシックハウスなんてのはそりゃ当然その年代に作られたハウスだから増えないよね。で、まぁそういうのにオマージュを捧げたクラシカルなハウスとかリコンストラクトとかリミックスとかも出尽くすよね。で、そうなるとまぁ新譜ってことになるけどそもそもハウス自体が色々とやられつくされてるともうやりようがないか焼き増しになるもんね。これってなんでもそうでしょ?


で、多分今EDMが盛んなのは新譜がガンガン出てるからだよね。あとまぁあれってエレクトロハウスとかグライムとかダブステップとかトランスとかごちゃ混ぜになってるじゃん?だからまぁなんつーか既存のもののやつの組み換えでしかないんだけどまだ新譜を出せるっていう領域なんだよね。まぁんでそのうち廃れるんだけどね。あるジャンルのものが若干スタイルとして定着するとみんなそれをやるようになるのって短絡的にブームに乗っかろうとするっていう安易さもあると思うんだけどやっぱなにもかもが出尽くしてるから少しでも新しいことがやれれば・・・っていう切実なところはあると思うんだよね。


んでもまぁ大体あれだけどね、ムンベやってた人がハウスとかやりだすと大体良くないしっつってもムンベやってた人がガラージとか2stepとかをやって上手くいってたのはジャンルの親和性だよね。ムンベの形態が変わっただけだからムンベのフレーバーを維持しながら構造を変えるだけでそれが新しいものとして成立したって感じだよね。で、EDMの場合、さっきごちゃ混ぜサウンドって書いたけどごちゃ混ぜだからこそ元がトランスの人だろうがグライムの人だろうが何らかの元々自分がプロパーでやってたものを維持しつつ若干形態を変えることで新しいものとして出せるって言うところがあるからまぁあんなに大量に出るんだと思うんだよね。まぁ若い人の場合、いきなりEDMってことになるんだろうけどね。


まぁでもなんつーのかな?CDJを4台繋いで超絶的なショートミックスをやりまくる!みたいなDJとかが話題になってたりもするみたいだけどみんな音が下品だよねっていうか元々俺はああいう音が好きじゃないってのもあるんだけどああいう下品な音をハイスピードでミックスされても何の良さも感じないんですけど?ってことになるんだよね。なんか凄くポストモダン的DJっつーのかな?それは全てが相対化された中であらゆるものをミックスするというよりかはボードリヤール的な意味でのポストモダン的消費なんだよね。ミックスする技とハイスピードで消費する技ってのが混ざってる感じね。だからまぁあれでしょ、ショートミックスなんつって例えばダフトパンクワンモアタイムなんかにしてもクラシック扱いでかけるんだけど例のサビの部分だけかけてまた違う曲かけるみたいなさ、なんかこれってavexとかが一時期出してたダンスヒット曲のメドレーみたいなのと変わんなくね?って思うんだよね。残念なことにジャズでもそういうのあったけどね。ブルーノートの名盤の有名なフレーズのところだけショートミックスみたいなクソみたいなのが出てたりしたよね。まぁジャズ業界が必死なのも分かるけど。あ、だいぶ昔の話ですよ。これは。


下品な音でも例えばシカゴのjukeみたいなのを元々シカゴハウスとかやってたゲットーハウスの連中がそれだけでミックスするやつとかになると良いんだよね。まぁでも凄くコアなものになっちゃうのかな。いろんなものを合わせるって中で時に飛び道具としてjukeとかが入るみたいな使われ方をしてるみたいだけどなんかこういうのって短絡的に感じるんだよなっつってもテクノの流れの中でたまに入るシカゴハウスの場合、シカゴハウスがすげー良く流れの中で聞こえるからまぁちょっとだけかけるってこと自体が短絡的って意味ではないんだよね。ジェフミルズにせよ卓球にせよデリックメイにせよ田中フミヤにせよ必ずシカゴハウスって入るじゃん?


で、ミニマルの中でかかるからすんげーかっこよさが際立つんだよね。やっぱああいう際立たせ方じゃないですか?レアグルーヴなんて最たるもんなんだよね。デフォじゃかけられそうにないのも流れの中でかけると自然に聴けてかっこよく聞こえるっていうさ、これってやっぱ呪術なんだよね。シャーマニックなスキルなんだよね。俺の言葉で言うと異化なんだよね。それが最高にかっこいいっつーか凄いなーってあこがれるところだよね。


でもまぁさっきの茶碗の話じゃないけどただの茶碗も茶人が価値を見出して茶道具として使えばレアグルーヴ的な価値が出るっつーかまぁそれを価値として出すっていうまぁようはセレクトっていうことだよね。既存のものをセレクトするって意味ではそうなんだけど、でもその一方で別にこれはただの茶碗だよねっていう話もあるわけじゃん?価値がわからない人って言い方はあれだけどまぁわからない人にとってはただの茶碗にしか見えないわけだからね。ミニマルテクノの流れで流れるシカゴハウスのかっこよさってそこまでわかりづらいものではないとは思うけど、例えば良いテクノDJの例としてこんな感じでシカゴハウスをかけられる人ってのを挙げるとするとさ、でもそもそもズンズン音が鳴ってればいいっつー側からしたらそんなのどうでもいい話なんだよね。だからなんつーのかな?ズンズン鳴ってりゃいいってもんだったら選曲なんてアルゴリズム的な処理で代替可能になるし、それこそそういう電子的な処理ってのの精度が上がれば上がるほどそれで済んじゃうって話だよね。


そんな中でもやっぱ凄いDJは凄いんだ!っていうそこであえて人間のDJを選ぶ理由って何なんだろう?ってことになるよね。ようは音楽通みたいな人以外にとってのDJとは?ってことだよね。そもそもDJとは?なんて別に特に考えないっていう人たちから見てのDJって何なんだろう?っていうとやっぱカリスマ性とか見た目とかネームバリューとかなんだろうなって気がするんだよね。まぁそこだけじゃないにしてもそれがまぁようはさっきの茶碗の話になるんだよね。音楽通じゃない人=わからない人ではないんだけどまぁようは茶碗で言えばただの茶碗にしか見えないっつーかまぁようはさ、テクノ好きだったら新譜も含めた色んなものがある中で90年代のクラシックとかアンセムが流れると「これでこれが来たか!」っていう流れに感動するわけじゃん?で、わからない人は「あ、なんか急にフォー!とか言い出してる人がいる」っつーんでそれに便乗して自分もフォー!って言うとかさ、その「フォー!」一つとってみても分からないよね。あとまぁテクノ好きにとってのクラシックがかかったときの「フォー!」ってのはやっぱりまぁ実存的な意味合いも大きいわけだよね。やっぱ90年代って熱いじゃないですか?


っていうか今思えば熱い時期だったなっていうかまぁダンスミュージック全般に於いて最盛期な気がするんだよね。で、そういうときの盛り上がりを思い出すみたいなさ、まぁそれ言い出すとおっさんたちにとってのダンスクラシックとかと同じなんだよね。まぁこれは別にテクノとかハウスに限らず実存的な意味でのクラシックが果たす意味合いってやっぱあるわけじゃん?まぁこれって音楽の重要な要素だよね。やっぱ何かしらの物語って個々にあるわけじゃん?まぁ歌謡曲とかでもよく言われるよね。ちょうど彼女と別れたときに聴いてた曲ですっつって個人的な意味合いがあるものとかさ、でもまぁそういう意味でムーブメントみたいなのがあった時期っていうのの真っ只中のアンセムとかってある程度共有されてる個人的な思いよりかはちょっと大きいコミュニティ的な意味合いってあると思うんだよね。


「やっぱテクノだよな!」っていうテクノ好き同士が輪を組めるみたいな感じっつーの?やっぱこれって場でありムーブメントなわけじゃん?まぁ俺はそんなにクラブに行ってなかったけどやっぱテクノの実存的な意味合いってあるよね。まぁそれでもあれなんだよね、90年代後半とかだからやっぱ色々と意味合いがある人たちってやっぱ80年代後半ぐらいにもうどっぷりだったっていう人たちだったと思うんだけどね。まぁ俺がテクノ聴き始めたときにすでにもうクラシックってあったからねっつーかstrings of lifeなんてクラシックだしまぁあの時代のものってのはもうクラシック扱いだよねっつっても当時から考えてもそんなに昔の曲でもないんだけど。


なんかそういう時代の強度がやっぱそれをクラシックたらしめてたりさ、あとはまぁ意味合いとかそれがかかることの強さみたいなさ、そういうのがあったわけじゃん?まぁあとデトロイトテクノとかの意味論ってあるからね。ほとんど仕事が無くてしかも黒人って意味で差別されて何の未来も無いっていう中ででも未来なんだ!とかさ、音に未来を託すみたいな意味合いがあるんだよね。そういう意味でstrings of lifeって泣ける曲だし黒人のブルース的なフレーバーがあるわけよ。まぁだからざっくり言っちゃえばテクノも黒人音楽なんだよね。それは今ソウルとかファンクを聞いてたりするから余計に思うわ。なんかデトロイトテクノへの流れが凄く自然に見えるっていうか。マネーの虎strings of lifeが使われてたのもそうだよね。「行き詰った中での未来」みたいな意味論で使われてたと思うのよ。だから分かるやつが聞くと「絶妙な選曲だよね」って思うわけで。


んでまぁね、いきなりbeatportみたいな世界になるとどうなのか?っていうとあれだと思うんだよね、結局なんかこういうstrings of lifeのクラシック性とか意味合いみたいな話も結局なんかまぁ教養っつーかさ、お堅い話にもなりかねないんだよね。昔の人が昔を語ってるみたいなさ、でも俺ぐらいの世代のやつの場合、教養なんて意識することなく聞いてれば自然とそういうリテラシーが身についたんだよね。まぁやっぱそういうところは卓球とかテクノ界隈のことを話題にしてる雑誌とかが貢献してたと思うんだけどね。だからなんだろうな、まぁなんか知らないで聴いたら「ピアノがもたついてるやたら引っ張る曲」ぐらいにしか聞こえなかったりもするよね。んでも特にレイヴとかが盛んな国の場合、大体まぁ何らかの形でクラシックとか昔のアンセムとかがかかって必ず笛がなるみたいなさ、そういう盛り上がり方があって知らない人もあれでやたら盛り上がるんだよねーみたいな空気感から学ぶみたいなところもあるわけだよね。これってやっぱ場の効果じゃん?


でもやっぱクラブって場があんまり無かったりアクティブじゃなかったりする中でんでもまぁDJやりたいって中でbeatport開いてでも曲が多すぎて何聞いたらいいか分からない・・・ってなんだかなーって気はするよね。なんかそれ違わない?ってまぁそれはすげー古い感覚なんだと思うけどね。やっぱなんか俺の場合、クラブもさることながらレコ屋で掘りながら培ってきたものってあったりさ、あと卓球のDJ聴いてプレイリストを確認して曲をチェックしたりとかさ、まぁ昔はみんなそれやってたと思うんだけど、涵養のされかたが健全っつーのかな?だからどうしてもいきなりbeatportでEDMトップ100を片っ端から聴くってなんだかなぁーって思うんだよね。まぁよしあしはともかくとしてさっき書いたインターフェース自体が選曲とかワナビーも含めたDJそのものに影響を及ぼすってのはあるよね。


まぁただ逆に昔からDJやってた人にとってはただの便利なツールなんだけどこれからって人はそれがデフォだからそれってどうなんだろうな?って気がするし、結局、そういうところから入るからほぼトラック勝ちしてるようなもんばっかPCDJで繋いでDJやってるみたいななんちゃってDJを大量に産んだってのはあると思うんだよねっつってもまぁ昔でもディスコミキサーが発展して扱いやすくなるにつれて曲の知識があれば誰でもDJできるってことになって大量の素人DJを産んだってことはあったわけで、テクノロジーの進歩によって敷居が下がることでやる人が増えるっていう現象は別にDJとか音楽に限らずそうだよね。そのうちまぁゲームとか映画とかも誰でも作れるようになると思うんだよね。でもそれだけなら誰でもできるってのと良いDJプレイをするとか良いゲームを作るってことは別だからね。だからどんだけテクノロジーが発達したところでよいのを作るってやっぱセンスだったりノウハウの蓄積だったりするわけじゃん?


で、それってなんつーかマニュアル化できるものばっかじゃなくて何らかの現場とか現場の人たちの中で発展してきたりそういう場に触れてることで涵養されるものってあるわけじゃん?そういうのが良いものを生み出す源泉っつーかさ、んでもなんでも既存のデータから引っ張ってきてっつーかまぁなんでも参照可能で組み上げ可能ってなってる場合にじゃあその涵養の場って何なのかな?って思うんだよね。まぁ元々センス良いやつは勝手に良いのを選ぶんだろうけど例えば自分のことを考えても音楽の好みとか選ぶセンスとかってやっぱ涵養されたものも大きいからね。元々それ以前に良いのとあんま良くないのの区別は明確についてたってのはあるにせよまぁやっぱその上にレコ屋とか当時色々と接してた音楽とかっていう生のinteractionによる作用ってあったよね。音楽における場の重要さってクラブに限らないんだよね。


ってことで続きますんで。んじゃまた。