ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

今後はDJ路線?。その15。

散々フェスって書いててアレだけどフェスの弊害ってのがあるんでっつーかクラブに行くこととフェスに行くって違くてさ、で、俺が散々書いたのって廃墟を勝手にクラブ化しよう!って話で一発ものじゃないのよね。あくまでclubbingだということで。


http://thump.vice.com/words/seth-troxlers-guide-to-dance-music-festivals-clubbing-and-not-being-a-terrible-human


でもまぁ特にEDMみたいなクソ音楽を聴く客層と音楽好きでクラブに行く客層とでは違うから客がフェスに行き過ぎてクラブに行かなくなるっつーのはどうなのかな?って気はするけどね。極端な話、歌謡曲フェスとノイズフェスって客がバッティングしないじゃん?


あとなんであんなクソみたいなEDMが流行るのか?っていうかクソトラックを作りクソトラックをかけるDJがスターになるのか?っていうまぁ誰もが抱きそうな疑問ってのをちゃんと書いてるのがあったんで。


https://walmerfuckingconvenience.wordpress.com/2014/10/21/the-top-worst-acts-in-edm-as-decided-by-a-34-year-old-man/


っつーか構造的にyoutuberがスターになるのと一緒なんだよね。EDMなんつってクラブとかダンスミュージックってのがメジャーになったか?っていうと実際は全然違うのね。


あとまぁ土地の固定化っていうまぁ土地が資本家の独占状態になってるんでそれを勝手にクラブにして解放していこう!っていう話でもあるんですよ。だからまぁ各地でゲリラ的にやれればいいんだよね。まさしく野戦ですよ。検索したらこんなのがあったけどまぁこういう感じだよね。まぁこれはフェスなんだけどいかにこれをクラブ的にするか?ってことだよね。


http://rocketnews24.com/2010/02/10/%E6%82%AA%E5%90%8D%E9%AB%98%E3%81%84%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%88%91%E5%8B%99%E6%89%80%E3%81%A7%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%8E%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%A6/


では続きを。


うん。フェスの話はこんぐらいにして。あ、これってまぁフェスっつーかゲリラパーティーだよね。フェスっつーとマジでお祭りって感じだから。まぁでも一応コンテキスト的には日本のお祭りのイメージだからまぁフェスでいいんだけどね。で、こないだのiyiさんへの返信にあったような話なんだけどさ、人工知能というかまぁようはitunesのgeniusみたいな機能なんだけどさ、やっぱり思うのは個人の好みにカスタマイズされた選曲とDJの選曲って決定的に違うよねって当たり前の話をするけどさ、まぁ何回も書くようにEDMトップ100のシャッフルみたいなのってまぁ自動DJソフトでも可能じゃないですか?


ましてや事前録音のDJやるとかそもそもDJじゃねーだろって話なんだけどさ、結局やっぱり色んな意味でDJって音を異化させる行為だと思うんだよね。んでもこれってミュージックコンクレートで考えると分かりやすくてさ、音の配置と聞かせ方で誰でも知っている音とかありふれた生活音ってのを別な聞かせ方をするってことだよね。まぁでもDJじゃないと知らないような楽曲ってのは何回も書いてるように誰でもネットで深く知ることができるから希少な音源が聴けるとかレア度とかでは勝負できないっつーかまぁそれはあんまり重要じゃないよねっていうところでやっぱり重要になるのが流れと配置なんだよなって繰り返しになってるけどミュージックコンクレートで言えば列車の音とかガラスの音なんてみんな知ってる音だしあえてレコードで聴くようなもんじゃないみたいな言い方って通用しないじゃん?そういうのを利用した音の配置とか異化作用なわけだからさ、全体で見ないと意味ないんだよね。単体の「列車の音」とか「ガラスの音」にフォーカスしてもあんま意味ないわけで。


まぁんで一昔前は音源の貴重さってのがDJの強みの一つでもあったわけだからようはミュージックコンクレートで言えば物凄く珍しい音を音響彫刻の中で聞けるみたいな、テープ音楽のコンポジションっていうこと以外に単体の音としての珍しさがあったってことじゃん?で、今は完全にミュージックコンクレート化していると。音自体はありふれてるっていうね。ありふれてるっつってもつまらない音っていうことではなくてあくまでavailabilityね。誰でもその音を使うことはできるっていうことね。でもそれと配置っていう技は違うじゃん?ようはコンポジションだよね。でもDJの場合、リアルタイムコンポジションなんだっていう。だからまぁライブ性とかそこだけで終わらない場とのインタラクションってことで生まれる流れとかってのがようはアルゴリズム的なDJとは異なるところっていうか生のDJの特権性だと思うんだよね。


まぁどんどん観念的にはなるけどさ、あとはまぁ場の雰囲気とかをなんとなく察するとかさ、それとかもまぁ機械じゃ無理ですよね。ようは場の雰囲気って演算的じゃないじゃん?なものではないっていうのかな?会話にしても変な感じになったとかってまぁやっぱあるわけじゃん?で、それは自分だけが感じているのか?というとそうではなくてやっぱりみんなそれを感じているっていう。それは何なのか?っていうと分析すればこういう話の流れの中で誰かが的外れなことを言ったとか、性的なニュアンスはないのに性的なニュアンスを出してしまって気まずい感じになったとかさ、まぁその気まずくなったまでのプロセスってのを分析すればなぜそれが起こったのか?は検証可能なんだけど、その場自体の空気感ってのはやっぱその場じゃないと分からないじゃん?まぁ映像として見れば分かるっつーか伝わるけどそれを感じるのって人間じゃん?


機械がそれを見て「へんな感じになってる」と感じられないわけで。やっぱ音楽のヴァイヴとかも結局はここだと思うんだよね。盛り上がる曲を合理的な流れでかけるということではないさ、グルーヴ感ってやっぱそこだと思うんだよね。あとファンクって概念とか。ファンクってのを分析すればそりゃ音楽的にどういうフレーズがどうでとか展開がどうで・・・って分析できるんだろうけどファンクネスってやっぱそこじゃないよね。そこはやっぱ感情が宿るところっていうさ、なんかまぁすげー白熱してるなぁーとかさ、ドラム強く叩き過ぎじゃない?とかさ、ではファンクネスというのはドラムを強く叩けば出るんですね?っていうそういうところではないっていう。あとブルースのブルース感ね。


それはなんかようは「語り」みたいなもんなんだよね。ブルージーなことをボンボンが言ってても何にも響かないけどブルージーなおっさんがそれを言えば凄くブルースっぽく聞こえるっていうさ、それはもちろん音だけではない発する人間っていう属性があるわけだし、こっちもそれがブルージーなおっさんなのかただのボンボンなのか?って判断して聞いてるからそういう情報から判断してるんだって言えばそれまでなんだけどさ、まぁこれはあれだよね、いつも書くように有名シェフが作りましたっていう属性と普通の人が作りましたっていう属性だよね。有名シェフって言われるとおいしく感じるようになるとかさ、この辺はよく認知科学の本とかに書いてあるよね。ワインとかにしてもワイン自体の色ってのがテイスティングにまで作用しているっていう。だからまぁプロのソムリエでも間違うことがあるんだってね。白い赤ワインとか赤い白ワインとかをそのまま見た目の色の白だとか赤って言っちゃうのね。だからまぁ何を持ってブルースなのか?とか良い演奏なのか?とかってまぁ凄くファジーな部分なんだよね。「名ピアニストの演奏」なんて言われればもうそれが完全に情報としてインプットされるからバイアスがかかるわけだよね。


まぁだからなんつーのかな?まぁあれなのね、その過去にあったDJの特権性が無くなった中でのDJの価値っていうとさ、あ、本質的な意味でね。セレブDJとか録音そのまま流す感じのEDMではないちゃんとしたDJって意味だとさ、結局はやっぱりなんつーのかな?環境がポストモダン的じゃないですか?10年以上も前から今はもうブームとかがなくなってて過去の音源がアーカイヴ化されているから個々がそれを取り出して勝手に組み上げるみたいなことが可能だし、個人の音楽史みたいなのがそういった音楽史やムーブメントに影響されない直に選ぶとかたまたま出合ったみたいな蓋然性という部分が強くなってるとかね、だからまぁそもそもそういう意味でも今みたいな状況で音楽を聴くこと自体がポストモダン的なんだよね。


で、それでDJとなるとさらに顕著だよね。で、そこで「あ、これだなー」って思ったのがさ、松岡正剛っているじゃん?あの人の編集術っていう考え方ね。まぁ実際は茶道とか日本的な芸術とかを調べてて松岡正剛に当たったんだけどさ、あ、まぁそりゃ存在自体は知ってたけど著書は読んだことなかったんだけど、松岡正剛って地頭がめちゃめちゃいいのはあるとしてやっぱポストモダン思想とか相当自分のものにしてるじゃん?まぁ実際に自分がやってた出版社とかからそういう本を出してたぐらいだから本当にガチだよねっつってもまぁこの人の場合、大体ガチなんだけど、でもこの現代のDJにおける価値ってまさにこれでさ、松岡正剛を連想させるとかじゃなくてむしろそのものなんだよね。


だから「あーこれだー」って思って早速著書を色々買ってるんだけど。あーこれだよねぇー。DJだ!っつって色々とやり始めてんで松岡正剛の本を読むことになるとかさ、こういう流れだよね。いきなりなぜDJ?という感じではあるけど「つまんねぇー」っつーよりかは何かに熱心になったほうがいいって言うのはこういうところでさ、んでまぁ結果的に知識とか増えてるし今までの流れではあんまり自分が関心があることと関連性が無いから例えば松岡正剛にしても別に読もうと思わなかったんだけどDJっつーキーワードから読むことになるってのがなんともまぁうれしいというか結果的にやっぱ視野が広がるってことなんだよね。とにかく色々とやって深く掘り下げていくとそうなるんだよね。あとまぁ昔の俺じゃ無理だったから今の俺だから可能になったってのはあるんだけどね。


で、まぁ美ってのもさっていうかようは価値観ってさ、千利休の侘び寂びって「派手な茶器が良い」っていう価値観とは逆じゃん?まぁ逆というほど単純なものではないんだけど侘び寂びという美的感覚を提示するっていうセレクターの手腕っつーのかな?他の道具にしても自作のを使ったり自分で竹を削ったものを花入れなんかにしてさ、でもアンフォルメルとかとは違うんだよね。そういう意味で抽象的ということではないんだよね。観念的でもない。そこに美はあるからね。だからなんつーのかな?「なんともない曲だけど実はかっこいい」っていうのは別に今作られつつある音楽の中でも十分それはあるんだよね。今は駄作とか普通のトラックとされてるものが実はなにかをいじることで化けるとかさ、まぁでもそれは色々とトライできる機会があるし誰でもトライはできるからだからまぁ常にやらされつくされるし発見もされつくすってことはあるにせよ、でもそれってなんともないものに価値を見出してそれを出すっていうことだけじゃないじゃん?


やっぱりそこがなんつーかな?それだけではなんともないっていうものを流れの中に布置することで生まれる異化作用だよね。あとまぁフロアっていう場とか爆音で流すと凄いみたいなこととかさ、それ言い出すとはっきりいって既存の曲をとりあえず全部爆音で流してみるべきなんだよね(笑)音をただ増幅させりゃいいって話でもないんだけどね、まぁそういうのも含めたDJっていう表現者の価値の提示じゃないですか?だからそういう意味で安定しているっていうよりかは意外性があってその場では違和感があったけど場を離れてみると何気に流れがヤバかったな!とかさ、結局一番印象に残ってるのはあの人のプレイだったなとかさ、やっぱそういうところが表現性っていうか作家性っていうのが出るところだよね。


でも自分の場合、例えばノイズとかを出す場合、だいぶ前にも書いたように俺はただのノイズを出すっていうフィルターでかまわないと思ってるっていうかむしろそれが最善だって思ってるんだけど、DJってことになると別だよね。自分の感覚とか共有できないような個人的な思い出とかマイブームみたいなのを通して選曲ってことだよね。で、それってフィルターっつーよりかはもう自分から出てる音なんだよね。それは。セレクトっつーのも行くつくところは血肉化だと思うんですよ。他人の曲なのに自分のもののようにかけるっていうさ、それを他人のふんどしだって言う人も多いんだけど、流れで良いヴァイヴスを生み出すDJっているからね。まぁあとリッチーホーティンの一連のHDのミックスのやつなんかはもう最たるもんでミックスのアートじゃないですか?


それ言い出すとジェフミルズとかもそうなんだけど。まぁあれは録音芸術って感じだよね。場がどうっていうよりかはああいう流れということで録音芸術として成立しているっていう。でもそれで言うとラリーレヴァンって凄いんだよね。やっぱ。色んなもんを本人っつーフィルターを通して解釈してなんでもかんでもごちゃごちゃにかけてるようで統一感があるっていうさ、あとまぁこれは年代ってバイアスもあるけどやっぱあんなのを80年代前半とかにやってたってのは凄いよね。ミックス感覚がすげーモダンなんだよね。多分まぁ伝説的な人物だから伝説補正ってのはかかってるにせよでもやっぱミックス聞くと凄いよね。本当に血肉化してるなっていうかただかけてるだけじゃない感が凄まじいんだよね。だからやっぱ今だからこそ勝負できるところってあるんじゃないかな?って思うんだよね。


ってことで続きます。んじゃまたね。