今後はDJ路線?。その18。

では続きです。


あとまぁ音楽にしても「あーああいう世界はハマるとまた泥沼だから・・・」っつってまぁ経済的な理由であんまり手を出してないものってあるわけじゃん?でもまぁ改めて思うのは今は手を出したい放題なんですよね。昔ほど金かからないしこだわらなければオリジナルのアナログとか買う必要ないし。だから少しでも気になるんだったら徹底的に掘れるんだよね。デジタル時代のディグだよね。だからまぁ今は前にも書いたけどジャズファンクとかソウルとかファンクとか昔のR&Bとかにも手を出してるんだよね。あとまぁ金がかかるんであんまり手を出してなかったラテンなんかも調べてるし。


で、あとまぁ結局それでブーガルーとかにも手を出すようになるわけ。ラテンとかファンクとか昔のR&Bなんか聴いてたらブーガルーなんて聴いて当たり前になってくるんだよね。まぁプロパーのジャズとかレアグルーヴほど深くは掘ってないけどでもまぁようは自分の中でレアグルーヴ的なものを掘られつくされてるとは言いつつも自分なりに探すとか「これがキラーです」って言われてるものばっかり盲目的に探すんじゃなくてやっぱ自分で探すんだよね。まぁ結果的に知られてるってもんばっかなんだけどようはそのプロセスだよね。これって学問も同じじゃん?自分なりにその概念に行き着くっつーのと要約みたいなのをザーッと聴いて終わりっつーのじゃ全然違うじゃん?まぁ結果的にその概念については知ることができてるから同じじゃん!って言えばそうなんだけど客観的には同じでも自分の中の意味論としては違うよね。コミットメントの中で発見したりするのと概要みたいなのをザーッと読むのとでは全然違うじゃん。


まぁようはDJのディグっていう作業自体が学問的なんだよね。学究的とでも言えばいいのか。でも昔はそこまで学問やってなかったからそんなこと分からなかったけど今は「学問と一緒だなー」って思えるわけよ。で、今だからできることってのをやれるし学問的な手法を知ってるからこそ効率的に掘れる方法とか情報収集のやり方とかさ、基本的に知があると今はなんでもできるよね。インフラが整ってるからガンガンにアドバンテージを取れる。あとはまぁ数学的な方法論っていうか厳密性だよね。定義の重要さっつーか厳密性だよね。言い方は悪くなるけど人文系って必ずしも厳密性があるわけじゃないからそこは数学的な視点で批判的に見れるところもあるよね。数学っていう基盤があるからこそクリティカルに読めるっつーのかな?ようは「こんなの言い方だけやん!」ってのがすぐ分かっちゃうっつーのかな?


まぁこういうのは数学やってないと分からないってことじゃないんだけどただまぁ数学において鍛えられたっつーよりかは当たり前になる厳密性っていう感覚から言うと適当すぎて許せないとか冷めるみたいなさ、これってまぁ見方が厳しすぎるって話でもあるんだけどまぁそれに越したことないんですよ。「結局言い方だけやん!」みたいなのに依存する概念なんて深く掘り下げたところでなんになるのか?っていうさ、あとまぁ結局人文系における権威主義じゃん!とかさ、化けの皮をすぐ剥がせるよね。まぁある意味で金融工学とか経済学を深くやろうと思わなかったのもそういうところだからね。適当すぎるから(笑)ピケティが偉大なのはここなんだよね。あの人って元々数学の人だから経済学のこういうファジーなところが駄目だと思って徹底的に数理的に統計とデータによって研究を進めたわけだからね。あ、まぁその専門分野の貧困と資本の関係性っていう部分でね。全部やるのはさすがに無理だから。


まぁかといっても何でも数理的にやればいいのか?っていうとそうでもないんだよね。特に哲学なんかは言葉の多義性ってのが重要なわけだし、定義が曖昧だからといってオミットしたらそれだけで成り立たなくなるものもあるからね。ここをよく理数系の人は定義自体が曖昧なんだから体系的な学問として成り立つわけがないとかっていうんだけどこれはまさに人文的なセンスを欠く感覚なんだよね。むしろんなわけないわけで。まぁそんなわけでさ、今の時代っつーか昔からそうだったのかもしれないけど情熱を持ち続けるって大変だよね。好きなことだらけの俺ですらも色々と冷めてくるわけでさ、だからこそ好きなことを好きであり続けるっていうことが重要になってくるんだよね。


あと情熱を維持させつつ「いつまでそんなことやってんだ?」とか「それはもう商業的に成り立たないということが明白だよ」みたいな突っ込みを入れられても「そんなの関係ない!好きだからやるんだ!」っていうそれを貫くタフさだよね。でもまぁ「それやって何になるの?」っていうシニカルな目線とかそういうことを言う人とか嫌味ではない論理的にしっかりとした形で述べる人もいるわけじゃん?そういう意味で情熱があるものを貫徹するには敵が多いんだよね。むしろ敵しかいないと思うのね。あと「それは成り立たない」という構造の話とか。でもじゃあそれが成り立たないとか続かないっつってじゃあそれでいいのか?って話なんだよね。


続かないかもしれないけどやらないよりかはいいし少なくともやってる間は楽しいんだったらやるべきなんじゃないの?って思うしさ、あとまぁ俺みたいに1から何かを作れるわけじゃない人間にとっては既存のものの理解を深めるとか目線を変えるとか自分の中の時間軸とコンテキストで捉えて客観的な理解とは別に自分の中でのコンテクチュアルな意味論を形成していくっていうさ、まぁこれって基本的に生の躍動感じゃん?有機的にそれ自体がどんどんオーガナイズしていくっていうさ、やっぱそれの繰り返しだと思うんだよね。それとまぁ時代の変化と今の俺のDJみたいに昔だったら無理だったけど今だったら可能なこととかってあるわけじゃん?で、そういうのが有機的に絡まっていって自分の中のコミットメントとか意味論とかが形成されていくんだよね。


だからそういう意味だと食えるか食えないか?なんていう外部性なんて意味無いのよね。まぁ逆にそういう外部性のイニシアチブが選択や行動に繋がる場合もあるけど、でもやっぱさ、金儲けがしたい!って思ってる人ならともかく何か好きになれることを見つけたい!とか何かを好きになりたい!って思ってる場合、やっぱそれ自体が来るのって内発的なもんだと思うんだよね。食えるからって選んだものが情熱に繋がるのか?っていうと微妙だよね。まぁ情熱とは繋がらないけど食えるから続ける動機になるってまぁそれはそれでいいんだけどでもやっぱ情熱がベースのものってなかなか外部性との整合性を保つのが大変だと思うんだよね。いや、色々と考えて思ったんだけどさ、例えばDJにしても実際じゃあDJってどうなの?っていうと色んな要素が絡んでくるじゃん?自分がやりたいのはDJという行為なんであって取り巻くものは関係ないとかって言っても結局は自分がそんなに重要じゃないと思ってるところが重要だったりするわけじゃん?学問で言えば学究的というよりかは実利的な論文が書けそうなテーマを選ぶことが重要だみたいなさ、まぁ需要と供給なんですよね。社会が絡むっつーか金銭とかが絡むとまぁそうなりますわな。


で、DJって見た目が重要だよねっていう(笑)まぁそれはあれなんだよね、ウォール伝以前の耳ラボ時代から書いてたことなんだけどさ、凄まじいブサ面がジャズかけててもかっこつかないのに対して矢部さんとかニコラ・コンテみたいな風貌の人がジャズかけてるとかっこいいわけじゃん?音から連想されるDJの外観に一番近いっつーのかな?まぁあと仮にやりたい!なんつっても人前に出ることだからさ、いや、そう思うと見た目だよなって思うとなんかあれだよね、結構また冷めてくるよね(笑)ましてやハゲてきたら無理だから歳取ったら無理じゃんね。まぁ帽子って方法もあるんだろうけどさ、そう思うとブサ面ってそもそもの色んな機会を奪われてるよね。ブサ面揃いのバンドとか人気でないでしょう。特徴のある顔とかだと別なんだけどただの不細工だと無理だもんね。んで思うに昨今のEDMみたいなショービズみたいな世界じゃなくても自分が好きなDJとか尊敬してるDJってやっぱ見た目もいいんですよね。フランケンシュタインみたいな見た目だけど選曲が良いDJって聴いたことないもんな。いや、それ言い出すとノイズとかのアングラ音楽でもそうだよね。


山塚EYEとか秋田昌美とか灰野さんとかマゾンナとかある意味インキャパなんかもビジュアル系だもんな。ああいう音楽を地味なその辺にいそうな顔の人がTシャツでやっていたら成り立つのだろうか?って話だよね。いや、それは別にアングラとかノイズへのディスじゃないんだよね。音楽そのものがやっぱり演奏者のイメージってのに左右されてるところは大きいよねっていうところなんだよね。灰野さんなんかはアートワークとかも徹底してるし見た目も徹底してるじゃないですか?でも別に商業主義なわけでもないしショービズ的ではないんだけどでも結果的にあのビジュアルと音楽ってのがめちゃめちゃ合ってるんだよね。だから成立してるみたいなところはあるでしょう。まぁアート・リンゼイとかジョン・ゾーンとかはそんなことないよね(笑)普通の会社員っぽいもんな。


でもまぁなんだろうね、クラブに行って選曲が良ければそりゃそれでいいんだけど全然オーラが無いすんげー地味なやつが曲かけてたらなんかつまんないもんな。やっぱ。俺が踊りまくったとかテンション上がったみたいな場面を思い出しても地味なDJっていなかったもんな。そりゃ音楽が良いから興奮するんだけどあとまぁやっぱDJの風格もあるっていう。EDMだけがショービズ的なのか?っていうとそうでもないんだよな。EDMとかだともうみんなタレントみたいな感じじゃん?選曲っつーよりかは有名な人で見た目もいいか特徴がある人ってことでまぁ結局スターの風格なんだよね。


まぁEDMなんて全然別のショービズの世界だっつってもいや待てよってことなんだよね。別に普通のDJだってそれってあるでしょってことなんだよね。っつーかそれ言い出すと声優なんかもそうだもんな。あ、アニメ声の声優ね。下手なアイドルより可愛いぐらいじゃないと売れないわけでしょ?相関関係というわけじゃないんだけどさ、なんつーのかな?デジタル化が進んでるのにある意味凄くアナログ化が進んでるところってのがあるってことだよね。見た目重視をアナログと行っていいのかはともかく俺が相関関係って言うのはさ、ようは単純にそれだけだと誰でもできるし超絶的でもない限りあんまり差はないと。まぁ誰でもできるとは思わないけどワナビーが大量にいて参入は容易だったり真似事程度のことなら誰でもできるって中で突出するにはスキルもさることながら見た目っていうさ、まぁ逆に見た目ぐらいしか突出した差って出ないもんね。


同じぐらいの声の演技力がある声優で片方は抜群に可愛くて片方はすげー地味だったらまあそりゃ可愛いほうを選ぶっつーかまぁそっちのほうが人気出るだろうから可愛いほうを起用ってことになるもんなぁ。最近だと芸人もそうだもんね。特に若い女がちょっと可愛いぐらいでそれを武器に芸人になろうとするわけじゃん?見た目重視っつー安易なものが横行してるからだよねっつーかやっぱ需要があるからなんだよねっつっても生き残れるか?とかってのはまた別なんだけどね。あとはまぁ見た目ってのはきっかけで後は実力次第ってのはあったりするにせよ見た目ってのが要素の中であったら最初からもうエントリーできない人って大量にいるもんな。


まぁんでさっきも書いたけどさ、結局、解析とアルゴリズム的なものの精度の問題でいつかは大体のものがシミュレート可能になるんだとしてもさ、例えば完全に自動演奏のジャズバンドっていやじゃない?っていうか興味ないよね。まぁ実際聴いたら凄く良いかもしれないし、それこそマイルスとかチャーリー・パーカーシミュレーターとか演奏者の癖とか雰囲気もシミュレートできるようになったら実現できなかったデュオとかも可能になるよね。


あとまぁジャムるとかね。こっちの出音に反応するようにしてればジャムできるでしょ。まぁそれはそれで色々と可能性があるしいいんだけど、ただその根本の音楽とか音楽に限らず表現ってところでさ、それがどんどん自動化されちゃうと人間的なものが介在する余地が狭くなるじゃない?そもそもハード・バップにしたって形式的にアドリブっつっても型が決まってるからみんな同じ感じになっちゃうってことで限界があったわけだしさ、別にそれは自動化に限らずそうなんだよね。全部一緒になっちゃうとか他との違いが無くなるとかさ、いや、そんなことがあるからこそむしろそういう見た目とかカリスマ性みたいな音楽とは関係ないところの部分がエンハンスされるのかな?って気はするよね。ロックとかも破天荒エピソードありきで成り立ってるみたいなところはあるし。みんなまじめだったらつまんないもんな。破滅したからレジェンドになっててそれが音と共にレジェンドとして伝えられるって基本的に神話とかと同じ形態だよね。ロックなりDJなりってのも結局完全に細分化すればようはデータと一緒じゃん?っつーかまぁ元々分析可能であるってことがそもそもデータってことを意味するんだよね。


まぁようは人間にとってデータとして処理されるものって意味でね。でもそれで例えばジミヘンのシミュレーションをされたところであんまりなんとも思わないよね。DJ然りなんだけど。ラリー・レヴァンシミュレーターってのがあったとしてまぁ何を選ぶか?ってのを現代の音源も含めてラリー・レヴァンのAIは何を選んでどう繋ぐのか?って面白いところではあるけどなんつーかまぁlabrat的な感じだよね。観察の対象っていうさ、それでDJが代替されるか?っていうとねぇーっつってもまぁブースがほとんど見えないような場所だったらそれが機械なのか人間なのか?なんて分からなくなるようになるってのが割と違いよね。それでも人じゃないといやだ!っていうのは結局はロマン主義的なのかな?っていうさ、でもまぁ機械じゃいやだっつーのは直感的に正しいじゃん?


そもそも機械でもいいなんて考える感性がどうかしてるわけで。それは例えば作曲における凄まじく煩雑な作業を機械化とかそれならいいのよ。ただ肝心の作曲の部分とか演奏とかDJにしても選曲とかってのが機械化されたらさ、それって何なの?って感じしない?まぁでもこれも需要と供給なんだけどね。そんなに音楽に思い入れが無いっていうと語弊があるけど音楽は好きだけど誰が回してるかってのはどうでもいいって人にとっては中には自動でもかまわないっていう人もいるだろうしさ、ようはクラブって場とか音の環境が好きで来てるわけでDJの比率はあんまり高くないって人もいると思うんだよね。こうなるともうあれですよ、DJソフトの自動化ですよね。フロアもサーモスタットとセンサーでクラウドがどのくらい上がってるか?ってのを分析してそれをフィードバックしてそれをまた分析して・・・っていう繰り返しってのをDJアプリがやるんだよね。いやー直感的に嫌だねぇ。ホントに。


まぉでもそういう自動DJと愛称が良いジャンルってのはあるかもね。「オート」みたいなジャンルとかね。それとは別に人力DJってのは存在し続けると思いたいけどでもオートのファンが増えるとそれで競合するじゃん?ただですらDJワナビーが溢れててしかもたいてい食えなくて生き残りも大変って中でオートみたいなジャンルできたらいやだよなぁー。これもまぁ機械化が人の仕事を奪うっていう例ですよね。でもまぁそれが本当に便利で愛されるようなものならまぁあえて禁止する必要はないよね。それ禁止!ってなると本屋が潰れるからネット通販禁止!って言うようなもんなわけでさ、ラッダイトみたいになるもんね。


でさ、この一連のエントリーを読んだっていう友人がメールくれたんだけどまぁこういうことに関する話になって、「結局はロマン主義になっちゃうのかもしれないですね」ってことはその人が言ってたことなんだよね。で、まさにこれが俺の危惧してたことなんだ!っていうさ、アルバート・アイラーアルバート・アイラーシミュレーターの違いってのが聴覚的な違いがなければ分からないわけじゃん?でもやっぱなんか機械が演奏してると思うと嫌じゃない?でもこれも再現度の問題なんだよね。MIDIデータでジャズを再生しても本当に機械っぽい演奏だなぁーってことになるんだけど精密なシミュレーターとかになると揺らぎとかも再現できちゃったりしたらさ、いや、仮に聴覚上の違いが分からないぐらいのものができたらどうなるのかね?っていうさ、いや、んでまぁそのDJってのが一番その自動化の影響を最初に受けるジャンルだよなーと思ってさ、で、まぁ極論としてんでも見た目もあるじゃん?的な話になるんだけどね、でもそれ言い出すと結局、アルバート・アイラーが吹いているんだ!って思うことで想起されるイメージってのがあるわけじゃん?で、同じでも正体がシミュレーターだったら嫌なんだよね。なんだかまぁマトリックス的な話になるんだけども。


まぁこの切るわ。続くんでんじゃまた。