今後はDJ路線?。その22。

では続きです。


っつーかあれだな、つまりは箱代ってことですね(笑)フィロソフィーはともかくとしてそれこそちょっと告知して自主練習ぐらいの感じでやるみたいな感じでやれれば一番いいんだよね。まぁんでスタジオレンタル料金ぐらいの額は払うっていうさ、結局イベントの難点って集客なんだよね。コストが高いから元を取ろうとして色々と煩雑なことが必要になって敷居が高くなっちゃうんだよね。それこそ箱代が高いから元を取るしかないからチケットとかも2000円以上になっちゃうじゃん?こうなると一気に人来なくなるよね。で、安くしたらかなりの額を自腹で払わなきゃいけないんで継続性が無いっていう。まぁ金持ちだったらいいんだけどね。結局問題は箱代なんだよな。マジで。


で、単純に都内ってことになるとましてや最近の経済状況だと収入が減ってる割に全然生活費ってのは変わらなくて、だからまぁ収入が低いから土地代ってのが相対的に高くなっちゃうんだよね。やっぱなんつーかそのustream的な敷居でクラブでやるってやっぱあれだよな、お金の話だよな。なんつーか俺が散々書いてきたことって別に個々が勝手に実践すればいいわけじゃん?功名心があるわけでもなんでもなくてただ自分の隠者的な求道性の延長としてリアルな場での実践ってのがあるだけでリアル世界特有のしがらみと言えばお金の問題ぐらいなんだっていうさ、でも問題がお金だからこそ簡単にできないんだよねぇ。クラブのレンタルとか色々調べてもまぁ確かに安いところもあるけどやっぱ普通に10万超えるところとか当たり前だもんね。


で、ガッツリ箱側に金取られるからまず儲けなんてないしトントンで御の字ぐらいだしでも相当人呼ばないとトントンにならないっていうさ、これが結果的にさっき書いた支配に繋がるんだよね。ようはいつも書いてる経済による構造の規定なんだよね。人が集まる人が別にヘゲモニーを握るわけでもニューカマーを蹴落とすわけでもなく普通にやってるだけなんだけど普通にやれるということがすでに支配的であるってことだよね。まぁそれだったら有名になるしかない!ってことになると芸能matterになるじゃないですか?あとまぁすげー面倒なことになる。隠者に向かないリアル指向というよりかはガッツリとリアルにやらなきゃいけなくなる。そうじゃなくてサイバースペースでやってるようなことをそのままリアルな場でやるっていうことなわけだからさ、引きこもりですらもやろうという意欲が湧くぐらいの敷居じゃないといけないんだよね。


結局そのなんつーか王道DJコースってようは俺の言うリジッドな現実の構造なんだよね。で、こういうのが嫌だから家で勝手にやるって人が増えてネットで勝手に配信する人が増えたわけじゃん?これはまぁ本当にネット時代特有っつーよりかは必然的ですよね。でもリアルの場ってのが依然としてそういう王道DJコースで来た人ばっかになってるってのが問題なんだよな。別に敵というわけではなくてそういう人たちじゃないと成立しないという経済構造が問題なのね。つまりは文化の涵養にとって凄く厄介な問題ってことなんだよね。まぁだから引きこもりに場所を提供したいってことなんだよね。でもオーガナイザー的な責任とか嫌だから(笑)そこはあくまで隠者的に振舞うっていうさ、で、それに対してそれは都合の良い話だよねっていう人がいると思うんだけど、これがようは現実の論理なんだよね。リアルの論理。


でもネット上ではオーガナイザー的な責任とかを取らないで勝手に場だけは作れるじゃん?っつーかそれは場を作るということに時間も労力も金もかからないからなんだよね。だからそれができるしそれをやるということに何の問題もないわけだ。まぁ何をもって場にするか?ってことなんだけどまぁ例えば勝手に自分でレーベル作って募集!っつってデモ応募して良かったものをsoundcloudにアップするみたいなことってできるじゃん?でもそんなことしなくても個人個人で勝手にできるからそんなのやる必要ないんだよね。いや、ここなんですよ。


ネットなら個人が勝手に自分でやれるからレーベルとかにわざわざ頼らなくても勝手に自主リリース!とか言ってやれちゃいますよねっていうことなんだよね。このダイナミズムをそのままリアルな場にも持ってくるってことなんだよね。で、それは現実難しいってのがようは場にコストがかかるからじゃないですか?それを考えるとつまんないけどネットで配信してたほうがコストかからないしいいよねっていう自明なイニシアチブによって行動原理みたいなのが決まっちゃう。でもこれって実際は箱代が高すぎるっていう経済構造にダイナミズムが規定されちゃってるんだよね。もっと勝手にやっていいはずなのに勝手にやれないという現状がある。これは非常に問題ありますな!って真摯に思ってるわけなんですよ。


だからまぁ目標としては引き篭もりDJオンリーの隠者パーティーみたいなのをやりたいんだよね。隠者とパーティーっていう矛盾したものがそのまま同一なものとして存在しているっていう西田哲学的場を作りたいんだよね。結局俺みたいな現実のしがらみがいやなやつがクラブでDJできないっていう現実があるわけじゃん?ってまぁそりゃやろうとすれば色々方法はあるんだろうけどなんか凄く手っ取り早い方法は無いかな?って思ってるんだよね。だからまず自分の哲学の実践の場として勝手に自分でどっかではじめて参加したい人がいれば参加してくださいみたいな感じでやりたいなって思ってて。


で、気が向かなくなったらやめるとかでいいんだよね。まぁウォール伝の拡張計画ですね。でもさ、結局なんかそのクラブ的なっつーか音楽的なのって店員さんと会話するとかさ、情報収集とかってのが必須っつーか必須じゃないにしてもコミュニケーション必須じゃん?それがそもそもおかしいと思ってるんだよねっていうか「それが当たり前」とされるのがリアルの論理なんでそこをやりたけりゃ勝手にやればいいっつーネットで勝手にやる感じってのをそのまま現実にフェーズさせるってことなんだよね。それは無理でしょうって思うその無理の根拠とは何なのか?ってことを考えると色々あるけど結局はお金なんだよね。だから俺がやりたいのは経済性に縛られないものだよね。経済性が構造を規定しないものね。あとまぁそれこそコミュ障害ばっかがそろう場とか面白そうじゃん?で、トラブったらまぁ解散!でいいわけよ。


あとまぁトラブらないように凄く淡白なコミュニケーションにするっていうね、逆にコミュ障だからコミュニケーションをしないんでトラブルが起こりづらいっていう(笑)俺的に凄い合理性があるな!って思うんだよね。かっこよさとかスタイリッシュさとは無縁なんだけどでも音楽ってそれを超越するじゃん?かかってる音楽がかっこよければいいわけだから。そういう意味で芸能的な感じへのアンチテーゼでもあるっていうさ、まぁ別にアンチテーゼとしてやる必要はないんだけどね、音がよければいいじゃん!っていう原始的な感じだよね。


あとはまぁゲーム感覚だね。いかにリアルでの煩雑なやり取りを最小限にしつつ自分のやりたいことを実現させるか?だよね。ちょっと頑張れば可能でもその頑張りが自分の負担になると俺はこういう性格なんでそれが面倒になるんで続かなくなるわけですよ(笑)いかに頑張らずに自然体のままやりたいことを成し遂げるか?だよね。そういう意味でギラギラしたクラブっつー世界でいかに侘び寂びの世界を構築するか?なんだよね。いや、スタイリッシュに和のモダンスタイルなんつってやるのは簡単ですよって一番興味が無い世界なんだけどさ(笑)そうじゃなくて侘び寂びをリアルに実践するってことだよね。


で、何回も書くようにオーガナイザーというほど気合が入ったものではなくて、レンタルスタジオで練習するぐらいの感じでやるっていうさ、これってまぁ俺のスタイルなんだよね。DJっつってまぁ俺には無理だなーって思う要素って分析すると主にリアルのわずらわしさだからね(笑)だから勝手に庵を結ぶかの如くどっかでやっちゃえばいいってことになるんだよね。まぁだから廃墟かめちゃめちゃ箱代が安いクラブかってことになるよね。でもクラブって時点ですでに侘び寂びと遠くなる気がするんだよね。何も無いところに庵を結ぶことでなぜかそこが空間になってるってのが理想なわけで。前に書いたpayday2の如くパッと集まってサッとやってすぐ去るっていうさ、これだよね。基本、空ってこういうことじゃないですか?


あとまぁ前にも書いたけど個々が勝手にやるっていう意味でのヒップホップだよね。スタイル化されたヒップホップなんじゃなくてWildstyle的なプリミティブな感じっつーの?個々が好きなことを何らかの形で表現してて別にそれで何かをやろうっていうことではなくてそれが好きだからやってるっていう。自分の中で勝手に繋がってんのね。数奇的な感覚と隠者的な感覚とヒップホップ的な感覚ってのが。あとまぁリアル社会指向の重要性だよね。「何をやったところで変わらない」みたいな感じになると隠者っつーよりかはただの引き篭もりになるんだよね。それでまぁゲームばっかやってるっていう。まぁマインドセットだよね。それはやっぱ学問でも同じでさ、仮に政治哲学研究するならいつか世の役に立つようなことをしたい!とかさ、数学にしてもなんか発表できるぐらいになりたい!とかさ、指向ってのがリアル社会にいってないとダメだよね。


なんかやっぱそこが世捨て人と隠者の違いなんだと思うんだよね。具体的にどういう本を読んでどう思ったのか?って文献リストとか作ってもいいんだけど面倒だから著者名で書くと唐木順三の一連の日本の中世文学についてのものとか隠者系の話のやつとかあとは石田吉貞と桜井好朗だね。俺が言いたいリアル指向の隠者っていうね、むしろそれが隠者であることの必要条件なんだっていうね、例えばまぁ今の俺で言うとDJって言わば方法論じゃないですか?このまま普通に生活しててもあんま変わらないしやっていることを深めても別に生活が変わるわけではないっていう。あとまぁいやにならない程度人と接しないと腐っていくなぁーってのは感じてるわけでさ、そんな中でDJって一番まぁいいっつーか自分がやれそうなことっつったらまぁこれってことなんだけどさ、方法論的なマインドセットってのが良いのはさ、DJっていうどうしてもリアル社会を指向せざるを得ないものを極めようとするんだとすれば仮に自分が隠者みたいな生活しててもそこにDJっつー要素が入ってくるとさ、散々書いてきたようにネットで全部済ませりゃいいってことでもないってことになるわけじゃん?まぁネットで済むものもあるけどやっぱりまぁ場でしょうっていう。


で、この場を意識せざるを得ないっていう要素が厭世的な自分を世に繋ぎとめる方法になるっつーのかな?学問でなんとかしようって思ってたときは全然人と接しなくてもいいような分野でも学校でやっていくってことはまぁつまりは学校でやるサブジェクトなんでどんだけ引き篭もり臭い学問のジャンルでも場がリアルになるよね。で、今の俺はそれが無いわけじゃん?で、場が必要と言っても学校に行くということにもならなくなったし、あと仮に今からいけるとしても正直まぁもうパワーが無いんですよっていうかある程度自分でやっちゃったからわざわざ学校で知ってることをやるなんてのは苦痛でしかないから全然行くメリットがないわけじゃん?でもそれ言い出すとホントに全く人と接しないまま人生が過ぎていきますぜ!旦那!ってことで女子との接触も無いわけでさ、なんかもうあれじゃないですか?女の子と接しないと完全にあれだよね、男としての大事な部分ってのが無くなっていくよね。


アメリカにいた頃はまぁ人生で初めて自分で服が買えるっていう裁量になったっつーこともあるんだけど服を買うってことがもうあれじゃないですか?モテってわけじゃないんだけどようはリアルの場での見栄えじゃないですか?いや、アメリカにいた頃の俺はそんなのを意識しなかったんだけど、今って完全に自分がアメリカに行く前みたいな生活になってんだよね。ひげ伸び放題で女子と接するわけでもないんで見た目とかも気にしなくなるし同じ服を永遠に着てたりとかさ、俺ってまぁ根は引き篭もり臭いけどニューヨークにいた頃の生活を見れば分かるように行く場があれば全然社交的になれるしファッションとかも大好きなんですよ。でも今って場が無いから何もやりようがないんだよね。


そんな中で全てヴァーチャル化みたいな世界観が入ると相当ヤバいんだよね。全部電脳でいいじゃないかってことになるんだよね。でもこれは論理的必然性なんであってそれはアメリカにいた頃と変わらないんだけどアメリカにいた頃は隠者的なマインドがありつつも外にも場があったから良いバランスが取れてた気がするんだけど今って無さ過ぎるんだよね。まぁそれが単純につまらないからってのもあるんだけど結局、リアル社会を指向しなくなるとどんどん自分の世界に没入していくじゃないですか?まぁそれで良い部分もあるんだけどやっぱり人である限りはリアルに存在しているわけだからそのリアルの生活ってのも考えなきゃいけない。でも没入しすぎると自分の世界がメインになってリアルがサブみたいになっちゃうんだよね。


あ、んでこのリアルとサブのバランスを保ててたのが自分にとっての学問だったわけですよ。それやればまぁ基本的に大学でやっていくことになるから全然役に立たなさそうなことでもとりあえずまぁ進学みたいなさ、で、今は全くそういう必要がなくなっちゃったからさっつーかまぁあれなんだよね、主婦になって家にばっかいるんでリアル社会との接点が無くなるっていうまぁそういうのと一緒ですよ。家にいてやることをメインにやってるから外との接点が無くなるんだよねっつってまぁ別にそれで主婦が手芸とかはじめたところでどうにもならないんだけどさっつーか話の根が深いな。思ったより簡単に書けないな(笑)


ってことでこの辺で切るけどストックが無くなって来たから毎日更新をやめようかなと。まだ一応色々と書きたいことあるんだけど色々と調べたり聴いてると書く時間無いんだよね。時間あるくせに無いんですよ。っつーか最近はもうあれだね、完全にファンクに目覚めた感じだねっつーかファンクネスだね。本質的な意味での黒人性みたいな意味で。っつーか音楽がこんなに自分の中で広がると思ってなかったんだよね。っつーか今まで何を聴いた気になってたのか?ってぐらい聴きたいのが山ほどある。いやー良かったよ。毎年色々と実存的にヤバくなってその都度色々と発見して難局を乗り越えてきたけどとりあえず当面これで大丈夫そうだな。いやー良かった。精神的にも調子いいしね。まぁあと数学の本とか読まないから脳疲労が無いよね(笑)だからまぁ鬱っぽくなりづらいってのはあるかもしれない。明るい音楽ばっかだし。


まぁそんな感じで続くんでんじゃまた。