ドゥルーズとDJ。その2。

ちょっとまた一言系。いや、ドゥルーズって原書読んでなかったり途中でやめたりしてたんだけど今読んでるんだよね。相変わらず半分以上無駄っていうか特にフロイトとか絡んでくるあたりが本当にどうしようもないって思うんだけど、ドゥルーズ単体の例えば差異と反復なんかは結構良いっつーかまぁホントにニーチェとかベルグソンのミックスだよなぁーって思うんだけどさ、まぁどこまでドゥルーズでどこまでが俺が思ってることなのかアレなんだけどレアグルーヴってことで言うとさっていうかマイブームの強度ってのがさ、例えばまぁ前にも書いたけど創成期のUKクラブカルチャーを自分の中で反復するっつーかさ、まぁ反復といえるのかどうか分からないけどヴィジョンクエスト的なさ、勝手に追体験するんだよね。ここが面白い!って思ったらそこについて色々調べたり当時にクラブでかかってた音なんかを聴いたりして勝手に思い浮かべるわけじゃん?まぁ文献学とか歴史学とかってこういう要素があると思うんだけど、追体験する音楽ムーヴメントってまぁようはこれなんだよね。


ヒップホップの創成期にしても黒人のものとか白人のものってのに関わらずビートが効いてるのを爆音でかけるっていうさ、Kool HercとかBambaataaなんてのはこないだ書いたGenre Bendingみたいなのを地でやってた感じだよね。面白いのが当時はベースがガンガンなるクラブ音楽とかなかったわけじゃん?ドラムンベースとかダブステップなんてのはなかったわけで。んでもきわめてそのクラブ的なビートの取り方っつーのかな?Lowが効いてるやつならエンハンスしてかけるみたいなさ、まぁこれがもちろん後にブレイクビーツのループとかヒップホップに繋がるんだけどむしろこういう創成期のほうがすげー工夫を感じるっつーのかな?今俺がやりたいのってこれなんだよね。使いやすかったり便利な打ち込みとかを使わずに曲の始まり方も終わり方も使いづらいようなのを使うっていうさ、でもこれってUKにしてもUSにしても創成期だとむしろ当たり前だったんだよね。そこでまぁ先祖がえりっつーかなんつーかさ、こういう創成期の今ほど便利じゃなかったときに工夫をこらしてグルーヴを出してたっていうこのcreativityっつーの?で、Bambaataaとかがなんでそれを出来てたか?って他のやつらが話にならないぐらいレコード持ってたからなんだよね。あとそれらを自家薬籠中の物としてるっていうことね。だから普通の黒人じゃかけないような白人のロックとかも混ぜてたんだよね。


で、今って誰でもそれが可能じゃん?っつーのはなんつーかavailabilityって意味ね。これも散々書いてきたんだけどBambaataaみたいな膨大なコレクションを元にしたDJスタイルってのを今だとやれるんだよね。いや、それこそ俺は行かないけどブックオフの100円コーナーで買ってきたやつとかさ、あとツタヤで借りたやつとかさ(笑)基本的にPCDJだと音源をPCに取り込むことができれば実質的になんでもプレイ可能だから結果的にアーカイヴの幅が増えるんだよね。レコードでしかかけられない場合、それが無理でまぁレコード探すの大変だったりしてそういう意味でも集めるのが大変だったんだけど今は楽だよね。だからなんつーのかな?一万曲の中から厳選したのを自分のスタイルで混ぜるみたいなことが可能になってるわけじゃない?昔でもやろうと思えば出来たけど金がかかりすぎて無理だったわけだけど今なら誰にでもできるもんね。まぁようはこれがポストモダン的ってことなんだけどさ、前に書いたアーカイヴに頭を繋いで好きな曲を任意で取り出してプレイするみたいな電脳スタイルだよね。まぁイメージ的にクラウド化されたデータベースっていうまぁレコードプールだよね。そこから選択してかけるっていうさ、所有しているものをかけるというよりかはもうデータベース的なんだよね。逆に所有にこだわるとコストがかかりすぎるんだけどそこにこだわらなければ変な話、ツタヤとか図書館で借りてきたやつとかもそのまま使えばいいわけだから。


だからこうなると膨大な音源を持ってるDJとかとコレクションで肩を並べることができるようになるよね。まぁそれでもそんぐらいのレベルになると結構な金がかかるけどレコード買ってた自分からすると全然大した出費じゃないよねっていうか出費に対してのリターンが確実なんで確実に良い音源が手元に増えるってことになるんだよね。あとまぁ持ってるCDを使えそうなやつはPCに取り込んだりするとまぁ結構な量になるよね。で、結局そういうデータベース的な感じになると本当にスタイルとかなにをかけるのか?ってのが本当の意味で任意になるよね。それが手に入りやすいとか安いからみたいな理由ってのがそういうのをかけるっていう理由にはならないんだよね。昔はそれがあったわけじゃん?サントラとか誰もかけてなかったしレコードも安かったからそういうのを買いまくってかけてたとかさ、やっぱ経済的な要素ってのがスタイルとかに影響してたってことなんだけど今は無いもんね。


そうそう。しつこいようだけどインフラですよね。ここ5年とかでまただいぶ違うわけじゃん?同じことが昔から言えたけど今は文字通りそうなっているってことなんだよね。でもなんつーのかな?あまりにそれが自明的過ぎてもう新鮮さが無いように思えるっていうさ、まぁ自分で掘るって意味だとまぁ発掘されたものを聴いてるわけだから掘る側ではないんだけどまぁでも掘れる人なんて元々少数なんだよね。それこそ倉庫とか田舎のジャンク屋とかを回るようなさ、そういう発掘ってまぁ主にアメリカとかイギリスのDJがやってたわけで結局まぁ世界的にそういう最前線の人が掘ったものの後追いだったんだよね。まぁ一部掘ってる人はいただろうけどそもそも日本自体輸入しかありえないのと音源を出してたレコード会社の倉庫とかがないわけじゃん?そりゃそうだよね。まぁ和物ってジャンルはあるんだけどね。なんつーのかな?その情報が並列化されることで自分があたかも掘ってるって思える幻想は無くなったんだよね。実際に掘ってるなんつったって大抵の場合はバイヤーが買ったやつを買うわけだからさ、いや、当たり前だけどね、んでもアメリカとかの場合、地のものだからさ、例えば黒人のおっさんの倉庫に眠ってた古いものみたいなジャンク品一式の中にレコードってのがあってその中にソウルジャズみたいなのが混ざってたりするわけじゃん?まぁ混ざってたんだよね。そりゃでも当然日本の場合無いよねっつーかそりゃ大抵の国にはないだろうっていう。


あ、何が言いたいのか?っていうとようは昔はそういう場所とか「出てくる場所」みたいなのにavailabilityが規定されてたわけだからレアグルーヴ的な掘り方なんてやれる人が限られてたんだけどさっつーかなんかまとまんないな。まぁようは今はそういうのがアーカイヴ化されてるってことねって前に書いたことと全然変わらないな。で、そのポストモダン性ってのは「レアグルーヴは掘り尽くされた」みたいな現状に全く左右されないってことなんだよね。それは昔のソウルとかが例えば50's Soulみたいなカテゴライズされるのと同じでレアグルーヴなんかもone of themになってるんだよね。だからまぁレアでもなんでもないんだけどでもなんつーかそのレアさとかがあんま関係ないって逆に良いと思うんだよね。純粋に内容ってことだもんね。


で、なんつーのかな?過去のスタイルとかに触発されるとかってさ、まぁようはそれって勝手に個人が個人的なレベルで触発されるんであって世の中のブームとか関係ないわけじゃん?例えば哲学にしても「実存主義にハマってますね。最近は」的な感じでさ、別に時代とか関係なく勝手に自分の中でブームになってるものってなことなわけじゃん?で、俺が言うポストモダン性ってのはマイブームになったら一瞬で文献とかデータを集めて自分でブームを起こせるってことなんだよね。昔なら時代錯誤なものがあったりしたら古本屋なりレコード屋なり回って探さなきゃいけなかったものが今はアーカイヴ化されてるから酔狂なものに凝り始めても手に入りづらいってのは相当マニアックだったりマイナーじゃない限りないからいつでもアクセスできるんだよね。


そうそう。過度なと言ってもいいぐらいのavailabilityってもはやストリームなんだよね。昔の音楽の所有の感覚だと山に行って石を拾ってくるみたいな感じがあったんだけど今は流れって意味で水道水みたいな感じっつーの?山行かなくてもいいし水道から水流れてくるしみたいな。でもやっぱり依然として手に入りやすいって言っても知識が必要とされるのは変わりないし、すぐに手に入ってもそもそもそれを知らなかったら手に入れるってことができないからね。それで言うとやっぱあれなんだよな、俺は元々掘ってたっつー地があるからできるんであって今DJ始めてレアグルーヴなんてのがあるらしいなんつってハマってもまぁガイド本とかあるけどまぁでも分からないことだらけだよね。そう思うとなんつーのかな?これは使えそうとかこれはダメそうみたいなのってどういう基準なのかな?とは思うよね。やっぱそれは掘ってたときにレコード屋のポップとかで「キラー」って書かれてたりすると「こういうのをキラーと言うのか」っつってまぁ見よう見まねでやってたみたいなところもあると思うんだけど、それを考えるとグルーヴって深いんだよね。いや、それだけじゃなくてやっぱり「これかっこいい!」って思う何かってのがあってさ、だから「これだ!」って思うわけじゃん?あ、ノーザンソウルっつー映画があるんだけどすげー良いよ。俺はもっとさかのぼってレアグルーヴ的なものの源泉っつーのかな?そこらへんがマイブームなんだよね。いや、面白いよね。lowerクラスのやつらがアンフェタミン飲みながら本国ではさっぱり評価されなかったようなマイナーソウルの7inchで踊りまくるっていうさ、文化って基本的にあれじゃん?なんかのもんがどっかに輸出されたりなんかするとそのエッセンスだけが異様にその場で涵養されて純化されるみたいなことがあるじゃん?そういうのの最たるもんだよね。こういうのって。


あとまぁやっぱいつも書くけど音の異化だよね。爆音でかけて踊るなんてのを想定されてないものを爆音でかけて異化させてダンストラックにしちゃうっていうさ、それで言うとまぁアメリカでちょっと後になるけどron hardyなんかはもっとそれをエクストリームにやってた感じだよね。ピッチ+8でハイかローをめちゃめちゃエンハンスしてかけるっていうさ、普通にかけるだけでサウンドシステムでブンブンいうのにさらにブーストさせて普通のロックとかソウルのベースラインってのがダブステップとかドラムンベース並にエグイ重低音になるっていうさ、この辺はやっぱ俺が一貫して魅力を感じるミュージックコンクレート的な異化なんだよなぁ。なんかの音ってのがあってそれをそれだけ取ってきて別のコンテキストとかに乗っけて全然違う使い方をしちゃうとかそれ自体の意味をなくすとかさ、ノーザンソウルにしても普通よりかはアツい感じのソウルなんだけど爆音でかけるとすげーハイテンションで録音したソウル!みたいなのに変わっちゃうんだよね。


あとまぁやっぱパラダイスガラージ然りなんだけどマージナルな人たちとか基本ノーフューチャーな人たちがそこで爆発してたっていうところだよね。まぁカウンターカルチャーって言っていいと思うんだけど日本ってまぁそれが無いもんねっつーか今はだいぶ格差社会になったけど低所得のガラの悪い感じの連中が集まって騒ぐみたいなカルチャーが無いんだよね。別に悪いって意味じゃなくて。まぁそんだけアメリカとかイギリスに比べれば格差が無いってことなんだけどね。だからまぁなんつーかクラブっつーとちょっとかっこいい場所みたいなさ、まぁ今はだいぶイメージ悪いらしいけどなんつーか元々そういうもんじゃん?アングラカルチャーなわけで。まぁあとなんつーのかな?もう踊らないとやってられねぇ!ってぐらい追い詰められてはいないってことなんだと思うんだよね。あとまぁ空き地で違法イベントやっちゃうみたいなことに対してめちゃめちゃ厳しかったり世間の目も冷たかったりするから元々のクラブ的なものってのが馴染みづらいんだよね。


あとやっぱまぁ前も書いたけどちゃんと合法でやろうとするとクラブ借りなきゃいけなくてんでまぁめちゃめちゃ高いからそんなリスク犯せないっていうさ、まぁ気楽にできないっつーのがあったりなんかしてまぁだから無理だよなぁーって思うってことなんだけどねってそんな帰結になっちゃったの?って話なんだけど結局やっぱり最後は経済と法律みたいなそういう話になるんだよね。まぁそりゃそうだわな。もっと簡単にやれればそりゃイベント増えるだろうしさ、まぁそういう経済的なファクターと厳しい法律っていうさ、結局まぁあれじゃん?イニシアチブってそういうので決まるからね。まぁフーコーの生政治ですよね。色々な変数をいじることで人間の行動をコントロールできるようになるっていうさ、単純にそれはあれなのよね、これはリスキーだからやらないとか金がかかりすぎるからできないみたいなさ、その「できない」っていうことがもうすでにコントロールなんだよね。まぁそれ言い出すとなんで関税とかがあるのか?とかまぁそういう話にもなるんだけどね。


まぁでもあれなのよね、やれないとかやれる場が無かったとしてもそのインフラって意味で機材が安いとか音源が手に入りやすいって意味でよくまぁ昔から言われる音楽の民主化ってやつなんだけどさ、やることのコストが下がってるってことは良いことだよね。別にやれる場が無くても勝手にDJ力みたいなのを自分で涵養できるっていうさ、DJデビューに向けて!っつーよりかは勝手に自分で色々と研究するっていうそういう感じね。まぁそういう意味でバーチャルDJではあるんだよね。現場は無いんだけど過去の自分が惹かれるムーブメントとか時代の雰囲気みたいなのを自分なりに勝手に解釈してそういうフレーバーを取り込みながらDJスタイルに反映させていくっていうさ、まぁなんつーか歴史学的っつーのかな?あとやっぱり個人的に面白いって思うのがかっこよければなんでもミックスしちゃえばいいのになんか妙な音のこだわりっつーかあと音源の年代なんかにも変な偏りがあるみたいな意味の分からない個人的な好みっていうさ、そういうのがめちゃめちゃ反映されるDJっつーのかな?やっぱ面白いじゃん?なんで今そんなのに影響受けて音楽やってんの?とかバンドとかにしてもなんで今そんな純化されたようなサイケロックやってるの?とかさ、で、理由が単純に「それが面白いと思ったから」みたいなさ、あとまぁそういうのって強いじゃん?シーンが無いとかやれる場が無いみたいな理由にリミットを受けないじゃん?好きで勝手にやることだから本人は楽しくてやってるっていうさ、で、さっきバーチャルって書いたけどやっぱこれはあのオワコンシリーズからのアレですよね、自分の世界を作るっていうコンセプトそのままだよね。凄まじい整合性があるよね。需要全く無いとか誰も見向きもしないみたいなのに一切左右されないっていう感じっつーの?


で、ある種のシミュレーショニズムでもあるしね。実際にやるという行為が介在しないからこそバーチャルになるっていうさ、でもバーチャルとは言えど実際はやってるんだけどでも一般的にそれはやってるとは言えないみたいなさ、まぁオントロジーみたいな話なんだけどこの辺もまたドゥルーズ的なんだよね。ドゥルーズとの親和性に驚いてるんすよ。最近。しかも俺がドゥルーズに影響を受けたんじゃなくて色々と考えてたことにドゥルーズとの親和性があるっていうそういう驚きだよね。まぁさっきも書いたけどドゥルーズっつってもやっぱフロイトとか近親相姦がどうのとかああいうところは完全にクソだと思うけどそういうところじゃないニーチェ主義的な生成の哲学っていう意味でのドゥルーズは面白いねっていうかまぁ俺と考えが似てますわ(笑)こいつとは友達になれそうだなって感じなのよね。


やっぱ勝手にやるってことの強さだよね。オーディエンスあってのものなんだけど仮に客がほとんどいなくても好きだからやり続けるってまぁなんで続けられるのか?ってやっぱ好きだからじゃん?それに尽きるよね。っつーかやっぱ客がいなくても続けられないと続けられないよね。多分。逆に客がいなかったりやることに対してペイしないと続けられないってのはイニシアチブが好きっていうことだけではないんだよね。鳴かず飛ばずだからやめるみたいなさ、でもまぁそれ言い出すと逆に鳴くってんじゃあスターになったりメジャーデビュー!みたいなさ、そんなのが夢だったの?って話だからね。そんなもん世の中のシステムとのやり合いなわけでさ、ある意味最初から決まってるよね。まぁ偶発的にちょっとヒットしたりとかはあるのかもしれないけど基本的に商業主義でやってないんだったらまぁ音楽なんてそんなもんだよね。多分それってあれなんだと思うんだよね。ずーっとアングラでやってきたとか地道に活動を続けてきたみたいな人たちから見れば今がデフォなんですよみたいなところはあると思うんだよね。音楽が金にならなくなったっつーかむしろ俺らずーっとそれがデフォでやってきてるしっていうさ、だからそういう人たちのほうがずーっと続けられるっつーのかな?まぁ客もいないのになんで続けるのっていうとまぁやっぱ究極的にはドゥルーズみたいになるけど強度の内包だと思うんだよね。なんか自分の中でこれがアツい!ってもんに情熱を燃やしてそれがあたかも自分の世界では起こってるように体感するっていう強度だよね。勝手に初期パンクの世界観で生き続けるとかそういう感じね。まぁたまにいるでしょ。そういうの。自分の中でそれが生きてればそれは生きてるんだよね。結局は体感の問題だから。


結局これって前から俺が言ってるオタク最強説なんだよね。対象が鉄道であれアニメであれサブカルチャー全般であれそれが好きでそれを消費しつつ自分もなんかやって生成するってことをやってれば凄く満ち足りるっていうさ、自己満足と言えばそれまでだけどそもそも趣味ってそういうもんじゃん?でも本人にしてみれば趣味っつーよりかはそれが生きるっていうこととイコールになってたりしてさ、つまりはそういう行動とか強度ってのが即実存ってことになるんだよね。そういう行為と強度の現前性の連続体が実存なんだっていう。だから俺ってなんなんだろうな?ってことにならないっつーかさ、これが好きでずーっとこれをやってるってことが実存になるともうそれ自体が理由になるじゃん?実存的なもののね。何のために生きてるもなにも好きなことのために生きてます!っていうさ、まぁでもやっぱそれだけで終わらないで外の世界との繋がりをそういう自分の中の強度とか行為ってのを軸にして得られればいいんじゃないかな?とは思うんだよね。強度を確保した後の次のフェーズって意味で。


あとまぁ音楽に関して言えばコストが下がったことで趣味に没頭することで身を崩すみたいなことになりづらくなったってのはあるよね。昭和とかだと狂ってた人って全財産使ってレコード買ってたり借金してまで倉庫借りたりとかさ、すげーな!って思う反面、いやーこりゃー真似できないなぁーって思うわけだけど、今ってコストが下がってるし媒体にこだわらなければまぁ音楽に関して言えばそれ自体がスペースをとったりしないんで維持費みたいなのもかからないもんね。昔だったら借金地獄であっただろうぐらいのレベルの消費を余裕でできるようになってるってのは凄いことだと思うよね。媒体をレコードにこだわらないってだけでこんなに楽しみが増えたんだからまぁ人生分からないもんだねぇーとは思うよね。っつーか音楽の次のフェーズが自分の中で始まってるってのが何気に凄いんだよね。10代後半ぐらいの頃の音楽に対する情熱を持って音楽聴いてるみたいな感じなんだよね。今。こんなにも音楽の聴き方とか聴こえ方が認識で変わるものなのか!って本当に感動してるんですよ。これが音楽のパワーなのか認識のパワーなのかどっちか分からないけどっつーかまぁ両方でしょうね。


っつーか今日はもういいや。んじゃまた。