ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

naoさんへの返信。その6。

nao 2015/05/10 17:12


返信ありがとうございます。


返信に時間がかかることを結構気にしてらっしゃいますが、なんか返信を催促したつもりはなかったんですが、そんな感じになってたらすみません。僕が一回返信を遅れたことは気にしてましたが、だからといってそちらも早く返信しないといけないみたいなことは全然ないです。


で被害妄想というか、というより自分を卑下するというか、まあ細かい被害妄想は無数にありますが、本当に酷い人からするとそれらはカウントされない程度というか、重症な人ほどでないのに被害妄想あるとか書いてまずかったなと思いました。そういうのは、ちょっとした程度で重症ぶるな!っていうのはありますね。全然大した鬱でもないのに鬱病ぶるみたいのは本当ダメだと思いますというかそれはクズでしょう。僕が最近重症化してきてるのが不眠症ですが、これもすぐ、「俺も寝れないよ」とか言われてムカつくんですね。「お前程度が言うな!」っていう。そうなると酷い自慢になっちゃいますが(笑)、「いやこっちは眠くても5時間寝れないことはザラだし、寝れないからどうしようもないから読書し出すと目覚めてきて余計寝れないし、いざ眠ると騒音とか生活音気になるというかそれで目覚めちゃって位後寝れないとか断続的にしか寝れないんだよ!」っていう。


ちょっと逸れて相談じゃないですけど、これってもう睡眠薬だの睡眠導入剤?ゆきですかね?もともと眠れない体質で、アホだった小学生の頃から寝つきは悪く、2時間くらい寝れないことはあったんですが、最近寝つきもそうですが、いや最近は寝つきはまあどっちかというと割といいんですが、すぐ目覚めちゃうんです。断続的でしかも数時間しか寝れてなくて、目覚めてはイライラするんですが、また全体的に寝れてないことにもイライラするんですが、考えようによってはそれで支障はないんですよね。今んところ支障なく例えば思索もできるし読書もできるしっていう。たまにボーッとしますが、ボーッと動画見てたりすると本読みたくなってきたり。なんか寝ないといけないみたいな先入観みたいのがあってそれで苦しんでるだけなのかなとか思っちゃいます。いずれにしても、これ相談できる人もいないし、家族にしたって「寝れないなら余計いいじゃん。」で終わりで。寝れないことで深刻に悩んでることは言えない感じというか。睡眠薬とか利用したらそれはそれでいろいろ危険感もありそうっていう。対策とるのは支障でてからでいいかなって思っちゃいますが、時遅しだとまずいしっていうのもあるし、思い込みさえなくせば楽なんですが、悪影響あるなら対処したほうがいいしっていう。すみません。ホントなんか相談で。はたまたこの程度だと不眠症とはいえないのかもしれませんが。


でも考え方次第だにプラス思考ってだから嫌なんですよね。プラス思考で誤魔化したところで、現実では悪影響とか実際あったりして、いざその影響が出たりしたら最悪ですし時遅しですし、プラス思考で誤魔化した結果が奴隷化だろうって思うんですよね。あれほど危険なものはないというか。マイナス思考のほうが現実的っていうか。まあ僕はなんか嫌なことを思い出すなり考え出したりしてもプラス思考もマイナス思考もしたくないんで僕は本読んだり動画見たりして、一切考えないっていう方針で誤魔化してるんですが、もうなんかそれでも取り憑かれてしまったような時は、そういうとき寝たりすれば楽なのに当然そんなのに取り憑かれてしまうと寝れなくて、ついでに寝れないことへのストレスも出てきて、だからトコトンマイナス思考になるし、それを機にトコトンマイナスまで考えてやるんですね。ネットにある地獄みたいな話もメッチャ読むんですね。僕はそういうので自分はまだマシだという安心はできないどころか、現実はそうなのかーとかそんなクズもいるのかってストレスになってしまうんですが、もうあえてわざわざ泥沼に入ってやるというか。


そうするとそういう負の情報の考慮とか含めて取り憑かれたようなときも思考ってすげー的を射てるというか。逆にいえばゾンビ的攻撃を受ければマイナス思考の泥沼化が酷いですが、すげーちゃんと考えて自分は正しいっていう絶対的な確信があるので、被害妄想というか自分の卑下が起こるのは逆にいえば、信頼できる人に対しての、気遣い過ぎだったりしますね。あのときのあの行為は傷ついたんじゃないだろうかってメッチャ考えて自己嫌悪に陥るというか。で実際それはただの杞憂だったりっていう。でもなんか「あなたはある人に嫌われてると思ったことないですか。安心してください。本当に嫌われてます。」みたいな言葉ありますよね。なんかそれも本当な感じしちゃうっていうか(笑)。あの行為で相手を傷つけてしまった、多分あれでもう嫌われたな・・・みたいな、考え過ぎだって思って自分で安心しようとしたところで、でも本当にあれで嫌われたんだとか思っちゃうっていうか。こうやって書くとなんかヤバイ感ありますが、別に誇張とかないんです。ちなみにその取り憑かれた感じはゾンビの攻撃受けなくてもやってくるときあって、ふとボーッとしてたりすると、その隙に負の思考みたいのが始まるっていうんですかね。


過去の美化というか過去の出来事をプラス思考でとらえるのはいいと思いますが。過去はもう過去なんでできれば脳内編集して美化したほうが楽っていうのはありますよね。それで例の先生の話にうまいこと繋げるわけじゃないですけど、まあ分かってるなぁー先生もまあ過去の美化かもしれないですね。ところで、その女教師のほうは、本当にまあシステムの問題なんですよね。でもそれ以前に初歩の問題も実は分かってない可能性もあって、これに関してはシステムの問題じゃないっていう。まあでも基本システム的な問題だし、あの教師の個々の問題じゃないんですよね。ミクロはマクロっていうか。でまあなんというか、分かってるなー先生のほうは反システム的な態度ですけど、結果的にシステム的にもうまきいってるというか、ちゃんと細かいところまで説明とかもできてるっていう、で、女教師のほうはシステムに従順なんですが、システム的にというか「仕事」としては任務完了なんでしょうけど肝心の中身はダメっていう、反システム的だったりするほうが結果システム的にも中身的にもうまくいくっていうような例ですね。


それでニーチェなんですが、まあ哲学全般そうですが、原書とか読んだわけじゃなくて解説本というか入門書の類のを読んでるだけなんで、なんというか、それでまた自己嫌悪ですね。読んでもないのに、なんかいろいろ書いちゃってるっていう。うーん、まあニーチェにしても実際のニーチェの思想ってどうでもいいっちゃどうでもいいんですが、でもだからといって原書読まなくていい理由にはならないってことだし、まあそもそもニーチェの何々なんですが・・・っていう書き出しだったんでそれならやっぱりもっと原書読むなりしてニーチェの・・・って書くべきっていうのはありますよね。まあただ文献学になっても意味ないんですが、まあなんか、やっぱりこの辺難しいですよね。素人は何も言うなってわけにもいかないし、かといって曖昧な知識でなんか言うのも困る。あ、ちなみにmimisemiさんのニーチェとかを鵜呑みにしてるつもりはないです。うーん、でもそれもつもりはなくても元はそうだったりするというか、結局自分で考えてるようで、本だのなんだの読んだのをもとに考えてるつもりになってるだけなんじゃないかって言われると言い返しようがない部分はありますよね。


でもまあ「やっぱりそうか」っていう、そういう本の読み方多いですが、まず考えありきで読むっていう、でも「なるほど」っていう、本によって「確かに」って分かるというか気づくこともあるわけで、こういうのは影響とかありますよね。うーん、そうなんですよね。僕は元バカだったり元シュトレーバーだったりして、すぐ影響受けやすいんですよね。だから危険だなっていうのはありますね。まあ逆にいえばいろんな考えに影響受けやすいんでなんでも理解しやすいっていうメリットはありますが、影響受けた理解って怪しいものはありますよね。数学のイデアの信仰とかの哲学的なことはここの影響といえばそうかもしれませんね。数学いろいろやる前にずっとココ読んでたりしたんで。で、ちょっと数学は人間が作った系のやつ読むと、まあそれも分からなくはないなーってなっちゃうっていうか。まあそこから思考が始まればいいんですが、まあでもこれに関してはそこからいろいろ思考しているわけで、むしろいい影響というか、影響されてもなんでも結局最後は自分の思考っていう部分が大事ですから、そのきっかけは何でもいいと思いますが、まあ影響受けやすいといってもまだ考えるからマシですが・・・。はぁー何がなんやら分からんくなってきました・・・。


いや、とりあえずニーチェの原書は読みます。読むべき本が多過ぎてニーチェ関連の読もうか迷ってましたが、読みます。イデアイデアと連呼してますが、プラトンとかも読んだわけじゃなくて入門書程度なんでこれも原書読みます。現象学とかは入門書もやっとやっと読んでるので原書はまだまだ先になりそうです。ドゥルーズとかももっと先になりそうです。もうなんかこのいい加減さが嫌になりました。はぁーっていうか。なんか本当に分からなくなりますね。こんな俺が哲学やらなんやらやって何やりたいんだ?っていうような。ココ読み始めたのは、まあ波長が合ったからなんですね。そういうのはいいんですよ。でもそこから拡張していって哲学全般読むようになっていった。これってなんだ?っていうのはありますよね。数学にしても。いやー数学ならなんかまだ新しい発見をするとかありますけど、数学の哲学みたいのとかも、いや、それ考えてだからなんなんだ?っていう、それで何になるんだ?っていうのはありますよね。


もちろん数学についての思考が数学やる上で重要なんですけど、まあこれもある種数学の哲学が拡張されているというか、数学やる上での哲学から数学の哲学自体になってるというか、一般化みたいなことですけど、ちょっと実体から離れてる感はあるというか。興味が移ろってるといえば聞こえはいいですけど、ようは、僕程度の人が一生懸命哲学やら数学やらやってなんなんだっていうのはありますね。まあもちろんそれで快楽もあるし、むしろそれやってないと他にやることないみたいなこともあるんですが、実体から離れててもまあ別にいいんですけど、やっぱりこういうときに行き着くのが、僕程度の・・・っていうことですかね。っていうかいい加減さというか。こだわってるようで意外といい加減だったり。哲学とかに対する真剣さがなかったり。


だからやっぱり元バカと書きましたがまだ基本バカなんでしょう。ただたまにある感覚というか直感というか、これを頼りにするしかないっていうか、あとは数学でもシグマとかが極限になって積分になるとか、逆に連続関数が不連続になったり微分不可能になったり、ああいう感じが好きだったり、代数と位相の抽象化すればもうそういう分類がなくなる感じとか、まさに「完全な概念の世界になる」というか、なんかそういうプロセスは本当に好きなんですよね。まあ感覚とかそういうなんというか好きな感じとか、本読んでるときの快楽とかまあそれでまあ哲学だのなんだのやってるわけですが。性癖と知的刺激のフィットする感じが同じっていうのはなんとなく分かります。いろいろあって性欲減衰なんですが、知的刺激で興奮してると、性欲も出てきて、オナニーでもしようかと思いつつ本を読んでるみたいのが意外と集中力ないようで集中力あるっていうんでしょうかね。それでオナニーしながら思索に耽るみたいな。


うーん、下手に感覚とかたまにあったりするもんだからやめられない。そういうのが一切なければ俺には向いてない!ってなるんですが、もうそうはならないんですが、でも本当気をつけないといい加減になったらダメだなっていうのはありますね。独学ですし。逆にもう独学以外ありえないというか、数学もやり始める前に独学しかないって思ってましたが。クソみたいな授業をいろいろ受けてきたのでまあ結局自分でやるしかないっていうのは分かってたというか。まあ超一流大学とかは別といっても、でも自分の思考がベースって考えるとやっぱり独学がベースになっちゃうなって思っちゃいます。でもだからこそ真剣にやるっていうんですかね。ストイックにやるとかじゃなくて、こだわるところにはこだわるとかちゃんとしてないと危険ですねっていうか。


ただまあある意味やっぱり義務というか、僕は自分で思考の義務ってのがあるって勝手に思ってますのでまあその一環で哲学とか読んでるっていうのもまあありますね。


あと、感覚云々ですが、別に本読んでるのに感覚ってなんだ?っていうことは思ってなくて、いや、「本ばっか読んでるんで」みたいな注釈書かないと勘違いが起きるっていうことを言いたかったんじゃなくて、僕の一連の 公理主義云々で、僕の書き方のせいで勘違いが起こってる気がしたんですが、mimisemiさんはちゃんと理解してくださってたのでよかったです。それで齟齬はなかったみたいなことを書いただけです。これがまた紛らわしさを生んだようですみません。


いや、やっぱりその書くっていうことが下手クソ過ぎるんですかね?僕?逆にこだわり過ぎると書けないんであまり気にせずに気楽に書いてたんですが、書き忘れがあるとか、自分だけがわかってることを前提にして書いちゃってそれで誤解生んだり、たまに送ったやつで誤解生んだんじゃないか?っていう部分を思い出して読み返すとやっぱ誤解生みそうなこと書いてたり、それで補足、訂正ってことで友人とかにもメールを何度も送ることになったり、気づいたらいいほうで気づかなかったり、あとで客観的に読むと酷いですね。その客観的に読むというのもどれくらいできてるかわからないんですが。うーん、迷惑云々もまあそういうこともありますね。別にココは悪しき常識みたいのないわけで、最低限マナー的な常識はちゃんとしますけど、でも長文コメントとかココは自由なんですよね。でもそこで迷惑って思っちゃうのは書くのが下手だからっていうのもあるかもしれません。「また読みづらい文送信しちゃった」みたいな。mimisemiさんはなんか自分で読みづらいみたいなこと書いてますが、少なくとも僕には読みやすく、哲学入門的な記事も多く、どの一般書よりも読みやすく、それは読みやすいのはまあ口語体だからっていうのが大きいでしょうが、かりに一般的にココが読みづらいとして、僕の読みづらさとは全然違いますよね。


読みづらいといえば悪評だったようですが、0.999・・・=1のやつとか僕は好きです。ちなみにその1バージョンのほうが僕は好きです。ああいうイメージベースなのは最高です!無限とか実数の連続性みたいなことをスゴイ分かりやすく、「感じられる」んですよね。で、ダイアグラムもなしにあそこまで説明できちゃうのがやっぱりスゴイ。またいつかあんな感じで数学解説しちゃってほしいですね!この前の集合論のエロ画像のやつとかも妙に分かりやすい。あそこから微積分までイメージできちゃうっていうのがもうスゴイ。僕はああいうところまでイメージできてないな・・・とまた不安にすらなっちゃうんですけどね。


とにかく原書読みます。あ、あとなんというか、「初心者なんで」というのもなんか言い過ぎだな感ありますね。僕。それがなんというか、そういう注あれば間違っても許されるみたいのだったらダメだなっていうか、誤解の言い訳にもなりかねず嫌だなって思いましたね。わからないですけど、たぶん僕の哲学のやり方は間違ってないんですが、こう書くとなると本当ダメだなっていうかやっぱり書くと分かりづらいしダメですね。


睡眠薬なんですけど日常生活に支障が出ていないなら絶対に飲まないほうがいいです。僕も昔から寝れなくてずーっと飲んでたんですが、これって飲みだすと「飲まないと寝れない」みたいな強迫観念が生まれてきて精神的に依存するようになっちゃうんですよね。で、まぁ先生から「飲みすぎだから減らしたほうがいい」って言われて頑張って減らしていってるという感じです。ただまぁ本当にそうですよね。寝なきゃいけない!っていう思い込みって分かります。でもまぁ結局あれですよね、寝れないことで生活に支障をきたすとかっていうことじゃなかったら寝れなくてもいいんですよね。あと寝れないことが原因で健康状態が悪くなるみたいなこともなければ寝なくていいんですよ。なんつーか時間とかにとらわれずに眠くなったら寝るってことですね。だから普通の人の生活のサイクルとか気にしないほうがいいんです。まぁでも勝手な予測なんですけどnaoさんってADHDっぽいですよね。凄く自分と似ているという感じがします。頭がめちゃめちゃハイパーで色んなことが常に頭にあって渦巻いているみたいな感じですよね?自分の場合、だからこそその思考のストリームを薬で止めて鈍くして寝るっていう感じなんですよね。まぁでもnaoさんもおっしゃっているように思い込みさえなくせばいいので、別に寝れなかったら寝れないでいいんですよ。なのであまり深刻に考えなくていいと思います。


プラス思考に関してはまぁ使いようですよねぇ。でもまぁ本当に僕はnaoさんと同意見でそもそもニュートラルに世界を見たらマイナス思考にならざるを得ないだろうって思ってます。つまりはこれがまぁ究極的な客観性っていうんですかね。大体まぁんでハッピーなときとかって主観的に何かに埋没していたりして周りのことが目に入ってないときですよね。まぁでもプラス思考も必要で例えば何かをやるにあたって「どうせ無理だろう」って思ったりすることが多いと思うんですがそこはなんていうか「やってみなきゃ分からない」とか「いや、やれそうな気がする」とかこういうところに関しては逆に無駄にポジティブぐらいがいいんですよね。そのほうが動的ダイナミズムが生まれやすくなりますからね。結果的に人生のあり方に多様性が出てくるっていうか。マイナス思考だと行き着く先は「生きててもしょうがない」ですからね。さすがにこれはダメだろうって思いますね。あとまぁせっかく生まれてきたんだから楽しまないと損みたいな話ですよね。マイナス思考ってディズニーランドとかに行って「人生なんて意味無い」とかってぼやいてるようなもんなんですよね。いや、やるべきことはアトラクションに乗ったり友達や恋人と写真を撮ったりなんかしてその時を楽しむということですよね。あとまぁアトラクションに乗りつくしても探してみるとか自分で作っちゃうとかまぁ人生長いですから色々できますよね。そういう意味でのポジティブさって絶対必要だと思います。


ところでニーチェとか哲学に関してなんですが、どうでもいいなら読まないほうがいいですよ(笑)まぁでも分かりますよ。ちょっと色々書いちゃうけどプロパーってほど関心があるわけでもないって感じなんですよね。でもまぁちょっと関心があるぐらいの場合、一応読んでみるぐらいの動機で読んでみると意外に面白かったり面白さを発見できたりもするので色々と手を出すのはいいですよね。あと別に本自体がそんなに高いわけでもないし。つまらなかったらまぁ別に無理に読む必要はないんですよね。あとまぁ「自分程度の・・・」ってことなんですけど考え方を学術的な成果とかにするとそうなりがちになりますが、自分の認識のレベルを上げるための哲学とか数学とかまぁ知識全般に関することだったりすればそれって自分がどういう人間か?とかどんくらいのレベルの人間なのか?って関係ないですよね。RPGとかで言うと初期値とか素性とかに差があってもとりあえず経験値積めばレベルアップできるならレベルアップするということ自体にそのキャラクター自体の特性とかランクって関係ないですよね。これは自分のためにやるものなんであったら全部そうだと思うんですよね。っていうか娯楽とかってそうですよね。それでなんになる?ってなんにもならないんだけどそれを楽しむこと自体が目的なわけじゃないですか?そういう意味で知的刺激を満たすものってまぁ構造的に娯楽と同じだと思うんですよね。でも娯楽と違って積み重なるものがあるしそれこそ経験値が溜まったりするものなのでただの刹那的な快楽とは違いますよね。


あと何か目的を持ってやらなきゃいけない的なことって一般論として言われがちですけどそもそも娯楽なんだったら目的なんていらないわけですよ。ましてやそれで何かを成し遂げる!みたいな野心とか必要ないわけです。楽しいからやるっていうそれでいいんですよね。まぁ別に野心を持ってもいいんですが、でもそれがでかくなり過ぎると理想の自分と現実の自分のギャップに苦しむことになるので、やはりfun basedであるべきだと思うんですよね。楽しいから続くわけだしどんどんやっちゃうわけだし。哲学とか数学みたいなハイブローなものを楽しめるようになったら最強ですよね。娯楽って限られてますけど学問も娯楽のように楽しめるようになるとコンテンツがめちゃめちゃ多くなりますよね。naoさんが読みたい本が多すぎるって思ってるのはそういうことですよね。これってまぁめちゃめちゃ充実してるってことなんですよね。真剣さとかコミットメントってのはある程度やらないとできないものだと思いますね。あとまぁ最初から真剣に!ってやり過ぎると大体続かなかったりまぁようは続くものって娯楽的なものですよ。やっぱり。fun basedなものですね。そこに楽しさが無いとなかなか続かないですよね。でもfun basedって別に趣味程度に楽しむってことではなくてすんげー真剣に取り組んでいるんだけど基本的に楽しいし好きだからやっているっていうそのまさにベースですよね。そこが大事なところですよね。


でもだからこそやっぱり押さえてるところは押さえてないとグダグダになるっていうか数学とか哲学って特に危ない分野でアマチュアでトンデモみたいなことをやってる人の宝庫なんですよね。なんていうかそこってやっぱ自由に独学でやるって言っても学問のdisiplineの部分を押さえてないと本当に意味が無いものになるんですよね。それこそ論理的整合性がめちゃめちゃだったり曖昧だったり数学にしても厳密さが無くて概念的に成立しないとかめちゃめちゃ抽象的だからこそめちゃめちゃ厳密じゃないと全く意味無いですよね。そこはまぁなんていうかプロ以上にプロ意識を持ってやらないと結局はトンデモとかどうでもいい感じのアマチュアの人たちと変わらないようなことになっちゃうと思うんですよね。ああいうのって別にそれこそfun basedで楽しんでるわけだから別にいいんですけどただ客観的に見てて絶対にあんな風にはなりたくないなって思いますよね。


でもまぁあれですね、0.999・・・=1の話が出てますけど、それこそどういう風に見られているか?って意味ではまぁそりゃめちゃめちゃに見えると思うんですよね。あ、そりゃ僕はそんな体裁なんて気にしないしどう見られているか?なんてどうでもいいんですが、だからといってめちゃめちゃやっていいってわけじゃないんですよね。フォームはめちゃめちゃで雑でも根本の概念の思考の部分をしっかりやっていて、ただアウトプットがまとめられてない雑多な感じとかになっててもまぁそれってようはアウトプットの雑さなだけで根本の思考の部分ってできてるわけですよね。自分の中ではその根本の部分ができてればいいと思ってるんでアウトプットが雑でもいいんですよね。というかインプットと考えることに集中したいんでアウトプットに時間をかけていられないってのはありますよね。丁寧に説明してたらめちゃめちゃ時間がかかったりまとめるのが大変だったらまぁそりゃ面倒になりますし、綺麗な文章を書くことが目的でもないんでそういう意味でこういうところは自由でいいんですよね。なんていうかまぁ後でなんとかすればどうにでもなるものなんてどうでもいいんですよ。文章を綺麗にするとかまとめるとか別にそんなもんただの作業ですよね。やっぱメインの部分って考えるってことですよね。まぁそれは色々と書いてきた抽象化するとか数学的ではないものを数学的に考えるとかっていうまぁ考えるってこと全般においての意味での考えるってことなんですが。


あと齟齬の話なんですが、naoさんの書き方が分かりづらいということはないので安心してください。あとまぁあれは迷惑かな?とかこれは分かりづらいかな?とかって気にしてると何も書けなくなりますよね。なんで長文のほうがいいのか?ってこれなんですよね。そういうのを気にせずにとりあえず言いたいことを書けば大体伝わるってことなんですよね。もちろん長文に付き合ってくれる相手が必要なわけですが、今の場合はnaoさんが伝える相手が僕なので変な話、辞書レベルの長さになっても問題ないわけです。普段から辞書みたいな本ばっか読んでるし読むことが全く苦痛ではないので、気を使うぐらいだったら思ったことを全部書いてくださったほうがよっぽど伝わるんですよね。


あとまぁなんかに関して仮に間違ってたりはじめたばかりで分からないことがあってもとりあえず言ってみるとか書いてみるとか対話してみるってことが大事なんですよね。哲学ってやっぱ対話が基本だと思うんですよ。で、そこで対話するにあたってある程度の文献は最低限押さえておかなければいけないのか?っていうとそんなことはないんですよね。分かってないことを分かったように言うのだけをやめれば基本的に何言ってもいいんですよね。お互い今が完全版なわけじゃないし、お互い色んな思考のプロセスの途中で話してるわけですよね。だから対話自体が完全バージョンである必要はないんですよね。間違っててもいいんだけどそれはあくまで最終的により研究するようになるんで間違いは最終的には正されるとか、現在特有の誤りであるっていう条件付きですよね。いや、おっしゃるようにそうじゃないと完全にマスターした人みたいな人たち以外は喋っちゃいけないってことになりますからね。そんなことはないわけですよ。


あ、でもまぁこれも押さえているところは押さえてないといけないっていう話なんですけど概念エラーはやっぱダメですよね。考えの扱い方がそもそも大間違いなのでそれに関する言説の大部分が意味なくなってるみたいな、そういう根本的なエラーはダメですよね。まぁでもそれってすぐ分かるし、概念エラー起こしている人を正すほど僕は我慢強くないので、そういう人とはやり取りはしないですよ。「あーすげー分かってる人だなー」って人としか喋りません。いや、本当に波長とか考え方が似てる人だなーって思ってますよ。naoさんのことを。だからこそお互いガーッと書いちゃったほうが結果的に分かりやすいと思うんですよね。


まぁんで話が前後するんですけど影響と思考に関しては難しいところなんですよね。色々なものの所産が今の自分の思考なんだってのは紛れも無い事実なんだけど、でもそれは色々なもののコピペなのか?ってことですからね。でもやっぱり思うのはコピペと考えることの違いってやっぱニーチェにしても数学の諸概念にしても完成されているものであってもそのままそれを自明とか「そういうもんなんだ」って思わないで一旦自分の家に持っていって考えるってことですよね。っていうかこのプロセスでしか理解するってことはできないですよね。あとはまぁ前にも書いたように知識以前に感覚的に分かるものとかただ数学と分類されていないだけで感覚的に自明だったことが実は数学的概念であったとか、まぁでも何にしても熟考ありきですよね。こういう思考がベースにあれば色々なものに影響を受けても大丈夫だと思うんですよね。あくまでそれって思考がベースにあるわけじゃないですか?コピペの場合は概念装置みたいなのがそのまま入れ替わるみたいな話ですからね。じゃあそれまでのものはなんだったんだ?って話だし、我田引水なんて言葉がありますがそういうのだったらそもそも考えてないしそれをやること自体の知的な価値ってないですからね。それ言い出すとまぁ本当に知的な価値があるものってそんなには多くないですよね。偉大とか名著とかって言われているものですら思考力自体に「んー微妙だなぁ」って感じるようなものがあるわけで、なんていうかまぁだからやっぱベースは自分なんですよね。


そこで自分が凄まじく価値を感じるようなものを生み出せたり考えることができたり気がつけるか?っていう認識の話なんですよね。だからそういう認識をするための色んな概念の影響を受けること自体は良いことなんですよね。まぁストイックに他は一切読まずに全部自分で考えるみたいなやり方もあると思いますが、結局はそれですらもまぁ色んな影響下にある思考なわけで、そもそもなんらかの情報に晒され続けているという状況では影響を受けないというほうが難しいですよね。まぁそういう日々の雑多な情報と凄くエッセンシャルなものに関する影響ってそれは影響の質が違うわけですが、でもまぁこれってちょっと抽象的に考えれば日々生活しているということと思考しているっていうことが結局は色々なものの所産によるものだっていうのは事実なわけですよね。影響といっても色々とあるわけでそれって生活とか過去の出来事とかそういうのも影響のうちなわけですよね。だから特定の学問分野のものをエッセンシャルな影響として大きく考えるのは誤りなんですよね。それこそ何を影響とするのか?って考えるとまぁある意味何もかもが影響ですよね。完全にそういったものと隔離された状態で考えるってことは難しいですよね。そもそもそういうやり方に価値があるのか?って話ですし、まぁ相当自分の頭に自信が無いとできないことですよね。


まぁでも結局何かに没頭してると結果的に隔離された感じで考えるってことになっちゃってるんですよね。実際に僕なんて本しか読まないですし、それ以外はエロサイトを見ているかテレビ番組の動画を見てたりするかあとはゲームやってるかだけなんですよね。まぁなんていうか地頭と思考力があれば何かの影響によって思考するということが奪われるなんてことは無いと思うので心配せずに色々と読んだほうがいいってことですね。常に考えるってことが癖だったりする人の場合、基本的にオッケーですよね。逆にまぁ色々と読んで分かった気になったような感じになっている自分というのに常に危機感を持ってたり考えてるようで実際は考えてないんじゃないか?なんてことを考え始めて無限ループみたいになっちゃうわけだからまぁある意味で根本のその思考するというところに対して凄い監視があるわけですよね。それが気疲れを生んだりもするわけですが、まぁそういう過剰なまでのチェックが入ってれば絶対大丈夫だと思いますね。まぁ頭の良さってこれですよね。だから馬鹿は鵜呑みにしてそれをそのままコピーしたりしますよね。なんていうんでしょうね、criticalってことなんでしょうね。常にチェックが入る感じっていうんですかね。


あ、夜が明けたので今日はこの辺で終わります。例によってまた全ての話題に返事が書けているわけではないんですが、今日はこの辺で失礼します。