また対象aについての話。

対象aについて色々と思うことがあるねー。別にまぁドラクエに限らずなんだけど、そもそもの欲望の根源ってのは満たされない充足感だよね。恋愛なんかにしても手に入るか分からないときが一番ドキドキするんであってさ、で、仮にまぁ恋愛の本質を愛だとするとね、まぁ愛ってやっぱまぁすげースピリチュアルなものだよね。その人のことをめちゃめちゃ思うっていうようなことじゃん?本来、自己にしか向かわないレベルの配慮が他人にもいくってことでしょ。でもそれは他人への配慮なんではなくて愛による感情移入じゃん?だからプラトニックラヴというのは可能なわけじゃん?性的接触がなくても愛は生まれるわけだ。


だからまぁこれって抽象的だよね。凄く。わからない人には永遠とわからない概念だと思うわ。あとそれが愛だと思ってても実はただの欲望だったっていうね、結局まぁ欲望って自分に向かう自己愛じゃないですか?満たされたら欲望がなくなってしまうので、常に歪められた形とか客観的にそれが存在してるとはいえないようなレベルでその欲望というのを知覚して欲望するということをそれから学ぶと同時にその曖昧な抽象的な欲望自体が常に欠落を生んで自己充足的に欲望自体がまた欲望を生んだり幻想を生んだりして常にそれが循環しているっていうね、でもやっぱそれって自己愛なんだと思うんだよな。欲望していたい自分とか快楽を欲している自分じゃん?言わばその快楽を原動として日々の強度を得るとかさ、生き甲斐を見出すとかニヒリスティックになりがちな人生観みたいなのに肯定感を与えるっていうのかな?


それはそれでいいんだけどやっぱり俺は愛だと思うんだよね。欲望は所詮欲望に過ぎなくてさ、常にその欠落を追い求めるっていうような幻想の永遠のフィードバックじゃん?恋愛中毒とかもまぁそういうことだよね。まぁ具体的に頭の中でドーパミンが大量に出ている的な物質的な快楽ってのはあるんだけどそれが満たされちゃうと耐性が出来るでしょ?だからまたさらに欲望するということを欲望から学ぼうとしたりするんだよね。それは別に理論的にそうなんではなくて人間が自然にそれをやっちゃうんだよね。自分のために。ある種の生存欲なのかな。


欲望が満たされて幸せだ!とも思うけど、やっぱり満たされて幸せになるのは愛だと思うんだよね。それは別に人間に限らず俺の場合、学問とか好きなこと全般って欲望というよりかは愛だからね。本当にそれが好きでやっているわけでさ、具体的にそれをやるからドーパミンが出るという物質的なこともあると思うけど、でもやっぱり自分自体から内発的に生ずる愛っていう原動力に忠実でいると同時にそれを実践するっていうのかな?それが学ぶことであったり経験であったり人に愛を与えるということであったりさ、あとまぁ職業とかにしてもそれを極めたい!とかね所謂ミッションってそうだよね。愛とは言いづらいかもしれないけど欲望みたいなオナティックなものではないでしょ?


やっぱりだからテロスってことだよね。善の定義は難しいけど俺が普段「善く生きる」ってことを言ってるのもこれなんだよね。ニヒリズムが自明であるからこそ善く生きるということが重要になる。それは根源的な意味とか感性的なものにおける愛と凄く似ているか同じものかもしれないよね。少なくともそれが知に向かえばそれはエロスということになるし、その根源は?というと惹かれるということにおける愛でしょ。でもそこが面白いことにね、その愛の原動力ってのが自らに欠けているものを得ようとする欲求なんだよね。少なくとも知愛はそうでしょ?これが極めて最初に書いた俺が勝手に解釈してる対象aとの構造的な類似ね。対象aはオナティックで俺が言うエロスや愛や真実美というのは欲望などという低俗なものとは違った高尚なものっていう認識があるのにも関わらず根源が欲望である限りその欲望を取り巻く構造に類似が出てくるって数学的じゃん?


数学自体に低俗も高尚もないからね。価値判断で高尚であったり美的な数学というのは存在するけど客観的に見ればそんなものは存在しない。でもなんらかの現象や定理を証明するときに使われる数式が低俗であれ高尚であれその現象を構造的に表しているという客観的に事実は変わらないからね。それが意味するものってことだよね。自分の中で色々と考えてコペ転だったのがそれが対象aであれエロスであれ俺が普段言ってる善く生きるということであれ示している対象は同じなんだよね。それを低俗なものとしても高尚なものとしても捉えられるし、二つの全く違った種類の欲望とか欲望というには高尚過ぎる内発的なパッションとかね、でもそこで「これ」と指差すものは同じなんだよね。ただ意味論が違うというだけなんだよ!凄くないこれ?


もう今年これだけでオッケーだわってぐらい凄いわこれ(笑)しかも思わぬところから色々と展開していって「おお!」っていうことになる偶発性が楽しくて人生やめらんないよねーって感じ。思えば元はDJの話からドゥルーズになってさ、んでそっからドラクエとかが絡んできて精神分析とかフーコーとかラカンが出てきたっていうさ、まぁドラクエの前にラカンとか絡んでたけど時期が絶妙なんだよな。お膳立てされたかのように絶妙で知の神に感謝だわ。マジで。でも神的なものって欲望をかなえてくれるようなランプの魔人ではないじゃん?そこにまぁバルトとかの影響あるけど信仰ってのが凄く重要な概念だなって思うようになってきてるんだよね。全く別の論理なんだけどそれが意味するところは凄く大きい。


まぁ今日はそんな感じでんじゃまた。抜きすぎた後に出る薄いザーメンみたいな感じじゃなくて溜め過ぎて強烈なカルキ臭を放つザーメンみたいに濃いのをたまに放出できるぐらいがちょうどいいね。