Plunderphonicsについて。

http://www.plunderphonics.com/xhtml/xplunder.html


改めて俺が佐村河内スタイルって書いてるまぁ方法論的には上のURLのJohn OswaldのPlunderphonicsなんだけどラディカルにサンプリングというのを突き詰めるとこういうことになるよねっていうかサンプルを短く切ってループさせるってのは昔のサンプラーの容量の限界とかがあったにせよ基本的にサンプルというところに留めるっていうような感じではあるよね。一節を抜き出してくるっていうね、でもplunderphonicsの場合、そのまま使うんだよね。まぁ「ほぼそのまま」か。


いや、結局さ、現代音楽っぽいピアノのフレーズが欲しい!って思ってもピアノが無かったり弾けなかったりmidiで打ち込むにしても所詮は打ち込みっていうかさ、あとまぁ生ピアノの良さとか響きとかが無いとかってのもあるしまぁエフェクトかけりゃいいって話なんだけど結局これってエミュレートなんだよね。「こんな感じ」っつーイメージがあってそれを色々と再現するっていうさ、結局まぁ参照されてるのがクセナキスだったりするって意味でサンプルと変わらないんだよねっていうか打ち込んだんだから自分で作ったとか「クセナキスにインスパイアされた部分」とかって言えるっていうだけでさ、インスパイアもなにも盗用ですよね。ぶっちゃけ。


そういう意味でそもそも参照するってこと自体がもう侵犯なんだよね。まぁそれ言い出すと音楽なんてパクりだらけだからね。そんな中で本当に数少ない音楽家が本当の意味で参照してインスパイアされて独自のものを作り上げたりサンプリングして脱構築したりようはそこからオリジナルを作るってことをやってるんだけど見た目はまぁ「サンプリング」とか「モチーフ」って意味で同じだけどまぁあくまで主観的な判断になるけどただのパクリってのと本当の意味でサンプリングとか参照とかってことになるんだよね。


品川が映画撮ってタランティーノ風に無駄話を長くしても成功してないって意味でパクりというかモチーフっつっても上手くいってないとダメっつーかさ、まぁこの辺は本当に価値観の問題なんだけども、ただ俺がすげーいやなのがね、そのまま持って来たらそれはコピペですぎやまこういちが典型だけどまぁ結局坂本龍一にしても中田ヤスタカにしてもパクりだらけじゃないですか?まぁでもこの辺が微妙で坂本龍一の場合、音楽性が高いから参照って感じにはなるし、まぁあからさまなパクりもあるけどね、まぁんで中田ヤスタカの場合、下世話で音楽へのリスペクトゼロだから本当に下品なパクりって感じになるじゃない?


それで言うとじゃあポップアートはどうなのか?ってああなるとまた違うんだけどね。別に芸術なんて崇高なもんじゃねーんだよ的な意味であえて大衆的なアイコンとかモチーフにちょっとなんか付け足しただけでそれをアートとするってまぁ手法的にデュシャンだけどさ、でもここがやっぱりビジュアルと音楽の違いっていうかビジュアルだからこそマリリンモンローとか持ってくることで記号性があるじゃん?でも音楽の場合、あからさまなポップスの乱用とかならともかく、方法論的なのが分かりづらいんだよね。いや、昨日書いたBoyd Riceのやつなんかメタ性が分からなかったらああいう音楽なんだって思っちゃうもんね。




まぁんで俺が言いたいのってさ、実質的にHDの容量なんて無限みたいなもんだし使おうと思えばなんでも使えるじゃん?だから使っちゃえばいいんだよって話なんだよね。逆になんで打ち込みに固執するのか?ってことだよね。盗用になるからって意味ならそもそもなんかをモチーフにしてたりスタイルを模倣してる時点で盗用だから変わらないんだよね。まぁ強いて言えばそれを売ろうとするときに著作権の問題になるだけで音楽的な違いってないよね。


だったら結局は著作権なのか?って話になるじゃん?著作権の問題をクリアにするために分かりづらくしたり歪ませたりしてフェアユースを気取るのかさ、でもまぁ使ってるって時点で同じだからね。だから別に隠す必要なくない?って思うし使っちゃえばよくない?って思うんですよね。いや、これはもう音を作り始めてから一貫して思ってきたことだし18ぐらいの時に作った「J太郎に捧ぐ」なんてまぁその集大成なんだけどねっつってもノイズとコラージュって感じで音楽ではないんだけどね(笑)


https://www.mixcloud.com/Mimisemi/billy-mix/


まぁでも当時すでにミュージックコンクレートとかOswald的な考えに影響を受けてたからだから例えば「ふわーっ」とした音が欲しい!って思ったら別にシンセ繋いで録音しなくてもイメージに近いのをそのまま引っ張ってきちゃえばいいんだって話だったんだよね。そのほうが早いし(笑)逆にだからあれなんだよね、アンチテーゼとしてやってるつもりはないんだけどただ打ち込んで作ったから俺のものだ!とするような傲慢さってのに対するアンチテーゼではあるよね。いや、お前がやってるのも俺がやってるのと大差ないよっていうさ、ただまぁ世間の評価はあんたのほうがいいかもしれないけどやってる下世話さでは同じなんだよっていうね、だからつまりはただの見栄えの問題なんだよね。


サイケアウツは完全に学術的な意味でも手法的な意味でもそういうのを意識的に使ってっつーよりかはそれがフィロソフィーとなって出力としてメタ的なジャングルとかブレイクコアとかをやってるっていうさ、このインタビュー必見だから見てほしいんだけどねってだいぶ昔に貼ったけどね。



まぁ大橋アキラ自体が天才肌でいろんなことに異様に詳しいからポップアートとかバロウズ的なカットアップとかそういうのに全部精通した上でジャングルとかブレイクコアやってるんだけどね、だからまぁそういう意味で方法論的なんだけどもでもまぁ俺が言いたいのは別に知識が無くても方法論的じゃなくても結果的に音楽やるなんつったら少なからずplunderphonicsになっちゃうってことなんだよね。


メタルのドキュメンタリー見ててもアーティストが言ってたけどブラックサバスが大体のメタルのフレーズとかリフ作ってあとはみんなそれを再構築してるだけだみたいなこと言ってたけどまぁ哲学でいうところのホワイトヘッドが言ってた西洋哲学なんてのはプラトン以降はプラトンの脚注だみたいなまぁそんなようなことなんだよね。


「ここバロック風の音入れたいね」ってそれで「こんな感じ?」っつって適当に真似て弾いたらすでにそれはもう侵犯なんだよね。オリジナルじゃないわけで。それで言うとそもそもメタルやろうとしてメタルやってる時点でそれも盗用だもんな。メタル風のフレーズを弾いてるだけじゃん?それで言うとジャズとかも全部そうなんだけどね。まぁロックもそうか。音楽的に言えばそういうことになるよね。だからこそぶっちゃけ全部一緒だからこそ歌詞とか世界観とか音質とかってのが大事になるんだよね。


そういう意味でバンド形態ってのは見た目も含めて世界観出せるからやっぱり有利っつーかあとまぁshow向けっていうかさ、まぁビジュアルも含めてってことだもんね。あ、んでポップスってのは基本的にビジュアル先行じゃないですか?アイドル然りテイラー・スウィフトとかにしてもめちゃめちゃ可愛いから人気あるわけじゃん?可愛くて音楽も良いから人気なんであって音楽が良いだけだと凡庸なんだよね。そこが本当に残酷だと思うんだけども。


あ、あと今年ネット界隈でブレイクした水野しずっているじゃん?あの子も結局はブレイクした理由って可愛いからなんだよね。俺は彼女の闇の部分が好きなんだけど世間的な評価はキモ可愛い!じゃん?結局ビジュアル先行なんだよね。いや、だからこそなんか下手にブレイクしてセレブっぽくなるよりどんどん病んでいって闇の部分でカリスマになってほしいなって思うばかりなんですけどね、ただ分からんけど本人も相当葛藤してるよね。


お前の作品なんか見た目可愛くなかったら話題にすらならねーよとかって言われて傷ついたらしいけどでもそれ言い出したら音楽作品なんて大体そうじゃん?っていうかまぁポップスなんて大体そうでしょ?ってことだよね。んでもまぁ所詮見た目なんて特に女なんて時期過ぎれば劣化して終わるしそこに頼ってたらすぐ破たんするからだからこそ表現者だったら内面磨かないといけないじゃないですか?だからこそなんつーのかな、見た目で評価されてるってことだったらそれは表現者としては危機なんだって思わないといけないってことだよねって別に水野しずにダメ出ししてるわけじゃなくて表現者全般においてってことね。


それで言うと文学とかもそうだもんねっていうか基本的に文化的なもんが全部見た目に寄り添ってるっつーかさ、美人作家とか美人声優とかさ、作家だったら内容じゃないですか?なんで見た目なのか?っていうね、声優はアイドル的な要素があるからまだ分かるにせよただまぁ顔面っつーのでヒエラルキーができるって文化的な退廃だよね。よくブラックメタルとか鬱メタルとかの世界観は退廃してるっていうけどブラック側から言わせてもらえばよっぽど現実のほうが退廃してるんだよね。だからこそそのオワコンの世界への恨みとかが生まれるわけよね。そこで生きる辛さとかも生まれてくる。


っつってもどこぞのバンドみたいに世界系になっちゃうと最高に痛いわけでまぁ世界系になってもビジュアルが良ければポップスって意味では評価されるんだろうけどさ、そこでまぁブラックメタルとか鬱メタルってのは徹底的に暗部を見るんだよねっていうか彼らの世界観では暗部で覆いつくされてるからあえて見ようとしなくても闇が包んでくるっていう感じなんだよね。でもまぁ別にブラックメタルに限らずデフォそうじゃない?って思うんだけどね。だからまぁ本当に生きる苦しみとかを表現してるガチのブラックメタルとかは実存的で本当にいいなーって思うんだよね。病んでるからいいなー!みたいなそういう趣味じゃなくてガチでシンパシーを感じるって意味だよね。


そういう意味でブラックメタルってリアリズムの世界なんだよね。究極的な実存主義とも言えるわな。ただまぁ見た目とか音楽だけじゃガチか形式としてやってるのかが分からないっつーのはあるけどそれもまたまぁ音楽っつーフォーマットの特徴ですよね。あ、話が逸れたからplunderphonicsに戻るけどさ、ようはまぁ見方次第っつーかさ、ラディカルに見ればなんでもplunderphonicsになるってことだよねっつーか大抵はそういうもんでそんな中で限られたものが本当に音楽的な価値があるっていうかオリジナリティがあったり方法論的にサンプリングとかしてても独自の世界観作り上げてるとかっていうさ、そういうようは結果としてのアウトプットだよね。


だからぶっちゃけ手法なんてどうでもいいんだよ。だからこそ別に打ち込みだろうがサンプルだろうがそのまま使ってようが関係なくね?って話なんだよね。しつこいようだけどさ、バッハ風っつーのとバッハそのまま使うのとどう違いがあるの?って違わないよね。クラシック風ってのと本当のクラシックはどう違うのか?って違わないですよね。そこを作ってる側の傲慢さだと打ち込めばオリジナルと言えるみたいなさ、そういう勘違いはやめてほしいって思うんだよね。


だからそういう意味で打ち込み至上主義みたいなのってすげー昔から嫌いだったんだよね。結局やってることはコピペでそれがサンプルかプログラミングなのか?の違いだけなのに打ち込めば自分で作ったと錯覚してるっていうさ、そこは本当に錯覚だと思うんですよね。まぁあとフリーコンテンツの時代じゃないですか?色気出してそれで食っていこうと思わなければなにやってもいいわけでさ、あとまぁ大体食ってこうって決断した感じの音楽ってつまらなくなるからね(笑)


それはアングラ音楽のメジャー化然り、なんかの囲い込みを始めて商業主義の音楽に変換するプロセス然り。だからこそrawなままでやるべきなんだよね。売れる売れないってもう関係ないじゃん?そもそもほぼ音楽で食えないんだからだからそこで変な作家性とかプライドとか捨てちゃったほうがいいと思うんだよね。別にそれをフリーで配ればまぁ文句言われないでしょ。発売するとまぁ発覚したら文句言われるだけで金取らなきゃいいだけの話でしょ。


まぁだからこそあれなんだよね、昔の特権的なもんにすがってた人たちが食えなくなってるっていう状況ではあるんだよね。機材とか技術持ってる!っていうだけの特権を持ってた人たちの特権がなくなっちゃってるわけだからね。まぁでもそれでいいんだと思うんですよ。本当にそれって自然淘汰だからね。あ、んでね、ハウスとかってのはむしろカットアップ的なんだよねっていうかまぁノリ重視のエピキュリアン的な音楽だからっていうのもあるけどかっこよければいいっていうのとさ、ノリの探求でディスコカットアップしちゃうとかさ、まぁカットアップっつーよりサンプルなんだけどかっこよければいいっしょ!っていう開き直りが最初からあるもんね。


そういう意味でダンスミュージックってのは商業的なもん抜けばやっぱり全般素晴らしいよね。打ち込み至上主義みたいな思い上がりもなければ嫌らしい作家主義もないもんね。まぁ基本マッシュアップですよね。そこで打ち込もうがサンプルだろうが同じじゃね?ってのが最初から自明というかその辺はどうでもいいっていうスタンスがダンスミュージックだからね。だから下手に作家性拗らせてるポップスとか作曲家とされる先生方が一番たち悪いんだよね。


やっぱりその辺でなんつーか実験音楽とか電子音楽とハウスと両立してるっつーかまぁ大橋アキラ的な高い教養とさ、色々と横断して知識があるからこそ色々なアウトプットができてなおかつそれを使いこなしてるっていう意味だとやっぱりテーリ・テムリッツだよね。でもああいうアーティストは本当に稀だよね。



初期のハウスのカットアップ的引用なんだけどそれをそのままハウスとして出力してなおかつカットアップ的ではなくそのままハウスにしつつ彼(彼女)の作品にするってことだよね。まぁ聞いただけだとその高度さが分からないしベタにそのまま真似してハウス作る人もいるから差は何?って言われるとアレなんだけどまぁ実質的に差なんてどうでもよくてアウトプットが良ければ良くない?っていうそれだけの話なんですよね。


あ、あとアトムハートとかもそうか。みんな天才肌だよね。いろんな意味でずば抜け過ぎてるっていう。あ、あとそれで言うとテイトウワとかまりんもメタ的だよね。plunderphonicsとコンポジションの差が良い意味でないんだよね。まぁ二人とも同じく天才肌で技術面でも恐ろしいぐらいのクオリティを持ってるんだけど嫌な感じのパロディ感とかがないじゃん?やっぱりそこがメタ性なんだよな。好きだからパクるんではなくてポップアート的に使うかあとはアイコン化するとか抽象化するとかね、まりんのcrossoverなんてまさにモンドの抽象化と再構築じゃないですか?人類の財産ですよね。マジで。












だからそういう意味で別にそのカットアップとかplunderphonicsとかってのは別にアングラ音楽に限ったことではないってことなんだよね。まぁでも使いこなすとそれって本人の作品になるじゃん?いや、ここなんだよね。打ち込んだから自分で作った作品です!とかじゃなくてサンプルにしてもplunderphonicsにしても自家薬籠中の物としてなおかつ世界観を形成していて唯一無二のオリジナリティを発揮してるっていうさ、だから結果的にサンプル勝ちとかサンプルに食われてるとかじゃなくて過去のレコードとか音源全般ってのが彼らの手によって再構成されたり彼らの作品の要素になってるってことなんだよね。


これが作家性というやつでしょ。ようはクオリティなんだよね。あとまぁflying lotusだな。まぁまたジャズ系になると色々とあるけどさ、DJ CamとかDJ ShadowとかDJ Krushとか90年代にアブストラクト・ヒップホップとかって言われてたのって大体上手いんだよね。サンプルに食われてるとかサンプル勝負なんじゃなくて手法としてサンプルを使っているというだけで作っているのは彼らの作品なんだよね。






あとまぁ俺の永遠のアイドルのUFOですね。当時じゃなくて今となって過去の素晴らしいものとして見たときにすさまじいクオリティのカットアップとかサンプリング音楽っていう解釈ができるよね。あとまぁシミュレーショニズムとネオロマン的ジャズみたいな感じだよね。ルネッサンス的な意味でレアグルーヴ的な意味合いでもrebirthっつーかあとはまぁresearchだよね。過去のグルーヴが発掘されてた時代だよね。それを再構築してジャズのルネッサンスみたいなのをやってた感じだよね。まぁそれ以前に自分の実存的な思い入れが強すぎてマジでアイドルだからなかなかコンテキスト化して語れないんだけども(笑)





矢部さんのミックスがMixcloudで聞きたい放題です。俺の永遠のアイドルだわ。


https://www.mixcloud.com/yabest/


それで言うとまぁターンテーブリズムってのも考え方によってはミュージックコンクレート的じゃん?レコード全般がコスれていじれるアーカイヴの山ってことになるわけでさ、その辺はやっぱQ Bertとかとかあのinvisible skratch piklz系の人たちだよね。あとKid Coalaとかね。








ビースティーのこれに至ってはトラックがタンテオンリーだからね。



曲のタイトルとかビデオでも分かるようにタンテとMCだけです!っていうメタ方法論を前面に出しつつそれをポップな出力にしてるっていうのかな。前衛的にならずにあくまでオーソドックスなんだけど手法が前衛的なんだよね。あ、まぁ当時はって意味でだけど。R.I.P Adam.


だからまぁなんかさ、俺の中で譜面書くとか打ち込むってすげーダサいことなんだよね。必要性があればいいんだけどただ「自分で作りたいから」という理由だけで打ち込みでやってるのって最高にダサいと思うんだよね。まぁだからそういう意味であれかな、dubstepとかのあのパッドとかに色々とアサインしてリアルタイムで作っていくっていうああいうのは本当に今の時代性を感じるし作曲なんてこれでいいんだよねって思えるよね。


結局まぁ手法は違えど作曲なんてそんなもんだもんね。それがパッドを叩いてリアルタイムに作っていくダブ的なもんなのかスタティックに打ち込みでやっていくのかさ、ただの手法の違いなんだよね。そこを打ち込み主義の連中は多分パッドで作っていくみたいなのを「あんなの作曲じゃない」なんて言うんだろうけどそう思う根拠ってのが自分は譜面を書いてるだとか打ち込んでいるっていう勘違いのヒエラルキーなんだよね。


だから俺は作曲してるんだ!って思いこんでるだけで別にやってることは変わらないんだよね。ようはヒエラルキーが無いってことね。譜面で書いてるから高尚だとかパッドだから下品で知性のかけらもないとかそういうことじゃなくてどれも作曲なんだってことなんだよね。そこはなんつーか作曲っつーと大げさな感じを与えちゃうんだけど実際はもっとカジュアルなもんなんだよってことなんだよね。だからまぁなんか思いついたら作ればいいんだよねってことなんだよね。音楽理論分からないからとか打ち込みできないから・・・とかそんなの理由にならないんだよね。


別にできなかったらどっかから引っ張ってくればいいんだしどっかから引っ張りながらそれを真似して打ち込みとかもするようにすればいいわけだしそんなのただの慣れだからね。打ち込まなきゃいけないってのがようは古い固定観念なんだよね。なんでも作曲になりうるわけでまぁそれを半世紀も前にジョンケージが言ってたじゃないですか?まさにそれなんですよ。



テイトウワのsound museumの最後の曲ですよねー。ナンデモオンガクデス。ようは音は最初から開放されてるんだよね。制約されてるのは作曲っつー堅苦しい概念から来る思い込みっていう抑圧なんだよね。それを取り除けばなんでも音楽になり得るしほかの人がそれは音楽じゃないと言おうがそんなの関係ないのね。大抵そういうことを言う人は固定観念の古いタイプの人だからそういうのを真に受ける必要はないんだよね。まぁだからといって非音楽的なものをやれってことじゃなくて結果的にできたのが超ポップなもんであったりしてもいいのよ。アウトプットが良ければなんでもよし!ですよ。


ただ作家性を誇示したいという虚栄心から来るパクリとか盗作ってのは音楽的倒錯だからやめてくださいってことだよね。すごいのを持ってきて「俺が作ったんだ!」って言いたいってまさに自己顕示欲だもんね。盗作の心理ってまさにそれなんだよね。だからそういう作家が前に出たいみたいなそういうのはマジでいらないからただ自分は音を作る/再構築するただのフィルターだぐらいの考えでいいのよね。それでどんどん音を開放していけばいいのよ。まぁその結果、あえてやるフォーマリズムとかはありだけどね。そこであえてイージーリスニングやるとか王道のロックやるとかはすげーアリだよね。そういうメタ性こそplunderphonics的なわけじゃん?


って感じで最後はOswaldのを貼って終わりにするか。



まぁあれだね、別にアンチ作曲ってわけじゃないんだけど従来の堅苦しい作曲とか打ち込みとか打ち込まなきゃいけないみたいな観念からの解放とinquiryっつーのかな?まぁ作曲なんて大げさなこと言ってますけどまぁこういうことですよね?的なネタばらしっつーのかな?時代はとっくにアーカイヴ化の時代なのに作る人の観念がまだ追いついてない感じだよね。まぁんで今回色々と書いたように優れた音楽家ってのはそういうのを自家薬籠中の物としてるってことね。観念的に自明でその上でやっているんだよね。ってことでまた気が向いたら音楽関係書くかも。んじゃまた。