ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/Rockstaによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

音で好運を掴む!みたいな感じで。

あ、なんかさ、ソニーシャーロックとかAgataを目指す!って書いたけど別にギタープロパーになろうとしてるわけじゃなくて身体性の一環としてやるってことね。そこは完全に中国拳法とかと同じで生活の中に組み込むものとしてやり続けるってことなんだけどまぁでも結局今はブラックメタルやってるから単純にギターで欲しい音を自分で作れればそれに越したことはないしそれをやるのにそこまで高等な技術は必要とされないからね。だからあくまでツールなんだよね。肝心なのは音なんだよね。そこは真面目なの。逆にそこがクソだともうどうにもならんよね。大したもん作ってないのにやり続ける音楽ほど惨めなもんはないわけでそういうのはやるつもりないんだよね。そこを甘やかすと完全に人生として詰むからね。


客観的に見れば何がやりたいんだかさっぱりわからないような音楽をやってても本人の中でそれが満足のいくアウトプットで作りたいものを完全に具現化できてたらそれはもう達成されてるんだよね。そういう意味で後のことはどうでもいいんだよね。だから全然そこは気にしなくてオッケーなんだよね。最悪なのは「やってます!」っつって惰性でクソみたいなのを作り続けるという最悪なダサい活動だからそれだけは絶対避けたいよね。そこを常に自己批判するっつーかさ、こんなもんアップロードして自分が惨めにならないか?っていう基準がそこだよね。そういうのを本当に最近色々と考えている中で重要な点ってのが明確になってきてやるべきこととやりたいことと作りたいものってのがより明確になってきてる感じだね。


あとまぁなんだろうね、ギターの演奏とか楽理とかにもこだわってみる!みたいなのは本当に趣味的なもんで、ただシンセサイザーとしての音源としてのギターってのを活用したいってのは真面目にやってる音のほうで使いたいってことでだからまぁどの道、ある程度弾けるに越したことないってことになるんだよね。まさに中国拳法と同じなんですよ。別にそれで大会に出るとか名をはせるとかじゃなくて自分のためにやるんだけどでも結果的に運動不足が解消されたり良いカロリー消費になったり精神的にも良いってことでだからまぁやるに越したことないって感じなんだよね。でも見せるもんじゃないし見せようとも思わないしね、そこはギター然りなんだよね。というかそういうギターの方面には全く興味ないんだよね。


でも趣味としては普通のヘビメタの曲とか弾けるようになったら楽しいしロックも弾くっていうところから研究してみるってのはアリだな!っていう文化に触れる触媒としてのギターってのがあるんだよね。それが上手いこと今の自分の身体性と精神みたいなところとタオとかブラックメタル繋がりでのサタニズムみたいなところとかとも繋がっててまぁそれが前にも書いたように凄く統合されたという感じがしてるっていうことなんだよね。ギター練習とかRocksmithをやるってことがエンタメにもなっていてなおかつサウンドジェネレーターとして音のほうにも活用できるっていう実利性があるっていうさ、そういう合理性だよね。


まぁでもこれってブラックメタルの流れがないとありえなかったしここまでカルチャーとしてのロックってのに興味を持つこともなかったからやっぱりまぁ今の流れありきなんだよね。なんかやることないからギターでもやるかって感じだったらこんな感じにならないしね。でもまぁあれだね、音のほうはなんつーか認知バイアスを徹底的に消すどころか音を聞いているときに変な話、すげー自分が嫌いなやつが出してる音ぐらいに考えるのがいいんだよね。自分で作ったとかって思うと「自分のもの」っていう認知バイアスがかかるじゃん?だからまぁすげー嫌いなやつが出してる音って考えても悔しいけどなかなか良いって思えるぐらいじゃないといけないよね。その基準をどう持つか?なんだよね。そうなってくると「まぁこんぐらいでいいだろう」ってのがそうじゃなくなってきて例えば数週間前に作ってて途中になってたやつを今聞くと「なんだこのゴミは!」っていう感じになって絶望するんだよね。こんなの作るぐらいなら死んだほうがマシだ!ぐらいに思えてきて精神的に辛くなってくるんだよね。んでその落ち込みにどう対処するか?というと音を改善するしかないってことになるんだよね。


で、うまくいったときに「これこれ!」って感じでテンション上がって気分が安定するっていうかね、まぁただなんか本当に予想以上にまじめにやってるから結構辛いかもしれないね。まぁずーっと音聞いてるからってのもあるんだろうけどやってないときに幻聴聞こえたりするしまぁ音に関してすさまじく敏感になってるってのはあるにせよ凄く精神的に不安定になるよね。決して楽しんでいるわけじゃなくて追求してるって感じだからね。だから思うようなのが作れなかったりどうすればいいかわからなくなると自分の無能さに絶望するんだよね。その繰り返しになってるわ。最近は。


なんかまぁ数学やってるときと同じかな。理解できるようになると「やるじゃん俺!」ってなるんだけどわからないと「俺ってバカなのか?」っていう悪循環ループが始まっちゃうんだよね。だからその悪いループから抜け出すには理解するしかない。だからまぁそれが没入とか積極性に繋がるんだけどただまぁ精神的には結構辛いよね。なかなか自己肯定ができないし理想が高すぎるから現状の自分とのギャップに苦しむことになるんだよね。まぁそれは音でもある程度は同じなんだよな。なんかだからまぁ最近は認識のレベルは上がったかもしれないけど「クリエイティビティが止まらない!」みたいなハイテンションな感じは無くなってきたかな。作るってことが当たり前になってきてそれが日課になってくると色々と思い浮かんだりやりたいことが増えるのがデフォルトになっちゃって逆に浮かばなかったりするとせいぜい頭を使うことか音楽ぐらいしか能がないし存在価値もないようなやつがそれすらもできないなんて生きてる意味ないじゃん!ってことになっちゃうんだよね。レゾンデトールみたいなのが無くなっちゃうってことだね。


まぁでもいいけどね。毎日取り組めるってこと自体が最高の幸福だと思うしね。だからそれに付随する辛さとか精神的に不安定になりがちみたいなこともまぁある意味代償というと変だけどさ、まぁそういう面もあるけど総合的に見てまぁそれは幸福なことだよねって思えればいいってことなんだよね。結局、誰かに認証されるとか「いいじゃん!」とかって言われるわけじゃないって環境の中でどう自己肯定をしていくのか?って結局、自分をある意味他者として見て自分という認知バイアスっていうか愛着っていうのをなくすってことだよね。自己愛を徹底的になくすってことなんだよね。でもそれは何かに献身的になるとかって意味ではなくてナルシシズムみたいなのを徹底的になくすってことなんだよね。それがまぁようは「自分がやったやつ」みたいなことに関する愛着を無くして徹底的にドライに見るってことだよね。それで他者として接してそれを肯定できればとりあえずは良いってことになるわけね。逆にでもそれがアルファでありオメガであるってことなんだよね。


何かに依拠したり他人や他のものに価値基準とか評価基準みたいなのを依存させるんじゃなくて自分の中に確固たる基準を築いてその厳しい基準をクリアできるということが自分の基準を満たすっていうことになるわけでそれが基本であってなおかつ最終的に行き着く場所でもあるよね。だから他なんてどうでもいいんだよね。そういう意味でまぁネットにアップロードするってのは「ただの置き場」ぐらいの感じでいいってことになるわけね。


そうなると色んな人に聞いてもらいたい!みたいなバカバカしい欲求とかは無くなってある意味で解放されるんだけどより志向性が内面に向かう分、それが結局自分を追い詰めるってことになって常に自己批判してるみたいな感じになるんだよね。行き過ぎると本当にパラノイアっぽくなるし。それがまぁようは辛さに繋がるってことなんだけどでもそれは思い描いたものを作るとか作れたときの幸福感っていう強度と不可分だからそれは強度に付きまとう辛さとかってことなんだよね。逆にそのぐらいの感じでやってないと達成感もないしただの惰性になるし音もどんどんクソみたいなもんになっていくんだよね。それがつまりは惨めさってことなんだよね。それだけは絶対いやだなって思うからどんだけ辛くても強度のためにそれはやっていきたいなって思うよね。あとはまぁ最近ずーっと読んでるバタイユの影響はでかいね。バタイユが「好運」と言うようなフォルトゥナをヴィルトゥによって獲得するというようなものは不安がないと得られないって言ってるんだよね。


不安の彼方に好運があるって言ってるんだけどそれはパラノイア的な不安というよりは極限の強度を求めようとする精神的な危うさからくる不安なんであってそれは何かに対して不安であるということよりも精神的に不安定であるというような静的な不安ではなくて動的な恒常的な不安を意味すると思うんだよね。だからそれは何かがクリアになれば解消されるといったような点と点が繋がって解決できるような不安なんではなくて恒常的に存在する抽象的な不安なんだよね。でもそれは取り除かれるべきものなんではなくて極限の強度と好運を求めるためには不可欠な絶対条件ってことなんだよね。だからそれは決して気持ちの良いものではないけど気持ちが良くないといって「良くないことだ」と判断するべきではなくて極限の強度と好運のための絶対条件なんだって考えるってことだよね。


あとは何も起こらないような生ぬるい日常よりかはよっぽど良いって考えるとかね、まぁつまりは自分を殺すような平凡な日常からの脱却だよね。それに関してもちろんアプローチは認識論的ではあるんだけどかなりまぁ神秘主義とか超越主義みたいなのは入ってるんだよね。だから今の自分がバタイユに共感したんだと思うんだけどね。で、まぁその神秘主義とか超越主義ってのがサタニズムにも繋がるどころかニーチェ的な思想がベースになっているサタニズムにおいてはむしろそのものっていうさ、実際にブラックメタルってものにもよるけどデュオニュソス的なモチーフとかあとまぁまさにL'Acephaleだよね。L'Acephaleがバタイユの秘密結社の名前を取ってブラックメタルのバンド名にしたというのもまさにこういうコンテキストにおいてのサタニズムというかブラックメタルなんだと思うよね。で、L'AcephaleのMarkus WolffってBlood Axisのライブなんかでも演奏しててまさにそこは繋がっている部分というかコンセプチュアルな部分はニーチェなんだよね。まぁ別にソースがあるわけじゃないんだけど俺は勝手にそう解釈してるんだけどね。


まぁそんな感じで。んじゃまた。