The Topos of Musicと変態の話。

esさんが薦めてくれたThe Topos of Musicを読み始めてるんだけど簡単な読書ノートを。というかまぁ予想通り音に関するカテゴライズ可能な数値や楽器の種類などを圏論とか代数とか解析を使って数学的に分析してるっつーかまぁそもそも数学をやると例えば音楽のように要素をばらすことができて数値化可能なものに関してはこの本みたいに厳密に一つ一つやっていかなくても大体「こんな感じだな」っていうのを頭で描けるようになるんだよね。


それもそのはずで数学ってのは普遍的な構造を表すものでそれは数学という言葉に語弊があるぐらいで数に関することっつーよりかは数や空間などを数値化する構造に関する学問っていう感じなんだよね。まぁもちろんカオスとかも扱えるから構造化しているものオンリーというわけではないし実験数学とかも可能だから構造に限った話ではないんだけどまぁとりわけ構造に強いっつーのかな?カテゴライズされているものの何番の何っていうカテゴリの何っていう数値がこの時間軸でこういう風に鳴っているということをグラフ化したりすると分かりやすいけど読んでて思ったのは厳密なカテゴリ化が無くてもある意味で不可知な意味での音として扱われる潜在性があるものに関しては鳴る可能性というのがあるわけで実質的に無限なんだよねといっても音として使えるものとか時間軸にしても違いの知覚が可能な時間じゃないと人間にとっては意味を成さないんだけどね。例えば0.00000001秒ではバイオリンの音が鳴っているけど0.00000002ではフルートの音に変わるということになるとこういう精度だともはやそれは楽器の音じゃなくてただの音波だよね。こうなるとまぁ大体サイン波になるっつーかここまで小さくしちゃうと音のテクスチャとかが無くなっちゃうよね。


だからそういう意味で何をもってバイオリンの音とするのか?というような知覚なんかも含めての音素ってことなんだよね。あ、でもあれだわ、そこはまぁ意味論の話でだいぶあとになってからディティールが出てくるらしいんでまだまだ先なんだけどまぁそんな感じだよね。まぁ音楽というよりかは音そのものと音楽という現象を考えればそりゃ数値化できるに決まってるよねっていうかコンポーズ可能ということは構造化が可能ということだしね、リアルタイムプロセッシングに関してはリアルタイムな部分が変数になっていたり偶然性の場合もまぁそこが関数になっているというだけで構造は構造だからね。ただなんだろうな、数学を直観的に理解できる人が「あ、それで言うとあれもそうなるな!」っていうことのオンパレードっていう感じだよね。あ、この本ね。ただまぁそれを一個一個書いていこうとは思わないんだけど頭の中はそうなってるんだよね。もちろん厳密に定義されることでより明らかになるということはあるんだけどまぁでも基盤が数学となるとそりゃあたりまえだけど基盤以上の数学が見つかるわけではないしまぁ数学の場合、数学そのものについての数学とかの場合、そこから導き出される定理とかってのが異次元にいざなうものだったりするけどまぁ言い方悪いけどっていうかディスじゃなくてあたりまえなんだけどまぁようは数学に還元するっていうことだよね。別に還元主義ということではなくてね、理詰めでやればこうなるよねっていうような数学的分析だよね。


ただそれだけだと別にまぁぶっちゃけどうってことないんだけどこの本が凄いのは扱えそうなものは大体考察してあるってことだよね。ただ数学的にこうでしたっていうことではなくそれとは別に哲学的な部分とか音楽というものが成り立つ関係性とか認識とかってのが扱われているっていうことだよね。その基盤として数学があったり数学的定式化みたいなのがあったりするっていうことだよね。言わば数学的分節化だよね。


まぁそんな感じなんだけど一気に話は変わって脚フェチの話になるけどこないだ久々に外に出てっつーかまぁいつもの病院ですけどね、女性の生足ヤバいよね。暖かくなってきたから露出が増えたのもあるんだけどまず普段囚人みたいな生活をしてるから女性を見かけるとそのまま襲いたくなるぐらいなんつーか勃起するという感じではなくて金玉から全身に「犯すのだ!」という指令が行きわたってる感じがするんだよね。まぁテストステロンが活発なんだと思うんだけど多分これって最近ずーっと色々作ってるからだと思うんだよね。頭が概念的になって感覚的なものが常に頭の中を支配していてなおかつその感覚と理性との間にいるみたいな感じで脳のそういう部分が刺激されてそれが恐ろしい性欲に繋がってるんじゃないかと思うんだよね。大体色々作れてたり思いつくときはとにかく性欲がすさまじいんだよね。そんな中で外に出たもんだからもう潜在的レイプ犯みたいなもんでしたよ(笑)なんか前はずーっと自分は草食系だって思ってたけど全然違うんだよね。とにかくヤリたくてしょうがない。まぁでもこれって健康な証拠だよね。本当の意味で完全な闇に覆われていてベクトルが死に向かってたりしたら性欲なんて無くなるだろうしね。


なんかもうさ、日本の女子って芸術的だよね。それだけで作品と言えるような造形的な美があるよね。それで俺好みのファッションだと家に飾りたくなるぐらいの衝動に駆られるよね。いや、一時はアメリカにいたころは日本人よりもアメリカンとかヨーロピアンだろうって思ったけどワールドワイドを経由しての日本の女子再発見みたいなさ、やっぱり圧倒的に可愛いよね。あとまぁ死ぬほどきれいな生足見たりするともう頭がおかしくなるんじゃないか?ってぐらいの気分になるよね。あ、んで昔の聖人だかでド変態なのがいてさ、性的妄想をマックスまでやりまくってそれで気がおかしくなるぐらいまで性欲を奮い立たせてそれを我慢するっていうようなのをやってたやつがいるんだけど我慢ってオナニーじゃなくて文字通りのキリスト教的なやせ我慢なんだけどさ、まぁこれって普通の変態より変態だよね(笑)どこがセイントなんだっていう。


あ、んで普段からエロネタっつーか大体まぁ高尚なことやってる以外はエロサイト見てるんだけどさ、エロサイトってわけじゃないんだけど結構まぁ変態について普通に書かれてるのを見かけたりして変態も市民権を得たなって感じがしたよね。


http://www.menscyzo.com/2014/01/post_7131.html


http://nikkan-spa.jp/118398


まぁ市民権は得てないか。ただまぁあれなんだよね、脚フェチって高IQとか芸術家に多いんだよね。いや、それもそのはずなんだよね。前にさんざんフェチについては書いたけどエロスの抽象度が高いんだよね。女性の裸というのはそれがそのままで別におっぱいとかみても興奮しないわけだよね。そうじゃない恥ずかしさとか普段見れない部分とかファッションの負の部分とかさ、ブーツ履いてるとお座敷の店に行けなくなるとか異臭騒ぎがあったとかそういうのを見るたびにすげー幸せな気分になるんだよね。いや、嫌いな人だけじゃないんですよ。通気性を捨ててまでファッション性を高めるとかそういうなんつーか女子力への健気な努力っつーのかな?夏とかでも造形的バランスを重視して通気性が最悪そうなハイカットのバッシュ履いてる子とかそのままその場で押し倒したくなるよね。その健気さとさ、「夏だから通気性がよいものを」ということを捨てて見栄えに全てを捧げてるその健気さがたまらないんだよね。いや、健気っつっても素朴って意味ではなくてそりゃただ男の視線を集めたいだけなんだけどそういうところも含めて愛おしいよね。種の保存の欲求ってのがそのままファッションに出ちゃってるっていうさ、色気ってそういうことじゃないですか?別にそれはセクシーなファッションに限ったことじゃないんだよね。造形的なテクスチャに全てを捧げるっていうようなまぁ本当に見栄えにおける音響派みたいなもんだよね(笑)


前に状況とファッションが合ってないということにも興奮するって書いたけど例えば山登りなのにブーツ履いてきちゃったとかね、寒いのに生足にタイツとスニーカーで来ちゃったとかそういうところだよね。で、それに興奮しつつ山登りをサポートしたり寒さをなんとかしてあげたりするっていうのがもうプレイの一種ですよね。まぁ俺ってニューヨークに行ってから性に開眼したと思うんですよね。あっちだとかわいい子を見て「ヒュー!たまんねえな!」とかって言い合うのがセクハラにあたらなかったりするからね。「クールだなー!」っつって褒めつつ笑顔を送るとかね、いやーそう思うとアメリカンも愛おしかったなぁ。結局なんつーか自分を高めつつ見た目も維持したりオシャレしたりするのってまぁ好きでやるということでもあるんだけど理想的なグレードの高い女の子に相手にされるレベルで居続けるとかそこまで到達してないといけないということなんだよね。こないだ書いた自分を高めるっていうのはそういうのも含んでるね(笑)だからもうニューヨークにいた時は金ないのにすげー洋服に金使ってたからなー。で、帰ってきてから一切着る機会がなくなって全く買わなくなってこのままじゃ普段着の自分が自分になってしまう!と思って最近は色々と買ってるんだけどやっぱ見た目って大事ですよね。


そもそもそれがなけりゃ女の子から相手にもされないわけでさ、まぁそれだけじゃないにせよまぁやっぱ重要だよね。特に俺のぐらいのグレードの顔だと重要なのが雰囲気イケメンにするっていうところなんだよね(笑)逆に雰囲気イケメンというところだとだいぶスケールは広いからね。色々となんとかすることでカバーできる範囲が広いからちょいブサメンからフツメンからちょいイケメンぐらいまで努力次第で平均値になるっつーかまぁ特に女子なんかそればっかやってるよね(笑)オシャレな服とメイク無くしたらただの田吾作みたいな子も多いわけで。まぁでもそういうのをカバーするために必死になるって生物として健気だよね。闇に目覚めてからというものより人間性とか善とか人として善くあることの重要性ってのを魂のレベルで感じていて、だからこそまぁこんなに敬虔なサタニストになったわけだけど面白いもんでそれが深くなればなるほど人間への愛が生まれるんだよね。


まぁそりゃ表層的なレベルでは嫌いだしあんまりかかわりあいたくないけどでもその反面で凄まじく愛おしく思えるようにもなるんだよね。愛憎というやつかな。まぁ根本は愛ですよね。そこはまぁキリスト教とかとあんま変わらないのかもね。そういう意味でまぁこないだ書いたようなナチズムとかヘイトを振りまくような類のノイズとかハードコアとかブラックメタルってのは最悪でやっぱり根本に愛が無いとダメだよね。それが深すぎるからこそ厭世的になってしまうというようなことだったりするわけでさ、根本的には求めるんだよね。まさにそれがサタニズムでありwiccaなんかでもやりたいようにやれ!ってのがモットーだからね。


やっぱり欲望は必要だよね。これが無いと生きていけないっつーか一気に自殺へのベクトルが高まっちゃうしね。なんか外に出てかわいい女子を見かけて思うのは観念的にはどうでもいいとかもう別に死んでもいいかなぐらいに思ってるんだけど第二の脳である金玉が「生きろ!やりまくれ!」って頭に指令してる感じがあってさ、そのパワーってのがテストステロンってことなんだろうね。これが創作意欲の根源でもあり性と生の肯定の源でもある。そういう意味で性欲ってすげー大事だなって思ったしエロい妄想は永遠に続けようと思うよね。まぁ儀式とかに関してはどうでもいいと思ってるけどなんか乱交ってサタニズムのイメージ強いじゃん?アイズワイドシャットとかでも秘教的な感じがあったり愛の渦とかでもヤギの頭が部屋に飾ってあったりするじゃん?まぁようは徹底的な生の肯定なんだよね。


まぁでも変態ってやっぱり妄想だけじゃ所詮は意味なくてやっぱり実践しないといけないんだよね。それこそ上のURLにもあったように腹壊したりしょっちゅう風邪になるぐらいじゃないとダメだよね(笑)まぁでも強度ってそういうことなんだと思うんだよね。マジで。なんつーかそこがまぁなんつーのかな、頭は理性で金玉は本能みたいなさ、その間にいないといけないんだよね。欲望を捨てるっていう生き方もあるけど完全にそれは俺の生き方じゃないしより欲望の重要性に気が付いているわけでいかに欲望するか?だよね。それをまさにdriveとするっていうことなんだよな。そういうところから総合的な意味で何がやりたいのか?とかどんな風になりたいのか?ってのが見えてくるわけだよね。その根源はやっぱり欲望だよね。そこはまぁ意図的に奮い立たせるぐらいの感じでいいと思うんだよね。アグレッシヴに攻めるっていう感じでね。絶対守りに入りたくはないよね。ホントに。そうなったら男として終わるしそれ以前に人間として終わると思うんだよね。茨の道でも俺は欲望し続けたいと思うね。それがdeath driveに対抗できる唯一の方法だよね。sex drive VS death driveだよね。エロスとタナトスみたいなもんか(笑)


まぁそんな感じでまたね。


あ、んで補足なんだけど「数学的分析」なんだけど言いたかったのは「数学的対応関係」ね。大体の構造があるものは数学で表現できるって意味で数学は自然の言語だみたいなガリレオだったかミケランジェロだったか忘れたけどそういう意味での対応ね。そもそもパラメーターとか構造とかってものを分析するとそれはおのずと数学的になってしまうわけで数学ってのは意識しなくても勝手にそれが形として介在してしまうんだよね。その様子が無理やりじゃなく自然な感じで成されてるってのがまぁこの本の第一印象ね。前半は良かったんで中盤後半に期待って感じですね。3割ぐらいはもう読み終えたので。