ブーツフェチとトポロジー。

覆われているもののエロスってのが物凄いわけだよね。いや、微々たる違いで一気に変わるんだよね。ブーツにしても夏用っつって指先が開いてるやつあるけどモノとして一気に崇高なブーツっていうフェティッシュなアイテムが便所スリッパ以下のものになり果てるよね。スニーカーにしても覆われてる感じのハイカットのやつが最高でスポーティーになればなるほどフェチ度は下がるよね。よりカジュアルになると普通に似合っている感じになっちゃってちょっと違和感があるぐらいゴツイぐらいのを華奢な子が履いてたりするとそのコントラストがたまらないんだよね。賢者モードでもまだ欲情していられるぐらい。


で、The Topos of Musicを読んでて数学的な感覚ってのが刺激されて思ったんだけどフェチズムってのは一種のトポロジーだよね。そもそもブーツなんてのはただの筒なわけでそれが脚を覆っているっていうだけで凄まじいフェティッシュな感じが出るってのはそのギャップなんだと思うんだよね。所詮ただの筒なのに美人の華奢な美脚がそれに覆われているというだけで別物と化すんだよね。でもそれこそトポロジカルに指先に穴が出来ただけで一気に価値が暴落するっていうさ、トポロジー的に言えばブーツの穴ってのは履き口一つでわっかでしょ。でも穴が二つになるとそれが空洞になっちゃうんだよね。つまりは覆われていないということになっちゃう。スニーカーにしても通気のための穴みたいなのがあればあるほどスポーティーな感じになるしよりカジュアルな靴っぽくなっちゃうよね。


そのブーツの履き口なり通気性が悪そうなスニーカーの穴を美人な女性の美脚によって埋められているというその現象自体がエロスなんだよね。フロイトだったかは靴フェチはあれを膣として見なすということで脚を入れるってことは挿入と同じことだみたいなことを言ってたけどそれは表層的だよね。そうなんじゃなくて覆われているということなんだよね。中出しがエロいのもまぁようは原理的には膣内で射精するからなんだけどそれも覆われているということだよね。穴が塞がれているというところにエロスの秘密がある。ブーツの中に入った美脚の発汗というのはそういう意味で射精と同じなんだよね。オーガズムの表象なんだよね。あれは。その汗というのと臭いというのと覆われているっていう密閉性ってのがセックスのエロさの要素に対応してるんだよね。で、実際は抽象化すればほぼ要素は同じかもしれないんだよね。ただまぁ確実に言えるのは穴が一つということだわな。


まぁこういうトポロジックな感覚って頭で図形を描く人とか頭で描いたものをぐんにゃり曲げたり頭で色々できる人にとってはあたりまえの感覚なんだよね。まぁエロスの要素を穴一つとするかどうかはともかくとしてトポロジックな感覚ってのはあるはずなんだよね。だからこそそういう抽象思考ができる人ほど性的倒錯である確率が高くなるんだよね。エロスを感じる要素というのが抽象化されている結果、当人にとってはそれにエロスを感じるからどうしようもないんだけど普通の感覚で言うと性的倒錯ということになるんだよね。


まぁでも理屈で言うとそうなるかな?みたいなところで直観的にエロスってのは感じるものだしエロスを感じてしまった結果、それが凄まじい体験になって一生治らないフェチズムになるわけだよね。だから実際は直観的なんだけどそれは数学でも直観的に知覚していたりするものでも理屈を述べれば結構複雑だったりするじゃん?エロスってのはそういうものだと思うんだよね。もちろんあとは羞恥的な感じとかよく言われるような禁忌を犯すというような侵犯だよね。ちなみに膣自体はそもそもそれがイデオロギーによるものだとしても恥部だと規定されているものだしそういう通念があるから処女でもない限りそれを犯すこと自体に禁忌を侵犯するようなエロスはないでしょ。


あ、ちなみに男に処女好きが多いのもまぁそういう根源的なエロスだよね。あとまぁ自分が独占できるっていうバイオロジカルな要素もあるとは思うんだけど、んでそのブーツで蒸れた脚ってのはまぁそりゃ多少足は臭うにしても常識の範囲内だと汗の臭いってことになるんだけどそのエロい形態を維持するために捧げられたものの結果としての常軌を逸した臭いというのはsacrificeっていう捧げるっていう感覚とその結果できてしまう見られたくない禁忌の部分としての恥部が増えるってことなんだよね。これがまぁ羞恥の感覚なんだけどもそれが自然であればあるほどいいんだよね。ようはその子が選択してそうなってこうなって恥部が増えてしまったということ自体にエロスがあるわけでそこに侵犯の余地ってのができるわけなんだよね。


まぁでもあれだね、それとまぁ材質の質感とかレザーの感じとかっていうところもあるからそれだけじゃないんだよねっていうかそんぐらい複雑なものででもそんな複雑なことを意識することなくでもエロスの要素としてそれを認識して欲情してるんだよね。それが本能ってやつなわけで。まぁあと覆い尽くすって感じだと類似するものはかなりあるよね。全身タイツとか覆い尽くすこと自体のエロスを追及するっていうのもあるしあとはまぁラテックスレザーみたいなやつの質感とかね、まぁラバーフェティッシュってやつだけどこれはどちらかと言えば質感の話で観念的なものはそんなに多くないんじゃないか?と思うよね。ブーツフェチとか靴フェチみたいなのにどのくらいそういった質感へのこだわりとかバイアスってのがあるのか?ってのは本当に個人差だと思うんだよね。


でも質感のほうにバイアスがある場合、ジェンダーを超える場合もあるみたいね(笑)別に男のやつでも質感が良ければそれでいいみたいな感じになっちゃうんだけどこれはある意味で上級者なのかな。やっぱり基本は性の対象っていうセックスっていう枠組みの中で成立しているものなんだけどマテリアルフェチになるとそれを超越しちゃうかもしくは超越っていうよりかは立脚点がそもそもセックス的なものじゃないかもしれないからね。それこそ耳フェチとかへそフェチとかテクスチャーとか形的な要素に傾けば傾くほど主がどうであるか?っていうのは飛ばしてそのへその質感そのものってことになるよね。純粋主義的であればあるほどそうなってしまう(笑)ただまぁこればかりは当事者じゃないから分からないしこれがまぁフェティシズム全般をなんとなく述べることはできるけどちゃんと述べられるのは自分のフェチズムとそれに近い周辺のものだけになっちゃうんだよね。そんぐらいまぁ欲情するっていう感覚自体がなかなか文字にできるものじゃないんだよね。


まぁでもあれかな、覆い尽くすって意味だとこないだ露出が増えて生足が見れるようになったって書いたけど別に露出自体には何にも興奮しないよね。むしろ覆われているほうがいいわけでさ、あ、んでギャップフェチってことになるとっていうか根強い支持者がいてかなり男でも好きなやつらが多いって意味でJCとかJKが寒いのに頑張って生足スカートを維持するっていう例のアレだよね。それを好むやつが多いってのは別に俺のこの維持しようとする健気さみたいなのと外の温度差と外見のギャップみたいなのに興奮するって感覚が別にそんなに特別なものじゃないってのが分かるよね。でもまぁネットのおかげでそういうのを好む男が実際に多いっていうことが分かってそれが一種のマーケティング的な戦略になってる感は否めないよね。バラエティとかでもアイドルとかが実は足が臭いみたいなのをカミングアウトするのが増えたってのも実は好きでかなりウケているとかかなり足フェチは多いらしいってことで潜在的な男性ファンを増やす戦略になってるんだよね。こうなってくると逆にハードコアな人たちにとっては肝心の羞恥っていう感覚がなくなっちゃってつまらないものになっちゃうんだよね。まぁでもそういうのがウケると構図が成り立つってことでコピーキャットが増えるよね。本当に。


あとあれ、学生自体に友達が全然いなかったアピールね。非リア充的な層をいかに獲得するか?とかそもそも世界が暗いからどちらかというと暗かったり暗部のほうをアピールしたほうが共感を得やすいっつってそれをマーケティング的にやってるやつね。でもこれはマジでやめたほうがいいよ。9割は健全でも1割ぐらいはマジで病んでてヤバいやついるし村崎百郎事件みたいな暗部だらけの人間ってのを演じてて実はリア充でしたとか完全なる勝ち組でしたとかって負け組から見ると凄まじい侮辱に見えるからね。ましてや精神系のことをネタにするなんてのは言語道断だよね。すげーセンシティブなことだからね。でもまぁ友達いないってのもいろんなレベルがあると思うけど本当に深刻な意味でいないって人もいるからそういう闇アピールみたいなのってほどほどにしないとダメだよね。あとはまぁそれが本当だったら問題ないけど普通にリア充のやつが非リア充が増えてるからっつーんで人気取りでそういうのやろうとするってのはマジで危ないよね。表層的な暗部ならともかくディープなところにはマジな人がいるしそういうのをネタにされて良いと思わない人もいるでしょう。


あ、これなんだよね。俺が普段から最近ディスってる闇のふりして実際は全然闇でも何でもないスタイルとかファッションだけのブラックメタルとかダークアンビエントね。いや、前にも書いたようにメタルとかメジャーなブラックメタルのレベルだったらいいんですよ。それはもう伝統だし元々はスタイルとして黒魔術だのサタニズムだのってのをモチーフにするみたいな形式があるわけだからさ、それはそれでいいんだけどアングラぶって実はアングラじゃないっていうファッションアングラが多いよね。それってある程度アングラってのが市民権を得たからなのとあとはまぁネットによって情報の集中化みたいなのがなくなって分散したおかげでいろんなところに目が行くようになったからアングラ系ってのもやっていけそうなニッチな産業になってたりするんだよね。そこでファッション的にやるやつらが多いんだよね。あ、別に日本ってことじゃなくて世界でね。んでも前にも書いたようにファシズム系とか右翼系ってのは思想的にまじなやつらが多くてしかもあんまうまくいってないギリシャとかロシアみたいな国に顕著だっつーのが本当の闇だなって思うんだけどさ、まぁそういう意味でマジだったらなんでもいいという話ではないんだけどただまぁ闇ってのはファッションで扱うもんじゃないよね。そんだけシリアスなもんなわけでさ、茶化したらいけないよね。


そういう意味でまぁすげー変な言い方になるけど本当の闇って本当の光と同じような感じである種聖なるものなんだよね。アンタッチャブルなものとか容易には扱えないものっていう意味でだけどね。別にご利益があるとかそんなことではなくてね。アラーキーだったか誰だったか忘れたけど死へのベクトルってのがあるからこそ生ってのが輝くってのはあるよね。メメントモリの奥義ってこれだよね。だからこそ結局コントラストとしてイキイキとした生を生きるということが必要になるわけなんだよね。で、それってのが言わば快楽原則に結び付くんだけどその根底にあるのって闇だったり死だったり死へのベクトルっていうタナトスだったりするんだよね。この辺は澁澤龍彦なんかがすげー色々書いてた気がするんだけどあんま読んでなかったから「なんかちょっと似てきてるな(笑)」とかって勝手に思って全集とかパラパラ読み始めてるんだけどね。


面白いよね。オカルトとか神秘主義とか黒魔術っつーのと俺がもともと持ってる快楽主義的な傾向ってのが類型として澁澤系みたいな感じになってきてるっていうさ、まぁ別に型にハマる必要はないんだけど、まぁでもそれ言い出すとそもそもバタイユなんて元々それだもんな。澁澤系っつーよりかはそういう意味ではバタイユ系だしもっと言えばもっと古いフランスのデカダン系とかさ、それこそボードレールとかランボーとかになるよね。澁澤龍彦ってまぁフランスかぶれなわけでああいう考えになったってのもまぁこういうフランスの伝統的な考え方のスタイルの一つっていうものの所産だよね。まぁそれにしてもやっぱり文学者として凄かったんだとは思うけどね。


まぁんでそういうわけでだからまぁなんつーんでしょうかね、トポロジーとブーツフェチとかが繋がるわけですよね(笑)死のベクトルがあるからこそエロスへの渇望とか強度そのものへの渇望ってのが増えるんだよね。それが結果的に生の強度をもたらすっていうことなんだよね。それは思想的にはショーペンハウエルとかがオリジンだったりするのかもしれないしまぁそれをより洗練化させたのがニーチェだったとしても、死の感覚ってのはやっぱりフランス的なさっき書いたボードレールとかランボーとかっていうあの辺だよね。あとまぁ近代寄りになるけどアルトーとかね。何気にこの辺は関連あるなーと思って色々読んでるんだよね。分量多くないしね。あとまぁサタニズム系のアカデミックな研究として名前が出てくるのよね。ランボーとかボードレールとかってのがね。それもそうだよね。サタニズムっつーよりかは悪徳という意味ではない悪とかさ、サド的な意味での悪徳と快楽と死みたいな感じとあと耽美性だよね。あれ?意外に俺ってあんなに苦手だと思ってた文学にちょっと入ってきてる?とかって思ったんだけどサタニズムからの色々な派生ってのはウェルカムだし文学もジャンルに加わればより高等遊民感が増すよね(笑)高等遊民と言えば文学だからなー。


ただでもまぁ純粋にそのエロスとタナトスとか闇とか実存ってのを考える上では文学って外せないんだよね。そこは哲学だけではなかなか扱いづらいものってのを文学では扱えたりするしドストエフスキーなんかもちょっと前に色々と読んでたんだよねっつっても研究本とかだけどね。やっぱ小説自体はもともと得意じゃないからなかなか読めないんだよね。


あ、んでこれこないだ途中まで書いて中断してたからまたちょっとフェチの話に戻るけどね、まずあれだね、穴が一つということとそれが女性の脚によって埋められているっていうことだよね。あとまぁそれと禁忌の発生と侵犯の可能性と性器の象徴みたいなことだよね。あ、んで書いたかもしれないけど繰り返すけど形が似ているからっていうことでそれは象徴とはならないよね。だから性器の象徴ってのには同意できないよね。そんなのただの図形的な話なんであってエロスってのはそんなところから来るものじゃないじゃん?あとまぁマテリアル系の話だけど脱ぎ捨てられたブーツってのはまぁ潜在的にまたその持ち主によってそのトポロジカルな意味での穴ってのが埋まるっていう可能性があるっていう意味で興奮する対象なんだけどまぁ物理的な臭いとかってのも当然あってそれがまた臭いフェチなのかどうか?みたいなところになってそれはまた個人の度合いの問題なんだけどでもまぁ多かれ少なかれそれが普段使われているものだからっていうところに興奮するんだと思うんだよね。


キンコメ高橋にしてもあんだけ制服持っててもやっぱり最近使われているっていうアウラみたいなのとそれ自体を盗むっていうスリリングな快感というのを一挙に性的な快楽として享受していたんだろうしさ、擁護するつもりはないしまぁそりゃ犯罪で窃盗だから問題外だけど性癖に関してはそこまでアブノーマルじゃないよね。こういう事件見て「ド変態だ!」っつー批判があるけど誰だって女性が身に着けたものに興奮するでしょう。よくまぁ漫画とかで描かれるのはパンティとかだけどさ、ディープなところに行けばまぁどんなものでも興奮する材料になるよね。違いはまぁ普段それを我慢してるか変態AVとか見てガス抜きしてるか実際やっちゃうかっていうところの差なんであって、ブーツフェチとかブルセラ全般のマニアとかも含めたら男の半分以上がなんかしらのフェチであると思うんだよね。


そもそもフェチ人間からするとなんもない普通のセックスに何の興奮をするんだ?っていう感じだからね。女性の裸自体に何のエロスも感じ無いもんね。着衣フェチってのもあるけど別にあれもまぁ青姦にしても生々しさとかそのままやっちゃった感ってまぁ服のままパンツだけおろしてやってるっていうそのプリミティブさがあるわけだよね。あとまぁ公共の場でやるということのスリルなんだけどこれもまぁ窃盗ではないにせよ見つかったらわいせつ罪だかになって捕まるっつー犯罪の案件だよね。だからまぁちょっと逸脱した変態な行為ということと犯罪って要素だけ見れば高橋と変わらないんだよね。まぁただ高橋にしてもマーシーにしても病的だから問題なんであってようは度合いでベクトルの問題ではないよね。同じようなベクトルを持った人間ってのは腐るほどいるわけで。それはフェチ系ビデオの豊富さとリリースの多さを見れば明らかだよね。あんだけシェアがあるぐらい愛好家がいるわけだからね。


あとまぁあれだよね、いや、こんなような話をママンにしたんだよね(笑)まぁここまで詳細じゃないにせよ「いや、男なんて潜在的にそういうもんでしょ」みたいな感じで言ったらママンの回答ってのが「まぁそれはそうだけどそれ言っちゃうと社会性とかの問題になるでしょ」っていうことでまさにようはこれに尽きるよね。ようはただの世間体でしょ。「うわー変態だ!」って言っておいて俺はノーマルだという防衛線を張るっていうのかな。ただ絶対アブノーマルな性癖をなんかしらの形で持ってたりするわけでさ、それがただ実際にやるという行為に発展しないだけで根は持ってるわけだよね。だからそこで「変態だ!」っていうのは本当にパフォーマティヴな言語の行為なんだよね。まぁ逆にあれだよね、脳筋の人たちのディスばっかになっちゃうけど体育会系の人たちとかってストレートな場合多いじゃん?まぁようは抽象度が低いんだよね。で、変態ってのは抽象度が高い。体育会系の人たちはスポーツ的にセックスを楽しむ感じがあるけど変態ってのは色々とこじらせてるから性的倒錯を楽しむわけだけどでも別に両方性欲ってことだし抽象度の問題だからね。別に抽象度の低い高いっていう程度自体に価値もないし高ければいいって話でもないしさ、そこはもう単純にそれ自体には何の価値基準も存在しないっていうただの本当にそのままの抽象度っていう問題だよね。


これで言うとフェティシズムとかって結局は猟奇殺人とかにも繋がるんだよね。この辺はコリン・ウィルソンの本を読んでて改めて思ったけどただのベクトルの問題なんだよね。佐川君みたいにそれが「食べたい」という欲求なのか「嗅ぎたい」ということなのか「着ているものにぶっかけたい」ということなのかさ、まぁその対象の違いで凄まじい差が出てくるんだけど根源は性欲だからね。だから何をもってアブノーマルとするのか?ってのは変な話、極めて恣意的なんだと思うんだよね。ちなみに俺は自分の性癖は昔から変わってなくて自分はド変態だと思ってたけどネットのおかげで色々と顕在化するようになって別にありふれたフェティストなんだなって分かったからね。ようはただのそういう情報の問題だよね。まぁでもさすがに食べるとか殺人が関わってくるとそりゃなかなかまぁ一緒くたにできないものではあるけどね。


ただでもやっぱりまぁその今話してるジェネラルな部分で言えば生と死って深い関わりがあってってのは当たり前でまぁようはそれはもう生ならぬ性自体が死と関係あると言っても過言じゃないんだよね。ネクロフィリアなんてのは典型的だけどあれもまぁ恐らく死体の質感フェチとかっていう領域があるんだろうけどノイズとかブラックメタルのアーティストでたまにガチで自殺しちゃう人がいるんだけど色々と調べるとやっぱり生前から死への憧憬みたいなのが半端じゃないんだよね。絶望しているとか生きててもしょうがないっていうニヒリズムもあるんだろうけど死自体が何か凄く象徴的な意味合いってのを持っていてそれがようはdriveするモーターみたいになるんだよね。これってまぁようはこないだ書いたsex driveとdeath driveと同じ話でまさにエロスとタナトスって話なんだよね。なんで本来は忌むべき死というのが何かをドライブするのことに繋がるのか?ってのはやっぱり人間の謎なんだと思うよねっつってもまぁサイコロジーでそれ系の専門的な研究調べれば理由があるんだろうけどね。


ただまぁあれなんですよね、闇にしろ死にしろ本来は忌むべきものっていうこと自体が実は自明ではないってことだよね。むしろニュートラルに考えるとそれそのものも別の他の現象なり概念とかと変わりなかったりあとはまぁ歴史的な産物の名残ってのはあるよね。昔は今ほど医療が発達してなかったからもっと死というのが身近にあったからこそ死というのを凄く忌むべきものとしてそれを象徴化したりとかさ、死に関わるものを縁起が悪いとか避けるべきものとしてまぁいわばタブー化させていたわけだよねっつっても死が身近なんでしょっちゅそれを見るわけだけどね。で、今は管理社会で徹底的に見ないようになってるじゃん?それってどうなの?って話だよね。


結局そういうのがリアリティの欠如を生む原因にもなるしリアリティの知覚というものを歪める結果になっちゃうよね。まぁ俺はギメル的な感じでっつーかメガテンのギメルを本当に尊敬していてoculus riftなんかは特に人間におけるリアリティの定義を変えるものだとすら過剰に期待をしているけどでもそれは現実がクソだからっていうことでのバーチャルへの逃避なんじゃなくてメタ的なバーチャルってことなんだよね。っていうのはそもそも深い絶望ってのはリアリティがないと無理でしょ。凄まじいリアリズムがあるからこそ存在自体の重さというのを必要以上に感じてしまうわけじゃん?で、サバイバルの作法としてバーチャルのオントロジーってのがあるんだよね。何も存在というのは人間が存在すると言い切れるものに限ったものではないっていうところで神秘主義とか形而上学にも踏み込めるようになるわけだし、かといっても安易なスピリチュアリズムとかに陥ることなくあくまでリアルに立脚した上でのバーチャルとか神秘主義っていう話なんだよね。


逆にまぁそういうちゃんとしたリアルへの立脚が無いとそれこそ巷で騒がれるようなAIが人間を支配するなんてこともまんざら嘘でもないってことになっちゃうよね。まぁようはリアル感覚と思考力って話だよね。人間として当然の部分があってのバーチャルって話だよね。まぁまとめると快楽然りってことなんですわな。道徳あっての快楽ね。性的倒錯然り。そこを飛ばすと一気にとんでもないことになるからね。まぁなんかブーツフェチとトポロジーっつーよりかはもっと大枠の話になっちゃったけどoculus rift的なものが現実に与える影響ってのは凄く興味深いよね。絶対に社会問題になるようなこととか増えるしああいうヘッドマウント型特有の病気とかも出てくるだろうしそういうところでリアルとバーチャルのオントロジーってのがより鮮明になる気がするんだよね。あ、ただまぁあれね、だから性的快楽というのもバーチャルでいいじゃないか!ってまぁそれはバーチャルでもいいんだけど最初にフェチズムでも書いたようにこれはやはりリアルに越したことは無いんでそこはまぁ工夫して快楽を増大させるべし!っていうことだよね。スピノザ的ヴァーチューですね(笑)


あ、もう終わろうと思ったけどフェチズムがなんでリアルじゃないといけないのか?っていうのは存在論的に凄く重要でそれがさっき書いたアウラっていうことなんだよね。欲情する対象が普段身に着けているとか生活の中で使われているっていうアウラなんだよね。で、それだけを取り出して臭いだけとかって売ってるやつあるけどああいうのは対象が無いただの物質的なものなわけでフェチズムは一切ないよねっつってもまぁ楽しみ方にもよるんだけど基本的に本当の興奮ってのはその一回性とかアウラにあると思うのね。こないだ買ったURLに出てくるブーツフェチの男がなんでデートコースまで綿密にプランニングするのか?ってまさにアウラを発生させるものなわけじゃん?まぁそれが半ば人工的にしてもデートして色々と歩かせるとかっていうのはまぁあくまで「自然」という範囲内にギリギリ入るよね。で、その時の状況とか気温とか天候とかっていう複雑系的な要素もすべて含んだ上での臭いなり状況なりっていうことでこれこそまさに一回性のアウラに他ならないよね。それを複製したところでどうにもならないからね。だから臭いだけ抽出しても何にもならない。


ブルセラとかにしても最初は興奮してもだんだん冷めるのはアウラの低下なんだと思うよねってのはさっき高橋の例で書いたけどそれそのもので良ければ何個か集めれば満足するはずなのにどんどん集めるってのはあれは収集癖のようにも見えるけど実はアウラを獲得しようとしてるんだよね。収集されたものってのはその結果なんであってそれはもう使われてないものなんだよね。だから使えるものを盗み続けるわけでしょ。そう思うと別になんら異常はないよね(笑)異常なことって理性的に考えるとちょっと観点を変えただけで意外に合理性があったり論理的だったりするんだよね(笑)まぁただ安易なレッテル張りってのは何も生み出さないからね。かといって別にフェチズムによる窃盗が正当化されるわけではないんだけどその窃盗とか痴漢にしてもその行為自体の違法性と性的逸脱ってのは別に考えなきゃいけないよね。で、まぁさんざん書いたようにその性的逸脱に関しては実際は別にそこまで逸脱してないってのが大半なんだよね。まぁむしろ完全にノーマルなんて人はいないでしょう。どっかしら別にそれが性的なことじゃなくてもおかしいはずだからね。それを隠さずに大っぴらにして生きていけるってのがまぁリベラル感覚ってやつだしそういうのを許容するリベラルな感覚ってのは必要だよね。抑圧はロクなものを生まないしだからこそ発散させるべきでそういう意味で快楽原則というのはそのまま人間原則になるわけなんだよね。


まぁそんな感じで若干まとまった感じで今日はこの辺で。