ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/Rockstaによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

例の「アブストラクトなもの」について。

基本的にどんな環境でも過去からフリーだって思ってひたすら欲望するってことに尽きるね。通俗的なサタニズムではなくて本当のサタニズムってのはこの根源的な欲望するということの重要さってのがキー概念でさ、例えばまぁなんでもいいんだけどね、過去になんかありましたとか今の俺の場合、色々とやってきちゃって慣れちゃって色々とつまらなくなりましたとかそれはまぁ事実だけどだけどso what?なんだよね。で、今は何がしたいんですか?とかどんなものを作りたいんですか?とか何が欲しいんですか?とかどんな人間になりたいんですか?ってことなんだよね。


過去に描いていたビジョンってのと現在思うビジョンに違いが出てくるのは当たり前だよね。昔のビジョンのままそれに向かって色々やるっていうのもまぁあるけど少なくとも俺の場合、それが合わなくなったんだよね。あと色々と知ることでビジョンに修正が必要になるっていうかあとはまぁリアリズムですよね。だからそういう意味で夢を思い描くみたいなことではなくてリアリズムに立脚した欲望に飲まれるということではなく成し遂げたいものとかたとえそれがくだらないことでもどうしてもやりたいとかやってみたいとか欲しいとかね、そういうのを成就していくしかないんだよね。


で、色々と成就した結果、またレベルが上がるじゃん?現在思い描くレベルでのことが達成できたら次ってことになるよね。でもそれはまず現在思い描くレベルでのことが達成できないとダメだし、まぁでも達成するってことはじゃあそっからどうすんの?っていう問題が出てきてそれは辛いんだけどね、まぁそこがビジョンをアップデートする辛さなんだよね。単純にレベルが上がった!とかってことではなくて上がったのはいいけど今までのやり方では満足しないとかそういうレベルのものは達成してしまったとかなんとか、そういう意味でじゃあ次は?ってことになるんだけどそんなに簡単じゃないんだよね。そこで次は?が分からなかったりするんだよね。俺は色々やって失敗ばかりしてきたとかじゃなくてそれなりに自分の尺度でやってきて色々と達成できているからこそ虚しさが訪れるんだよね。あと達成したっつっても別に分かりやすい形で何かがあるわけじゃないし「とりあえずできたかな」っていうそういう実感だけでそれが当たり前になるとそれに慣れるんだよね。だからこそより高次のものを求めるようになってっていうよりかは高次のものしか残らなくなるんだよね。


それはホント、最近奈落の底に居続けて本当に分かったことなんだよね。今はすげーfucked upしててダメになってるのではなく認識のステイトが上がった結果、色んなことが今まで通りにいかなくなって方法なり取り組むものなりを変えていくっつーかまぁ変えるってことではないんだけど惰性だったものがほとんど切られて残ってないんだよね。そこがまぁ最初に書いた過去からフリーってことなんだけどね。まぁもちろん過去あってのものだけど現時点で何を望むか?というのは過去に依存しないんだよね。今の時点で見えてきたものとか昔には思わなかったやりたいこととか欲するものだよね。それを新たに欲望するっていうことだよね。で、それに向かうという感じか。


でもこれはまぁまだ詳しく書ける段階ではないんだけど本当に魔術的思考というか論理とかを超えたっつっても神秘主義とかスピリチュアルっつーと安っぽくなるしニューエイジっぽくなっちゃうんだけどそうじゃない意味での本当の意味での秘術としてのオカルトっつーのかね?逆に論理と実証とか科学とかっていうパラダイムを絶対視すると見えなくなるものなんだよねっていうかデフォで常識でそうされているから元々見えないとされるものってのが多いんだよね。そういうところが凄く秘教的なんだよね。でもそれはメソッドとかで書けるものではなくある認識の段階があってそれによって見えてくるものとか分かるようになるものってのがあってそれは例えば秘教的だからレアで滅多にお目にかかることができないようなものって意味ではなくてモノ自体は簡単に手に入ったり読んだりすることができるんだけど理解ができないかあとは秘教的な理解が出来なくて表層的なものに留まっちゃうんだよね。でもリテラルな意味で読めばそうとしか思えないからそれはそうでしょうっていう話になるんだけどそこが認識のステイトによって全然違うものが見えてくるってことなんだよね。


でもそれは神通力を手に入れたとかそういうことではなく単純に認識のステイトの話なんだよね。でもhow to的にどうやれば上がるの?ということではなくなんとも言い表せないような偶然と必然ってのがあってそこに導かれるっていう感じだよね。でもそこに導かれるには凄まじく強く望んでないといけなくてでも分からないものを望むことはできないって思えるじゃん?そこが違うんだよね。それが導かれるっていうことなんだよね。でも受動的ではそれは絶対に到達しえないんだよね。だからこそめちゃめちゃ望む必要があってでもそれは凄まじくエゴイスティックなものなんだよね。人類のために!とか世界のために!ではなく徹底的に己のためなんだよね。結局、今の俺を見れば分かるようにそれがそのまま生存の方法ということになるんだよね。逆に望まないと生きられなくなってしまう。それが幸せかどうかは別としてまぁ凄いことだなとは思うんだよね。それをやってないと体がおかしくなるとか精神的に不調になってしまうというぐらい波動がそこに合っているっていうかチューニングしてるってのは凄いよね。


でもこれは本当に分裂病と全然差が無い世界だよね。理性を突き詰めたが故の狂気というのも狂気ってのはあくまで「理解しづらい」というものなだけで実際は狂ってるわけではなく凄まじく理性的なんだよね。理知的なんだよね。そういうところで「これはさすがにヤバいだろう」って歯止めをかけないってのがつまりは理性なんだよね。歯止めをかけるのが理性かと思いきや実際はそれに歯止めをかけようとするのが常識とか正常っていうようなイデオロギーなんだよね。そういう洗脳があるんだよね。いや、洗脳を解いて自由になるっていう段階にも色々あるんだよね。で、いかに常識っていうのが考えを縛っているか?ってことだよね。あ、んでここであれなんだよな、今までだと「まぁ必要な常識があるのは云うまでもないけどね」とかっていうそういう感じだよね。そんな自明なものはもはや意識にすら上らないということでいいんだよね。


あとそういう意味で中庸さみたいなベクトルを与えてしまう悪い意味でバランスとかハーモニーをもたらすようなものってのを排除するんだよね。「まぁでもそうなったらグダグダになっちゃうじゃん」とか「めちゃめちゃになるじゃん」っていうそういうコモンセンスな感じを無くすんだよね。なんだろう完全な共役不可能性っつーのかな。もう誰とも話が合わなくなるというぐらい異次元になってしまうということなんだよね。話を合わせることはできるけど根本の論理の部分では全くかみ合ってないっていうことが当たり前になっちゃうんだよね。そこを孤独と感じるかどうか?だよね。それはやっぱりギフトなんじゃないかと思うけどね。そこのギフトという感覚がまぁ凄く秘教的というかオカルト的なんだよね。もちろん自分で得たものではあるんだけど導かれたっていうやっぱりそれだけではないっていうことがあるってことなんだよね。


そういったものってのを自在にコントロールするってのが東洋とかだと神通力とか言われるもので西洋なんかだと魔術だの超能力とかって言われるものだったりするんだよね。まぁだからそういう意味で例えばタオなんかでも段階として神通力を得られるような次元があるとされるのもつまりはこういうところだよね。隠されたものが見えてくるようになるというレベルがあるってことだよね。別にそれはサタニズム云々というよりかは特に内面にフォーカスするような意味での宗教とか密教とかではほぼ共通してみられるような特殊な力なんだよね。でもそれは超能力ではなくてあくまで認識なんだよね。そういうのを行者なんかは荒行をしたりなんかして得ようとしたりとかまぁそれは古今東西色々ありますよね。でもそれは途中で下手すると死ぬようなレベルのもので生易しくないんだよね。かといっても確立された方法論があるわけでもないし別に苦行を行ってどうのってことではないんだけどただこの「苦」ということが凄く重要なファクターなんだってのには本当に気が付いたんだよね。


もう死ぬのではないか?というぐらいヤバい状態になると見えてくるものがあるとかずーっとそれで悶え苦しんでいるという状態から来る天啓だよね。でもそれはこれ以上ないんじゃないか?というぐらいの苦しみから得られるものなんだよね。でもそれは選んで苦しめるようなものではなく必然的にその苦しみの段階に導かれる必要があるんだよね。だから物理的にそういう状態を作ろうと思ってもそれはインスタントで全然意味ないんだよね。まぁでもそれで凄まじい苦痛の段階を経て次のレベルに行く・・・というよりかは常にその苦痛が付きまとうということだよね。逆に苦痛が付きまとわなくなったら恐らくそのレベルで終わるかそれ以上いけないってことなんだよね。そこに苦痛があるって言うこと自体が逆説的に凄まじい可能性を秘めているっていうことだし全くの無ってのは求めることも何をやっていいかも本当に分からないという状態だよね。


ようは0か1で1になればそれは足していけば100になるけど0だとどうしようもない。その0の状態がニヒルっていう無の状態だよね。で、苦痛の段階というのがこの0から1の移行なんじゃないか?と思ってるんだよね。脱皮する際に剥がれる皮ってのがそのままの皮で生皮を剥がされるような苦痛を味わうってことだよね。でもそれは0といっても今までが0ということではなくて異次元に行く場合、異次元に行く要素としてキーが無いわけでそのキーを手に入れるためにその苦痛を味わうことになるってことなんだよね。でもそれは凄く偶発的なもんで凄く注意深くしてないと逃しちゃったり得られなかったりするもので、だからこそ凄まじく強く求めるということが必要になるんだよね。


だからあれなんだよな、自己啓発的なメソッドとかってもしかしたら元がオカルトでただその有用なところだけが残って脱呪術化されたものが所謂そういうメソッドなんじゃないか?って思うよね。でもそうなると論理が変わっちゃうんだよね。秘術の凄く大事なところってのが無くなると形骸化するじゃん?だから自己啓発メソッドってのは開発され続けるしワークしない人にはワークしないんだよね。で、たまにワークする人がいるんだけど実はそれはサイエンスというよりかは凄くオカルト的な意味でのパワーってのを呪術的メソッドで得たってことになるんだよね。もちろん本人は気が付いてないんだけど。まぁ気が付く人もいるのかな。


だからまぁすげーそこがクリアになったんだよね。うまく行く場合とそうじゃない場合の違いとかね、それはもうパワーの違いなんだよね。ようはソウル自体のレベルなんだよね。逆に科学とかが無かった時代なんてのはそう考えるしかなかったとかそういうレベルで教義なりメソッドなりがあったんだけど実はそれが真実に近かったっていうね、科学的な意味で合理化されることで失う物凄い潜在性を持った秘教的なものってのはあって今の俺はそれがあるんだなってことが分かったってのが本当にヤバいなって思ってるんだけどでもなぜか精神が凄く不調なんだよねってのはまぁ最近書いてるけどね。だからまぁやっぱヤバい世界なんだとは思うけどね。でもなんかまぁあれなんだよな、心の安定みたいなのとは程遠いね。精神的な苦行という感じだよね。ようは安定を求めるベクトルだと絶対得られない世界観っつーのかな?そこがもうすでに「どうあるべきか?」ということに規定されてるんだよね。だからあんま色々と考えず日々安心して暮らすみたいなこないだも書いた小市民的生活を送るのか波乱万丈で精神的にも色々あるけど強度があって普通では到達できないような異次元に到達するのか?ってことだよね。でもなんかすげー危険な感じはしてて一瞬で狩られるみたいなさ、聖なるものではないんだよね。そこが明らかにダークなものなんだよね。だから使い方とか接し方を間違えると凄く害になるっていうね、あとまぁそういう意味で聖なるものって無いですね。隠れたものってのはあるけどね。


なんか分かったような言い方をしてるけど本当に「なんとなく」なんだよね。あと分かったらそれでオッケーっていうそういうもんじゃなくてずーっと追い求めるというもので凄まじいパワーと労力を必要とするんだよね。でも得られるものが凄く大きくなるんだよね。まぁそこはあとは実際に得られているのか?っていうところも含めてだよね。まぁただすぐ得られるわけじゃないしそういう意味で長期的な視野が必要なんだよね。ただでも得られて良かったというか分かってよかったな!ってのがあってね、まぁそこがこないだ書いたアブストラクトなことってことなんだけどね。で、なんでそれで生物学なのか?とか化学なのか?とかまぁそれがつまりは原理の追及ってことだから当たり前ってことになるんだよね。あとあくまで追い求めるのは科学的な厳密性があるオカルトだからね。オカルトだからっつって意味の分からない力の介在とか見えないパワーがあるとかそういうんじゃなくて見えないものを見ようとするっていう態度だよね。で、それは科学的態度から言えば除外されるようなものでそもそも検討されもしないっていうことなんだよね。


いや、この「検討されもしない」ということがシェイプするものってあるじゃないですか?で、まぁこれはやり過ぎると陰謀論みたいになっちゃうしあんまりこういうところは触れないけどよく世界を牛耳ってる連中がフリーメーソンに入ってるとか秘密結社があるとか悪魔主義者だとかって言われるけどある意味合ってるよねっていうかそういう世界の人はオカルト的なものにパワーがあるってのが分かってるんだよね。まぁジョブズなんかはニューエイジだったけどでもまぁとりあえずホーキングみたいな理性の果ての究極の唯物論みたいにはならないってことだよね。物理という現象と世界の在り方とか顕在化しているものってのは同じのようで実は違うっていうね、そこをなんでも物理とかに還元しちゃうっていうのがようは徹底的な唯物論だよね。でもまぁ還元できないと話にならないから科学的知識ってのは当然必要になるんだよね。その上で「それは違う」と言えるっていうか思えないといけないんだよね。まぁだからそういう意味でオカルトだけなんてのは問題外なんだよねっていうか俺の言うオカルトってのがもう全然違うんだよね。一般的なものと。というか元々のオカルトに近いと思うんだけどね。


まぁそんな感じですわ。んじゃまた。