知識欲により若干気分が復活気味。

データ消失のショックっつーよりまぁ前に散々書いたけどそれが引き起こす鬱とかショック状態ってのに永遠と引きずられる感じなんだよね。まぁこれって全般においてそうでさ、当たり前だけど調子が良くても何かいやなことがあるとそれ自体のダメージというよりかはそれがきっかけの気分の変調に全部持ってかれちゃうんだよね。で、そのときフォーカスしてたようなものにも興味が持てなくなったり、その興味が持てないっつー感覚が引きずられちゃって実はそんな好きじゃないのかも?って思ったりとかね、まぁこれがまさに気分障害というやつでしょうがないんだけどね。


あ、んで図書館行ってきたんですよね。っつーのも生化学のテキストとかがあまりに難しすぎるっつーかまだ早すぎたなって感じがしてさんざん書いてるけどまずは一般書とか啓蒙書みたいなのを読んでさらに興味を引き付けるってことが必要だなーと思って一旦返却してまた10冊ほどいろいろ借りてきたんだよね。で、その中にイアン・スチュアートの「数学で生命の謎を解く」ってやつがあるんだけどこれがまぁロマン溢れる内容でねー、ようはまぁ数理生物学ってのがジャンルとして確立されてますみたいなことなんだけどこれってロマンですよね。数理系で生命のすべてが分からなくても数理的なものが生命系のものに対応するってロマンですよね。もちろんこれは実験とか観察とか実際の研究なしに数理的な理論だけやってもしょうがないっつーかそれだとただのオナニーになるってことでもあるんだけどでも金子邦彦の「生命とは何か―複雑系生命科学へ」っつー本に書いてあったのは逆に実験どうのとかそれ自体の事象がどうのってことにフォーカスしすぎると局所的なことしかわからなくて全体像が見えなくなるってことだったんだけどそれはまさにそうだよね!って思ったんだよね。で、この本ではっつーかこの金子さんの本ではもちろん実験とかっつーことも当然含めたいろんなバランスが重要だみたいなことが書いてあってだからまぁなんつーのかね、理論物理学的な感じで生物学を見るってのもありだし方法論としてはあるけどでもまぁ実際のバイオの実験とか細かいふるまいとかっつーことも重要だよねってことなんだけどさ、ただまぁすごい誘惑があるよね。理論物理学的な感じで生命を研究できたら楽しいだろうな!っていうさ、でもまぁやっぱあくまで物理と化学と生物の三位一体ってのがある延長で数理生物学ってのもあるってことなわけでアルゴリズム的だったり計算科学的な感じのところだけでやってもどうにもならないってのはあるんだよね。


まぁでもこれはショートカットっつーか実際に生物と化学ってすげー分量あって大変なんだよね。それこそアミノ酸がどうのとかイオンがどうのとかっていうまぁ本当にそういうところねっつーかまぁ俺は高校行ってなかったから普通の高校生なら高校とかでちょっとやるような内容なんだろうけど俺は全くやってこなかったから完全に初心者モードなんだけどさ、まぁだからこそ面白い!って思えるところもあるんだけど実際にやりたいことを具体的に知ることができるようになるまで相当長い道のりになるなーって思ったんだよね。改めて。逆にこの物理と化学と生物っつー基礎ができてないとどうにもならないしこういう基礎なしで抽象化だけしたり複雑系的な観点から研究してもそれはどうにもならないよねっていうかただの希望的観測っつーのかな?まぁデフォの科学全般でそれは理論化するときにそうなりがちになるけどとりわけ生命とか生物なんてのは理論化したくなっちゃうよね。大雑把ななんかのパターンと類似しているからそこである法則が成り立つ的な一般化ね。でも実際は生命自体がすんげーファジーだからそんなすっきりとうまくはいかないんだよね。そうとは言いつつも凄く簡素にエレガントに記述できるのではないか?みたいなロマンが生まれるんだよね。


まぁ生物と化学はやるけどやっぱ興味あるのはこういうところなんだよなとは思ったよね。まぁもともとそりゃ数学が死ぬほど好きなわけだから当たり前なんだけどね。でもそこで数学だけではわからないダイナミズムを理解したいから最初は大変でもやっぱ生物と化学はやっておいたほうが今後のパースペクティブが広がると思うんだよね。ただまぁ予想以上に大変だよね。数学やってて物理もやるとかだとまぁ別に土壌が数学だからまぁあと金融工学なんかもそうだけど楽なんだよね。全部ある意味応用なんだけ生物と化学の場合、数学がどうのではない化学の仕組みとか生物の仕組みとか作用ってのがあってそれは法則がどうのっつーよりそれこそ化学反応っつーレベルでの現象としてそれがあるんだよね。まぁ当たり前なんだけどさ、ただこの辺やってたらいつ終わるの?って気がするぐらい膨大なんですよね。あとすぐやって頭に入るようなもんじゃないしまぁだから本当に忍耐が必要なんだよね。数学的ロマンの追求のために必要ぐらいな感じだよね。まぁそれで結果的に生物とか化学も死ぬほど好きになれればいいんだけどね。


あーんであと神経科学ですね。これもまぁほぼ医学みたいなジャンルだから医大生になったような感じでやらないとダメでなかなか大変だね。ようはどうどれが作用して意識というものが発生しているのか?みたいなジェネラルな話じゃなくてそれこそ神経関係のドクターになるような感じの意味でのディティールの知識が必要なんだよね。逆にまぁそういう知識がないとそれもまぁ希望観測的な悪い意味でのハードサイエンスではない哲学的思索になっちゃったりするんだよね。そこはまずやっぱ現象そのものを把握しなきゃいけないから何が分子のレベルで起こっているのか?っていう知識が必須でそういう意味でまぁ分子生物学とかってデフォのサイエンスなんだろうなとか思ったね。ただまぁこれも誘惑だけど量子論を使ってどうの・・・みたいなこともいろいろあって楽しげなんだけどなるべくそういう数理系にばっか寄らないでサイエンスとしての生物と化学をやらねばなと思ってる次第ですね。


数理系に寄りたくなるってのは自分の得意で好きなジャンルに引き寄せたいっていうただの実存だからね。それと客観的な事実ってのは関係ないからね。むしろ客観的事実を明らかにするうえで邪魔な認知バイアスだよね。まぁあとあれなんだよな、神経科学って意味だと根本的に鬱っつーと頭で何が起こってるのか?とかさ、まぁそれは鬱関係の本を読めばわかるしそういうところは分かってるけどあくまで局所的だからね。脳全体をわかってるわけじゃないからそれは鬱とか気分障害の理解とは言えないわけだよね。だからそういう意味でも脳自体を理解する必要があるなって思ったんだよねっていうか分子生物学とかやろうと思ったら逆にいろいろと深く掘り下げられるものが多くなるから神経科学ってのもその延長上だよね。


なんかまぁそんな感じでかなりリアルサイエンスに足を踏み込んでる感じだけどいろいろと楽しいですよね。まぁPCクラッシュして良かったかな。クラッシュしてなかったらこんなに本に意識が言ってなかっただろうし相変わらずゲームばっかやってただろうしってことでまぁ前に書いたようにこれをメッセージとして解釈するって意味でまぁ仮にPCを復旧してもPC依存みたいな生活からは抜け出さないと!っつーか数学やってたころみたいなストイックな感じで生物と化学に取り組もう!って思いましたよね。ほんと、PCってまぁゲームからゴシップからまとめサイトからエロまでずーっとやってられるもんね。あとまぁテレビ関係か。あとまぁゲームにしても別にそんなに見るわけじゃないけどプレイ動画だの格ゲーの対戦動画だのさ。基本的にコンテンツが無限だよね。それを自制できるほどの人間じゃないし楽で快楽的なものに流れちゃうよね。全くやったこともないようなわからない内容のもののテキストがあって片方で娯楽だらけのネットがあってどっち選ぶ?ってネットだよねそりゃ(笑)


そういう意味で自分の中で読書と成立してるのってそういうネット並みの娯楽性を持ってるもんでだからまぁそれは自分が得意な数学とか哲学っつージャンルのものばっかりになるんだよね。まぁなんつーか苦しい思いをしないからね。読んでて。まぁでも生物と化学は基礎は簡単だけど生化学とかになるとなかなかのハードコアだよねっつってもまぁ生物と化学の素養がなくていきなりやるから難しいんであって生物と化学の基礎抑えればあとは全部応用っつーかそういうもんの組み合わせだから数学とか物理の極北を考えたら自分程度の頭でもなんとかなるだろうなっていうのはあるよね。いやーアラン・コンヌのNoncommutative Geometry, Quantum Fields and Motivesとかさ、やっぱ物理の部分がイマイチなんだよね。俺の能力的にね。今でもquantum field系のことは興味あるしあきらめてはいないんだけどなんかんでこっからのリーマン予想とかになるとさすがにねー・・・っていうね(笑)あ、んでアラン・コンヌの本はPDFあるんで良かったら読んでみて。


http://www.alainconnes.org/en/downloads.php


あとまぁウィッテンとかね、ただまぁひも理論とかになるとあんだけややこしくて正しいかどうかわからないっていうところもあって余計にやる気なくすんだよね。いや、この次元ではよくても次元が多くなったらどうなんの?とかさ、あとまぁ単純に定式化できる部分だけが理論として成り立つように見えるんであって実際のところは人知を超えた計算量とか複雑性を持ったものってのがあるんだけどじゃあそれ自体をどうやって知ればいいのか?とかってことでもあったりさ、まぁそういう意味で理論物理学はロマンあるけどオカルトと紙一重なところがあるよね。まぁだから数理生物学なんかもそうなんだよね。数学だけやってても所詮はオカルトになるっつーかそれだけやっててもどうにもならないこととか見えないものとかさ、金子邦彦の本にも書いてあったけど仮にそこでエントロピーっつー概念が知られる前に生物学とか化学とかの概念の中で現代と同じぐらいの水準で計算できたり研究ができたりしてそれを記述しきったところでエントロピーという概念が出てくるか?って出てこないんだよね。だから数式云々とかではないものとしての現象としてのエントロピーっつーところがあってさ、そういう意味だとなんでも数式で記述できればなんでもわかるようになるって幻想なんだよね。


だからこそまぁなんつーか一般論みたいになっちゃうけど広いパースペクティブが必要なんだよね。数学のごり押しというのは数学者のロマンでしかないからね。まぁでもすぐれた数学者って広いパースペクティブを持ってていろんなもんからインスピレーションを受けていろいろと思いついたりする芸術家みたいなもんだからまぁ数学のごり押しをするなんてのは2流なんだけどね。まぁ才能ないからこそ所与のものとかで突き詰めれば力技でなんとかなるだろうとかって思っちゃうんだよね。まぁそういう意味でやっぱ数学も科学もセンスなんだよねー。元の地頭はもう無理でもセンスを磨くってことはできるからね。やっぱまぁそこですよね。まぁこうやっていろいろやってく中で地頭もどんどん良くなるって意味で別に現状だけを見て絶望する必要はないんだよね。


あ、あとあれなんだよね、サイエンス漬けではあるけど読んでなかったドゥルーズの「スピノザと表現の問題」を読んでるんだけど生きる気力が湧いてくる感じだよね。ネグリの野生のアノマリーと相通じるところがあってある意味で相互補完的かもしれないよね。まぁあと俺が今やってることってスピノザでいえばまさに知性改善だからね。んでもやっぱオントロジーのコアの部分をpotensiaとするところがかっこいいよなっていうか元祖ニーチェだよね。ニーチェスピノザのことを友だ!とかって言ってたのもうなづけるよね。ネグリマルチチュードっつーのもイデオロギー臭い左翼思想というよりかは元のスピノザに寄せて考えれば左翼云々関係なく存在自体があるということとそれが分化していくとか運動していくとかっていうダイナミズムとして考えられるよねっていうかまぁようは別にネグリみたいにゴリゴリのマルクス主義者じゃなくてもオントロジーとして解釈可能っていうかもともとがオントロジーでそこにマルクス主義とか左翼的flavorを入れるとネグリイデオロギーってことになるんだけど元のスピノザで言えばドゥルーズ的な千のプラトーとかさ、ガタリの闘争機械ということにしたってまぁ根源的にはオントロジーだもんね。ニヒリズムに寄せ過ぎかもしれないけど基本的にこういうニーチェ的というか力能的なものってのがドゥルーズとかガタリとかってベースになってるからね。だからやっぱ思想としてのパワーがあるんだと思うけどね。ネグリの野生のアノマリーにしても絶望しながら獄中で書かれたっつーのが逆説的に凄まじい力のあり方を論ずるスピノザ論ってのがまたロマンあるよね。あとまぁヨブのやつとかもいいんだよね。凄く。まぁただ根本的に絶望してるか絶望を経験してないと体感できないよね。こういうのって。そこがまぁやっぱ思想とのシンクロニシティっつーのかな。リア充に哲学が無理なのもそういう理由ですね(笑)


まぁそんな感じですね。んじゃまた。