方法論的図書館通い。

勝手にWindows10って騒動になってんのね。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160523-00000003-jct-sci


いや、もうホント一生許さないから。


ってことで今日のエントリーね。まぁこのクラッシュが関係あるわけだけど。


図書館通いってリタイアの定番らしいんだよね(笑)いや、まぁ方法論的に導入しようと思ったんだけど地元の図書館だとあと多分二か月もしないうちにめぼしい本は全部読んでしまいそうだからロマンがないんですよね。「うわー!こんなにいっぱいあるぜ!」っていうドーパミン大放出な感じを体感したいんだけど地元の図書館では無理なわけでっていうか別にぶっちゃけピンポイントでテキストとか買って調べればそりゃいいんだけど最近書いてる生活の中の刺激ってことですよね。で、まぁやっぱ本棚見るってそれだけで楽しいわけだよね。それは改めて思ったんだわ。でも本って圧倒的に買うほどではないってのが大半なんだよね。逆を言えばタダで読めるなら読みたい本はいっぱいあるわけね(笑)ようはサイエンスライターが書いたようなエッセイとかさ、知的エンターテイメント!みたいなのってまぁジャンクフードみたいなもんじゃん?別にまぁ学術書だけが価値があるというわけではないんだけどただまぁちゃんとしたものってことになるとテキストとか学術書が大半になっちゃってまぁそれでいいんだけど読み物としての楽しさみたいなのを感じたい!とかって思うわけだよね。


そういうわけでまぁ一旦レベルが高すぎたテキストは返却して一般書をいろいろと借りてきたんだけど普通に毎日テンション上がるっつーか楽しいんだよね。あ、んでさ、日内変動ってのがあってまぁ鬱の人って大体寝起きの6時間ぐらいは調子悪いんだわ。で、長年の俺のバッドなサイクルだとそれをなんとかしようとカフェインを取りまくったり簡単に刺激が得られるようなもので頭をなんとかしようとするっつーパターンで結局これが安易なジャンキー的な生活につながっちゃうんだよねっつーのがまぁとりあえずゲームやっておけばいいみたいな感じになるんだよね。あとまぁ調子悪いんであんま頭使わないことばっかやるようになってそれが習慣化しちゃうんだよね。実際は時間が経つと持ち直してくるんだけど惰性でそれまでやってたことをやり続けちゃったりして結局まぁ結構労力を必要とするようなことをやらなくなるんだよね。まぁ完全に最近はそういう感じだったんだよね。


で、まぁあれじゃん?やりたいことをやるために生物と化学とあと改めて必要だなって思ったのが物理ねっつっても電極がどうのとかっていうまぁそういう物理ね。つまんないから全然やってこなかったけど普通に必要なんだよねっていうかこんなにいろいろと必要だとはねーって感じだよね。で、こうなったらさ、ある意味まぁ救いのようなもんで楽しむ余地ができるよね。電気がどうのっつーことにしてもクソみたいな人生の中で少しは楽しめそうな要素ってのを発見してるわけでさ、それにまつわることをただ理解しようとするだけじゃなくて歴史だとかなんだとかってのも調べて楽しむってことなんだよね。それ言い出すと生物と化学と物性みたいな意味での物理っていろいろと楽しめそうな余地があるのと初学者だからこそ楽しめる期間ってあるじゃん?数学もまぁ最初はそうだよね。でもまぁそりゃ知識がついてくるとまぁそれでも面白いものもあるんだけど一般書ってまぁ大体ピタゴラスから現代数学までみたいなのが多いじゃん?で、そういうのは読みつくすんだけどすでに知ってるとか繰り返しになっちゃうんだよねって当たり前だけどね。


まぁそれでもそういうのを楽しめる期間ってのがあるわけで今は生物と化学と物性って意味での物理がそんな感じですよね。で、そうなったらまぁもう楽しむしかない!ってことでやっぱまぁ本棚を前にして「うわー読みたいのがいっぱいある!」っていう興奮を味わうってことですよね。読むというよりかはこの図書館なり本屋に行くまでのプロセスとかも含めて楽しむってことなんだよね。んでもまぁ本屋ってことになるとまぁ例のあれですよ、月十万とかっていうそういうパターンになっちゃうわけでさ、部屋にももう置けないしそれでもどんどん新ジャンルをディグっていったらキリないじゃん?で、まぁそこで図書館でしょ!ってことになったわけよねっていうかまぁその対象が科学だからそれはパブリックドメイン的に学ぶのがいいっつーこともあるんだけどね。


んでもまぁ地元の図書館ではすぐ終わりそうっつーかすでにもう何十冊って読んじゃってるから一瞬で終わっちゃうんだよね。そこを一瞬で終わらせないってのがすさまじい規模の図書館に出向くってことで調べたら横浜中央図書館ってのがなかなかヤバそうでさ、まぁ市民じゃないから利用できないんだけどさ(笑)まぁなんかそこはいろいろとなんとかできないかな?とかって感じで考えるのもいいよね。あとまぁどんな本があるのか?とかってのが分かるだけでもいいよね。で、まぁ借りるのは地元の図書館でリクエストするとかさ、あとまぁ買えばいい話だしってまぁそれで買うとまたキリないのか(笑)ただまぁ新ジャンル開拓のときのこのウキウキ感は野放しにするのはもったいないよね。あと地元の小さい図書館だけで考える必要はないよね。まぁそれ言い出すとでかい規模の図書館だったら数学なり哲学なり政治学なりっていうまぁすでにやってきているやつにしても別に買うほどじゃないけどタダなら読みたいって本はいくらでもあるだろうからいろいろとまたウキウキできる余地があるよねっつってもまぁそこでまたいろいろとやりすぎるとバラバラになっちゃうからまずはまぁ例の三つですけどね。


あとまぁ返さなきゃいけないから読まなきゃいけないっつー強制力もなかなか使えるよね。基本そこは貧乏性だから読まないで返すってことはしないんだよね。だからまぁ意外にこの本を借りるってのはかなり有効なんだなって思ったんだよね。あとまぁ外出の機会ですよね(笑)なんかうつ病のリハビリの方法論として図書館に通うなんてのもあるらしくてこの「図書館通い」ってのが結構一つのジャンルとして成立してそうな感じがして面白そうな世界だなって思ってるんだよね。まぁ途中で面倒になってやめちゃったとかでも別にいいからまずはやってみるってのはありかな?って思ってね。「明日図書館に行こう」と考えるだけでテンション上がるってのはなかなかいいと思うんだよね。そんぐらい日々楽しみがないっつーかいや、でもそこでまぁ最初に書いたリタイアの話なんだけどさ、図書館ってそういう退屈してるリタイアした人たちの巣窟でもあっていく場がなくて金があるわけでもなくてやることもなくて・・・っつってそこでダラダラと図書館で時間を潰すっていうなんかまぁthe last manな感じの人たちも結構いるらしいんだけどでもまぁぶっちゃけリタイアしたらそうなるよね。俺は別にリタイアしたつもりはないけどこういう老人とあんま変わらないもんな。


まぁ違いは知識欲があるんでダラダラとは過ごさないっつーのとまぁ強度を求めに行くみたいなところでバイタリティは違うんだけどでもまぁ向かおうとする動機づけとしては同じようなもんなんだよね。もう楽しみがないしかといっても別に引きこもってるわけじゃないんだけど特に行く場所も行きたい場所もないし昔の外出の定番といえばそりゃレコード屋か本屋だったんだけどまぁね、そこはあれだよね、あとまぁみみっちい話ではあるんだけど本屋で4000円してる本がマーケットプレイスで1000円で出てるとかってのが普通にあるから本屋に行って買いまくるってこと自体がもうできなくなっちゃってるってのはあるよね。ケチな話ではあるんだけども。その場でスマホでアマゾンの値段調べるとかやりたくないしね。


いや、でもまぁたまには外に出るってやっぱすげー重要でさ、でもまぁマジで行くところないですよね。だからまぁ行くところを作るしかないんだよね。で、まぁ図書館かな?って感じになったのね。借りて返すのとあとまぁ強制的な外出の必要性ってのが出てくるからメリハリがつくよね。まぁそれでもいろいろと読みつくしたりあとはもう専門的なことですよねってことになってまぁほかのジャンルみたいに洋書の専門書に行きつくってのはわかりきってるんだけどまぁそれに行くまでに今はnoviceとしていろいろと楽しめることがあるじゃん?そこだよね。逆に今しかないんだよね。いろいろとわかっちゃうとウキウキがなくなっちゃうからね。あ、まぁわかったらそりゃ高次のものに行くからいいんだけどこの駆け出し特有のウキウキ感ってあるじゃない?RPGの最初みたいなね、そういうのを楽しみつくしたいよねっていうか冷めた目で見れば「あ、まぁーそれもいいかもねー」ぐらいだけどまぁそこはなんか無駄にテンションあげて「楽しむぜ!」っつー雰囲気を作るっつーのかな?まぁ今は書かないけど実際まぁ生物っつーか遺伝子工学とかかなりヤバそうっていうかかなりハマれそうな気がしててさ、その景気づけもあるよね。


ほんと、数学の駆け出しのころなんてそれだけで生きていけたからね。他がいろいろとクソでも数学があるから関係ないんだよね。まぁ別に数学への情熱を失ったわけじゃないんだけどまぁいつも書くようにその辺の書店とか図書館に行って読みたい本があるっていうレベルではなくなっちゃうよね。だからまぁいつも書くようにネットで専門書を買って読むってのがデフォになっちゃってまぁそれがあって外に出なくなるよねっつーか専門化が進むとそうなるよね(笑)で、今は新ジャンルに関しては駆け出しだから外出できる機会があるってことで活用しようぜ!ってことになるんだよね。まぁあとあれだよね、本が増えだすとあれもこれもってやってるとまた部屋に入らなくなる・・・っていうスペースのことを考え出すからそれがまぁ結構な抑止になっちゃったりするんだよね。「まぁいっか」ってのが増えちゃう。そういう意味で図書館ならそれ気にしなくていいからね。


あとまぁやっぱ人生を有意義に過ごすってことですよね。それに尽きるよね。起きてパソコンやってゲームやってまた寝て・・・っていうそのサイクルはいかがなものか?ってことだよね。もちろんその中で本読んだりオーディオブック聞いたりっていうのはあるんだけどなんかすげー堕落してるっつーかメリハリがないっつーかさ、なんかそこでやっぱ精神の健全のためにも外出ってのを生活の中に介在させたいし別に物理的には情報を得るって意味で最終的に別にネットで買ったり読んだりするのと図書館に行って借りたり本屋に行って買ったりするってのも差はないにしてもやっぱそのプロセスだよね。それを楽しむって意味でそこはまぁ別にどの道一緒みたいには考えたくないよねっつーかそう考えるとつまらないからね。


あとまぁとりあえずやってみたらいいんじゃない?ってことだよね。で、まぁダメそうだったりっつーか思ったより楽しくなかったり面倒だったりすれば別にやめればいいわけだしね。ただなんかそのさ、結局なんでも合理化するとうちにいて大体なんでもネットで済ませるってことになるんだけどそういうところではないあえての無駄を楽しみたいみたいなのはあるよね。仮にまぁ横浜行くとして電車を待っている間の読書と家にいるときの読書って違うわけだしさ、やってることは同じ読書でも環境を変えるって大事だよね。だからまぁ図書館に行って勉強するって人も多いけどまぁそういうことだよね。家にいるとあらゆるものがグダグダになるからね。ネットのおかげでPCが万能になりすぎてそれでなんでも済んじゃうからそれに時間を費やすのが長くなっちゃうんだよね。でもそこで失われているのはアナログな感じでお勉強するとか活字に集中するっていうことだったりするんだよね。もちろんPCでも活字に集中はできるけど特にまぁ俺みたいにADHD的なものが重度だとしょっちゅういろいろと飛ぶからね。だからそれだけにフォーカスするというのが難しい。


で、今はPCできないじゃないですか?そのおかげで得たものってのがすげー大きいなって思ってるんだよねっていうかまぁ前にも書いたようにメッセージとして捉えるってやり方だとまぁ分岐点ぐらいに大げさに考えるんだよね。で、それがブレイクスルーをもたらしたのだ!みたいな感じにでっちあげるんだよね(笑)それが結果的に本当にブレイクスルーになったりするからね。まぁとやっぱ改めなきゃいけないなと思うのがさ、まぁ現代人なら大半の人がそうだろうけどまぁ特に用事もなくネットを適当に見て回ったり動画見たりっつーそういう時間だよね。そんなに長くないにしてもまとめると結構な時間になるよね。逆にそれがないとここまで本に集中できるのか!って話だしさ、PCできない!どうしよう!ってことになるからリソースを図書館に求めるしかない!みたいなダイナミズムも面白いしね。


まぁでもそういう意味で本当にリタイア老人の老後の生活設計みたいな感じではあるんだよね。別に何も成し遂げてないけど生きていかなきゃいけないって意味では大半のリタイア老人と一緒だし生きていかなきゃいけないからこそある程度の持続性を必要とするもんね。その場しのぎのことばっかやってるとまたすぐ実存の問題とか虚無感とかってことになっちゃうから長期的にそれがサイクルになってある程度健全な生活になるみたいなのを設計しないといけないよね。だからまぁあれか、ゲートボールやりましょうとか地域のコミュニティセンターに参加しましょうとかってことになるんだよね。老人は。まぁでもその老人にとってゲートボールってのが楽しいことではないんだけどまぁそれを通じて体を動かすとか他者と触れ合うっていうそういう意味合いだもんね。まぁ少なくともピンポイントの遺伝子ってところでは最高にホットなことではあるんだけど面白いところもあるけど無機質なところも多々ある化学の基礎だとか電流がどうのっていう物性物理だとかってのもさ、まぁゲートボールですよね。まぁやりたいことをやるために必要な知識だからやるんだけどでもまぁ何か見いだせれば楽しめそうだったり工夫して楽しむ余地ってのはいくらでも作れるよね。だからまぁそういう意味で老人のゲートボールだと思ってやればいいんだよね。別にそれ自体を死ぬほど好きになる必要はないってことだよね。


まぁでもやっぱ簡単に刺激が得られるものに依存しがちってのは本当に気を付けないといけないよね。まぁ結局あれだもんな、ダークソウルとかもなんであんなにハマるのか?ってすぐ死ぬからなんだよね(笑)何回やっても死ぬところでは死ぬから毎回「あー死んだ!」とかそれ自体はただのイライラの原因なんだけど逆に「死ななかった!」とか「ぎりぎりセーフ!」みたいなことも多いわけでそういうときにまぁドーパミンが出るっつーかさ、短絡的な快楽だよね。逆にまぁダークソウルぐらいしかなくてありがたいけどね。FPSもパターン決まってるし普通のRPGなんていろいろわかったら終わりだしっつってもまぁFPSもやっぱりヤバいんだけど基本的にまぁドラッグと一緒だよね。簡単に快楽が得られるっつーかその時に感じている不全感みたいなのがごまかせるって意味でまぁ例えばギャンブルとか買い物とかセックスとかっつーかセックスってまさにそれじゃん!って思うんだけどまぁそれはいいか(笑)まぁでも基本的に快楽を得るためにしても学問の場合、短絡的にならないからね。実際に今みたいに地味だったりつまらなくてもやらなきゃいけないことが出てきたりそこで工夫をしようとしたりっていうそれ自体に生活とか生きるっていうことが内包されてるよね。それがアクティビティになるっつーかさ、でも短絡的なボタンを押せばドーパミンが出るってものだとドラッグ的でそこに生活がなくなるんだよね。まぁジャンキーってことなんだけどね。


まぁでも何をもって健全とするかってのはわからないですよね。現象としては同じでもゲームで得る快楽と「うわー本がいっぱいある!」って感じたときに得る快楽とか幸福感と何が違うのか?って所詮はイデオロギーの問題かもしれないよね。本のほうが知的行為でなんとなくまぁ推奨されるからみたいなそんな理由かもしれないんだけどでもやっぱそうじゃない何かってのがあるよね。まぁその辺はすげーいろいろと考えるよね。まぁoculusなんだけどさ、いや、VRでしょ!ってVR推奨だったけど俺みたいな快楽ジャンキーの場合、リアルにクーロンズゲートに出てくる妄想機に電極つないでる亡者みたいになるわけだよね。まぁ行きつくところそうなっちゃうよね。ずーっとそこから動かないけどまぁVRでは面白いことが起きてるんだけどまぁ本当にただの快楽なんだよね。そこがやっぱ問題なんだよな。快楽はそれとしていいんだけど短絡的な快楽のみの生活になるということが人生自体の薄っぺらさにつながるんだよね。ようはより人生のクソゲー感が増しちゃうんだよね。SIMSっつーゲームでさ、アバターにVRマシンでゲームやらせるとすげーストレスが減って効果的なんだけどそのSIMSのアバターの人生ってのを見るとストレス感じたらVRで妻がいても妻もVRやってるみたいな異様な状態になるんだよね(笑)


それで大半の時間を過ごして年取って死ぬっていうそれってどうなの?ってことなんだよね。まぁでもあれだよね、ゲームにせよVRにせよ短絡的に快楽を得られるツールというのはどんどん増えるっつーか加速するよね。んでもまぁ前にすげー推奨してて言うのもなんだけどやっぱそうじゃないって気がしててやっぱり意味論なんだよね。まぁ難しい問題ではあるんだけどね。VRがオナニー的でセックスはコミュニケーション的で身体的で・・・って言っても別に快楽でしょ?ってところでは同じなんだけどさ、ただじゃあ全部VRでいいのか?っていうとそうじゃないよねーってところがあってさ、あーでもまぁあれなのか、ベンヤミン的な話になるのかやっぱ。仮にVRがすんげー進歩してバーチャルで世界旅行できるとかってのが体感として可能でもやっぱり実地に行くことが大事でしょってのはもはやアウラってことでしかないのかもしれないよね。まぁでもなんだろうな、PCがクラッシュしてPC漬けじゃなくなった結果、読書ぐらいしか楽しみがないってのとまぁその結果のウォール伝の更新ですよね(笑)いろいろと書く気になるのよね。PCできないから。


より本に時間と意識が行くってのとじゃあ図書館に行ってみるかっていう能動性とかさ、あとまぁこうやってウォール伝更新してるとかさ、まぁ全部PCのせいにするのはあれだけどPC漬けだとこうはならないからねー。まぁなんかただのスマホ依存とかゲーム依存じゃん!って話なんだけどさ(笑)まぁあれだよね、SNS依存だのメール依存だのなんだのっていうのもまぁ同じだよねっつーか便利なデジタル関係のもの自体全般が短絡的な中毒に結びついてるんだよねって自明すぎるけどね。まぁでも改めて思ったわホント。いや、こないだ衝動的に「わからん!返そう!」って思って図書館に行ってとりあえず生化学のテキストを返却しに行ったのもPCがクラッシュしたからだからね。でもまぁんで結果的にそれで借りた一般書が楽しくて結果的に快楽という意味でもただゲームやってるだけより多くの快楽を得られてたり有意義な知識を得られたりしてるんだよね。なんかだからこれもまぁ最近やってる別に成立しなかったらそれはそれでいいしやらないでいいけどまずやってみたら?っていう工夫だよね。まぁそういう意味での脱PCね。まぁそんなエクストリームにならなくてもいいんだけどさ、まぁでもせっかくのメッセージなんだし生活に反映させたいじゃん?まぁ結果的にPCない方が特に地道な努力を必要とするような基礎的なことをやるのには便利だしね。まぁそういう意味でなんつーか資格のために!とか受験のために!ってことでPC禁止!とかスマホ禁止!とかと同じような感じではあるんだよね。まぁあと逆にそんぐらいでやってないとリアルに進まないってのはあるよね。やること多すぎて。なんか普通だったらやろうと思わない分量だからね。分量が多くても領域が限られてたらいいけどしつこいようだけど生物と化学と物性関係の物理を徹底的に基礎からやるってやること多すぎなのよ。マジで。まぁ物理は初学者じゃないからいいんだけどさ、でもまぁどちらかと言えば完全に興味ない電流がどうのとかってのをやらなきゃいけないっていうまぁ所謂工学的なやつとかをやろうと思ったらかたやPCがあって娯楽だらけだったらまぁそりゃやらなくなるよねっていうね。


まぁなんかエネルギー的に数学やり始めのころぐらいのパワーを必要としてるからまぁちょうどいいんだよね。時期的にも。だからまぁ今回のことをイベント派生だと思ってそれを物語化したいんだよね(笑)サウンドのベルの分岐みたいな感じで結果的に行くはずがなかった図書館に行くことになりました的なね、そっから派生したダイナミズムにいかに力を持たせるか?だよね。それ自体を惰性を打破するようなものに自分設計する感じだよね。で、自分もそれに参加して体現するというね、なんかまぁそんな些細なことから・・・って思うぐらい大げさなぐらいのほうがおもしろいし効果あるよね。それでいろいろとなんとかなってきた感もあるしまぁそれでいいんじゃないかと思うよね。


あ、そろそろ終わるわ。んじゃまた。