迫りつつある外出デー。

原宿行くっつって行ってねーなと思いつつ外出デーは迫りつつあるね。まぁ病院ですけどね。でもまぁこの「外出」ってまた一つのジャンルなんだよねっていうか別に外出恐怖克服とかではない外出したいけど行く場所ないとか友達いないとかっていうのが結構一般的っつーか別に本人のステータスとか関係ないのね。何不自由なく暮らしててまぁまぁの仕事に就いてるとか普通に家庭持ってるとかなんだけど基本家と会社の往復とか子育てしてる人なんかでも基本子育てばっかになってコミュニケーション自体があんまりなくなるっていうかまぁようは忙しくなるってことだよねっていうかまぁそれ以外でもアラサー問題だと思うんだよね。これ。


いや、こないだBazookaで最近また調子の良いDOが出てた日本語ラップ講座ってのを見たんだけどっつーかBazookaはいつも見てるんだけどまたまぁ懐古っつーかノスタルジーになっちゃうけど証言がシスコで争奪戦が発生!っていうあの映像見るとウキウキするんですよね。俺はテクノだったけどシスコ通ってたしやっぱあの頃の渋谷の雰囲気って大好きでさ、いやっつーか外出て楽しかったからね。当時から引きこもりがちではあったけど基本的にレコード買うのは渋谷行くしかなかったしまぁ渋谷通いはずーっと続くんだけどね。まぁいつも書くけどテクノからクラブジャズとかフューチャージャズになってそっからまぁモンドとかになってマニュエラに通いだしたりしてんでまぁあと電子音楽系とか実験系を買うのに渋谷タワーか渋谷waveとかね、現代音楽もすげーあるしね。渋谷タワー。


なんつーかだから基本ただCDかレコード買うために外出てたっつーかそれ以外用事ないって意味では今と同じなんだけど今はそれがないし本屋すらも行かなくなっちゃったから出ようにも出れないよね。まぁ別にネットがなかった時代は良かったなんて言うつもりはないんだけど本当に精神の健全のためにもナンパするためにも外出の機会を作らないといけないじゃない?あとここ最近PC使えなくていろいろと考えててさ、散々VRだのなんだのって言ってた俺が街に出ようとするみたいなベクトルになってるってのがおもしろいよねって思ったんだよね。まぁ別にバーチャルの否定とかじゃないしリアルの肯定とかではなくてまぁ単純に生活圏を増やしていかないと詰むっていうか息苦しくなるんだよね。まぁ帰国してからはいろいろ大変なことがあったりあとまぁやっぱ数学あったからそれ一色だったからってのはあったんだけどそれがなくなってからっていうか数学あきらめたわけじゃないけど基本的になんかやっぱ堕落がここ数年で始まってるよね。ストイックさがなくなって短絡的にゲームやるようになったりいろいろと真剣に考えなくなったりさ、まぁでもあれよね、無駄なことに絶望してもしょうがないし思考力を割いてもしょうがないってのはその通りなんだけどでもやっぱ自分の人生とかオントロジーとかさ、まぁ読書中心の生活でそりゃいいかもしれないけどなんかつまんねーよなっつー実感はあるわけじゃん?でも別に外に出れば見つかるとかではないんだけどなんかまぁあれだよね、マンハッタンに居たころも引きこもりがちだったけどっつーかペルソナ4とか2週間家でないでやってたりしたからね(笑)


アメリカに行ってなにしてんだって話ですけどね、まぁでもそんな中でなんつーのかな?やっぱまぁ家にずーっといるってのが微妙になってくると外出たくなるよね。まぁ学校はそりゃ行ってるけど夏休みとか長いんですよ。で、死ぬほど暑いし外に出たくないんだけどまぁでもやっぱたまに出るのがいいっつーかさ、それはまぁ当時にもいろいろ書いてたけどね。やっぱ外に出るとかわいい子が目に入るから刺激になるとか今と同じようなこと書いてたと思うけどまぁあとあれだよね、なるべく外に出るようにしていつものイーストヴィレッジのスタバの「俺の席」ってのがあるんですよ。奥の死角なんですけどね。そこに行って永遠と読書ってのがパターンになってたのとまぁあとあれだよね、本屋もすぐ近くにあるしスニーカーなんか出てもスニーカー屋だらけだから何かと散財したりとかさまぁ別になんってことないんだけどcity lifeっつーかまぁ生活として成り立ってんのよね。


客観的にはただ読書してるのと意味のない散財をしてるだけなんだけどまぁでもそれでやってけるっつーサイクルなんだよね。精神的には健康なんだよねっつっても不可避の気分障害はあるんだけどまぁなんか別にだれと会うとかではないんだけどでもとりあえず外に出てグランデのアメリカーノ頼んで腹下しながら読書するっていうさ、まぁ腹下す必要はないんだけどそれで言うと今もまぁ変わらないからね。寝起きに特濃の抹茶飲んでさらにカフェイン錠飲んでそっからずーっと読書っていうさ、まぁそれで最悪のパターンの場合、永遠とゲームとくだらないネットサーフィンとかだったりするんだけどまぁ今はそれが読書になってよかったっつーかでも思うに2年ぶりぐらいじゃない?って思うんだよね。ここ数年本当に堕落してたと思うんだよね。まぁ学問系がある程度落ち着いたってのはあるんだけどさ、あ、でもまぁあれか金融工学とかはヤバいハマり方してたからそれは良かったかな。偏微分とか確率論の知識とかだいぶついたしあとまぁやっぱ一般書だよね。ウォールストリートで何が起こったのか?とか金融の歴史とか今の金融のヤバさとかさ、まぁそうね、ゲームばっかやってたわけじゃないよね。ただ知識って別に実感しないからね。いろいろと知ればそれが当たり前になるわけで別にそれで何かが起こるわけでもなく依然として生き続けなきゃいけないからさ、まぁそれでやっぱ専門性を身に着けるぐらいがっつりやるってのもあるけど俺にはそれは無理だからさ、関心がいろいろなところに行っちゃうからさ、まぁだからそれはいいんだよね。


まぁだから金融工学以来なんじゃないですか?今の生物学と化学と物性物理ってのは。まぁー金融工学はちょうどまぁあれかな3月とか4月とかにやり始めてそっからもう年末までずーっとやってたよね。んである程度いろいろと読んだ後にウィルモットの例のボックスセットあるじゃん?あれのvolume2ぐらいまで読んだ後どうなったんだっけな?そっからあれか、解析の知識がイマイチだってことでデュドネの解析のやつを頭から読み直したんだっけな。あとまぁマンデルブロフラクタルのやつとかだよね。あとまぁ確率過程か。コルモゴロフとかマルチンゲールとかんで結局なんで読んでないのか?ってのがイマイチ覚えてないんだけどまぁでも基本頭使いながら毎日それで時間が過ぎていくってのはいいですよね。有意義ですよ。


まぁ今もだからそうなりつつあっていいんじゃないですか?って思うんだよね。ただもうなんか本当にロングランで考えていかなきゃなっていうか今はまた例によって駆け出しでウキウキしながらやってるけど持続性はわからないからね。まぁ相当時間はかかるけど逆にそれだけになっちゃってもなんかでいやになったときとか危ないしさ、だからなんかやっぱそれだけじゃない何かってのは作るべきなんだよね。で、まぁそれが今まではゲームだったけどゲームも本当にヤバいなってのは最近書いてるようにさ、あ、例の日内変動の話も含めてごまかしとか逃げも含めてハマりやすいんだよね。まぁでも大体いろんなのやってても飽きてるっつーか新作出ても大体まぁバイオ系かFPSかスカイリムかダークソウルか?みたいな感じじゃん?まぁそれ以外にもあるけどさ、自分がやりそうなのってもう飽きてるのよね。フォーマットに。


だからまぁそういう意味でも娯楽とか気晴らし作らないといけないんだよねー。まぁ逆にまたレコード掘り出すとかでもいいんだけどさ、あ、良くないか。情熱ないもんな。ぶっちゃけモンド系とかって大体聞けちゃうからね。ネットで。それ以外だともうレコードへのフェティシズム以外ないわけでそういうフェティッシュな消費ってのはやめようってだいぶ昔に思ったわけだしまぁそういうフェティシズムは女性の脚とかそっちに行くべきだからナンパするべきなんだよね(笑)でもまぁ物騒だよね。本当に。例のアイドルめった刺しね。なんかでもマジでナンパにしてもっていうかまぁ俺がめった刺しにしそうなタイプに見えるかどうか?って話もあるんだけど基本的にまぁネガティブなことが多いっていうか事件だのストーカーだのもめごとだのっつーんでまぁ昔のようにはいかないかもねっていうかその肝心の昔が分からないわけだけど(笑)まぁそこはネタがとっくになくなってるウォール伝へのネタ投下ってのを芸人的に体を張ってやるっていうコンテンツでいいとは思うんだけどね。


でもまぁ個人ブログの衰退とかって言われるけどそりゃ書くことなくなるよな(笑)特に内容が特化してればその特化してることに関することなんて書き尽くすだろうしさ、あとまぁ学生時代に学校のこととかも踏まえつつ自分が書けるジャンルでいろいろと書くっつーのもその人が卒業して就職したとかってなるとまぁ状況も変わるし学生時代のころのようにはいかなくなるからブログの形態が変わるかまぁあと書かなくなるよね。まぁでもウォール伝ってそういう意味で別に書くことなくても被害妄想でもネガティブなことでもポジティブなことでも書いてりゃいいわけでそういうのは気にしなくていいし別に就職することもないわけだし(笑)それはそれでいいんだけど基本的に自分にとってウォール伝のネタがなくなるってそのまま人生のネタがなくなるってことなんだよね。逆にまぁ人生のネタがあればそれ書いてればいいから結果的にウォール伝も続くってことになるんだよね。だからこのネタってのがすげー重要なんだよね。それは何かについて書けることを探すんではなくて「こんなことがあったのよー」とか「こんな風に思ったんだよねー」とかっていう考えがいろいろと浮かぶような事柄とかそういうことが起こるっていう生活の中で退屈せずに生きるってことだからね。だからまぁそれがつまりは生きるってことになるわけよね。


図書館通いもただ図書館行っただけなんだけど普段刺激がないからちょっと違う環境に行くだけでなんかまたいろいろと考えたり思ったり感じたりするじゃん?マンハッタンのころに「久々に外出たんだけど」みたいな感じでまぁ外に出ると大体なんかあったからね。まぁあと場所がマンハッタンってのがあって楽しいとか物珍しいってのはあったにせよ別に場がマンハッタンじゃなくてもそういうのがないとつまらないよね。まぁでもそうなるとあれなんだよな、「図書館行ってきました!」っつって「これがラスボスのいる中央図書館です!」とかっつって写真とかアップしたりなんかしてまぁ本当にどうでもいい生活を綴る感じになるよね(笑)図書館行ってきただけじゃん?っていうまぁそれでいちいち大騒ぎするってのが楽しくもあるとは思うんだけどまぁでも書くことないから飯の画像とかアップしたくなるブロガーの気持ちも分からなくもなくなって来たよね最近は(笑)ネタがなくなるとそりゃちょっと日常とは違う旅行とか特殊な飯とかそういう風になるよね。で、そういう風になると別にブログである必要がなくなってだからまぁツイッターとかに「飯ナウ」みたいな感じでそれで済むからそっちに行くってことになるんだよね。もともといろいろと書いてた人も書くことがなくなって「飯ナウ」ぐらいしかいうことがなくなった結果、ツイッターとかで済むようになっちゃうからそっちに移行するってのはあるよね。


でもまぁ今の俺って完全にそうなりつつあるよね。「明日図書館行きます」っつーどうでもいい報告とか「原宿ナウ」とかっていう本当にツイッター民みたいなことをやりだしつつあるよね(笑)でもそう思うとなんで明日図書館に行くとかっていうようなどうでもいいことを誰かに報告しないといけないのかね?ってことだよね。何を期待してるのか?って話だよね。それに「いいね!」がつくとか明日図書館に行くとか美容院ナウとかってののなにが「いい」のかさっぱりわからないよね。まぁ別にいいんだけどね。そういう時代なんだし無害だし。ただでもまぁ冗談抜きにしてウォール伝っつーよりかは人生のコンテンツが必要なのは間違いないんだよね。あとまぁ良い年齢になったから今までそれでやれてたことを消費しつくしちゃうとか飽きちゃうとか慣れちゃってもう無理とか楽しめなくなってるとかっていうそういうのはあるよね。だからまぁ設計が必要になるんだよね。でもそこでんじゃあ設計っつってそれが消費なのか?って話じゃん?外に出ないのに洋服買って何になるの?って話だし相変わらずたまにスニーカー買っちゃうけど外に出ないから履かないしね(笑)


引きこもりなのに「今日のコーデです!でも外出ません!」っつってコーデだけアップするとか面白そうだなーとは思ったけどこれこそまさに図書館行きます!以上にどうでもいいことだよなとか思ってボツですよね(笑)あ、あと思い出すのもいやなんだけどさ、データが消えたSMKなんだけどデータが消えてモチベーションが下がったっつーのもあるけどシリアスにもうやることないし全然浮かばないのとあとまぁパターン化しちゃってるよね。大体同じ感じになってきてるからまぁなんか似たようなののいろんなバージョンができるだけでつまらないよね。まぁあと本当に浮かんだのを作ってるだけだからまぁあれ以上でもあれ以下でもないんだよね。本当に原寸大っつーかね、デモ音源とかじゃなくてあれが100パーですよね。まぁでも別にSMKで作るのがなくなったっつっても相変わらずサタニストだしブラックメタルとかもはや関係なくなってるよね。そこはまぁすげー重要なところだよね。っつーか真面目なサタニストになればなるほど大半のブラックメタルでやられてるモチーフってただのファッションだから興味なくなるよね。どんだけ真面目にやってんのか?ってガチの悪魔主義者とかまぁそりゃ当然だけど多くないからね。中二病こじらせたようなのばっかでつまらないんだよね。まぁでもだからといってSMKが終わるわけじゃなくてむしろ作ってる中でだんだんスタイルが出てきてっつーかまぁ似たようなもんばっかになっちゃってるけどまぁ自分なりの音の世界観っつーのはできたよね。それはブラックメタルで始まったわけでまぁやっぱだからクソなのが大半とはいえやっぱりブラックメタル的なものってのは重要だよね。


そうだよねー。SMKは何気に本当に年明けからずーっとやっててまぁリアルな話今は落ち着いちゃったって感じだよね。まぁそんだけ集中してやってたからあんだけできたわけでまぁそれはいいんじゃないかと思うけどまぁそれでひと段落しちゃって終わっちゃうからまたつまらなくなるんだよね。かといっても作り続けるというほどアイデアがあるわけでもないしね。まぁとりあえず消えたやつに関しては気が向いたら復元するけどまぁなんかどうでもよくなってるってのはあるよね。今までアップしたのとまた似たような感じのやつだし。あーなんかやりてーなーと思いつつまぁこんな感じでやってるんだけどすぐ終わっちゃうんだよねー。困ったもんだよ本当に。まぁただなんか作ってるときとかやってるときみたいな時のドーパミンどぴゅどぴゅな感じの高揚感に依存しててそれがデフォになっちゃうから何もない日常に耐えられなくなってるってのはあるから逆にそこはマイルドにしていかないと人生生きてけねーぜ?ってのはあるよね。そんなに常にワクワクするようなことがあるわけじゃないわけだしさ、いや、それ逆に求めたらナンパ三昧ドラッグ三昧の生活になって完全に破たんするよね。まぁ刺激を求めるってそういうことだよね。破滅と表裏一体なんだよね。でもまぁ家族にナンパするって言ってあるから特にママンは相当心配してるみたいね(笑)「明日午前中なんだけどさ・・・」って言っただけで「えっ!」みたいなね、いよいよ決起するのか!みたいなね(笑)そういう意味であんまり外に出したくないみたいね。また何かやらかすのかと心配なんでしょう。まぁそういうところはいいよね。自分好きだわー。落ち着いてないっていうね(笑)あ、んで「午前中なんだけど・・・」ってぶっ壊れたパソコン引き取りに来るからっていう連絡事項だったんだけどね。


まぁでも話戻るけどさ、渋谷の90年代が良かったっつってもまぁこれも持続可能性って意味でそりゃ街も変わるしまぁ街が良かったっつーよりレコードを買うだけの日々なのに異様に充実していたっていうことなんだよね。でもこれって今より人間的な深みがなかったからまぁ別にレコードを買うことが薄っぺらいことではないんだけどでもまぁ短絡的な感じで日々のことにも疑問を感じずにってまぁ疑問は感じてたけどまぁそれなりに満足してたんだよねっていうか満足してたっていう実感はないけどまぁ楽しかったのは事実だよね。でもまぁそれは若さが故なんだよね。それずーっと続けてるわけにもいかないしっていうかまぁそりゃいつか飽きるでしょう。あと別にまた初心に帰ってレコード買えばいいじゃん!って話でもないしね。まぁだからその時のその時代のその年齢の時に必要なこととか開拓していかなきゃいけないこととか昔成立していた趣味とかが成立しなくなったとかっていうまぁ安定しないからこそ何か常に探してたり作り続けないといけないんだよね。なんか今はまさにそんなときだなーって思ってるんだよね。読書中心生活ってのもまぁもうかれこれ10年以上そうなってるけどそろそろなんか変化が必要っつーかプラスアルファなんかやっていかないとなって思うんだよねっていうかその必要性でしょう。いい加減この生活に飽きてるってのはあるんだよね。そのなんつーか読む内容はそりゃ毎回新鮮ですよね。そりゃ知らなかったトピックやるわけだから。ただ生活形態が同じ過ぎて体も動かさないしまぁ居合とか中国拳法とかあるけどまぁ歩かないじゃん?人と接しないってのはまぁいいんじゃないかなって思うんだよね。ようはマンハッタンに居たころ的な意味で人と会話したりはしないけどまぁでも一応街は歩くみたいなね、別に友達とhanging aroundしてる必要はないよね。ブラブラするのは一人でもできるし。


あとまぁレジャー施設回りとしてのラブホだよね。あーここはサービスいいなーとか雰囲気いいなーとかドライヤー火力弱いなーとかこれもまたどうでもいいことに極みだけどなんかまぁ非日常的な空間に身を置くって楽しいよね。だからまぁなんかラブホサイトに載ってるようなところには全部行ってみたい!みたいなのはあるよね。旅館巡りのラブホ版みたいなね。ラブホとかって完全に日常とは違う次元の空気が流れてるもんなー。まぁ日常的にラブホ行く人はそれが日常化するんだろうけどさ、まぁこれも慣れたらそれまでなんだろうけどさ、でもまぁなんつーのかな?ディズニーランド楽しい!っつってとりあえず楽しかったらいいじゃん?「いや、いつかは飽きる」みたいな考え方してたら何も楽しめないよね。だから現状楽しかったらくだらないことでもクソみたいな人生の中で楽しむ余地がある貴重なところっていう評価をしないといけないよね。それはまぁつまんない物証物理のことでこないださんざん書いたけどまぁenjoy the little thingsだよね。なんかまぁでもずーっと楽しいこととかやりたいことばっかやってきたやつって絶対末路はこうなるのよ。末路っていうと終わったような感じだけど終わったって意味ではなくてひと段落はしてしまうってことだよね。ずーっとそれでこの先10年もやってけるわけじゃないってことだよね。


まぁそういう意味だと逆にやりたいことをやれないで来た人はいくらでもやりようがあるってことだよね。読めなかった本とか見れなかった映画とか行けなかった場所とかやれてなかったこと全般やれるわけだからね。あとまぁあれだよね、インドア派とかって決めつけてたけど実際はアウトドアやってみたら面白いかもしれないしさ、まぁ俺はまずそれはないけど勝手に決まってたり決めつけちゃってる属性みたいなのから自由になるってのはあるよね。だからまぁ似合わないようなこともやることになるけどでもそれが案外面白かったり「似合わない」と言われても本人が楽しかったらいいわけじゃん?極端な例だけど安富歩とかまさにそうだよね。いや、めちゃめちゃ似合ってるし綺麗なんだけどさ、ぶっちゃけジェンダーですらもそれは超越できるってことだよね。で、例えば女装してたほうが自分のジェンダーのイメージにあってるならそれがあってるってことでまぁ普通の人は実行できないかもしれないけどでもまぁそれをやるってのも一つだよね。まぁ俺は残念ながらないけどね。ただまぁ女装しながら犯されたいみたいなそういう妄想ならいくらでもあるけどね。


でもそういう意味でなんつーかナンパしなくても妄想を実現するために風俗に行くってのもありだと思うよね。単純に性って意味だとそういうことになるし絶対そんなの行かない!ってタイプでも行ったら楽しいかもしれないしね。まぁ俺はやっぱでもナンパにしてもコンセプトがあってこういうことではないから風俗云々ではないんだよね。ただまぁ別に行ってみてもいいかもしれないよね。なんであんな真面目だった人が風俗通いしてるの!とかさ、そもそもその「真面目だった」っていうもの自体がただ演じていただけとかそうしなきゃいけなかったっていう必然性だったとかっていうそういうことなわけじゃん?で、それがまぁ周りからもそう思われているからそうふるまわなきゃいけないっていうような強制力が働くんだけどそれが自由を束縛するようなものだったら考え物だよね。だからそういう意味で極端な話、ジェンダーでも実際は女になりたかったら女でいいんだよね。そのほうがウキウキできたり日常が楽しくなればいいわけだしあとまぁ男でも女子っぽい肌のケアとかアクセサリがどうのとかっていうのに凝るみたいなのが楽しいかもしれないわけだからね。だからそこは本当に常識とか今までの自分っていう枠組みで考える必要はないよね。あとまぁ今までの自分でつまらなくなったり物足りなくなってるってんことはまぁ何かが違ってたり違わないにしても改革が必要ってことなんだよね。んでもまぁ焦って無理するとダメね。本当に合わないことをやって無駄に失敗するみたいなことになると本末転倒だからね。まぁでもそういう失敗からも学べるし何もしないよりかはマシでしょう。


あーでもこうなるとまぁ不倫のロジックにもなるよね(笑)良い旦那であるなんて実際はいやなんだ!ドキドキしてセックスしたいんだ!ってことで不倫に走るとかまぁそれだとやっぱ倫理的に不味いからね。ドラッグ然り。真面目であるなんてやめちゃえ!やりたいようにやるんだ!っつってドラッグやっていいってことにはならないからね。いや、そういう意味で倫理はそりゃ必要条件ですよね。まぁそんなのあえて書く必要もないわ。当たり前すぎて。まぁあとあれですよね、あ、そろそろ終わるけどさ、まぁ図書館行きつつエンゲル係数の本バージョンっつーか本が出費のほぼ100パーなんだったら図書館行って金セーブしてその費用をラブホ巡りに費やすってのはなかなかの自己啓発メソッドだと思うんですよね。なんかそういう金の使いどころみたいなのも変えてみるとかってまぁパラダイムシフトっつーかまぁハイブリッド書生っつーのかな。いい加減書生オンリーの生活に飽きてきたわけだしなんか必要なんだったら思い切って何かやってみるってのは大事ですよね。まぁわかってるんだけどね。俺みたいなタイプの脳自体が刺激ジャンキーで常に新しいものを求めるとかスリルを求めようとするっていうある意味そういうのに支配されてるってことなんだけどさ、でもそれが本性でもあるわけで落ち着くってのはそれを抑制するってことなんだよね。それで平和かもしれないけど結構なストレスになるんだよね。


いや、あ、またなんか長くなるかもしれないけどニューヨークのころってさ、いや、別に有意義なものとは別にドキドキすることってのが多々あってまぁ単純に歩いてたら遠くで銃声がしたとかさ、ヤバそうなやつが電車で叫んでるとかまぁこれを刺激とするかどうかはともかくとして逆にまぁ日本の電車なんて何も起こらないわけだよねっていうかまぁそれでいいんだけどね、あとまぁ帰るのが深夜の0時近くになって夜はちょっと歩くとヤバめな駅で降りちゃってそっから家まで無事に帰れるかな?とかさ、まぁんで路上に注射器落ちてるとかさ、こういうのもようは自分のニーズを満たしてたんだよね。別にいつ死ぬか分からないという状況にいる必要はないし平和に越したことはないんだけどただまぁそのドキドキするようなことってのがデフォで組み込まれてるってのがいかに自分の恒常性の維持に貢献していたか?ってことなんだよね。あとあれだわ、タイムズスクエアなんつっても夜中になると物騒でプッシャーがうろうろしてるんだけど「あ?なんかいります?」って全身タトゥーが入ったやつに聞かれたりとかまぁカモられる感じじゃなくて「買います?」って聞かれるのが「あー街に馴染んでるんだな」って変な自信につながったんだけどさ(笑)まぁギャングとか普通にウロウロしてるからね。いて当たり前っつー生活の中で治安が尋常に良い日本で生活してたらそりゃぬるま湯状態になるよね。だったら歌舞伎町とかに住めばいいんじゃない?っていうことにもなるんだけどまぁそういうことでもないんだけどね。


いや、まぁこれは変な話ですよ。ちょっと環境が危ないところのほうが楽しいなんつっても基本死なないだろうみたいな安心感からそう思ってるだけなんであって平和ってことに感謝しなきゃいけないしそういう方面に刺激を求めだしたらキリないっていうかまぁ破滅系になっちゃうじゃん?あ、まぁでも怖いっつーのはあくまで対人とか環境っていうことで災害とかは別だからね。そういう危険さを求めるなんてことは当然まずないわけで。まぁそんな感じで結局は刺激ジャンキーである自分を飼いならさなきゃいけないってことなんだけどね。まぁそれでなんとか生活が成立するっていうようなバランスを保つってことだよね。でもまぁ外出って意味では逆に何回も書いてるけどマンハッタンってつまらないからね(笑)でもまぁ日本の都内ってことを考えればまぁそりゃ規模が違うんだけどいろいろと行きようはあるよね。少なくともマンハッタンよりかは面白いわけで。なんかまぁそういう外部も含めたことだよね。あとまぁ頭の中で考えすぎないってことだよね。いろいろと想定してまぁでもこうなったらこうなるだろうみたいなのをすぐ考えて行動をやめるとかとりあえずやってみるということをやめてしまうとか早すぎる観念的な帰結をすぐ出しちゃうとかね、その結果世界が頭の中で終わっちゃうってのは人生のクソゲー化に拍車をかけますよね。だからまぁやっぱ外部ってことなんだと思うのね。


そこがまぁVR推進派だったけど考えが変わりつつあるっていうところなんだよねっつってもまぁVRも使いようだしVRが閉じた世界と考える必要はないんだけどただまぁVRに限らずネットにしても一方通行だったりモノによるけどインタラクティブではなかったりね、観念的なもんで終わっちゃうとかさ、なんかそこで人なりプロジェクトなり偶発的な出来事とかが介在するっていう中でネットってのもあればいいんだけど基本住んでる場所とか時間を過ごす場所の大半がネットっつーのはなかなかつまらないことだなと思っててさ、まぁかといっても外部に何があるわけでもないし期待はできないんだけどただまぁ外部もあっていいんじゃない?ってことだよね。だから用事なくても用事を作って外に出るとかさ、そんな中でまぁ生活圏としてネットもあるっつーバランスだよね。


何はともあれここまで引きこもり的な俺が外部の重要性を言い出しているんだからなかなか由々しきことだと思うんですよね。まぁ単純に物事の偶発性とか変数を増やすっていうことなんだけどね。んでまぁ帰国してから外に出てみようなんて思わなかったけど思うようになってきたりしてるって中で外に出てみてんで実際どうなのか?っていうフィードバックですよね。そこでナンパにハマれればそれでいいと思うしラブホ巡りは夢っつーか達成したいlocked achievementだしね、それがどんなにくだらないことでもやりたいって思うならそれを大事にしないといけないよね。何もやりたい!って思うことのすべてが崇高なことである必要はないからねっていうかそれどころかくだらないことにこそ本質があるんじゃないか?って気がしてるぐらいだよね。客観的になんでもなかったりくだらないことでも本人が満足してたりそれを楽しんでればそれでオッケーだからね。それは他者にとっては何の意味ももたらさないものでも本人の中では意味があったり最高に楽しい!と思えてたりすればそれは最強ですよね。まぁ趣味ってそんなもんですよね。社会的に有用であったり生産的である必要は全くないわけで。


「でも俺はそんなのをやるタイプじゃない」って思ってもやりたいって思ってたらそれってどっちかと言えばその固定化された「タイプ」ってのがただの思い込みで「やりたい」って思っている自分のほうが本当の自分だったりするわけだよね。それを「そういうタイプじゃない」といって否定するのは自己否定と同じようなもんでしょう。で、まぁさっきの極端な例でいうとそれがジェンダーぐらいの問題でも本当は女になりたいとか男になりたいって思ってたらそれでいいんだよね。まぁそれと現実をどう折り合いをつけるか?というのは別として「でも自分は性別的に男だから」とかっていうそういうのは関係ないってことだよね。何か理由はわからないけど常にそうなりたい!とかやりたい!とかっていうそれがあるんだとしたらそれが本来の自分なはずなんだよねっつってもまぁそれがセレブになりたい!とか大女優になりたい!とかだとただの妄想になるんだけどさ、あ、俺が言いたいのは運動音痴なんだけど実際はバスケやりたいと思ってるとかね、そういうことなんだよね。そういう意味においては運動音痴とか全くスポーツなんてやってこなかったなんつーことは問題にならないんだよね。やってみたい!と思ってるなら実際のメンタリティはスポーツマン的なことかもしれないわけだし決めつけられた自己像のみで考える必要はないよね。


まぁそれはでもアイデンティティがグラグラな時に主体性が持てずになんかバラバラのことやって何がやりたいんだかよくわからないとかっていうことではなくてアイデンティティが確立しているからこそ選べる主体性だと思うんだよね。あ、ようはこの従来の自分とか決められた自己像のみで考えるってことをやめるっていうことね。まぁそれは柔軟性ということでもあるし可塑性ということでもあるよね。人格がある程度形成されたからこそ得られる可塑性だよね。それは子供のころにいろいろと派生する可能性があるっていうような可塑性とは真逆のものね。大人になると変わることが難しいって言うけどそれは逆だと思うんだよね。大人になって自己が確立したからこそ変わるというよりかは能動的にあり方を選ぶことができるっていうことだよね。まぁもちろんそれをやるのにある程度の能力とかリソースは必要とするから大変なことではあるんだけどまぁそういうあり方を選べる環境に身を置くということも大事ってことだよね。なんかそれがまさにオントロジーにおける「有」っていう「在る」ということを規定する重要な要素だって思うんだよね。だからまぁそういう意味で人生ってのは選択の連続だしそれを能動的に選択していくってのが人生そのものを形成するってことになるんだと思うんだよね。


まぁそういう考えがあってのものであってもそのアウトプットが「ナンパ」だったら「は?」ってことになるけどそれがまぁさっき客観的意味合いなんてどうでもいいって書いたことなんだよね。本人にとって有意義であったり人生の流れとか考えの中でそれが楽しかったりやりたいことだったりすればそれでいいんだよね。いろいろと深遠に考えたすでに行動が崇高になる必要はないんだよね。別にその考えの高尚さと行動の見た目が一致する必要はないんだよね。意味論で一致してればいいわけで。まぁあと別に他人にこういう理由でやってるんですなんて説明する必要もないしね。勝手にやればいいしどう思われようがいいのよね。それは。


まぁそんな感じっすね。んじゃまた。