ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/Rockstaによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

人生つまらない問題について。

もう6月で年の半分が終わってるだけだけどまぁそれはともかくとして人生つまらない問題の奥は深いね。


http://biz-journal.jp/2016/05/post_15281.html


まぁただうまくいってない人でもそこそこうまくいっている人でも中年クライシスじゃないけどまぁなんか普遍的な問題だよね。でもまぁ別にそれは特定の例えば俺みたいな生活を送っているからそうなるってことではなくてどうしてようが全般そうなるっつー話だよね。自分の場合は引きこもりがちになってるからよりクソさが倍増しているんだろうって思うんだけど別に毎日外出てようがどこにいようが関係ないんだよね。人生そのもののつまらなさだからね。あ、んでオーディオブックとかも含めていろいろ読んでるとわかるんだけどまぁやっぱっつーか前にもさんざん書いたけどテストステロンってのはすげー重要なんだけどまぁでもじゃあテストステロン値が高くなるような生活とか栄養を取ればいいのか?っていうとそういうことでもなくて別に体調がどうあれつまらなさは変わらないってことなんだよね。まぁこれ自体が鬱の原因となるとぶっちゃけどうしようもないよね。でもあくまでそれありきだよね。それがあってさらに加齢でテストステロンが低くなったりして更年期障害みたいになって鬱の症状が出るってのもあるとは思うけどでもまぁそれはあくまで二次的なものだよね。体調を整えればいいとか若さを保てばいいとかそういうことじゃないもんね。


いや、んでまぁ色々と思ったんだけどさ、バーチャルからリアルへってことでもないんだけどただまぁリアルを経験せずにバーチャルで埋め合わせるってことをしてるとクソゲー化がより進むからコストを払ってでもリアルを経験しろ!ってことではあるんだけどね、まぁ簡単に言っちゃえばあれですよ、英語なんて独学でできるでしょっつってもまぁ別に俺は英語のためにアメリカ行ったわけじゃないしっつーか結果的に何を得たか?っつーと意味論的にはいろいろあるけどスキル的にはそんなに大したもんを得てないわけじゃん?まぁ得てるのかな。んでもまぁそれだったら別に留学しなくてもいいよねっつってもそれってやっぱリアルにコミットするっていうことで得られるかけがえのない経験ってのがあるよね。まぁベタな話ではあるんだよね。より経験に価値を置くというね、だからまぁ例えばセックスにしても大枠で性欲とかって考えないでオナニーとセックスは別物!って考えるようにするってのは元々は当たり前なんだけどネットやらAV的なネタがいくらでも手に入るっつー状況になるとそういうので解消できているって思いがちなんだけどそれは全然違うんだよね。


まぁあれですわ、食欲は満たせればいいっつってんじゃあ食事はプロテインでいいのか?って話だよね。まぁ別に食事にこだわる必要はないけど例えばまぁすげーうまいもんを食べたとかそのうまいもんを食べたっつー経験を誰かとシェアしたとかさ、そういう体験なんですよね。そこを食事=食欲を満たすことという風に考えてるとクソゲー化が進むわけでっつっても別にグルメになるわけでも食事に凝りだすわけでもないんだけど何かを満たすっていうことと体験は違うってことだよね。んでもまぁその体験を重視する考えをしたところで別に人生のつまらなさがなんとかなるわけじゃないんだけどただまぁなるべくクソ化させるのを阻止するために楽しめそうなところとかインスタントに何かで埋め合わせてたり処理してたものとかを一旦見直すってことだよね。


まぁでも問題はそういうインスタントに処理をしたり何かで埋め合わせるということをしてたから人生がクソゲー化したわけじゃないからそれを見直したところで別にそんなに変わらないという話ではあるよね。でもまぁ少しは変わるでしょう。そういう意味での改善だよね。まぁあとすげーハードコアだけど空白の時間を作るってことだよねっていうか鬱が悪化するだけって気がしなくもないけどなんかとりあえず時間あったらゲームやるなり映画見るなりテレビ見たりとかなんとなく時間を過ごすじゃん?それをやめて人生を向き合うってことだよね(笑)そういうときに時間があったらやるそこまで有意義ではないことをやめて徹底的に自分の無とか人生の虚無感に向き合うんだよね。


まぁ俺が恋愛にコミットしようとするのも「このままではヤバい!」という焦りがあるというのは散々書いたけど相変わらずクソだけど何かやれる範囲で「自分はそういうタイプじゃない」とか「そういうのはやらない」ってことをやってみるっていうさ、あとまぁ恋愛に関してはいろんな意味でダメだからそれがダメになったままの状態で居続けるのは良くない!っていうことだよね。まぁ重要なのは空虚感があってんで何かを見つけてそれで解決しようとしないことだよね。空虚感があるなかで少しでもクソゲー化を止めなければ!と思う中でじゃああれやってみよう!とか思い切ってこれやってみよう!とかって思ったら絶望と照らし合わせてそれをやるんだよね。それが面倒でコストがかかることでも絶望感を常に感じていたり例の「空白の時間」で感じた虚しさとかを思い出して行動に駆り立てるっていうかさ、まぁ逆にそういう内省がないと駆り立てられないよね。だからなんとなく空虚だけど問題意識を持たないままでいるっていうね、それはマズいんだよね。


かといってもやたら行動するってのもあれなんで内省とのバランスが必要なんだけどまぁでも行動がない人はやたら行動ってことでもいいかもしれないよね。でもまぁ本当に思ったのはリア充なんてことはありえないってのはまぁありえないってことではないんだけど充実したリアルなど存在しないってのは事実だよね。充実というのはその瞬間とか限られた期間の間の中で発生することなわけで日常に戻ればまた空虚さとの戦いになるよね。まぁだから日々活動!ってことで色々やれている人はいいしまぁその活動!の連続体がリアルになってそれは充実しているって言えるかもしれないけどまぁでも根源的に空虚なものだからね。「なんとなくやれている」というその「なんとなく」の部分を徹底的に解剖する感じだよね。で、勇気と度胸が必要だけど持たないなーこれだとって思ったら「なんとなく」をやめてごまかすのをやめてむなしいんだったら徹底的にそれを認めるっていうね、味わうってことですよね。何かをやっていたりするけどそれは空虚な時間を埋めたいだけなんじゃないか?とかね、まぁ俺にとってのゲームってそういうもんだけどね。あ、やりたいゲームをやったあとも惰性でやる感じの時はそういう感じだよね。


なんかだからそれを考えると徹底的にごまかさない!ってことにするとさ、映画とかも逃避だなって思うようになって全然見なくなったんだよね。ツタヤ定額なのにもったいないんだけど(笑)ようは時間を埋めるために映画を見るのか本当に見たくて見るのか?ってことでさ、圧倒的に前者なんだよね。そういう埋められそうなことをいろいろとつなぎ合わせてなんとかやれている風にしているんだけどそういう「なんとか」っていうごまかしをなくすと本当に何もなくなるよね。まぁだから本当に学問系と音楽ぐらいしか残らないよね。んでもまぁ音楽はデータが消えたっつーのもあるけどそれ以前にネタ切れだしそもそもずーっとやり続けるなんて無理だなって本当に思うわけでまぁだから残るは学問しかないんだよねっつっても学問っていうと大げさだけどまぁいつもの俺の知識欲を満たすっていう意味でのものだよね。


だからまぁぶっちゃけオーディオブックとか講義聞きながらゲームやるってのが一番楽しいんだけどね、これも怖いんだよね。楽じゃん?あと活字読まないってのは本当に楽だよね。眼精疲労もないしっつーかまぁ活字に比べればゲームの眼精疲労なんて大したことないしあとまぁ硬い本だよね。そういうのを読まなくなっちゃってどんどん堕落するようになっちゃうんだよねっつっても別にラーニングの方法がオーディオっつー音声っていうだけで別にまぁその音声ってのは本だからいいんだけどさ、んじゃあ一日本を読んでるのとオーディオブック聞いてるのとどっちがいいのか?ってまぁどっちも一緒なんですけどね。まぁ基本バイオロジーと化学をやろうとしててそれが生活の軸になってるってのはあるんだけどね、まぁそういう意味で完全に無ではないんだけどさ、いや、完全な無から見ればいろいろあると思うんだよね。でもその緩い「いろいろあるもの」で満足したりそういうもので満足しようとしたり我慢したりしないってことだよね。まぁそれがごまかさないってことの一環でもあるんだけど。


まぁでも中年クライシス的なもんって誰もが経験するかはともかくまぁ存分に味わってっつーか泥沼になって悩むべきだよね。これは思春期の哲学病とかの比じゃないぐらい深刻なことだよね。だからこそ本当にヤバいからこそ逃げたくなるんだよね。だからまぁそこであんま考えないようにしたり時間が勝手に過ぎるようなことをやったり・・・ってしてても結局はそれは問題として残ってるから解決しないといけないよね。今の俺がまさにそうなんだけど。それが故にいろいろとまたさらにリミッターを外していかないといけないな!ってことになってるんだよね。逆にまぁ外の世界にアプローチとかも散々やって引きこもりになってるならともかくまぁ最終的に仮にそうなるとしてもまぁまだ外の世界へのアプローチってのが余地として残ってるからね。まぁ残ってるってほどでもないんだけども(笑)


まぁでもこないだみたいにレコード買うのが中心だった頃は楽しかったよなーってまぁローテクへのノスタルジーとかって完全にダメだからね。あとまぁそういうノスタルジーで今だからこそアナログで聴く!みたいなのもノスタルジーだったらそれって完全に過去に生きてるし現在から逃げてるからダメだよね。デジタルデトックスみたいなのもダメで今ってのはデジタルだとかなんだとかってやつとの共存が必要でさ、まぁだからこそ依存しないということではあるし所詮はツールっていう考え方じゃないといけないんだけどまぁそれは使い方にもよるけどね。ただまぁいろいろと埋め合わせができたり無駄に時間を費やすことがいくらでも可能だよね。デジタルなドメインのものって。そういうのに埋没しているとよりリアルが退廃していくからやっぱりそういう意味で特に今の俺みたいな状態とかって家の老朽化みたいなもんなんだよね。別にそれでやってけても老朽化してるからいろいろ危ないんだよね(笑)だからまぁリフォームが必要だし必要なものは新しいものに変えていくとかさ、まぁ別になんでも新しければいいってことではないんだけどまぁそういう意味で実存っていう重みに耐えられるだけの耐久が必要ってことなんだよね。


それに気が付かずにずーっと何も考えずにっていうか向き合わずに生きてると老朽化はよりひどくなって完全にオワコンになる可能性があるよね。だから「ガタがきてるな」って気が付いたらその現実から逃げずに向き合うってことだよね。別にまぁそれはメンタル的な意味ではなくてフィジカルでも同じなんだけどね。だからまぁエクササイズしようとかランニングしようとかってのも大事だしっつってもまぁこれも時間を埋めるためにやっててもしょうがないからちゃんとフィジカルの手入れっていう目的があればいいんだけどね。


まぁでも本当にごまかさないって大変だよね。みんなっつーとディスってるみたいだけどまぁ大抵なんかしらごまかして騙し騙し生きてるようなもんだからね。そういうのを一切禁止!っていうハードコアモードにするっつーのはさ、温さからの脱却でもあるんだけどまぁでも長期的に見ればそっちのほうがよっぽど絶望を克服するかまぁ克服しなくても絶望と共存していける道が開けるよね。まぁやっぱ本当にそういう意味で持続性なんだよね。これでやってけるのか?って話ですよね。まぁ経済的なことも含めてなんとかやっていけるってのがあったとしてもそれでメンタル的にどうなの?とか贅沢は言わないけどね、ただまぁそれで人生いいんですか?ってことだよね。ガツガツ求めないほうが楽に生きていけるっていう考えが一時期流行った気がするっていうかまぁ俺もそう思ってたけど持続性がないよね。強度ゼロだから人生がスカスカになるよね。少なくとも俺は絶対それは無理だからこそ今までアプリオリに低俗な欲望はダメだ!とかって思ってたリミッターを外して欲望があれば解き放て!っていうモードになってんのよね。抑圧してるからダメなんであってさ、欲望むき出しでいいんだよね。元々欲望がない人が増えてるからこそ生きるために欲望せよ!ってことになるんだよね。これは結構オワコンシリーズ以来のパラダイムシフトっつーかまぁスローガンっつーかテーマみたいなのがまたできた感じだよね。


あとまぁこの辺はバランスだよね。求めるから辛いってのがありすぎるから防御のために求めないということをせざるを得ない人とかもいるわけでそういう場合は別だけどね、ただ自分の場合、求めない辛さのほうがはるかに求める辛さを超えてるから単純に苦痛からの回避ということで欲望することを選ぶっていう感じだよね。まぁこの辺はちょうど去年の今ぐらいの時期にも書いてたことではあるんだけどね。ただまぁ明らかに今のほうが切羽詰まってるしやるならリアルで!っていうことになってるからまぁ前向きですよね。別にデジタル系=ネガティブというわけでもないんだけど自分にとってはデジタル系って逃避の場所なんだよね。ホントに。それはもうマジで人生詰むからやめよう!って思ったわけですよね。


なんかもっといろいろと書くつもりだったんだけどまぁ今日はこんな感じでいいかな。まぁでもあれだよね、バイオロジー系の遺伝子とかにしても何をもってそういう行動にかられるのか?とか必要性が出てくるのか?とかさ、性関係のことなんてまさにそれだからね。まぁ本当に「欲望すること」ってことがテーマになってるってのはあるよね。だからスピノザとかスピノザ関係におけるネグリとかドゥルーズとかにも関心が言ってるしあとまぁ何気に恐らく相当影響受けたなと思ったのがバタイユだよね。あとまぁ渋澤龍彦ね。そんなに問題意識とか特定のものがあって読もうと思ったわけじゃなくてなんとなく読もうと思ったんだったっつーかまぁブラックメタルからのオカルト系からの繋がりだよね。で、まぁそういう流れからなんとなくその欲望するということ自体の重要性により気が付き始めてそこに問題意識を置くことになったっていう感じだよね。


で、本当にバタイユの言うエロティシズムっていうそれに尽きるよねっていうかバタイユにおいてはそのエロティシズムがそのまま強度ってことになってると思うんだけど、まぁ別に厳密にバタイユ的である必要はなくて例えばやたらバタイユは禁止と侵犯ということを書いてるけどこれってまぁすげーフロイト的な構図だし時代的にはそうなのは分かるけど別にそういうところはどうでもいいよね。ただまぁすごくなんつーか精神的な探求であるってのは本当にそれなんだよね。そこに本質を見るっていうかさ、そういう意味であえて相対主義とかに陥らずにそういった人間固有の独特なものっていうものそれ自体にこだわってみるっていうことは強度の獲得になりそうだよね。まぁ逆に何もかもが相対的であるのが自明であるからこそ凄まじく人間臭いものってのが重要に思えてくるわけだよね。攻殻機動隊なんかはずーっとこういうテーマが根底にあるよね。だからまぁそこで人間ってなんだ?とかゴーストってなんだ?ってことになるわけだよね。


まぁそんなのいつになってもわからないのかもしれないけどまぁ俺は探求していきたいよね。それがそのまま生きるっていうことに繋がればそれ以上の幸福はないと思うしね。そういう意味でまぁ本当に後悔するような人生送りたくないしさ、いや、コミットすることでのリスクとか失敗ってのはそりゃあるのよ。ただ悪夢なのは何もかもをリスク計算してなるべく何もやらないようにするっていうことからくる人生のクソゲー化だよね。そういう感じで生きてたら絶対に後悔するっていうか死ぬときとかにえらい後悔するだろうなって思うんだよね。なんかまぁそういう意味でバタイユっていい感じの狂気があるよね。ビート系の作家が破天荒な生活をしていたっていうビート系はもちろん根源が内面的なことではあったんだけどまぁ生活自体がそれでまぁ破天荒になってたりしたじゃん?で、バタイユって私生活はどうだったかはわからないけどビート系の破天荒とか通り越してイタイもんね(笑)まぁこのイタイって感覚は好きじゃないんだけどほめ言葉なんだよね。


恥ずかしいぐらいまでに過剰というか素というかさ、かっこつけるってことを一切してないっていうさ、なんか裸なんだよねそういう意味で(笑)まぁんでそれをやることでロックだねー!とかパンクだねー!みたいなかっこがつくようなものじゃないんだよね。その過剰さが。そこなんだよねやっぱ。かっこがつかないことだよね。そのぐらいのネイキッドな欲望っつーのかな?こういうのって現代である程度普通の家庭に生まれたらさっき散々フロイト的だって書いたけどまぁ使っちゃうけどさ(笑)完全にこういうネイキッドな欲望って禁止されてるよね。


まぁ現代社会でそれをやったらダメってこととかやってもいいんだけど特に日本みたいな風土だと村八分にあうとかね、そういう意味での世間体って意味でもネイキッドな感じって過剰に禁止される傾向があるよね。まぁそういうのを日本的な閉鎖的なところも含めて素っ裸になるってことだよね。でもそれは別にアメリカ的とかフランス的である必要もなくてどの国から見ても過剰過ぎてみてて恥ずかしくなるぐらいかっこがつかないむき出し感っていうのかね、まぁようはベースには抑圧的な日本っていうのがありつつもやることにおいてはベースというコンテキストには依存しないんだよね。日本の閉塞感をなくすために!とかそういうのではないってことだよね。言わば取り返しがつかないぐらいリミッターを外しちゃうってことだよね。そこで現れる色々な欲望と向き合ってみるってことだよね。


まぁ今日はこんな感じでいいかな。また書くわ。んじゃまた。