らららさんへの返信。

書き込みありがとうございます。


言われてみれば精神症状の記述は少ないかもしれないですね。あ、でもあれですね、記述していなくても死にそうな気分になってからいきなりまたなんかに目覚めてハイな状態っていう躁鬱状態とか循環性みたいな気分障害というのは常にあるのでそこはもうデフォルトという感じですね。


まずパニック発作についてなんですが覚えている一番最近のもので酷かったのがアメリカの学校に通っていたころのスピーチのクラスでネイティブを前にスピーチをするというやつでした。ただ別な見方をするとそれをやらざるを得なかったという経験が自分を強くした気がしていて、例えばスピーチやプレゼンなんかは誰でも緊張するものですが、英語でネイティブを前にプレゼンとなると超高難易度だと思うんですが、なんとかこなしていましたと・・・と言っても薬は飲んでいましたけどね。なので症状が無くなったわけではないし今でも緊張する状態に直面すればなる可能性はありますが、相対的な体験としてそういった英語でスピーチ以上のものに日々出くわさないのでちょっとした緊張することがあっても全然大丈夫という感じですね。荒療治というやつですね。


ただまぁアメリカに行ったといっても症状が落ち着いていたわけではないんですが色々と経験したことで鍛えられたという面があるという感じですね。だからそれは自信というよりかは「あそこまで緊張する出来事なんてもはやないだろう」といったような達観もあり全く恐れることが無くなりましたね。あとは「意外と人は他人を気にしていない」だとかなんだとか色々と症状と向き合う中で過剰な自意識というのを克服していって症状が治まってきたというのはありますね。


ただ今でも美容院とかは苦手でパニック発作が起こりやすいのでママンに切ってもらっています(笑)多動の影響もあるのかもしれませんが幼少期からじっとしているということができなくてそれが凄く苦痛なんですね。で、美容院に行く場合、じっとしてなければいけない!という強制力から過度に緊張してしまいパニック発作が起こりやすいということがあります。


対人恐怖などは10代の発症時がピークで10代の後半は意外にも友人や環境に恵まれてかなり幸せになっていたので大丈夫だったのと、20代になってからもまた別の友人や環境に恵まれていて意外にも対人恐怖に関しては自然に克服できた気がします。あとノイズバンドのサポートメンバーでライブに出てたりDJする機会なんかもあったのでまぁ緊張はしていたのですが、これもまぁかなり緊張する状況とか大勢の人を目の前にするという経験をした結果自然に大丈夫になっていったというのはありますね。やってみたら意外と平気だったという体験の積み重ねですね。


これは自己分析をすると鬱や色んな諸症状が酷いときは頭が狂うので対人恐怖とかパニック発作とかも起こりやすくなるんですが、精神的に安定しているときに能動的になって進んで人と接するとか会話するということを繰り返していくと「人が怖い」という記憶から「別に大丈夫」という経験に置き換わるので環境や人間関係に左右されるという要素が大きいと思いますね。まぁでもそれで一気に人が信じられなくなるような経験をすると人間不信みたいになりますしそういったことがきっかけでまたふさぎこむようになると自分の世界に籠るようになって結果的に籠っている時間が長くなればなるほど「外に出るのが億劫」ということから「外に出ることが怖い」という風になっていくような気がしますね。ようは治った後でも環境や出来事によって外出しなかったり籠りすぎたりすると対人恐怖や社会恐怖みたいなのが惹起されるということがあるという感じですね。まさに最近はそんな感じなのでだから積極的に外に出ようとしたりナンパしようとしたりしているんですけどね(笑)


多分これは対人恐怖症とかが無い人でもある程度同じだと思うんですよね。外に出る機会を失うとふさぎがちになって家をあまり出なくなるというのは広くみられる症状ですからね。まぁあとは自分への自信ですかね。これもまぁアメリカにいたころのアメリカ編で散々書いていたことなんですが、アメリカというのは人を褒めるということが当たり前でよく「君は本当にスマートだね!」って言われてたんですね(笑)自慢とかではなく「あ、そうなんだ。スマートなのか」ってことに気が付いてから人と多く接することで自己評価が上がっていった結果、自分の自信の無さに端を発するような社会不安全般は自分への自信によってだんだんと薄らいできたというのはありますね。そういう経験と人前で英語でプレゼンをするとか毎日学校に行くというような日本にいたころは全くやっていなかったようなことをずーっとやっていたのでこれが何気に訓練になっていてリアルタイムに症状が緩和していったんだと思うんですね。


あと対人恐怖症や社会恐怖症に関しては日本へのディスばっかになっちゃいますが日本的な「目立ってはいけない」とか「普通にしていないといけない」みたいな過剰に他人の目を気にすることから来ていたのも大きいんですね。アメリカに行くと個々が自由に勝手にやってるんで凄く気楽で「いや、これでいいんだよな」って思ったことで外出も億劫じゃなくなっていったんですよね。それでもまぁインドアなので引きこもりがちではありましたけどね(笑)


で、帰国してからは日本だからまた目を気にするようになるのか?というとそんなことはなくて人は対してほかの人のことを気にしてないし、アメリカよりかは寛大じゃないかもしれないけど大半がただの自意識と思い込みだったんだなということに気が付くんですよね。だから別に場が日本であろうが外に出ること自体の苦痛とか不安みたいなのは無いですね。ただこれも気分によるんですよね。ずーっと数学にハマっていたころとかなんかに熱中しているときは邪魔されなくないのでずーっと籠るみたいな感じになって外出が面倒に感じるようになるのとそこからちょっとした不安みたいなのが惹起されることもありますね。今はそこまで熱中するものが無いので大丈夫なんですけどね(笑)


あとまぁ色々と勉強したり考えることで別に自分が恥ずかしがろうが恥かこうが全然そんなのどうでもいいことなんだってことに気が付いてからはずいぶんと楽になった気がしますね。というかまぁ他人にどう見られるか?とか恥をかくのではないか?みたいなことに対する恐怖心が無くなったので結果的にそういったこと全般に関する不安を感じなくなったんですよね。でも別にそれで精神的に安定しているか?というとそうではなくていつも書くように恒常的な虚無感とか刺激がないというところから来る苦痛なんかから鬱サイクルに入る場合もありますし、逆に昔はやりたいこととか知りたいことが腐るほどあったのでここまでの虚無感にさらされることはなかったので今よりパニック発作とか不安神経症などが酷くても実存的には楽だった気がしますね。


今は元々の気分障害と実存的な虚しさというもので悩んでいるという感じですが、気分障害自体は症状なのでしょうがないですし自分でも受け入れることができていますが、実存的なことに関しては悩みっぱなしでこれは持病がどうのというよりかは人生の悩みなんですよね。まぁようは病気があるからとかではなく健常者って言い方はアレですが精神的な持病を持っていない人でも同じように感じる悩みということですね。


そういった意味でこれ自体は自分特有のものというよりかは一般的な人生における悩みということなので割とアプローチがしやすいというのは事実ですね。まぁその分望みがありますよね。長くなってるのでそろそろ終わりにしますけど、現状としては気分障害入眠障害という感じですかね。入眠障害に関しては大体寝る前は頭がアクティブになっているのでそのアクティブさを消して鈍らせて眠らせるみたいな感じで安定剤と睡眠薬は使いたくないので眠気が出る作用がある抗ヒスタミン剤抗うつ剤を飲んで寝ていますが、今の自分にとって抗うつ剤の副作用で性機能障害になっているとかってのは由々しき事態になっているので(笑)前に試してみて猛烈な眠気が出て変な夢を見るNaSSAをまた試してみようと思っています。


コンセプト的に色々と今も書いていることなんですが、このナンパとか外に出るとか性愛ということを軸にしつつ色々と変えていくきっかけを作るという感じですね。インポだと困る→NaSSAにしてみる→眠くなる→寝る前の薬をそこまで飲まなくても済むようになる→全体的な減薬になる→インポが治る→より健康に健全になるみたいなコンセプトですね(笑)ナンパということを実践するだけで飲む薬も生活すらも変わってくるというような感じに自分でデザインしてる感じですね。うまくいくかはわかりませんがまぁそこは実験ですしどうなるか分からないから楽しみですよね。


ただまぁ寝不足になるとかストレスになることがあるとか何かしらのメンタルへの影響があるものに関しては相変わらず弱いのとメンタルやられると一気に色々とダメになるのは全然変わっていませんね。だからなるべくストレスを溜めないとかよく寝るとか普段の生活の設計が大事になってくるんですよね。ただまぁ本当に課題は持病というよりかは本当に人生とか生き方についてっていうことになっていますね。いかに生きるか?ということ自体が諸症状への治療になるようなアプローチを模索している感じですね。


めちゃめちゃ長くなったのでエントリーにして返信しましたが、他にも何かあればまた是非書き込みください。自分のことであればなんでも答えれるので遠慮せずに質問してください。


それでは失礼します。