改めてヴァーチャルについて。

いや、今年ヴァーチャル元年らしいね。散々ヴァーチャルって言っておいてリアル派になった今の俺のこのリアル重視になった理由は絶対示唆的なはずなんだよねっていうかまぁすげーシンプルに言っちゃえばドラッグ中毒と一緒なんだよね。ヘッドマウントディスプレイを付けてドーパミンが出るような映像なりゲームなりをやると頭がそれをデフォにしていくって基本的に刺激と報酬システムってアルコールとかタバコとかドラッグとか快楽をもたらすやつに関しては脳がそれに適応するっつーかまぁんで過激になっていくんだよね。それでは物足りない!ってことになってより過激に・・・ってことになるんだけど、VRの没入度って前から俺が肯定していたようにそれ自体は使いようによってはだいぶ前に書いたけど病院のベッドから動けない人が外にいるような体験をできるとかそういう人道的な使い方って色々できるしVR自体はいいんだよね。


問題は俺みたいなやつがVRに依存した場合のそいつのリアルはどうなるか?っていうことなんだけど今の俺ですらゲームやってるとヤバいわけじゃん?あんまリアルのことを気にしなくなるっていうかまぁそれは個々人の配分なんだけどもリアルを見つめていないと分からないこととか見つめるべきこととかってのが山ほどあるじゃん?実存の問題とか然りなんだけどね。んでもVRでゲーム内でスーパーマンみたいになって活躍するってのが時間の大半を占めるとそれってオントロジー的に影響が出てくるよね。仮想空間での自分が本当の自分なんだ!的な妄想が起こるっていうかそれってゲームでもすでにそうじゃん?


ゲーム廃人レベルになる人はそうだよね。完全に存在がゲーム内にあるんだよね。でもまぁこれもバランスの問題でゲームって別に臨場感が今ほど無い頃からもジャンキーはいたしVRの場合、ジャンキーになる確率というかその刺激の強さからジャンキー率が高まるとは思うんだけど結局これの問題ってさ、どんどんリアルがクソになっていくってことなんだよねっていうかデフォだとクソゲーじゃないですか?リアルって。


んでまぁ今の俺はそのクソゲー化を止めるべく色々と工夫をし始めたわけだけど結局なんつーのかな、リアルを大事にするとか維持するとかクオリティを高めていくっていうことが生活そのものに当然繋がるじゃん?でもVRに存在を置いた場合、そこでは努力しなくても色んなものが手に入ったりするわけだしそっちのほうが楽しいに決まってるんだよね。で、問題なのはVRさえあれば生きていける的なドラッグ依存的な状況だよね。


前はリアルが退廃しててクソだからバーチャルという場所ができたわけだしそっちにオントロジーを置くことで生きていけるならそれでいいじゃないか!って思ってたんだけどそれってやっぱり最後の選択であるべきでまずはリアルを充実させることにフォーカスするっていうかさ、それはリア充って意味じゃなくてなんかオツな感じの趣味を作るとかさ、色々と模索するってことが大事なわけじゃん?でもVRってのがデフォで与えられた場合、リアルでのそういう模索の余地を消しちゃうっていうか便利なVRに流れるよね。


なんかちょっと言いたいことが言えるまで言葉の浪費が続きそうだけど(笑)ヴァーチャルの強度が激しくなればなるほどリアルとの差が出るっていうか顕著になるよね。ヴァーチャルの世界でハリーポッターばりにリアルに魔法が使える!って言うのを何時間も体験した後にリアルに戻ってきたらリアルは魔法も使えない環境もクソだっていう退廃の場だよね。これは別に魔法が使えることで実存が担保されるとかってことではないんだけど例えばね、ヴァーチャルへの耽溺ってレトロなゲームから最近の没入度が高いゲームまで歴史があってまぁ中毒者は常にいましたよね。でもヘッドマウント型になると全く意味合いが違ってくるってのがここ数年よく言及する身体性だよね。実際に体を動かしてそれで魔法が手から出るとか武器を使うとか全く頭への刺激が違うよね。


別にまぁ暗黒面だけを見るつもりはないんだけどそういうのが当たり前になった世界で頭の回路がどうなるのか?ってことだよね。いや、リアルマトリックスの世界だと思うんだよな(笑)マトリックスの世界では超人みたいになれるけどリアルだとデフォが船の中で飯もゲロみたいな飯とかさ、色々と終わってるじゃないですか?あとタコみたいなやつに常に追われてるとかリアルに意味を見出すのが困難なぐらいギャップがあるよね。でもこれって相対的に考えるとマトリックスの世界の自分なり世界自体が退廃したリアルに比べると居心地が良いっていうかまぁマトリックスの場合、エージェントとか出てくるから別なんだけどまぁそういうのを抜きにしてね、凄く居心地の良いものだとしたらリアルは居心地の悪い場所ってことになるよねっていうかまぁそれがデフォだったんだけどあまりにも良いものを手に入れすぎると相対化されてそれが対比として見られることになるじゃん?


まぁでもそれは退廃したリアルにおける救いなんだって俺は思ってたし今でも思ってるけどね。ただ前の俺はリアルがクソだと言って諦めていたけど今みたいな多元的な世界の見方をすることで新世界を生成するとかね、ようはまぁ世界って主観じゃないですか?で、最近ずーっと書いていることだけど外出=ナンパになると外という世界がハンティングゲームのフィールドになるわけじゃん?っつってもまぁハンティングって言い方アレなんだけどね。ロマン派のナンパなんでハンティングって書くと唯物論っぽくなっちゃうけどまぁなんつーかリアルの多次元性を自分で生み出していく努力だよね。


茶道とかってそうじゃん?超高級品なんじゃなくて誰が作ったか分からないような一般的にゴミとされるものなんだけどそこに情緒を感じるとか「武骨な感じがいい」みたいなさ、そういうパースペクティヴを持つってことだよね。もちろんこの利休的な侘び寂びの世界もドグマ化すると大学のディスクールみたいに利休のディスクールっつー固定概念になってなぜ利休が価値があるとされていないものに独特な世界観を見出したのか?ってことは問われなくなるよね。


まぁレアグルーヴのことで前に色々と書いたけどレアグルーヴがまだレアグルーヴだった頃は個々が価値を見出してたんだろうけどだんだん権威化していって値段とかついちゃってんで内容的にもレアグルーヴに見られる傾向みたいな系統化が進んじゃってドグマ化するわけだけどゴミとされてるようなレコードに価値を見出すってまぁ本当にパースペクティヴですよね。まぁそういうのもやり尽くされているから無いっつっちゃーないけどただまぁなんかあるんじゃない?とは思うんだよね。


極端に分かりやすい思考実験をするけどさ、VRによってVRがあれば生きていける!みたいな脆弱な実存を構成するようになった人がいたとするじゃん?でもこの人は実はバイクに目覚めればすんげーバイクに凝れて金も時間もかかるけどリアルでそういう楽しみが見いだせたという潜在性があったのにVRに没入するあまりリアルを模索する機会を無くしてバイクとの出会いが無くなったみたいなのって悲劇だよねっていうかまぁここも別にVRによって実存が担保されればいいじゃんってことでもあるしさ、でもここなんだよね。肝心なところがね。単純に充足するとかいうことではなく内容だよね。VRってのは画一的なソフトウェアとハードウェアによる世界観を与えられるだけで真の意味で自由じゃないじゃん?


でもその世界であたかも自由だと思ってしまうっていう錯覚だよね。まぁもっとも認知科学とかだとそもそも現実がヴァーチャルっつーか身体感覚すらもヴァーチャルだってことが分かってるしまぁそういう意味でリアルもヴァーチャルも差はないじゃん!ってことを言ってはいたんだけどそこでなぜリアルが大事なのか?っていうとやっぱりそれって存在性だと思うんだよねっつってもまぁヴァーチャルも存在だと認めればリアルだから例えばバイクっつってもまぁその好みってエンジンの音とかバイク自体をいじるとかツーリングするとかっていうそういう体験全体のことを言うわけだしあとまぁバイク自体へのフェティシズム然りなんだけどそのバイク体験ができてしまうVRがあります!っつってそっちでいいのか?って話だよね。


それもまぁVRの精度の問題で実際のバイクに乗るのと全然変わらないような体験がそれでできればいいのかもしれないけどさ、なんかそこでまぁアウラとは言わないけどオリジナルの質感ってことにこだわっていきたいよね(笑)というかまぁあれなんだよね、ヴァーチャルが浸透すればこういうヴァーチャル系のオントロジーって絶対流行るし色々と問題は出てくるとは思うけどまぁでも根本は繰り返しになっちゃうけど過度の刺激ジャンキーであるということというか過度な刺激がVRで味わえるということ自体の無限の刺激の供給というのが頭を刺激ジャンキー化させてしまうんじゃないか?ってことだよねっつーかまぁ俺みたいなデフォのジャンキーはそれでいいんだけどジャンキーじゃない人までジャンキー化するっていうかVRとかの動画見ると人が「うわー!」とか驚いてたりするのがいっぱいあるじゃん?あんな経験普通はできないわけだよね。でもそれができちゃうっていうことがどういう影響を及ぼすのか?ってことだよね。


んーでもそこもなぁー・・・まぁそこは色々と考えていきたいですよねー。まぁなんだろうお化け屋敷とかが過去の産物になるとかアトラクション系とかもそうなるよね。まぁそこはお化け屋敷とかアトラクションとかがもっとハイブリッド化していけばいいんだろうけどお化け屋敷体験なんてVRに勝るもんは無いだろうって思うしまぁそもそものお化け屋敷自体がヴァーチャルだからね(笑)それをまぁアトラクションとして作り出しているわけでアナログのヴァーチャルですよね。


まぁでもやっぱアナログなお化け屋敷の良さってのもあるわけだけどまぁ何もかもをヴァーチャルかリアルか?で考える二元論にする必要はないんだけどやっぱ体験ということでなんつーのかな?旅行とかはVRで完全に世界がシミュレートされたもので体験すればいいってことにもなりそうだけどっつーかまぁだいぶ先の話だけどさ、それでも旅行の良さってのは行くまでの準備とか移動とか道中での出来事とかっていう複合的な体験じゃん!っていうね、あ、こないだ書いた「誘惑される意志」っつー本がまさに示唆的でさ、まぁようはそれ自体を楽しむっつーことは間接性なんだってことを言ってるんだよね。あ、本の要約はやめよっと(笑)


まぁあれですよ、色々な無駄も含めて楽しみってことなんですよね。で、逆に合理的になり過ぎたが故にその欲望を満たすことが凄まじく早くなっちゃうとそれ自体がつまらなくなってしまうっていうパラドックスに陥るってことなんだよね。それってまさに今の俺が最近書いてる過去にレコード屋に通ってたその体験自体が楽しかった的なさ、そういう話になるよね。今は音源がyoutubeとかで聴ける時代なんだけど昔はレコード屋に行かないと聞けなかったし試聴っつってもネットにアップされたりとかしてなかったしさ、だからレコード屋に行く必要があったんだけどあ、ごめん繰り返しみたいになってるけど簡単に書くとさ、まぁ実際はそれ自体が楽しかったって自分はレコード目当てに渋谷に通ってたんだけど実際のところはそれ自体で間接的に外出もそれで楽しんでいたってことになるんだよね。


何の変哲もない電車もレコード屋に行くとなると渋谷に着くまでドキドキワクワクするわけだよね。んでまぁレコード屋に行くと例のあの匂いと音と掘ってる人とさ、まぁそういう環境よね。当たり前の時はそれがデフォだからなんとも思わないんだけどデフォじゃ無くなると愛おしくなるんだよね。まぁおっさんのノスタルジーって言われればそれまでなんだけどでもそこで示唆的なのがさ、レコードが目的だったけど実際は複合的なレコードを買いに行くということを軸に色々なことを体験してそれこそ匂いから街から移動からそういうのを全般楽しんでたってことなんだよね。


で、今はそれを図書館に行くとかナンパのために外に出るってことで疑似的にエミュレートしようとしてるってのもあるしまぁそれだけじゃないんだけどさ、ただこれが俺の言いたいことでリアルでの工夫ってこれなんだよね。いや、そもそものモデルにしてるレコード屋通いってのが古すぎだろうって話なんだけど(笑)でも実存においてその思い出補正って大きいじゃん?あとそれで快楽を得ていたっていうもう頭がそうなっているっていうことだよね。でもまぁ色々と便利になって欲しいものも外に出ることなく買えることになったけどそのおかげで失ったものも結構あるよねーってことなんだよねっつってもまぁなんでもyoutubeで聴けたほうが恩恵デカいし昔に戻りたい!なんてことはないんだけどね。


ただ今の恩恵を受けつつどっか行くのが楽しみ!とか外出たくなるようなモチベを作るってのはさ、これがまぁリアルのゲーム化っつーかエンタメ化なんだけどね、まぁ元々リアル志向の人はそんなの自然にやってることだと思うんだよね。でもなんでもネット思考とかヴァーチャル思考みたいな俺みたいな観念的なやつってさ、外出なくなるじゃないですか?(笑)それで便利になったことは認めつつ失われているものも実際はかなりあるんだぜ!ってことに意識的であるかそうじゃないかでヴァーチャルとの付き合い方も変わるよね。逆にそれに意志的であればヴァーチャルもone of themとして認められることになるけどリアル=クソ図式から脱却できないとヴァーチャルが全部になっちゃってそこに実存の担保とかを求めるようになっちゃうからね。そういうヤバい存在論的なヴァーチャル依存ってのが一番ヤバいと思うんだよね。


でもヴァーチャルがインフラ化すれば問題なくね?って話なんだけどそりゃ確かにそうなんだけどさ、でもそれって脆弱すぎると思うんだよね。リアルに戻ると一気に実存的危機に晒されるって危ないよね。だからなんだろうね、例えばPC無くてもまぁ別にほかに楽しみあるし色々やりたいことはあるよーっていうようなバランスがいいのよね。PC無いってことはありえないけどまぁこないだみたいに修理に出してて一時的に無いってことでもまぁそれだったら読書だってことでまぁPC無いことで読書が捗ったりするじゃん?あとそれこそ図書館に行くとかどっか行くってのが良い方法になるよね。


まぁでもリアルでやることないってのは分かるんだけどそこでリアルに何かを求めるんじゃなくてさっき書いた利休的な別のパースペクティヴをもって何か楽しめないか?ってことなんだよね。なんか急に野鳥を見ることに凝りだしたとかさ、山登りが趣味になりましたとかいいじゃないですか!ってことなんだよねっつってもそれってリアル=良いっつーイデオロギーがあるじゃん!って話になるんだけど山とか野鳥とかって常にavailableじゃん?っつーかまぁそういう単純なavailabilityの話でもないんだけどヴァーチャルって体を動かせなくなったとか忙しすぎて時間がさけないとかっていう場合の方法であるべきじゃね?って思うのよね。


いや、ヘッドマウントでさ、例えばそれでクラブ体験とかってできちゃうもんねっつーかクラブに限らず疑似的に体験できるようになるものは多いでしょうっていうか実際に俺は最近youtubeでboiler roomとかよく聞いてるんだけど本当に凄いことだよね。これはクラブ体験の疑似体験にはならないしあくまでホームリスニングっつー別のもんだけどただまぁ生のクラブのプレイがそのまま見れちゃって好きなときにいくらでも見れるって凄いことだよねっていうさ、んでまぁそのうちVR対応して疑似クラブ体験みたいなのが配信されるようになるよねっていうかまぁ今のこのクラブとかのプレイが聞けるってのがより便利になるってことだよね。そこでじゃあ便利になったってことでクラブ行かなくていいのか?っつーとそんなことないよね。


まぁ行くクラブが無いとかなら別だけどあるならやっぱクラブ行けよって話になるもんね。あとまぁ経済性とかも安上がりでいいんだけどさ、まぁクラブって行ったらそりゃ喉乾いてドリンクで儲けるようなもんだけどまぁ相当ぼったくってる店もあるけどそういう空間があることで回る経済っていう経済の場所ってのがあるわけじゃん?って前にクラブの話でそれはだいぶ書いたけどね。


まぁだからこそ田舎で使われてない場所とかレイヴ会場にしたりクラブ化したほうがいいって思ってるっつーのは変わらないけどさ、あーでもまたその辺は難しいんだよね。自治の問題がね。脱法行為が横行するとか事件が起こるとかあー面倒だわ(笑)別にクラブ行ったときぐらいはめはずせばいいじゃん!ってこれも意見は昔から変わらないし今後も永遠と変わらないだろうけど日本を支配している保守的な考え方からはなかなか脱却できないだろうな。で、大体こういう考えを支持してるやつって俺みたいなアウトローっつーとかっこいいけどまぁ明らかなはぐれモノっていうかさ(笑)不良なやつらのロジックだよねってことになっちゃうんだけどそこはもっと欧米を見てくれ!って思うよね。別に不良以外でも普通の人も普通にクラブ楽しんでますから!っていうね、場があれば人が集まってくるんだったら手っ取り早いのはクラブに決まってるんだよな。人が集まって爆音で音楽流して楽しむっていうそれだよね。


あとまぁあれですよ、そこでの出会いですよね。まぁ肉市場みたいになっちゃってもあれなんだけど疑似体験だと孤立するもんね。その空間から体験だけ持ち出して来ても場の空間の体験にはならないもんねっつってもまぁそれもVRの精度の問題なんだよな。ただまぁやっぱ汗だくで踊ってる人たちがいるっていうその空間だよね。そういうリアルの質感っつーかリアルのアウラだよね。マトリックスの2でコントラストとして描かれていた地下レイヴみたいなもんだよねっていつもその話になるけど(笑)


ちょっといいや。この話はあんまなんか一回で終わらせようとしないでまた長く書くわ(笑)ただまぁなんだろうね、リアル派とヴァーチャル派って分かれるようになるのかなー?っていうさ、いや、まぁ色々と今まで進化してきたしそれに適応してきたしそのままでしょって言う意見も分かるけど昨今のヴァーチャルは身体化されてるじゃん?見回すとか腕を振るということがゲーム内の動作としてフィードバックするってことは脳の回路とwiredされるってことだからコントローラーいじってるだけのとは全然話が違うよね。だからまぁ期待されるのがポルノとかだけどやっぱそこなんですよね。


そこを生セックスだろう!って言いたい自分がいるんですよ(笑)あーオナニーってなんて便利なんだろう。空腹もこんな感じで満たせればいいのになぁーって言ってたのはディオゲネスですがその生きっぷりに感激していたご婦人たちがいて夜な夜なディオゲネスの樽に入っていって「好きにしてちょうだい」って感じになってたらしいからまぁディオゲネスって何気に元祖ヴァーチャル派であると同時にハイブリッド型でもあるんだよね(笑)っていうかハイブリッドだったからこそヴァーチャルでもいいんだけどねーって言えてたんじゃないの?って思うんだよね。そこは本人に聞きたいけどご存命じゃないからなー。


ただ前にも書いたけど人口が増えすぎちゃいけないからヴァーチャルってのが結果的に人口抑制になってるみたいなところには自然のダイナミズムを感じるけどね。経済も縮小してリアルに食えない人が多いしアメリカでも家賃で半分以上の給料が飛ぶって人が大半だし生きること自体が大変だから子供どころの話じゃないんだよね。で、ヴァーチャルで色々な欲望が満たせたり手軽に刺激が得られるってのも代替を得るということではなくてそれ自体で快楽を得るってことがデフォルトになるよね。ネットでエロ見れる世代ってそういう意味でデフォがオナニーなんだよね。


だから新世代に性愛離れがあるのもそれは一因としてあるよね。あとまぁリアルを体験してがっかり・・・っていう声もあるからそのリアルも経験してる人がヴァーチャルが一番便利!っていうのには説得力があるんだけどただね、その例の「誘惑される意志」に書いてあったけど欲望の充足とかに関するそのプロセス全般をコントロールできるようになっちゃうと快楽が減るらしいんだよね。いや、それすげー分かる。ゲームとかそうだもんね。だから俺はナンパだの恋愛だのっていうコントロール不可能なものに身を置いて強度を得ようとしてるわけで最終的に強度ってそこになるんだよね。


ギャンブラーも負けるかもしれない!っつースリル感があって楽しんでるから完全にそれがコントロールできたらギャンブルにならなくて熱狂しないとかね、この辺は面白いよね。ただまぁそういう意味でリアルってコントロールしきれない要素が必ずあるじゃん?ヴァーチャルは最適化されてユーザーフレンドリーだからコントロールし尽くせるよね。でも本当の欲望というのはコントロールし尽くせるところで充足できるものではないんだよね。あとニーズがあって「これでどうだ!」ってメーカーが出してくるみたいな消費のプロセスとかでもないんだよね。全くコントロール不能の予期せぬところから「おお!」って体験があったり「すげー!」ってことになったりまぁそういう意味で偶発性なんだよね。もちろん運悪ければ最悪な体験をすることになるけどそれも含めたドキドキ感だからね。


まぁとりあえず今日はこの辺でいいやっつーか今書いてて思ったのは自由意志に関わるなーと思ってまた色々考えるネタが増えたなーってことなんだけど簡単に書くとボタンを押すと欲望や刺激が充足されるシステムって便利だけど悪く言っちゃえば自由意志が介在しないメカニックなものになっちゃうじゃん?欲望を充足させるためのプロセスがミニマム化されることで行為性の介在が少なくなって果たしてそれは自由意志なのかそれともここ押せば気持ちよくなれるよー的な動物になり果てるのか?ってことなんだよね。工夫して気持ちよくなったり満足するのってやっぱかけがえのない行為性があるからだよね。


セックスするにしても相手が必要だしバイク乗るにしてもお金とか免許必要だしただそれを経ることで体感されるものというのはなかなか代替が効かないものだと思うんだけど俺も含めたヴァーチャル思考のやつは「いや、代替効くんですよ」って勘違いしちゃって大事なものを失い続けるっていうね、これってまぁ予定調和の中で快楽を満たすのかリアルのカオスの中で満たすのかってことなんだけどまぁでもあれだよな、それはやっぱり本人の状況にもよるよね。今の俺なんかリアルにチャレンジしていけるぐらいになれたからいいんだけど昔だったらそうはいかなかっただろうし。


ただまぁとにかくシンボリックなんだよね。それは間違いない。前から言ってるけど世界的に引きこもり化が進んでて積極的に人とかかわるということを避ける人が増えている中でヴァーチャルっつーインターフェースが進化しているってすげーダイナミズムだと思うんだよね。両者の相関関係は無くても偶然にせよ必然にせよそういった社会状況とあたかもリンクしているかのようにヴァーチャルな世界ってのが顕在化してるんだよね。で、まぁそこに逃げるっつーかリアルでの実存の問題を置き去りにしたままヴァーチャルの世界に没入するってことは死んでるのと同じことだよね。


まぁ生きるための最終手段ならそれでいいんだけどリアルでの色々と余地がある人は色々やるべきだよね。で、ヴァーチャルの世界も自家薬籠中の物として娯楽のone of themとして扱うっていうさ、逆にヴァーチャルに没入したりそれがあれば生きていけるって状況はヴァーチャルっつー牢獄に生きてるようなもんだからね。まぁ現実も牢獄みたいなもんなんだけど工夫次第では色々やれるしあとまぁ悩むべきだよね。安易に色んな問題が表層的にヴァーチャルで解決するように見えちゃうってのはヤバい錯覚だからね。やっぱりそこでまぁ俺の最近の自分の闇とかクソである現実と対峙するっていう見つめるっていう感覚だよね。それに穴が開くぐらいまで見続けると違う次元が見えてくる可能性もあるってことだよね。


まぁあとコンテンツ依存は怖いよ。本当に。それが無限に供給されるようなもんでもそれが無いと生きてけないってのは実存的に脆弱すぎるんだよね。そういう意味で実存的に自律してないといけないんだよね。他律では弱すぎてダメだしヴァーチャルの環境はそういう他律性を生み出すものになるよねっていうか今のヴァーチャルとかゲームですらそうなんだから身体性とか没入度が高くなったらよりそうなっちゃうよね。ようは現実でなんかダメだったり埋まらない空虚感があったり欠けているとか足りないって思うものがあったりして、それをハングリーになんとかしようとしてなんとかするというのが自律性だよね。その上に選択としてヴァーチャルの世界とかリアルの世界とかってのがあればいいんだけど実存的な自律無しに他律的なもので環境が与えられてリアルの問題があたかも無いか解決されたかのように錯覚し続けるってのは最高に不幸な人間を生み出すよねってことなんだよね。


あ、まぁそろそろいいか。まぁあれね、こういう問題ってescapismとかまぁ色々と昔から言われてきたことはあるんだけど身体性と完全な没入度のヴァーチャルって世界は全然違う次元を生み出すってことなんだよね。それを娯楽として使いこなせる人にとっては最高のもんだけどそこに逃げ込む人にとっては最低のものになるけどでもそれで生きれるんだったら最後のシェルターにもなりうるんだよね。


まぁこれも生存術っつーかさ、前はヴァーチャル万歳!だったけど今はヴァーチャルがあるからこそのリアルへの逆張りっていう感じだよね。でもそれはオワコンシリーズ的に言えば自分の世界の生成ということだしボタンを押せば欲望が満たされる的な他律的な充足への反抗だよね。いや、そこは自由意志でやります!ってことだしボタンを押せば欲望が満たされるっていう環境に慣れた脳ってのは自律性を失うと思うんだよね。まぁこの辺はあれですよ、今後はヴァーチャルのインターフェースがどんどん開発されて色んなのが出てくると思うけど逆張り路線を貫きますよ(笑)で、まぁセックス三昧になってやる!って感じっすね。


ようは単純に怖いのよね。生活の中で欲望が満たされたりすると実感できるのがゲームの世界だけってのが。そこがようは欲望するということが足りないのと本文にも書いてるけど欲望のスポイルなんだよね。まぁ意図的に搾取してるのではなくて快楽と報酬っつーシステムそのものがゲームの中に反映されていることでボタンを押せばバナナがもらえると分かったサルの如くその快楽と報酬の檻の中でボタンのゲームをやり続けるってことなんだよね。本人はそれでいいならいいけどまぁ完全に惨めだよね。別にこれは経済とか知識量に依存しているわけではなくて快楽とか欲望の満たし方の作法だよね。それが豊かなものかどうか?ってことでゲームもその一つではあるけどゲームしかないというのはヤバ過ぎるんだよね。でもとりあえずゲームやってればいいからっつってゲームばっかやるわけじゃん?まぁこの俺の言う「ゲーム」ってネット的なものも含めてだけどね。escapism的なものね。そこで置き去りにされている実存はずーっと野ざらしになったまま朽ち果てていってるってことなんだよね。


まだ色々と続き書くけどまぁ一旦終わるけどこれって何気にデジタルと共存していく作法なんだよね。依存せずにone of themとするにはある程度のリアルと実存の充足と自律が必然であるってことなんだよね。ただまぁぶっちゃけ没入できる対象がリアルかヴァーチャルかなんて関係なくない?っていう話に関しては今のところクリアなことは言えない感じだよね。リアルでも数学に没頭してたら?ってそれってヴァーチャルじゃないけどまぁでも抽象的なもんだよね。でもなんでそれがヴァーチャルなものに比べて必然的にリアルでなおかつちゃんとしているものだから「良い」とされるのか?ってことだよね。享楽という意味では同じではないのか?ってことなんだけどこれについてはまた今度書くわ。


長くなったけど付き合ってくれてありがとうって普段言わないことを言ってみたりしつつんじゃまたね。明日はまた深みシリーズの続き貼りますんで。