おそ松さんについて。

おそ松さん見てるんだけどヤバいねこれ。超インテリアニメやんけ。アンチBPOとも言うべき自主規制ムードにファックを投げかけるような挑戦的な表現だったりテーマだったり、まぁでも別に昭和だったらデフォだったけどねー的な意味での過去からの現代への突っ込みみたいなのとか手法が超高度でレベルがブニュエルとかデヴィット・リンチみたいな感じだよね。ギャグとかじゃなくてそんぐらい高度なんだよね。


あと面白いのがイヤミの位置なんだけどリアル現代が「シェー!」過ぎてイヤミが地味なんだよね(笑)リアルで色々と話題になってる人も含めてとんでもない人ばっかいるからそういうのも含めて現実への突っ込みと風刺になってるんだよね。これが凄いのがアニメの中で現実がカリカチュアライズされてるんじゃなくてアニメから現実へのメタ的な突っ込みってところなんだよね。アニメ側から「でも現実はこうでしょう?」という突っ込みがあってそれは描かれているのではなくて自分たちが生きている実際のリアルワールドを参照して思わず「ぷっ」って言いたくなるような感じなんだよね。そこを描かずにメタ的にリアルに言及することで鑑賞者が思っているリアルというのを参照していくらでもそのリアルの部分をいじくれるんだよね。そのいじくり方がめちゃめちゃ高度で凄いんだよね。


でもそこはやっぱサブカルチャーだけあってネット的な言説とかアイデンティティとかデジタルの世界で独特に涵養されてきた世界観とか価値観とかがベースになってるよね。例えばクリスマスに6つ子がゾンビとかになるっつーのもネット的だよね。リアルでもまぁクリスマスに一人とか彼女が居ない!とかってそこそこの悲劇なのかもしれないけどまぁそうでもないよね。でもネットの世界だと象徴的な悲劇だもんね。クリスマスっていうイベント自体が自分のルサンチマンを露呈させるようなものになっているってのをすげーエンハンスしてる感じだよね。そういう意味でサブカルチャー的なノリなんだけどかといってもそこでサブカルチャー的な価値観とか世界観に依存せずに常識の範囲で普通のギャグアニメとして赤塚イズムを継承したアナーキーな感じっていう世界観で楽しめるわけだよね。


腐女子の間で話題!とかってのは見たことあったけどホントにこのBL的な要素って完全にネタ的なレベルなんだよね。そこをまぁそういうのに敏感な人が反応したのかもしれないけど当然本義はそんな表層的なところにあるわけじゃなくて至る所で現実に風刺が入っているっていう赤塚ワールドから現実がギャグのネタにされているっていう現実の面白おかしさだよね。っつっても根本シリアスだよね。ニートがおっさんになったら悲惨だとかギャグ的な要素が無かったらぶっちゃけ笑えないほどのブラックな要素満載だよね。あとまぁ自殺しようとしてた女の子の話とかめちゃめちゃシリアスだしね。根底に一貫したシリアスさがあるからこそそのギャグ度ってのが増してるんだと思うし絶妙なバランスを出してるんだよね。そこを現実にそこまで突っ込んでないとただのギャグアニメになるんだけどそこの突っ込み方が限界までやってるからいいんだよね。振り切れてるからめちゃめちゃ良い。


っつーか表現全般本来こんぐらい自由でいいんだよ!っていうような理想的なモデルだよね。これでもまぁまだ本当の自由から見れば色々と自主規制はしてるレベルだと思うけどまぁ実際に無駄に自主規制してる現実のほうがよっぽど面白おかしいんだよね。何その程度でクレームの電話とか頭おかしいんじゃないの?っていうね、赤塚ワールドがアナーキーで頭おかしそうに見えて実際はそのギャグの対象として参照されている現実のほうがよっぽどおかしくて赤塚ワールドのほうがよっぽどまともなんだよね。この構図自体が最高のブラックコメディ的要素を作り出してるよね。


でもこれって異常なまでに相互監視化が進んだネットのおかげでいき辛くなってる現在の日本っていうコンテキストが絶対的な前提としてあるよね。まぁ色々とぶっ飛んでてもここまで無駄に自主規制とかするようになったりしてなければそれは現実がよりまともということで例えばおそ松さんみたいな構造を持ったコメディにおいては笑いの要素が少なくなるんだよね。なんだろう、行き過ぎた全体主義国家とかスターリン全盛期の共産主義国家とか行き過ぎてるからこそ色々と笑いのネタにできるわけじゃん?駕籠真太郎とかがやってたようにね。で、その対象を今の日本っつー現実にしても全体主義共産主義国家とか行き過ぎたファシズム並に現実が色々と行き過ぎてて笑えるレベルなんだよね。ブラック工場とか最たるもんでしょう。サウスパークとかならワタミの元会長に似たような経営者とかが出てきたりするだろうね(笑)


でもそこは現実に引き寄せないであくまで抽象化したレベルでやってるから笑えるんだと思うよね。具体的なアイロニーになり過ぎてもそれが浮遊する記号ではなくて具体的なものを意味するシニフィアンレベルになると途端に笑えなくなったりするからね。そういうところのバランスも絶妙だよね。実際は色々と考えてみれば笑えない話が多いんだけどそこで笑えてしまうというのがやはりその参照のレベルで示されているものが記号的なレベルにとどまっているからなんだよね。具体的に意味し過ぎると生々しくなり過ぎたりしちゃうからね。ただでも一番風刺のパワーがあるのってこれだもんね。具体的にワタミの元会長に似たやつが出てくるとかってよりもバカバカしいレベルでサイコで支配的な象徴的な人物ってのが出てきてこれをようは現実へのアイロニーのリファレンスとするんだよね。それは記号だから人によってそれが「あーワタミのあいつとかねー」とかってことになったり「うわー前務めてた会社の会長こんな感じだよー」とか示せるものが浮遊してるからこそ強いんだよね。


相変わらず思ったのは優れた日本のアニメとかって学者とかが限られたディスクールの中でやってるような思想とかよりよっぽど思想的な強さがあるよなーって思うんだよね。でもそれは思想臭さとかイデオロギーを強要するものではなくてこうやって記号的に現実がリファレンスとして笑いの対象にされているというようなメタ構造自体が思想的な抽象的構造を持っているっていうことなんだよね。そういう意味でおそ松さんは抽象だらけだよね。パロディの意図的な氾濫とかも含めての過剰さとかも現実へのアイロニーに見えてくるしほとんどの場合、笑いの対象になってるのって現実なんだよね。このアニメの中でのばかばかしい出来事なんではなくてアニメの中でばかばかしく描かれてたり笑えるように描かれたりしているものが意味しているのが現実への徹底的なアイロニーなんだよね。それで笑えてしまうというところが凄いと思うんだよね。


そういう意味でこれって赤塚ワールドとこの狂った現実っつー異次元のマッシュアップなんだよね。その二つがブレンドされてすんげーグルーヴィーになってるってのが凄くリミックス的感覚だと思うしただのポストモダンアイロニーではないというかそういう時代は完全に終わったんだなって思わせてくれるよね。ポストモダン的感覚は踏襲してはいるけどそれをベタでやったりはしないんだよね。もうこういうレベルなんだよなって思って没落しつつも日本の根底にある文化資本の凄さと知的レベルにただ脱帽するだけですよね。本当にこれって文化遺産レベルだと思うのよ。まじで。


まぁなんだろうね、大きさ的にあんまそこまでアニメ詳しくないけどエヴァとかハルヒとかけいおん!とかっつーレジェンダリーなレベルのアニメあるでしょ?ああいうレベルだよね。大きさ的に。いや、本当に凄いっすね。


ってことで今日はこんな感じで。続きはまた明日貼るわ。んじゃまた。