深みの外出。その23。

エロスって概念なんだけど意味合いが広いから便利な言葉なんだけどこれって何かを分析したときに客観的な力動的なもののソースとしてあるみたいな所与の機構みたいな感じではなくてcultivateするものなんだよね。内在しているというよりかは潜在性としてprovokeすることで力を生み出すみたいなものだしあとまぁ持ってない人はとことん持ってないもんなんだろうなって思うよね。哲学と精神分析がある意味似てるのって両方とも概念とか人間とか精神っつー一般的なものを扱っているようで実は限られた人間しか持っていなかったり物凄く特殊過ぎて一般的に何の問題提起もされないようなものが大問題になってたりして一種の言語ゲーム的なところがあるんだけどでもあくまで問題なのは普遍性なんだよねっていうそこの矛盾っつーかそういうところを突けるってのが相対性とか言語ゲームみたいな概念を超えた上でのランガージュってことなんだけどそこにまたそのランガージュが行われる場所とか主体の歴史とか置かれている環境の文化とか歴史とかっていうややこしいものが介在してきてそれがまた凄まじいカオス化を生み出してるんだけどそれをやっぱり混沌としたものとして捉え続けるということが大事だよね。


哲学も精神分析もダメなところってのがそのカオスを単純化したり簡易化して構造化したりっていうある種の矮小化みたいなのがどんどん行われるんだけどまぁ一昔前なら今ほど科学も知識も多くなかったし統合されてなかったし情報自体のavailabilityという意味でも全然弱いからそれは矮小化というよりかはああいう時代だったらしょうがないっていう意味での単純化なんだけど現在の場合はそれがカオスであるってことが自明なのとそれそのものを捉えられるっていう情報量の肥大化があるじゃん?良い意味でね。だから過去のパラダイムに引きずられて前時代なものの捉え方をする必要なんてない!ってことですよね。だからまぁほぼ人文系ってそういう意味で死んでるよね。逆にちゃんとやってる人はそのカオスを認識しながらやってるけどやること多すぎてまだ形にはならないっていう感じだよね。でもそのうち結晶化するように思うけどね。


今はその過渡期でまだぎりぎり若手とかが昔のパラダイムとか過去にやってきた作法そのままでなんか書いてたりするけどそのうち新世代になるとデフォでカオスっていう中でどう考えて行くのか?ってのを真摯にやるっていう世代が出てくると思うんだよね。まぁ俺は常に先を行き過ぎてるからアレなんだけどでも確実に俺に近づいてきてるんだよね。時代が(笑)何より環境が例えばヴァーチャルリアリティにしてもポケモンGO的なものにしても原型が芽生えてるもんね。そういうものは観念的に形成していた人は実際にリアルになったか!という感動があるんだけど面白いのはそれがデフォの世代がどう考えるか?ってことなんだよね。そこがまぁなんか最近俺が言う時代っつーコンテキストとかそれ自体がエクリチュールみたいなもんになるっていうことなんだよね。でもまぁ古い型でやってきた人たちが今大御所入りしてたり殿堂入りしてたりっつーかまぁ一昔前は若手だった人たちだよね。


まぁそういうのが保守化っつーよりかは元々ラディカルじゃないからつまらないんだけどそういうのが結局上に来ちゃってるからそういうのとは断絶した新世代の考え方だよね。そこに期待したいんだよな。でもまぁその断絶って下手すると歴史を知らないとか教養不足ということにもなりかねないから難しいところなんだけどね。ただまぁ哲学者の名前とか出してきてドヤ顔してたり権威化したり文献いじくってコピペするとかそういうくだらないことはもうさすがにやってほしくないよね。最近まぁ図書館で色々と普通は読まないような本も読んでて思うのは本当にこれだよね。


こういうのは俺か俺よりちょっと下ぐらいの世代を最後に絶滅してほしいなって思うよね。考えるうえでの権威主義とか文献依存みたいな主体性のない考え方とか良い意味での言語ゲームではなくリテラルな意味でのくだらない次元での言語ゲームとかね、まぁ本当にあれなんだよな、そういう意味で図書館なんつっても特に人文系なんかは半分以上読まなくてもいいような本ばっかりだから情報がいくらでも手に入るからこそ若いうちから必要なものとダメなものってのを見極めるっていうセンスが必要とされるよね。そういう感性をどう涵養していけばいいのか?ってまさにメインストリーム的なものから外れるってことなんだよね。まぁだから学校行かないってことなんだけど(笑)


まぁこれについてはまた色々書くわ。ただまぁメインストリーム的なものにいても地位とかが約束されるわけじゃないし評価とかがツイッターとかで一気に下がってダメになったりするっていう凄まじい流動性の中にあるからそういう意味でメインストリームとかもう無いんだよね。安定したものが無いからこそすがるものがないという意味で気楽にアウトサイダーになれるっつーのかな(笑)逆にあれなんだよね、ラカンにせよ哲学にせよ過度に文献だの特定の哲学者とか権威とかにすがるのって必死にメインストリーム的な決定的な地位ってのを確立したい!っていう生存欲求の現れなんだよね。何もかもが流動的だからこそ決定的な価値があるとされているものにすがることで流動的なものに流されない普遍性みたいなのを得ようとしてるんだけどそこで今が良いのは昔ほどその権威に威力が無くなってるってことなんだよね。まぁみんな分かってきちゃってるってやつか(笑)


まぁただ本当にあれなんだよね、ゴリゴリになんたら派みたいな感じで何かに依拠するってのが完全に時代遅れで時代錯誤なものになってるってことだよね。かといっても科学万歳!とかっていうことではないし人文系の価値の没落ということではなくてより知識を求めるうえで向かうべきオリエンテーションというのが明らかになってるってことだよね。だからまぁ色んな学問のジャンルが繋がってきてたりお互い無視できないとかってことになってるわけだよね。それはまぁ哲学然りなんですよね。まぁそんな中で大半が時代遅れなわけですがね。


ただまぁさらさらっと読んでみて「あーこういう系の人か。意味無いな」ってすぐ思えるよねってことなんだよね。そんぐらいオワコン化してるってことだよね。元々オワコン化してた哲学ってのを完全に葬り去ってるのがオワコン化した哲学をネタになんか書き続けてる人たちだよね。でももうそういうのは滅びるか形骸化して残るかあとはまぁラカンにしてもドゥルーズにしても一定の需要とか出版にせよラカン業界みたいなのがあって出せばとりあえず売れるみたいな経済的な意味でのただのジャンルなんだよね。そういうのに成り下がってると思うけどまぁもちろんそういうくだらないもので溢れかえっている中からちゃんと自分で掘り下げて理解するっていう汚染されたものを読んだり接したりしないっていうことなんだけどそれをやっても昔ほど孤立しないからね。まぁそこがさっき書いた気楽なアウトサイダーってことなんだけどね。まぁそもそも哲学ってそういうもんだからね。


あ、そんな感じで続きね。


あ、んでそろそろ話戻すかっつーかすんげーバラバラで書いててまとまりがないんだけどあれだな、リビドーと実存だよね。あ、そのジェンダーと実存ね。男であるということで意識していることってのが色々とあってそういったものが実存に影響を及ぼしている部分もあってそれは凄くそのなんつーか生理的なものだよね。そういうのも実存に影響を及ぼしてるんだよねって繰り返しになっちゃってるかもしれないけど。んでまぁ今の俺の仮説としては自分のつまらない病ってのがまぁ確かにつまらないんだけど酷い鬱ってのが抑圧から来ている面もあるのでは?っていう措定だよね。


本当は恋愛したいヤリまくりたい・・・でもやれてないっつーのと実際はナンパしたいのにやることが現実的なことだとは思えないっていうような思い込みだよね。そういう色んなもんが抑圧しているものは大きいでしょ。そういうのを抑圧し過ぎてるから鬱になるってところもあるんだと思うし、色々とまぁ気分障害があってもコンスタントに外に出てナンパやってればバイオリズムみたいなのは良くなりそうな気がするんだよね。まぁ今はスタートダッシュのビギナーズラックじゃないけどまぁスタートでちょっとテンション上がってるってのがあるけどまぁ問題はロングランですよね。


あ、んでね、Scholar of The First Sinをセールで買ったって書いたじゃん?で、欲望するということについて色々と最近は考えてるわけじゃん?で、ゲームって欲望を満たしてくれるよね。でもこれって満たしてるんじゃなくてゲーム上で欲望という感情が想起されているだけなんだよね。こんなレアアイテムがあるとかこういう強ボスがいるとかってのは言わばいらないもんを欲望に結びつけて売ろうとする商業とかと同じだよねっつってもまぁ商業ってそういうのだけじゃないけどでもまぁよく言われてるように本当に必要なもの以外なんてないもんじゃん?そこをまぁ色々と欲望を喚起させて売ろうとするんだけどその欲望っつーものはある種普遍的なんだよね。


「へぇーそうなんだ。欲しいかも」って思わせるっていうその「欲しいかも」って思う感情の元が欲望なんだよね。で、ダマシオの情動から感情みたいな話があるけどこれってまぁ分からん、どこまで脳科学的に妥当かはともかくとして欲望で考えるとわかりやすいよね。っつーのは「欲しいな」っていう情動自体が「あれ欲しい!」っていうそれを手に入れたい!っていう感情に繋がってるんだよね。ダマシオのと微妙に違うかもしれないけどっつーかまだ読んでないんだけどね(笑)まぁそれはともかくあれなんだ、そのゲームの話で言うと「欲しいな」っていうのと「欲しい!」とか「手に入れたい!」とかそれに付随する感情というのに心がドミネートされてゲームに没入することになるんだけどそこで「いや、これはヤバいな」って思ったのが欲望が代理のものでスポイルされてるんだよね。


俺の場合、今は性欲だけど性欲も欲望なわけでその欲望の対象ってのを何にするのか?ってことだよね。でもゲームとか「欲しいと思わせるシステム」ってのは欲望の対象を明確に指示するじゃん?で、そこで仮の欲望が喚起されて感情に繋がるんだけどそれって本当に欲しいものじゃないじゃん?まぁゲーム内では欲しいんだけど実際に欲しいかどうか?っていうその「実際」とは何なのか?って話になるけどそれで言うと欲しいと思わされているもの全般自体にこういう虚構が存在するよね。どこまで能動的に内発性から「欲しい!」と思っているか?っていうことなわけでそんなもの実は滅多にないんだよね。でも欲望せずには生きられないし欲望するというのは生きるうえでエンジンみたいになるじゃん?


で、ゲームがその欲望をスポイルするっていうのってその欲望をそのゲーム内で満たせることで欲望全般が満たされたように錯覚してしまうっていうことなんだよね。何かを手に入れたら手に入れたような気になるけどヴァーチャルなもんだし何をもってほしいとするのか?ってまぁそれは別にモノでも同じなんだけどゲーム内の欲望もリアルの欲望も欲望っていう意味ではエンジンは一緒なんだよね。それが何に向かっているのか?ということね。で、それが観念的なものとか仮想世界のものだったりすると欲望が向かう対象がリアルじゃないんだよね。だからいけないということにはならないんだけどそれはリアルにおいて欲望するということを忘れさせるものであるとも言えるんだよね。


欲望のガス抜きというかなんというか逆にリアルで何も満たせない人がゲームの世界では欲望を満たしまくってそれで満足するということはあるかもしれないけどまぁ完全なるルーザーですよねこれって。でもルーザーじゃないのにも関わらずゲームの中で喚起される欲望のみで欲望を満たしてるってのはすげー勿体ないことなんだよね。いや、経済的ではあるけどね、例えばまぁなんかのコレクションってそれ自体は消費で意味ないかもしれないけどなんでもいいんだけど時計が好きで集めるのが趣味とかさ、ゲームの世界でアイテムとかレア武器集めるより良い趣味だよね。なんで?って言われるとなかなか困るんだけど(笑)ようはその欲望の対象がリアルなものであれば志向性がリアルに行っているってことじゃん?


その趣味の時計のために遠出するとかさ、限定品を待ち望んで買うとか並んで買うとかね、これも楽しみですよね。ゲームの世界とは違う楽しみだよね。実際に体を動かして外に出るだとかなんだとかっていうそれに関して付随することがいっぱいあるよね。バーチャルの場合、全部パソコンの前じゃん?実体がないからね。でも欲望自体には実体はないからだからこそまさに向かう先によって欲望自体が規定されて具現化するっていうことなんだよね。例えばめちゃめちゃ好きな時計のコレクションってのはその欲望の具現化であって手元にあるってことがリアルに表出しているんだけどバーチャルなものの場合、それが無いよね。じゃあ物理性の問題なの?ってことになるんだけど具体的にそれがモノじゃなくてもリアルを介して得られたものってのが本来の欲望の向かうべき道なんだよね。


だから本当にそれが好きだったらそれが物欲だろうが性欲だろうがいいのよね。それは能動的じゃん?無理やり時計屋に買わされてるとかじゃなくて自分で集めてるわけじゃん?でもゲームとか与えられた世界によって喚起される欲望ってのはその欲望っつーシステムを利用したもので欲望を喚起させて没入させるものっていうそれ自体がそういう装置なんだよね。だからそこに欲望も何もないんだよね。ただ欲望が喚起されてハマるという行動になるしそれが元で出てくる感情ということもあるけどありがちな言い方すればそれはリアルじゃないからね。


ってことで続きます。んじゃまた。