深みの外出。その26。

では。


よくさ、そのゲームにかける労力とか気力をもっとほかのことに使えればなぁー・・・って言い方があるじゃん?それなんだよね。簡単に言えば。それはようはその欲望とか生の原理っていう意味でのリビドーが向かう先が無いかゲームぐらいしかないからなんかないかなーってことなんだよね。で、なんかあるならもっと有意義で実益があって有益なものにしたいと思ってるんだよね。でも無いと思い込んでる。でも実際はあるかもしれないんだよね。


すげー出不精だけど実際はアジアを放浪するとかってのをやったらすんげー楽しい経験ができるかもしれないんだけど面倒だし金もかかるしあとはまぁリアル環境によることだよね。アジア放浪できるほど自由ではないとか金がないとかっていうそういうことなんだけどでもそれって仮にアジアを本当に放浪したかったらそのために金作ってなんとかしようとするよね。ただその確信が持てないだけなんだよねっつってもまぁなかなかいきなりアジア放浪しようとは思わないけどでも例えばインドに行ってみるぐらいだったら別にそこまで敷居高くないよね。でもやらないんだよね。


行ったって何もないし何も変わらないし動画とかで見れるしっていう全部ネットとか情報を中心とした世界観になっちゃってるんだけどそこに圧倒的に欠けているのは体感っつー実際の経験と感覚的なことだよね。実地に行ってどう感じるか?という感受性とかの問題ね。そこで偶発的に発生したことで何か考えが変わったり何か思いついたりするかもしれないんだけどもちろんどっかに行けばいいというわけじゃないけどただまぁ脳のためにたまには旅行するのが良いってのは大体本に書いてあるよね。でも面倒くさがりだとやらないんだよね。そこまでして行きたくない。んでもじゃあ自分のリアルはどうなの?っつーとすんげー退屈してるっていうね(笑)そりゃお前が何もしないからだよって自分に言いたいわ。本当に。


それが分かっているからこそゲームとかに没入してると余計にフラストレーションになったり虚しさに繋がったりするんだよね。それはまさに欲望の埋め合わせをしてるからだよね。楽しい!とかやりたい!とかあれゲットしたい!っていうような欲望全般に関する感覚を全部ゲームに求めるようになるっていうかそんだけリアルに絶望しているっていうことなんだけどさ、でも例えば前に俺がラブホ巡りをしたいって書いたけどこれってあれじゃんね?さっきのゲームで言うところのダンジョン巡りしたいみたいな意味じゃん?リアルに絶望するって言ってもそれはパートナーがいないだけで別に歴然とラブホはラブホとして存在してるんだよね。でもパートナーがいないからラブホ巡りはできないって言うならだったら作って行けよ!って話になるよね。そこで作ろうとする努力をしないまま家にいて「つまんねー」って言ってるって最悪の堕落だよね。もっと能動的に欲望に向かっていけ!って言いたいよね。


それにはお金も時間もかかるし労力もかかるんだけどでもそれ惜しんでたら楽しさはゲットできないよね。そういう意味でゲームとかネットとか動画見るとかってインスタントにそれがゲットできるかのように錯覚できるから便利なんだよね。だからみんなそればっかやるようになる。でもリアルに金を使うってのはようは自己投資なんだよね。もっと欲望とか楽しみを広げるためにやるんだ!っていうことじゃん?そこで金の出し惜しみをしてたらそれだけで色んな可能性が無くなるよね。だからまぁ俺は本当に本ばっか買ってたけど今後は外出及び可能ならば外泊に金を使いたいと思うわけですよね(笑)


それは今までの感覚だとその分でどんだけの本が買えると思ってるんだ!ってことになるんだけど本のコストって下がってるしあとまぁ図書館使うしオーディオブックとかもあるし工夫すれば安く済ませられる方法はいくらでもあるよね。昔はやたらめったら買ってたけど別に使い捨てみたいなやつとか箪笥の肥やしみたいになるようなやつはオーディオブックとかkindleとか図書館で十分だもんね。でもそれは物欲を満たすためでもあるんだったらそれはもっと広がりのあるところで別なところで物欲を満たせばいいってことになるよね。その「本だけ!」という金の使い方がいかに世界観を狭めていたか?ということだよね。


あとまぁ本当に物理的な意味で欲しいものを手に入れた人ってお金を体験に使うことになるらしいけどまさにそんな感じだよね。いや、そうなるだろうなってのがすげー分かるのよ。散々欲しいものばっか買ってきてて思ったわ。まぁそりゃその物理的に欲しいものを手に入れた人って億万長者の話だけど(笑)まぁでも分からなくもないんだよね。体験に金を使うという感覚は本当に「それだな!」って思ったんだよね。俺に足りないものはそれだなっていうね、ある意味ストイック過ぎるんだよね。


昔はレコードにしか金を使わない!だったしお金の使い方にしてもそこでまた違う世界観が開けるもんね。例えば横浜行って不発で終わって帰って来てもまたそのナンパのプロセスにおいて色々思ったりとりあえず横浜でやってみたっていう経験は残るしその体験にお金を時間を使うことは有意義だよね。その感覚が無いと用事もないのになんで高い電車賃と時間使って行かなきゃいけないんだ!ってことになるけどその「用事もないのに」ってことで言うと外に用意なんかないですよね(笑)


だから合理性を極めればそれは引きこもりということになるよね。無駄に衝動買いとかしないし外に出たことに付随する飲み食いとかも発生しないし時間のロスも発生しないから家万歳!ってことになる。でもそれは合理性の一面でしかないよね。じゃあ果たしてそれで楽しいの?っていうとまぁ何かにハマってるときはそれでいいかもしれないけどそんなに持続性があるもんばっかじゃないからいつかは飽きるし家でやれることもネットとかのおかげで増えたとは言え限られてるよね。「家でやれること」って別な言い方をすれば「外に出なくてもやれること」だもんね。


ってことで続きます。んじゃまた。