深みの外出。その28。

では続きを。


あ、なんかもっと実存の話をしようと思ったのとまだちゃんと書いてないことが色々あったんだけどまぁいいや。この話するか。いや、そのドメインっつーかまぁ領域の量ってことなんだけどデジタルドメインを消費し尽くすって今の俺で言うとyoutubeで見れる過去のコンテンツとかテレビとかも含めて大体見ちゃったっていうことだよね。映画にしてもそうなんだけど見るのが無くなってくるんだよね。膨大に見てると。二倍速か2.5倍速で見てた結果、消費のペースが凄まじいことになってかなり見尽くしたっていう感があるよねっつってもまだまだあるんだけどね。


あとまぁゲーム然りよね。コンシューマー機には手を出してないけどPCで出来そうなやつでやりたいやつは大体やっちゃってるもんね。まぁそれは音楽然りなんだけど。ようはそういう情報を得られるペースとか探し方のコツを知ってると物凄い速度で消費できるってことになるんだよね。で、無限かと思っていたデジタルドメインが実は有限だったってことに気が付くんだよねってまぁ当たり前なんだけどね。で、「いや、デジタル系尽きてきたな・・・」って思って一切やってなかったアナログ系のことをやるってことなんだけどでもそれは自分にとってはやってこなかったことだから新しいことだよね。


アナログっつーかアコースティックな感じっつーのかな?感覚は相変わらずデジタルとか感覚がゲームなんだけどアコースティックにゲームをやる感じだよね。いや、でもさ、本当にそういうのって加速してるのよね。いや、steamでyoutuberだったかそんな名前のゲームがあるんだけどゲーム内でyoutuberになるっつーリアルと仮想の逆転みたいなのが起こってるんだよね(笑)いや、だったら自分でやればいいじゃんっつーかリアルでyoutuberになればいいのに現実はそんなにうまくいかないからそこでゲームになってるんだよね。リアルを模倣する仮想って凄くないですか?


俺の場合、逆だよね。きわめて観念的だったり仮想世界にいる時間が長い人間がリアルに行くっていうさ、このyoutuberっつーゲームで言うところの反対だよね。youtuberではゲーム内でyoutuberになるわけだけどそれを現実でやっちゃうってことだからリアルyoutuberになるってことだよね。まぁ俺はやらないけどね(笑)でもまぁこのアコースティック感覚ってまさにこれなんだよね。デジタル領域だと限られているからリアルも視野にいれてゲームっぽくしようっつーゲーム化だよね。でもゲーム化って一時期流行ったか。ただまぁどんぐらい節約できるか?とかさ、凝りだすとゲーム感覚になるじゃん?あれもデジタルアコースティックだよね。あ、デジタルアコースティックっていいな(笑)


なんだろうね、これが面白いのは素では旅行とか行くことなさそうなのにデジタルアコースティック感覚だと知らないマップに行くっていう感覚だからそれ自体が目的化するよね。これはまぁ本当に意識とは何なのか?っていう感覚に立脚しているもので、今の俺が外に出るというのも一気にアウトドアになる!とかマインドを変える!とかじゃなくてマインドとかはそのままなんだよね。ただ外という所与の世界の見方を変えるっていうことだよね。それがまぁ外出の理由づけとかなんだけどさ、でもこういうのって高齢者の問題とかで多いんだよね(笑)高齢者が歳とともに引きこもりがちになってしまうから外に出ましょう!っていうのをどうやっていくのか?とかっていうまぁこれと同じですよね(笑)


でもまぁこれって年齢に関わらずさ、便利になればなるほど外に出る必要性は下がるよね。今ってそれが加速した結果なんだよね。恐らく。外に出てもスマホやってるっていうね(笑)一体リアルはどこにあるのか?ってことなんだけどそのリアルの定義が曖昧だったりブニュエルの映画みたいな感じになってるじゃん?ある種シュルレアリスティックっていうかさ、実態が無いよね。あるけど色々と交差しているし個々の主観のモードというのが多様化してるし個人の主観がそのまま現実に反映されてるっていうかそれはまぁ当たり前なんだけどまぁなんでもネットに帰結はさせたくないけど情報の出入りの間口が広がったことで一つの現実みたいな幻想が無くなったんだよねっていうかなんだろうね、90年代と言えばメディアが強かったっつってみんな同じ世界を見ていて同じものを買っていたっていうまぁそれがデフォだったじゃん?で、情報化によって多様化してメインストリームみたいなのが無くなった分、個々が自分の世界を構築するかあとは誰かが作った世界に生きるとかそういう感じになってるよね。


まぁんでこれってまぁオワコンシリーズそのまんまなんだけど俺はこの自分の主観を生きるってのとクソゲー化を避けるために良ゲーにするとかオブジェクションを増やすとかっていう世界の構築だよね。そこで軸となるのは欲望でそれは本当にゲームと同じなんだよね。でも対象をリアルにすることで俺が言いたいデジタルアコースティックになるんだけどある意味で引きこもりのハードコア化かもしれないんだよね。ようはデジタルの世界とか自分の世界というのに限界を感じたからみんなと同じ外にも目を向けてみようではなくて外を内に取り込むんだよね。ハードコア化された内的世界の中に現実を取り入れちゃうとか内的世界のゲームを外でやるっていうことだよね。


でもこれって相当内的世界を深めてないとダメだから上級者向けのリアルハック的な感じだよね。それで行動自体が例えば「外出」とか「散歩」でも内的世界を隔てたデジタルアコースティックの世界だとゲームをリアルでやってる感じになるんだよね。だから別にゲームをやること自体に気負う必要もなければ怖がる必要もないんだよね。でも悪い意味でのゲーム感覚ではないんだよね。実存を軸としつつも仮に恋愛するならそれはゲーム感覚ではなくてシリアスなんだけどでもまぁそれは相手次第っつーか相手がゲーム感覚だったらこっちもゲーム感覚っていうさ、真面目過ぎるからコミットできなかったりやれなかったりしたらゲームだって思えばいいんだよね


でもそれはやろうと思って「これはゲームだ!」と思うのではなくて生活の中でゲームが占める割合をリアルのゲームに割くっていう意味で外に開かれたゲームをやるってことだよね。でも一般的な方法論としてゲーム感覚って有用なんだよね。続けるコツというかさ、勉強とかダイエットとか運動とかなんでもいいんだけどそこでシリアスに勉強!とかダイエット!とかじゃなくてゲームと同じ感覚とか体感でやるんだよね。で、まぁ勉強はそりゃやればやるほど頭良くなりますよね。自分磨きというか自分育成になるよね。で、まさにナンパはその外側の感じだよね。読書が内側ならナンパは外側っていうさ、自分の人間力をいかに上げるか?っていう工夫になるんだよね。まさに俺が普段から言う知識のcultivationと全く同じでそれを別のプラットフォームでやる感じだよね。


ってことで続きます。ではまた。