ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

深みの外出。その29。

では続きね。


でもまぁ色々と知ってたところでRPG的に言えばレベル1ですよね。で、他のことと違って自分でやるだけでレベルが上がるわけではなくて実践しないとレベルが上がらないんだよね。これってよくよく考えると凄いことでさ、トータルの人間ってのを見たときに最高の自分磨きになる!って思ったんだよね。育成にもなるし・・・じゃなくて育成の感じが万能っていうか頭とか外見とか体とか全部試されるじゃん?っていうか必要とされるよね。あとシリアス過ぎるとダメだしそんなの長続きしないしやっぱり俺の今のポイントって持続可能性だからね。無理なく生活の中に取り入れることができて定期的にできて楽しみになることだからね。だからうまくいくとか失敗するとか関係ないんだよね。ゲームをやるときに敵に負けたらどうしよう?なんて思わないじゃん?あくまでゲームの中のことをやるわけだよね。


あとまぁなんか色々と自分が悩む原因ってのを考えると何事にもシリアス過ぎるってことがあるよね。それがいかに人生をシェイプしてつまらないいき辛いものにしているか?ってことなんだよね。根元の真面目さってのはそりゃ変わらないから作法からなにから全部が全部真面目である必要は無いんだよね。あとまぁそういう生真面目さを取り払うことで得られるものが多いってことだよね。人を見る目がないって単純に元々のセンスの無さもあるけど経験が少ないってのはあるよね。だから色んな人と会ったり話すのがいいってことになるよね。それが結局まぁ経験値に繋がってあんまネガティブベースには考えたくないけど結果的に嫌な思いをすることがなさそうっていうか逆にそういうソーシャルの部分のレベルが1だったり人を見る目が無かったりするとそれが何かにおいて失敗するかもしれない要素になるからね。


とは言いつつもなんつーかまぁそういう合理性を快楽とともに得たいというかさ、快楽依存ではあるんだよね。でも快楽を目指すなら合理性を超えたものってのを得ないといけないし合理性という世界観からは真の快楽は生まれないんだよね。だから色々と考えがちである場合、自分がちんぽになったつもりで快楽を原則として物事を考えるというモードも持ちましょう!ってことになるんだよね。あ、フロイトの快楽原則とはまた違うし別にフロイトに依拠してるわけではないのでね。でもまぁいつもっつーか昔から同じ結論になるけどやっぱ行きつくところはドラッグやってレイヴ三昧ってことになるよね。まぁ一旦社会的な制約とかを取り払って純粋に快楽ということを中心に考えてみるとまぁ結局そうなるんだけどそれってまぁなんか機械的っていうかこれ押せば飛べますよ的なメカニカルな感じなんだよね。


で、今の俺はそういう機械的な世界観とかボタンを押して得る快楽みたいなのから体験を経て得られる快楽とかその場での瞬間的な快楽というよりも持続的な快楽というのを求めてるわけだけどそうなると明らかにドラッグとかレイヴ三昧っつー選択肢は持続性という意味から完全になくなるよね。まぁんで知的刺激を得るってのは昔からやってる俺の一つのやり方だけどこれだけってのに飽きてきたからこの知的刺激の分野並に色々と広い快楽の領域を広げていきたいっていうことなんだけどさ、まぁそうなると体験ってことになってまぁオウムとかと構造が似ちゃうんだけどね。


そこでまぁそういうオカルトとかスピリチュアルではない領域ってことで恋愛とかフリーセックスとかになるけどまぁあれかね、思想的にヒッピーの快楽の部分だけ抜いてきたような感じに似てるかなとは思ったんだけどただヒッピーって現実に生きてないからね。現実に生きなくてもなんとかやれていたっていうアメリカのヘゲモニーだの経済だのってことがあったから成立したんであって今ってまぁリアリズムの時代ですよね。夢がない時代なんだけどそこで俺が言うロマンへの回帰っつーのはやっぱりまぁアナログに戻る!みたいなありがちなことなんであって恐らく成功しないだろうっていう可能性が高いよねっていうかそういう試みなんてベタ過ぎて色々と試されてきてるんだろうし。


でもまぁそこでノスタルジーではないハイパーな感じのロマン主義っつーのかな。リアリズムを生きるためのロマン主義というかね、だからこそまぁなんだろうね、もう別に必要性も無くなったし必然性も無くなった恋愛ってのをある意味でメタ化してゲーム感覚でやろうとしてるってのはあるよね。でもまぁ時代的になんでも情報化する時代ってそういう相対化が起こるし一昔前に絶対的であったものの権力とか影響力が無くなってただの選択の一つとかになるわけじゃん?


そこでなんだろうね、あ、俺のミックスとかって90年代のハウスとかが多いけどノスタルジーなんじゃなくてこれが自分のリアルなんだよね。これが好きだしハウスに帰れ!的な思想もないしね。ナチュラルな好みとしてあるってことなんだけどハウスすらも音楽の一部っつーか選択の一つになってるからね。音楽が多様化してるとはいいがたいけど音源が色々とある中でクラシカルなハウスを持ってくるってのはまさにチョイスなんだよね。90年代はそれがデフォっつーかそもそもの最新のダンスミュージックだったわけでプライマリーだったわけじゃん?それがまぁ何を中心にするかだしシーンとかにもよるんだけどそこでまぁ音楽も相対化されてハウスっつーのもまぁ選択の一つになるわけだよね。


ってことで続きます。ではまた。