ヴァーチャル系の話。その4。

調子良いときは別にリアルで良いことがあったとか欲しいものが買えただとかそんなこと関係なしに何の前触れもなく調子が良くなって天才モードに突入すると凄まじく読書が捗って色々と書けるんだけどダメなときは徹底的にダメで一気に「死のうかな・・・」ってなるんだよね。娯楽ってのはその死のうかなモードのときに気晴らしにやるのがいいんだけどゲームにすらも飽きちゃってるから娯楽が無いっつっちゃー無いんだよね。だから調子が良いときの読書とかなんかを書くってことぐらいしか楽しみがないんだよね。まぁそんな感じだから外出とショッピングと図書館は生存のために必要だ!と思ってるわけだけどシリアスになればなるほどナンパっつーよりまずやっぱ実存の問題解決しないとどうにもならなくね?ってことになってでもまぁそんなの解決しないだろうってことで堂々巡りな感じだよね。まぁ逃げとしてのナンパはダメだよね。どのみち破たんするでしょう。元がダメなんだから。まぁマジでだから常にどう生きて行けばいいか分からない状態だよね(笑)まぁやりますけどね。ナンパは。


ってことで昨日の続きね。


んでまぁその存在なんだけどね、思考実験っつーか間違えてる可能性がありつつもその誤謬も含めて実際はそういう風に存在って知覚してるよねって意味で「誰かがいる」っていうプレゼンスの話なんだけどさ、さっきの神社wifiってまぁ思想とか信念に依存する神というプレゼンスっていうことなんだけどね、まぁそれを意識するかしないかで行動が変わってくるっていう意味での存在の直接性だよね。まぁんでそれは信条に依存しないけど似たような構造としてwifiっつーかまぁネットに繋がる場所っていうことがあるんだけどまぁまた別なバージョンで言うと出かけた先でうんこしたくなって自宅のようにゆっくりとしたかったんだけど誰かがいるから「ブバッ!」と思いっきり出せないっていう状況があったとするじゃん?っつーかなんで例がこんな汚いのか?ってのは別として(笑)で、まぁその「誰か」ってのが去った気配があるから思いっきり「ブバッ!」っといけるってまぁその「誰か」に排便の行動が左右されてるってことだよね。まさに「誰か」っつー存在が介在することでブバれないという思いっきりブバるという享楽を禁止する他者ですよね(笑)


でもそれは他者がいることで禁止されているからこそブバる快楽というのがブバれたときに破格のものになるって意味で外出先でうんこをするスリリングさっていう享楽はありますよね。まぁ禁止と侵犯ってバタイユのエロティシズムとかラカンにも出てくるけど禁止に限らずフロイト的な意味での去勢においてすらもそうだよね。去勢の場合、「去勢されるんじゃないか」と恐れる対象は「父」だけど別にそれは概念的な意味での父なんであって実際の父であるかどうか?ってのはどうでもいいって意味で観念的な父だよね。まぁそんなのがあるかはともかくとして意識っつー未知数のものの中にそういったものが普遍的ではないにせよ介在していることもあるっていう蓋然性はあるよね。だからまぁようは蓋然性なんだよね。存在って。フロイトの父然り、享楽を禁止するもの然り、エロティシズムを禁止することで侵犯したときの享楽を倍増させる何か然り。


うんこの話に戻るけどまぁなんだろう、イオンモールでうんこしてるみたいな感じで想像してほしいんだけどね(笑)その外出時特有の排便の恥ずかしさってイオンモールみたいな女子供も普通にいるというモロに外部の中で凄まじくドメスティックな「排便」ということをする恥ずかしさだよね。で、なんでそれが恥ずかしいのか?っていうと排便は一種の快楽だからだよね。「はぁーすっきりしたー」っつー快楽ね。肛門的快楽という意味ではもっと行くと基本的にアナルの快楽全般ってことになるよね。そこがトイレでしかも男子用トイレだからこそそれは快楽としての排便ではなく生理現象としての排便なんだっていうエクスキューズを得ることができるわけなんだけどじゃあモールの真ん中っていうかフードコートでうんこしたら完全にそれはヤバい人だよね(笑)でも恐らく変態の中にはそういう妄想をしてる人はいるよね。


スカトロマニアって別にうんこ食うだけじゃなくて露出狂的なうんこをするとかそれを見せるみたいなところに快楽を得る場合もあるからね。究極系がある種最高にリスペクトしてる横綱級の変態のあの人だよね。女子高に夜に潜入して恐らくそこで盗んだだろうスクール水着を着てプールサイドで排便するっていうね(笑)前に書いた女子高生の恰好をしてオナニーするということが別に女装癖を表すものではないのと同じ意味でこれも別に女装癖じゃないんだよね。


ある意味自分がなるというか女子学生がうんこをしているということに興奮する輩は意外と多いと思うしスカトロマニアでもかなりメジャーな部類に入ると思うけど自分がその恰好をして排便することに快楽を覚えるってまぁ自分で疑似体験してるってことだよね。でもそれは見るということだけじゃなくて体験全般が興奮なんだよね。で、それは自宅で捕まることなくできるけど女子高のプールサイドでやるっていうね(笑)女子高の女子トイレでうんこしてるならまだマシだけどプールサイドでスクール水着っていうね、でもロジカルだよね。完全に狂ってるように見えて変態のロジックでいくとロジカルなんだよね。


こういう意味での変態が興奮する「スクール水着でプールサイドで排便する女子生徒」ってのは観念的な存在なんだけどでも蓋然性という意味でそれは事故という意味で例えば凄まじくおなかを下している女の子が意図せずにそういう状況になってしまったという状況は多くはないにしてもあるだろうなって想像できるって意味でそれはありえる存在だよね。でも具体的な存在ではないんだよね。そういう意味で観念的なあいまいなものなんだけど変態にとってはそれが凄まじくアクチュアルな存在として頭の中で現前してるんだけどでもそれは「誰か」なんではなくてそいつの変態性とか性欲っていうものの顕在化だよね。


だからそれは顕在化した観念なんであって存在ではないんだけどでも仮に存在として考えたときに蓋然性としてありえる存在足りうるものなんだよね。もちろん変態の性欲の観念的な顕在化ってのは別に実際に存在できるか?という存在性に依存はしないんだけどね。でもそこで完全に存在しないかまずありえないものだった場合、それは色んな意味である種病理的かもしれないよね。女性器から触手が出てる女の子がその触手で自慰行為をしてるとかってなかなか変態度高いけどまぁでも今書いて思ったけどそこまで病理的でもないな(笑)ただまぁファンタジーですよね。でもスクール水着で脱糞する女子はファンタジーじゃないよね。


そういう対象化された存在によって興奮を得られるということ自体が存在という機能を少なくともその変態にとっては与えられてるというのはあるんだけどこういう意味での「存在」というのが抽象化すればさっき一通り書いた「何らかの禁止をするもの」とか「去勢をしようとする父」とかっていうことになるんだよね。そういう位相だからこそ無理になんでもフロイトに結びつけたかったらなんでもそれを「父」にすればフロイトっぽくなるよね。でもフロイトが言う「父」というのはあくまでもフィギュアティヴな父なんであって具体的な父ではないんだよね。


そういう意味で抽象化するとさっき位相って書いたけど「禁止をするもの」もある意味同じだよね。そこで抽象化の威力としてはこういう存在の位相が考えられたからこそフロイト的な父とかスクール水着で脱糞する女子生徒とかってのが同じレベルの存在として規定できるんだよね。え?って感じだけどでも面白いのがそれってただ機能の差なんだよね。あと想起したり浮かび上がってきたときのイメージの違いなんであっているところは同じなんだよね。いる場所が同じなのではなくて存在の位相が同じということね。それはあれだわ、俺とどっかの渡辺さんは違う存在だけど人間という意味では同じ種類の存在っていう意味での同定の存在ということだよね。そういう意味での存在の次元として象徴的な父もスクール水着で脱糞する女子生徒も同じ次元にいるということだよね。


ってことで調子が良くて長くなってるんでまだまだ続くよ!って感じになっておりますね。まぁある意味ずーっと読んで書くことができれば永久機関なんだけど鬱ゾーンに入るとそれが一気に断絶を食らうから本当に辛いよね。まぁそれがあるから天才モードがあると思えばいいんだけどまぁサーフィンですね。「お、波が来てるな」って思ってるときはいつそれが切れるかも分からないから書きたいこととか読みたいものってのを徹底的にやっておくってことですよね。まぁそれにしても実存的に脆弱だと思いますよね。あまりにも脆いよね。何かの積み重ねで安定ということがありえないんだよね。まぁ今の世の中っぽくてそれでもいいかなと思いますがね。


ってことでまたね。