ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ヴァーチャル系の話。その6。

では続きを。


誰もハリーポッターの世界に嫉妬を抱かないでしょう(笑)「俺は魔法が使えないし空も飛べない・・・」って落胆する人はいないよね(笑)まぁでもリア充と自分のクソみたいなリアルを比べて落胆って少なからずそういうものだよね。文学は全く疎いけど英語の授業で読まされた結果、内容がすげー頭に焼き付いてるグレートギャッツビーを思い出さずにはいられないよね(笑)いまさらレバレッジ的に読書効果が出たか!って感じだけどセレブ生活の虚しさとかさ、まぁそもそもグレートギャッツビーに限らず日常って虚しいじゃん?で、その虚しさを紛らわそうとお祭りをするからこそ祭りの後っていうコントラストが生まれて虚しさが紛れるどころかコントラストによってより虚しさが鮮明になっちゃうっていうね、アンビバレントですよねー。


そもそも日常は虚しいもんだっていう認識があればその虚しさを埋めなきゃ!とか楽しまなきゃ!っていう享楽への過剰さというのは生まれないはずなんだけど人間は根源的に享楽への過剰さっていうベクトルを抱えてるからそれが性であれ物質的なものであれドラッグ的な感覚的なものであれそれに対する羨望と欲求ってのがあるわけだよね。逆に仏教徒とかで過剰にそういった欲求をそぎ落とすことができる人ってそういう欲求がめちゃめちゃ強いからだよね。あの滅するというところにオブセッションがあるっていうね、まぁブッダがパーリーピーポーだったからそういう意味での説得力があるんだけどでもまぁ常に充足されているなんてことはまずありえないよね。


仮説的に何かの神経症的なものが性的欲求が満たされないという不満から来ていてもじゃあセックスすればいいのか?ってそういうことじゃなかったりするじゃん?というかそもそも常にセックスして満たされるなんてことはありえないからね。マイケル富岡とかは満たされてそうだけど(笑)まぁでも男はどんだけ満たされててもイった後の賢者モードにおいて過る虚しさとかなぜかドラえもんが浮かんだり幼少期に母親に甘えている自分が浮かんだりイった後のビジョンって面白いじゃないですか?(笑)まぁそれはそういうものを浮かばせて一旦メスから遠ざけるということをしないと例えば原始時代とかの場合、草原でファックしてたわけだから何かに狩られる可能性があったとかなんとかまぁ賢者モードってそれだけで一つの学問ができそうなぐらい深い現象だと思うんだけどあれってまぁ常に充足されているということがありえないものとする一種の表象だよね。生理現象によって現実への面白い示唆が解釈学的に理解されうるっていうね、もののあはれじゃないけどさ、切なさって刹那さだよね。


そういう散り際とか無常性に美を感じるっていう独特の美学ってのはあるんだけどそれはあくまで対象としてなんであって自分が散るときには寂しさしかないよねっていうか賢者モードもののあはれを感じられたらある意味凄いと思うけどまぁイった後ってその時のコンディションにもよるけどドラえもんがなぜか浮かんだりするってことはやっぱりあるわけですよね(笑)それは美とは程遠い人間の本質だよね。ある種究極的な快楽を味わい尽くしたあとに「ほどほどのしておけ。現実に戻れ」っていうピストン運動に対する精神的ノックバックを例えばドラえもんとか運動会でおばあちゃんに褒められたときの記憶(笑)とかっていうビジョンを見させるんだよね。


で、ドラえもんにしても幼少期における自分とおばあちゃんの関係にしても純粋過ぎるが故に肉欲とかドロドロした欲望とは程遠いからこそコントラストが激しいしだからこそ勝手にそういう画を持ってくるわけでしょう頭が。常にそういう意味で現実ってそういうもんなんだよね。まぁここが難しいのはさ、だからまぁどれもほどほどにね・・・・的な感じで中庸な感じで話が落ち着きがちなんだけどほどほどでは満足できないっていうぎらついた油ギッシュなファルスの欲望ってのがあるわけだよね。


で、そのファルスの欲望ってのは転移可能でよく言われるように性的不能者が別のことにファルスを転移してそれでファルス的欲望を満たすってことがあるように身近な例で言うと別にEDとかじゃなくてもよく言われるように男にとっての男らしさを象徴するものが車だったりデートでどこにでもいけるしお金も使えるっていうことだったり・・・っていう意味でのファリックなシンボルとしての車とか富ってのがあるわけだけどそれがアプリオリに規定されていたら時代的コンテキストとか関係ないんだけどでもそれは本当に一過性のものだったんだよね。もちろん名残は残ってるけど新世代はそんなもんでファルスを象徴させないしそもそもファルス性の誇示すらも象徴的な意味でも修辞的な意味でも行わないっていうことになってるよね。ではファルスはどこにいったのか?っていうことなんだけどでもそれはさっきも書いたように根源的な欲求というのは誰にでもあるからどこかに転移されてるはずなんだよね。


まぁあとは誇示もしないしセックスもやろうとは思わないけどでもファルスは転移されていないって意味で根源的には性的欲求への不満ってのが認知不協和として存在してるとしたらそれが鬱として顕在化していたとしてもおかしくないし恋愛とかセックス自体あんましないっていう若者が増えているんだけど鬱っぽかったり元気がなかったり自殺しちゃったりする人も多いっつーなんか暗い感じがあるってのはある種ファルスが転移されていないことの象徴かもしれないよね。少なくとも俺にとってはそれは少なからずあるんだろうなってのを勝手に自己分析したからこそ性的欲求の充実を目指すようになったってのはまぁ深みの外出シリーズで色々書いてることだけどね。


ってことでまだ続くんでんじゃまた。