ヴァーチャル系の話。その19。

それでは続きを。


まぁだからね、そこでまぁ主体のあり方とかどう生きるべきか?とかどう善くあるべきか?っていうのがこういう現代っていうコンテキスト抜きにしては語れないって話なんですよね。それこそさ、図書館が電子化したらどうなっちゃうのよ?って話ですよね。まぁそんな簡単な話じゃないんだけどまぁあれかな、ツタヤとかアマゾンとかの映画のレンタルと同じで決められた期間だけ見れるようにするっていう感じになるのかな。ただまぁヤバいよね。実質アーカイヴ全部にアクセス可能になるわけだから(笑)データなんで貸し出し中なんつー物理的制約もないし。


ただなんつーのかな、言いたいのはさ、アーカイヴ的なものがデジタル化する傾向にあるっていうのを抽象化とまではいかないにしてもまぁでも抽象化か。まぁ抽象化するとなんでもデータってことになるじゃん?そうなるとまぁいつも書いてるように相変わらず読むんだけどデータを脳にインプットするっていうやり方があたかも脳にプラグを指すかの如く・・・って感じになってくるよねっていうことなんだけどでは実際どうなのか?っていうところがそれこそなんでもデータ化しちゃうと利権的な意味でも利益が出なくなっちゃってデータ化が阻害されたりとかっていうようなまぁ現実のファジーさだよね。あとまぁアーカイヴと人々の関係性っていうようなリアル社会の問題ってのも知識論に内包されるんだよね。


だからそういう意味でファジーな社会と知識の伝達とかインプットっつーものの関係性ってのがアクチュアルな問題としてあるってことなんだよねっていうかそこを抽象的に考えると「データ化」ってことなんだけど実際はそんなにシンプルじゃないってことなんだよね。で、まぁ思わぬ作用が出てくるって意味でさっき主無き監視者みたいな概念を出したけどさ、それってまぁなんかあれなんだよね、意味論と似てるよね。文章をただの論理データと処理するのと文章を読んで意味を考えるとか行間を読むって違うじゃん?っていうか社会も同じなんだよね。もちろん意味って構造自体がサジェストするような自然現象って意味での意味合いとかね、まぁ社会の場合そりゃ政治とかは別とすれば意図はないわけじゃん?帰結としてそうなるっていう現象なんだけどでもその現象が現前化したときにアクチュアルなものとなってそれが作用するじゃん?その作用しているということがポイントなんだよね。ようはそれが現前化しているということで環世界でそれが作用しているということで生まれる意味合いとかアクチュアリティーだよね。で、それは当然人とそれそのものっていう関係性とかってことでもあるわけでそれも含めた現前化なんだよね。


まぁそんぐらい深いことだからデータ化に抗う!とかさ、今は何でもネットだけど・・・みたいな感じで昔に戻ったほうがいいだとかまぁそういう言い方ってのが必ず出てくるんだけどそういうのって大抵表層的だよね。その今書いた現前化の意味合いの深さというのを全然理解できてないよね。そのぐらいデータ化というか情報の伝達がデータとして行われるようになるっていうことがまぁさっき書いたデータの水脈みたいなさ、水が流れるっていうことなわけじゃん?で、それは当然エクリチュールも含まれるわけで哲学でずーっと昔から言われてた知識論とか本と人々みたいな関係性にも大きく影響を及ぼすよね。だからパラダイムを古くから言われてきた本と人々のままにとどめておくのは簡単だよね。そういう昔からの議論を踏襲して似たような話してればいいわけだから。でもデータ化とか伝達の速さとか簡単さってのはもう不可避的に影響しちゃってるじゃないですか?


まぁホワイトヘッドとかが言うようなプロセスだよね。ただの論理としての主体とかそういう関係にあるというような構造的な関係性とかそりゃまぁ客観的に見ればそうだけどそもそもそれが少なくとも社会に内在しているものだったら必然的に現時点の社会とか人々との関係ていう連環の中でそれが現象しているっていうかプロセス中にあるっていうことなわけだよね。


ってことであとちょっと続いて終わってんで本編の続き貼るんでよろしく。