ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

深みの外出。その31。

また昔のやつアップしたんでよろしく。



Satanic Mental Klinik


In The Presence of Fallen Angels


https://soundcloud.com/mimisemi/in-the-presence-of-angels


ってことで続きね。


だから洋服を買うにしても買うんだったら通販でいいじゃん!じゃなくて実際に試着してみるとかまぁ実際に失敗することもあるからコストの面も考えて失敗しないようにするのが一番なんだけど体を動かしてそれをやるってこと自体がまぁゲームのプレイみたいなもんなんだよね。合理性からみると時間も労力も金も使って意味ねーってことになるんだけど娯楽性から言うと単純に外に出るということでリフレッシュできるのとまぁあとコンテンツの軸であるナンパとサブコンテンツ(笑)の買い物とこれらは本当にリアルドメインのアナログコンテンツだよね。それは前に散々書いたけど昔渋谷にレコード買いに行くというのは買いに行くということ自体も楽しかったということに気が付いたっつーかまぁそれは気が付いてたけどそれを今の俺の言葉で言うならそれもコンテンツだったってことだよね。ただの移動なんだけど娯楽なんだよね。


それで言うとゲームにしたってゲーム内でやってることってただの移動が大半だったりするじゃん?でもゲームだから娯楽でしょ。それはリアル然りなんだよね。っつーかまぁ思考実験なのだけどね、ゲーム内でどっかのダンジョンに行って何かをゲットって別にそれをゲットすること自体が目的なんじゃなくてゲットするプロセスとかゲット後にそのゲットしたものを利用してゲームを攻略するというのが楽しかったりっていうようは何か「これ」といったような目的があるわけではなくてプロセスっつー体験を楽しむってことだよね。そこをさっき書いたメカニカル思考だと「クリアするため」ということになってまぁそういう人もいるけどね。効率房とかって言われるけどこれって何においてもクソゲー化を加速させるやり方なんだよね。まぁクリアするためだけにやってる人はそれでいいんだけどもっと楽しもうぜ!ってことだよね。


じゃあね、そのゲットしたいアイテムがダンジョンの最深部にあったとして、んでもそれをハッキングしてアイテム追加っつってそのアイテムをチートで手に入れたらそれでいいのか?って良くないよね。そのアイテムというrewardがあってそのダンジョンが輝くわけだしまぁまさに報酬システムではあるしまさに欲望ということを軸としたシステムではあるんだけどまぁ結果的にそれでダンジョンが楽しくなったりするわけでしょ?現実もそうだって考えてみてはどうかな?ってのが最近これ書いてて思うことだよね。まぁそのデジタルアコースティック的に図書館に行くにしてもしつこいけどまた書くけど外出という機会を増やすとかさ、別に本だけだったらアマゾンで買えばよくね?っていうのもそれだと家から出なくなるからゲットするためにどっか行くんだっていうさ、で、まぁそれを買わないで借りるっていうね、で、エンゲル係数が本でマックスな俺の出費をそれでリバランスして使える金をナンパ関連のことに使うか常に使えるようにしておくっていうことで生活を変えていくっていうかまぁリシェイプするってことだよね。


まぁ本当にだからハッキングですよね。今までのやり方っていう動力に飽きてきているから別なやり方を模索してるってことだよね。んでまぁ色々と書いてるけどこれがまぁ欲望の再生産っていうか連鎖というか欲望のシステムを利用して何か別なことを発見するとか家にいて本だけ読んでるだけじゃ見えてこなかったり関心を持つ機会が無いようなものにオープンになっていくっていうことだよね。思うにphilosophizeすればなんでも素材になるよね。だからそういう意味でphilosophizeできるネタを探すってのがエロスにもなりえるんだよね。で、それが欲望に根差していてなおかつ性愛に結実するとかシステム的に最高でしょっていう(笑)でもそこでそれはシステム的に最高で機能美があるからいい!ってことではなくて最終的には合理性からの脱却なんだよね。欲望を突き詰めていったところの究極系というかさ、だからまぁキリがないというか満たされない欲望なんだよね。


満たされないと分かっていてなんで欲するのか?っていうのが欲望のパラドックスだし欲望の生成的な形というか前に書いた欲望自体が欲望を再生産するっていうことだよね。でもそれは欲望しないと生産されないから欲望していたほうが欲望するものが増えて持続性が得られるってことになるんだよね。逆になんだろうね、満たされないということが分かったからそれに対して欲望しても意味がないっていう論法っつーか考え方ってさ、まぁまさに今までの俺はそう考えてたんだけどそもそも欲望全般が満たされるわけないんだよね。満たされた欲望はあるかもしれないけど仮にそれで満たされたところで次は何を望むのか?っていうと欲望すること自体を望むようになるんだよね。体験をより重視するようになるっていう大人っぽい傾向は物質的なものとかそれこそ学生だった頃は買えなかったものなんかが手に入って一通り欲しいものを買っちゃったみたいなことを経ているからもっと欲望が高次のものになるんだよね。物欲とかコレクションがどうのっていうことではなくて体験という生のものとか良い時間を過ごすみたいな感覚的なものを重要視するようになるんだよね。


ってことで続きます。ではまたね。