酔いどれの本領。

どうも。カリスマ酔いどれゲーマーこと耳蝉です。


Ardbeq10さんへの返信にも書いたことなんだけどプロゲーマーになるべくゲーミング環境を整えようと思ってるんだけど(笑)まぁでも思ったんだけどプロゲーマーになんかなれるわけないでしょ!ってことにはすぐになるんだけどワナビーになら誰でもなれるんだよね。なんかしらの学問なり創作活動なりなんなりってのを一応生活が成り立ったうえでも「ただこれだけではないんだ」と思ってその「何か」ってのを出そうとしてる人たちもワナビーに含まれればまっとうな社会人も含めて相当なワナビーダラケになりますよね。you're innocent when you dreamですよね。


いや、別に野望とかないし・・・とかっていうのは社会に適応した一人前としてカッコつけのためにそう言ってるんだけど非合理的な創作活動なり表現活動をやめられないってまぁようはyou're innocent when you dreamなんだよね。このイノセンスですよ。無邪気さね。その夢すらも無くなったらどう現実を生きて行けばいいのか?というのはそのまま夢=自分が本当はなりたかったものとかやりたかったことってことになるよね。でもまぁ現実的に考えるとそもそも経済的にそれが成り立つってのはありえないんだけどでも過去に作家なりミュージシャンなり芸術家なりで凄く目立った人でそういうのが一時的に成り立っていた人たちってのを幻想化しちゃうんだよね。まぁ別にそんなロールモデルなんかなくてもいいんだけどね。


まぁそういう意味でそもそも夢自体が幻想だからその夢を体現化したようなアーティストとかってのは言わば象徴的なロールモデルなんであってそれが不在でも夢自体が幻想だから夢を追い続けることってことがそのまま現実には適応したように見せつつも幻想の世界に夢を抱き続けているっていうイノセンスを持ち続けるっていうアンビバレントな実存ってのを多かれ少なかれ人は持ってるもんでしょう。


じゃあ現実にも適応できないしメタリアル路線と言ったところでイノセントすぎて何もままならない・・・みたいな俺みたいな存在の場合どうすればいいのか?っていうとズバリもうそのイノセンスを追い続けるしかないってことになるよね。でもそれは当初は思想だったり哲学だったりしたのかもしれないけどドリームマシーン的な夢機構ですよね。イノセンスであり続けることができるような生き方ってのを実践し続けるしかないよね。


で、まぁ今のこの酔いどれFPSゲーマーってまさにそんな感じだよね。夢に破れつつ現実にも心を砕かれつつもなんとかやっていけないだろうか?と模索するような酔いどれシープみたいな感じっていうかさ、迷えても迷えることが実存であるみたいなね、そんな中で酔っぱらっているっていう達観とか悟りまでには至らない中途半端な覚醒状態みたいなさ、まぁボダランのモーデカイって「酔っぱらってたほうが狙撃が上手くなるぜぇー」みたいに言いながらスナイパーサポートしたりするじゃん?それなんですよね。なんで酔っぱらっているのか?っていうとクリストルのネオコンの定義と似てるんだよね。「a neo-conservative as "a liberal who has been mugged by reality」っていうね、muggedされているのはrealityのハーシュさなんだけどmuggedされてもrealityを生きていけなきゃいけないっていうまぁここで言うliberalは別に必ずしも政治的リベラルを意味しなくても「夢追い人」でもいいんだよね。


そんな夢追い人がe-sports界に参入するぜ!なんて勝手に酔っぱらいながら思ってプロフェッショナルなゲーミング環境を整えるってのもイノセントでいいよね。実際の競技なんてすげー厳しい世界なんだけど参戦するぜ!みたいに勝手に思っちゃってるみたいなイノセンスさだよね。でも結果的にメタリアルというわけで例えば現実の自分は髭ボーボーで身なりも気にしないっつーか気にしてない廃人みたいなんだけどヴァーチャルな世界では野望を抱いているぜ!みたいなね、でもそこで現実へのアダプテーションとかあくまでも現実に立脚するって意味でそういう廃人にはならないんだよね。むしろリアルでの見栄えだの体格だの在り方だのってのをある意味普通以上に重要視するっていうね。まぁでもそれは世間体がどうのとかっていうそういうところではなくイノセンスを追求する上での必須条件というかさ、その辺がリアリティとの絶妙なバランスっていうのかな。


実際に仮想世界的なものとかあとまぁVRでグーグルアースやると世界観変わるぜ!的なものもまぁ俺がずーっと言い続けてきたアルカディアのギメル的なものの現実化ですよね。まぁそうなるよねってのは必然的にそうなるんだけど実際にはそうなってる。でもそこで日々暮らしていく中でVRの解像度の高いままで世界中を飛び回って飛行能力を維持したまま飛び回れるみたいなぶっ飛んだリアリティを維持しつつも現実との兼ね合いもそれでちゃんとあるっていうね、そこに逃げているのではなくて現実とのconsistencyがあるっていうね、そのバランスを維持するということがハーシュな現実ともなんとかやっていけるっていうメンタル内におけるpost-apocalypticな状況に適応するっていう感じだよね。


別に適応しなくてもいいんだけど適応しないとやっていけないから適応は強いられてるという中でイノセンスを維持しながらむしろそのイノセンスを糧にリアリティにファック!って言えるぐらいの腐ったリアルへの反骨精神というかさ、あくまでアグレッシブなんだよね。腐ったリアリティへは常にファックなんだよね。適応しなきゃいけないんだけど適応してたまるか!っていうね、あとまぁ世の中そんなもんだっつってもそれは凄まじくファックだよな!っていう怒りは内在し続けるんだよね。そのリアリティへの怒りというのを物理的な怒りとか実践みたいなものに昇華させずに内面で飼いならすみたいな作法だよね。


それがまぁつまりはイノセンスなんだよね。ハーシュ過ぎる現実にうまく適応できなかったりハーシュ過ぎる現実においては当然起こりうるハーシュさに関してそれをウケつつもバッファしながらなんとかやっていくっていうね、酔いどれの本領ってのはまぁそこですよね。それがまぁつまりはイノセンスなんだよね。ハーシュ過ぎる現実にうまく適応できなかったりハーシュ過ぎる現実においては当然起こりうるハーシュさに関してそれをウケつつもバッファしながらなんとかやっていくっていうね、酔いどれの本領ってのはまぁそこですよね。VRとかじゃないんだ!っていうメタリアル路線は変わりないですよ。でもハイファイ過ぎるVRの享楽というのは享受するんだよね。そういうインフラってのは自分で設備投資して得るっていうね、むしろそういうもの得るということがクソみたいな現実で生き延びるという手段でもあったりするんだよね。逃避ではないVRで、でも現実も生きるんだよね。そこがまぁファッションとかってことなんだけどね。



結局まぁハーシュな現実を生きるという意味で、でもそれを可能とするようなものがあればそれは活用するべきなんだよね。でもそこでリアルも大事ででも驚愕するようなVRでの体験があるっていうね、でもそのVRに逃げているというわけでもなくそのVRはファックな現実を生きていくために必要な要素でなおかつそれはVRの逃避とかではないリアリティとの折り合いのバッファってことなんだよね。だからゲーミングノートPCとは言えディビジョンレベルになるとなかなか辛いっていうマシンスペックの辛さってのがあるわけで、んでもなんだったらまぁ今は前と違って拠点にパワフルなデスクトップパソコンを置けるんだぜ!っていう環境になっているんだったらノートのハイスペックっつー縛りでやることもないんだよね。ハイスペックデスクトップパソコンで最高のゲーム体験なりVR体験は享受しつつもリアルでの自分ってのも退廃してるどころか自分がこうありたい!というリアル願望を体現してるぜ!っていうようなね、リアリティにmuggedされても生きるんだよね。むしろmuggedされてるからこそ実行できるリアルのベクトルというのがあるわけだよね。


そう。あらゆる意味でハイファイなんすよ。ヴァーチャルもリアルも最高の解像度で味わうんだよね。それがリアルにおけるsurvivorってことになるんだよね。仮想世界に逃げるわけでもなく現実にmuggedされているばかりでもなくむしろそれらを最高のresolutionで楽しんでやる!ってことですよね。それがハーシュな現実におけるsolutionなわけですよね。まあでも別にそれが処方箋というわけではなくてまぁ現状の今の俺だとまぁそんな感じってことになるよね。


だからまぁそういう意味でヴァーチャルかリアルか?なんていう二項対立ではないってのは明白なんだよね。ヴァーチャルもリアルも超したnext levelなんだよね。


このハイブリッドさは今はある程度設備投資のお金が余分にかかるけどそのうちインフラになるよね。今の俺はそれに先駆けて来るべき未来に向けての環境作りとそれに付随するマインドセットを構築しているんだけどそれはそのうちスタンダードになるんだよね。


まぁそんな感じですね。だからまぁ環境は整えますよ。まぁ今日はそんな感じでいいかな。んじゃまた。