現実のモメンタム。

Larae Barrettってのが出てくるんだけどさってディヴィジョンなんだけどね、思想が単純ながらすげー強いんだよねっていうのが世界が崩壊したのはむしろチャンスだ!明日はどうなるか分からないからこそこのモメンタムにおいてキングたれ!っていうその行動がギャング的になっているというだけで実際はかなりニーチェ的だよね。なんでニーチェ的なものってのが実存的なものっていうか実存主義ではないんだけど実存的なものと関係せざるを得ないのか?っていうとまさにディヴィジョンとかFalloutみたいな世界観と実際のリアルって表層は違えどサヴァイヴ感って一緒なんだよね。もちろん最初からヌルゲーの人もいればリソースがあり過ぎて人生のデフォルトがイージーモードだとかさ、まぁその辺とかって格差社会というか出発の格差ってのが階級によって規定されていくっていうね、で、それを打破するのは並大抵のことじゃないっていうさ、でもpost apocalypticな感じってある意味みんな一緒だけど違うよね。確かにサバイヴではあるけど何も持たないものから見ればイージーモードみたいなのもあってそりゃ人によって違うんだけどっていうかまぁそこを一気にキャンセルっつーか無にするのが暴力だったりするよね。


ヤバ過ぎるからあんま語られない感じがするけど前にあったバス転落事故でさ、被害者のうちの一組のカップルがハイスペックで見た目もハイスペックの理想的なカップルだったのに孤独な身寄りもない老人のバス運転手の運転ミスによって命を奪われたっていうさ、まぁこれは事故なんだけどまぁでも命を奪ったとも言えなくもないじゃん?死ってのはそういう意味で完全なるキャンセルだよね。スペックとか顔面偏差値とか体格とか一気に関係なくなるもんね。まぁそりゃそうだわ。ゲームで言えばキャラ喪失みたいなことだからキャラを規定しているギアのスペックだの能力だのそれを使うプレイヤーのスキルだのってのもそもそもそのゲームの世界における存在を消されたわけだから参加できないんだよね。実際はやったらめちゃめちゃ上手いですとかめちゃめちゃ攻略法知ってますっつってもゲーム自体ができなかったらそれは何もないのと同じだもんね。


まぁそれはちょっと言い過ぎ感もあるけどなんかまぁゲームやっててっていうか特にRPG系ってRPGだからこそキャラ自体への投影ってのが自分自身の実存に近くなるんだよね。ウィッチャーみたいな個性的な主人公を操作するんじゃなくてアバターを作ってその世界に自分を投影するっていうさ、まぁそれはやり方次第だけどもっつーかみんながみんなそんなやり方でゲームをやってるんじゃないにしてもでもゲームにおけるリアリズムっていうか没入度が高くなるぐらいまぁようは2Dの時代じゃっつーかマリオとかの時代じゃ考えられないぐらいの没入感ってのがあるわけじゃん?


まぁマリオへの没入も例えば葉っぱ吸ったりなんかすると感覚がエンハンスされてたかが2Dにも凄まじいリアリティとか没入感ってのができたりもするわけだけどまぁそれって言わばトリップじゃないですか?なんでもないものに感覚をエンハンスして素面では知覚できないようなものを知覚するっていうさ、まぁそれは幻覚でもあるんだけどそれを見ている知覚している自分というリアリティがあるわけだよね。だからまぁそこでヒッピーカルチャーなんかはLSDとかをやることで本当の世界が分かるようになるだとかさ、グルみたいな人がいてティーチングみたいなのをしてイニシエーションをしてドラッグ回してまだそういう世界を知らない人たちへのイニシエーションをするだとかさ、アメリカのサンフランシスコとかあっち側の元ヒッピーの大学教授とか今だにそんなことやってるっていう話もあるぐらいなんだけどこのリアリズムへのイニシエーションって必ずしも主観に規定されないんだよね。


それは感覚がエンハンスされた上での幻覚にむしろリアリティを感じるようになるのかさ、でもまぁそれで言うとゲームに没入って言うこと自体がサイケデリックな体験だよね。それが特にそのアニメっぽかったりファンタジーっぽいわけじゃないリアルな場所がそのまま舞台になってるようなのだとその舞台と現実との間にリンクがあるじゃん?そこが絶妙な前に書いたシュールレアリズム的な何がリアルで何がイリュージョンなのかを逆にそのハイパーリアリズムからリアリズムへの知覚みたいなもののイニシエーションを与えられてるような感じだよね。


まぁー実際世界が完全に終末モノみたいになったら人はどう行動するのかな?とかってまぁそれが前に書いたホッブズ的な自然状態という想定なんだけどさ、そこで最初に書いたLarae Barrettの場合、持たざる者が持つものへと大逆転できるチャンスなんだよ!この世界の終わりは!っていうようなさ、むしろ最初から負けが確定してるような連中にとってはこれはチャンスなんだ!っていうね、で、まぁそこで何の躊躇もなく人を殺せるっていう強さっつーとアレだけどまぁそういう冷酷さっていうのがさ、そのモメンタムをキングとして生きる!っていう生き方ってのをむしろそのモメンタムをキャッチするっていうところで倫理とか関係ないって言う意味で明日はどうなるか分からないんだし世界はこんなんだしってことでヒューマニズム的な道徳ってのが一気にキャンセルされてる感じがあるんだよね。それどころじゃないよねっていうリアリズムがある。


でもまぁその自然状態においてはっていうかまぁ自然状態と終末モノの世界観とはまた違うにしてもヒューマニズム的な道徳って余裕があるから言えるんであって生きるか死ぬかの極限状態においては道徳なんてワークしないし意味無くなるよねっていうようなね、実際はそうじゃないんですよ。でも道徳的な行いみたいなのをベースにやってたんでは極限状態ではちょっとした騙しに引っかかって財産全部持っていかれるとかさ、協力し合ってる仲間だと思ってたのに最終的に「ズドーン!」で終わるとかね、まぁようは裏切られて頭ぶち抜かれて終わるっていうね、ディヴィジョンのダークゾーンですよね。でも別にそれ言い出したら現実も余裕でダークゾーンだよねっていうさ、でも「ダークゾーンだよね」っていう認識に至るかどうかはその人次第というかね、それはまぁ経験とかにもよるわけだけどまぁでもなんかまぁ色々と経験して現実のハーシュさとか不条理さに打ちのめされるってのはあるわけじゃん?逆に元々それがデフォでやってきた人だと世界はそういうもんだっていう世界観が出来上がってるからまぁそこでタフになれるかどうかはともかくとしてまぁでも生きて行かなきゃいけないから生きていくためだったらなんでもするよ的なさ、そこで道徳だのなんだのって言えるのは持たざる者じゃないからだよねっていうようなね、っつーか一気に酔っぱらったからちょっとここで一旦切るわ(笑)すげー寝れるチャンスが来たんで寝るわ。また続きは今度書くね。んじゃまた。