ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

弓術について。

弓の本届いて早速読んでるんだけど久々に本をむさぼるように読む感じでずーっと読んでたんだけどカロリー消費凄いねっつーかやっぱすんげー腹減るよね(笑)別にそんなに難しいわけじゃないんだけど一カ月近くちゃんと本読んでないからなんか久々に読書でフロー状態になったんだけどやっぱこれはこれで気持ちいいよね。まぁんで半年ぐらい色々と読んでから弓を買うって書いたけど来年入ったらすぐ買いますわ(笑)弓って大麻じゃなくて退魔の効果があるらしくてっつーか「やー!」とかいって神社とかでやってるのってまぁ神道なんだよね。だからまぁ新年の景気づけにちょうどいいんじゃないか?とかって勝手に思って(笑)んでまぁいよいよ買うのか!って決めるのはえーとか思いつつ順番的にカーボン・竹・んでコンポジットにしようと思ったんだけどカーボンってやっぱ所詮竹の代用品とか竹でやるというのを前提でやるものなんだよね。んだったら最初から竹で良くない?って思ったし調べてみるとそこそこのカーボンのやつと竹のリーズナブルなやつってそんなに差がないんだよね。ってことはまぁゲーム機とかと一緒でsunk costになるってことだよねってことで竹いきなり買うわ。


あとなんかやっぱ突き抜けてる感じっつーのかな?ウォール伝ってそうじゃん?でもなんか加齢と共に悪い意味で賢くなってやんちゃな頃の向こう見ずな感じっていうのが無くなってると嫌だなって思うしまぁなんつーかやっぱ中庸さなんだよね。回避するべきなのは。だからなんかやっぱエクストリームである必要があるよね。で、居合の時みたいに半日やるとかね、いや、あれがあったから身についたんだよなー。当時も書いてたけど右腕の親指の関節っつーか筋がめちゃめちゃ腫れちゃったぐらいやってたんだよね。まぁ弓もそんな感じでエクストリームにやりたいと思いますよねっつーかまぁ腫れたっつーのは何の自慢にもならないんだけどね。そんだけ力んでるってことだから。


あ、んで弓と禅は大体読んだんだけどさ、まぁ予想通りだったけどやっぱり思うのはプラクティカルな弓の実践として矢が離れるのを自然に待つっていうような感じで射るってのは本来の武道とかけ離れてない?って思うよね。まぁ精神修養に重きを置くタイプのやり方なんだろうけどやっぱりまぁ普通に考えてスピードと正確さだよね。あとまぁ動揺しないということだよね。実際の戦場ではそれこそFPSみたいにすんげー音してるわけじゃん?人の叫びやら悲鳴やら凄いわけでしょ。まぁ戦国自体の合戦っつーのを前提としたらってことだけどね。そういう場でいかに射るか?っていうことだよね。まぁあと一応本来は想定は対人なわけで的はぶっちゃけマネキンとかのほうがいいよね。それこそ刺さったら血が出るとか内臓が出るとかそんぐらいのリアリティが無いとダメだよね。基本的にやっぱ人殺しのことをやってるってことを忘れたらいけないと思うんだよな。禅的なのもまぁありっつっちゃーありだけど俺が思う武道ではないよね。


だからまぁそういう意味でなんだろうね、まぁ最初から弓道っていう狭いコンテキストでやろうとは思ってなくて弓全般ということでアーチェリーもやるわけだしっつーかまぁ元々はアーチェリーをやろうと思ってたんだけどまぁ弓道関係のほうが道具が安く済むってことでまぁまず弓道からってこともあるし弓道を経験したいというのもあるんだけどね、やっぱりそこでまぁなんつーかリファレンスとして弓全般のものに当たるべきだよね。まぁようはアーチェリーの技術はどうなのか?っていうことだよね。まぁ簡単に言えば西洋の弓ってことだけどね。


例えば最善の打撃の方法って色々と武術があるにしてもやっぱ奥義の部分って一緒だと思うんだよね。力学的なことでいかに力を入れるかとか抜くとか重心を入れるかとかっていうまぁパンチの場合腕で殴らないってことなんだけどね、そういう体を使うってところは普遍的じゃん?そこでまぁなんつーか色々とスタイルの差はあれ普遍的な力学的な科学の事実ってのがあるわけだよね。こうしたらこの場合は最善であるっていうような例えばアッパーで顎を砕こうとするときはこれが最善であるってのはあるわけでしょう。


あ、それはまぁあれだけどね、数学的なオントロジーと似てるけどね。最適な数値とか方法というのは存在しているのか?っていうとそれはパラメーターとしてとか関数としてなら存在すると言えるけど数値ってことになるとそれはようはNってことだから数の実在性みたいになるよねっつーかまぁそれ言い出すと関数も同じなんだけど関数の場合、ねじみたいな感じがあるじゃん?ってただのイメージだけどさ、数字そのものよりも実体性があるよねってまぁちょっとこれは変な言い方だな。


まぁいいや(笑)まぁそういう意味で弓っていう道具がすでにあってなおかつ使用法は敵を殺傷するものであるっていうことだともうかなり力学系が規定されてるよね。もちろんそれは技術も含めてなんだけど道具のレベルですでに力学系は規定されてるよね。だからそうなると基本的に幾何学と同じなんだよね。AとBの点を弓の両端として真ん中をCとしたときに・・・的な感じでまぁ物理学的に考えりゃ当たり前の話なんだけど点と点の動きの公理系というかさ、もちろんあとその弓自体の性質と使っている人の身長とか力とか体格とか手の形ってのも関係してくるんだけどまぁ抽象化すれば動的幾何学とでも言うべきようなものだよね。だからそれは常に最善ということがあるわけよね。


でもここで面白いのが弓と禅的な禅的な武道観ってまぁ俺はあんま好きじゃないなーとか言いつつも結局それが結果において無に繋がるんだよね。ようは射ようとせずに幾何学系が特に意識を持たないのと同じでその点と点が繋がったときとか最善の方法で出力されえるところまで人為的に技術によってそういう状態にまで弓と矢を整えて全くその最善の力学系の邪魔をせずに射るっていうことだよね。幾何学に力むも力まないもないのと同じで弓も同じなんだよね。幾何学をやる上で雑念があったらうまく解けなかったり考えられなかったりするかもしれないけどんでもそれはあくまで幾何学だからね。でもそこでより雑念なんかが結果に影響してくるっていうのがそれが純粋に概念的なものではなくて概念的だけど身体的なものだからだよね。そこで体っていうのはファジーだから色んなものに影響されて意図しない動きとか良くない動きってのをやっちゃうんだよね。そういう意味でも雑念を無くしてそれにフォーカスすることの重要性ってのが禅的な思想もあるにせよ興味深いのが結果的に禅的思想が入っているほうが命中率と精神集中につながるという合理性に繋がってるからだよね。


結局そこってのが禅的境地の普遍性というかさ、なんで東洋問わず禅的なものは人を惹きつけるのか?っていうと禅自体は論理立ての理屈っぽい話ではないんだけど結果的にreasoningというのが理屈っぽいよりもよっぽど正鵠を得ているという意味で人の心を射抜くからだと思うんだよね。だからこそそれは凄く普遍的で応用性があってビジネスマンとかにもむしろ実用性として読まれたりもするっていうさ、まぁよくエグゼクティブレベルの人たちは瞑想を必ずやっているとかって通俗的な本とかによく書いてあるけど(笑)まぁそれはともかくフォーカスすることの重要さっていうところの普遍性ですよね。でも禅的境地で的を射るのではないということがありつつもでもそれはなんで的を射らないのか?というとそれは結局弓術のクオリティを上げるためであるってことになるんだよね。弓術のクオリティを上げたい!という欲望はあるけどガツガツとやるのではなくスタティックにやるってことだよね。


まぁあと他にも色々と理由を上げればキリがないけど例えば「ぶっ殺してやる!」と思うとアドレナリンが出たりして体が震えちゃうわけだよね。力も出ちゃうし身体がこわばっちゃう。だからまぁそいつを仕留めてやる!という意志はありつつも射る時には「ぶっ殺してやる!」じゃなくて静的に弓と矢というのをその人間の命を奪うほうに最善の形で持っていくっていうことになるんだよね。それをやりさえすればあとは弓と矢が勝手にそいつを殺してくれるっていうことになるわけだよね。武術とかだと思想性とか美しさとかを重視してこういう生々しい表現とかあえて使わないけどまぁでもそういうことだよね。前に俺が刀を使ってて思ったことと全く同じなんだよね。自分というのはなくてあくまでその日本刀を使うということにあたって自分の体を使っていかにその日本刀を効果的に使うことができるか?とか人の命を奪うことができるのか?っていう自分が日本刀を使うというのではなくて相手と日本刀と自分というのは全て対等の位置にあってしかも流動的で常に変化し続けるものっていうね、まぁそれを一気に「万物」みたいなレベルまで抽象化しちゃうとそういうことになるんだよね。


そこで自分の位置というのはその自分が持っている日本刀を使うことにおいてその場に相手というのがいたらその相手の命をいかに効果的に奪うか?ということになるんだよね。で、それは命がかかってるわけよね。自分がやらないと自分が殺されてしまうっていう究極の状態にあるわけだよね。だからこそ全く無駄な動きはなく相手に攻撃される隙とか恰好の的になってしまうような体の状態というのを避けて日本刀が意志を持ったかの如く人の体を介さないが如く自然にスパン!と相手を切り倒してしまうというような感じだよね。


ただまぁ武術にせよどんなものにしてもそうだけど戦場ってのが想定されてる場合、まぁ剣術の場合、条件が変わることはあんまりないけど弓の場合、上から下の相手を射る場合の最善のやり方とか岩とか障害物をカバーとして使いつつTPSみたいに一瞬体を出してサッと撃つとかね、むしろまぁそれこそが弓術だよね。そういうプラクティカルなコンテキストが無いものってのはやっぱり武道としてどうなのか?ってことにやっぱなっちゃうよね。岩に隠れつつ敵の歩兵が進軍してくる中で少しでもその進軍してくる歩兵の数を減らしたい!というときに禅的境地も何もないんだよね。まぁそこで禅的境地で自然に早くどんどん相手を倒していったら凄いわけだけどそういう速さっていうのも加わらないといけないよね。ようは整えたりフォーカスしてる時間なんてのが無いのが大半だし戦場ではまず全身を常に曝け出しつつ弓を射るということはありえないわけでしょう。なんらかのカバーがあるわけじゃん?


そういう意味で全身の動きってのが必要になるんだよね。しゃがんだ状態で立った後すぐに1秒もかけずに正確に射るとかね、カバーからカバーに動くときにけん制しつつ確実に足を動かしながら射るとかとにかくまぁ色んなことが想定されるわけだ。むしろそういうのが想定されてない場合弓術とは言えないと思うんだよね。ようはそれでいきなり戦国時代の合戦上に召喚されちゃいましたっつって当時の道具を使ってそこである程度戦えないと意味がないよね。


ただそこで日本の弓道がスロー過ぎて戦場を全く想定されてなくて意味がないということではなくてね、まぁそれでも居合と同じでスローなのなんて言語道断だと思うけど所謂武道として成立してる現代武道とか弓が使われることがなくなってより精神修練の面が強くなっていったっていうところでの弓道ではなくてプリミティブな本当の戦士が戦場で和弓をどう使っていたのか?ということになるんだよね。剣術においてはそれは如実なんだよね。まぁその形骸化されてないちゃんとしたやつだと色んな想定がされているしあとは相手が薙刀であった場合とかなんとか戦場というコンテキストがちゃんと残ってるんだよね。


それに比べると弓道は居合とかがより抜刀術というよりかは居合術というのを通して精神の涵養をするという面が強くなったみたいなタイプの居合の系統がドミナントな感じだよね。すんげーゆっくりで打った後もすげーゆっくりだよね。まぁ意味はあるのは分かったけど戦場だとまず無理なのは明白だよね。なんだろう、ステルス性っつーのかな?相手も弓を使ってくる場合なるべく体を射線に置かないとか体そのものを曝け出さないっていう隠れながら打つってのが単純に考えて合理的ってことになるよね。まぁあと死ぬのは誰でも怖いし死んだら打てないしってことで防御ってことも考えなきゃいけないよね。


まぁそういう意味で広いわけですよ。弓自体は世界中でどこの国でも独自の弓ってのが使われていたわけでそこで培われてきた弓術ってのは確実に存在するわけだよね。問題はそれがちゃんと形骸化せずにプラクティカルな形で残っているのか?というところなんだけどそこはまぁディグる人の感性だよね。あーこれは凄く生々しくて当時のままなんだろうなーとかまぁそれがただの「感じ」じゃダメなんだけどさ(笑)そういうのはまぁ広く弓術ってのを見ればわかってくると思うんだよね。


まぁあとTPOですよね。一発必中的な状況なのかDPSが求められるのか?っていうDPSが求められる場合、精密射撃よりもとりあえずLMG的に弾幕を張ったりサプレッションをするっていう意味でのけん制ってことで早く間を開けずに打つということが重要になるわけで弓道の場合、その多様性はないよねっていうかまぁ求められてないから別にいいんだけどね。だからダメってことことじゃないんだけどただまぁ制定居合を見てると改めて思うけどそんなスローな動きだったらどんだけ命があっても足りないぜ?ってことになるわけじゃないですか?(笑)まぁ弓道然りだよね。


戦場でそんな時間をかけてフォーカスしている暇がありますか?とかね、あとそれだけ打つことに集中して時間をかけるということはそれだけ敵に体を露出させるということなわけで防御という面から考えて全く意味がないということにもなるよね。色んなことにフォーカスしつつ弓を射ることにもフォーカスするわけだよね。それは相手から飛んでくる色んなものをよけながらっていうことでもあるだろうし戦線を見て前に出る感じかな?とか引く感じだなこれはとかね、んでも引くときにも逃げるだけじゃなくて逃げつつ打つみたいなけん制が必要なわけでそういう色んな状況において色んな体術というか体の使い方と弓の使い方っていうのが必要とされるんだよね。的も当然止まってるわけじゃなくて距離がどんだけあるってことも分からなくてもしくは砂がまっててよく見えないというなかでも撃たなきゃいけないとか雨の時とか風が強い時とかさ、あらゆる局面が想定されてないといけないよね。


あとはなんだろう、大体場所を見て何メートルかってのがすぐ分かるとかね、まぁスナイパースクールとかだと必ずやることなんだけど大体それで分かるしレンジファインダーで測ってる暇がない場合裸眼で見て大体判断してすぐスコープを調整して打つってことをしなきゃいけないわけだよね。そういう目の感覚も必要だよね。で、自分の弓は何メートルでこういう感じで飛んでいるからここの距離だとそれより若干短いから引きを若干調整しつつゼロイングはこんな感じで・・・っていうリアルタイムのプロセッシングだよね。だからまぁそういう意味でまぁマークスマンシップってことでレンジファインダーは買おうかなって思ってるんだよね。まぁ今すぐじゃないけど例えば街歩いててなんかの看板があって今の自分とその看板の距離もさることながら見えている感じと実際の距離と角度の関係はこうだとかね、そういうのがあらゆる距離で裸眼で見える限りかなりの精度で距離感をつかめるっていうね、それもまた「道」ですよね。


あとまぁ曲芸にならない程度にファストドロウ的な一瞬で弓を構えて打つとかね、そういうのはまぁ技術力が上がってからでいいと思うんだけどそういうのも必要だよね。ようはまぁサバイヴということだからね。それで身を守るとか攻撃するとかっていう命に関わることなんだよね。まぁそれは相手の命を奪う術ということでもあるしまぁ端的に言えば殺人術ということなわけでそういう人殺しのものをやっているんだっていう認識って必要だと思うんだよね。まぁGHQがそういうのを規制して戦後の武道ってのが一気に変わっちゃったとかっていうまぁ戦場で使うことが無くなってっていうかそもそも戦場が無くなってどんどん形骸化していったり舞踏化していったりね、より魅せるようなものになっていったってのは必ずしも現代がそうなんじゃなくて戦国時代の後からそういう流れになっていったわけだよね。


だからこそなんつーのかな古武術ということになるのかな?戦場で使われていたプリミティブで生々しい弓術だよね。それをやりたいなと思ってるわけなのでだからまぁ弓に関するものは全部読むしとりあえずやってみるってことになるわけね。まぁでもそれでも禅的境地に達してる暇なんてないでしょうっつっても達人は戦場でむしろそういう集中力で敵を射抜いていたっていうことがありえるわけで武術自体は形骸化していても禅的境地の妥当性は不変だよね。だからまぁなんだろう、あんま戦場で考えたら意味ねーなってところにはフォーカスせずにプラクティカルなものにフォーカスしつつ色んなものの表面を霞めるだけじゃなくてあらゆる弓術に関するエッセンスを吸収するという感じだよね。まぁ俺の学問のやり方と一緒っていうかまぁまさにまた新しい学問をやろうとしてるってことだよね。身体性が介在する学問という感じか。


まぁそんな感じで来年の抱負が書けたところでそろそろ終わるわ。んじゃまた。いや、まだ色々読んでるからまた色々あると思うんでまた弓関係の話になると思うけどっつーかゲームの話してないねそういえばってことで今度はゲームの話するかもしれん。まぁそんな感じんじゃまた。良いお年を。来年もよろしくねー。