ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

抽象から具体へ。んでまだ具体から抽象へ。

こないだ弓関係の動画見てたらっつーかロングボウとかについて調べてたのかな。そしたらエアガンVS弓みたいな動画があってさ、Live Action Role Playingっつーらしいんだけどまぁ前からあるやつなんだけどリアルとヴァーチャルってのを考えるうえでなんつーかまぁ俺はまだVRに手を出してないっつーかまだまだソフトがショボいからもっとちゃんとしてから買おうと思ってるんだけど逆リアルってのも本当に多いよねっつーかHITMANのリアル版作りましたなんつってどっかの庭だかスタジオだかに人集めてっつーか動画見てもらえば早いか。なんかこういうの説明するの苦手なんだよねー(笑)

 


Real Life Hitman

 


Real Life First Person Shooter (Chatroulette version)

 

 


AIRSOFT vs LARP

 

まぁなんかこういうのってやっぱリアルとヴァーチャルの境界線が曖昧になってきてるっていうかまぁあれか、ヴァーチャルなもんがインフラ化してるってことなんだよね。でも原理的にこういうのって昔でも可能だったはずなんだけど例えばそれってのがFPS視点でサバゲーやるとまぁリアルFPSみたいになるとかさ、動画で貼ったようなやつ然りなんだけどこういう形で配信できるっていうのがまぁリアルとヴァーチャルの行き来を自在にしてる感じだよね。カメラ取り付けてサバゲーやるなんてある意味プリミティブで昔からできたのに今ぐらいになって逆リアル的な感じで見られるようになってきたっつーのもいわばリアルもまたショーケースっつーかさ、まぁ配信できるということがリアルとヴァーチャルの境を曖昧にしているとは言い切れないんだけど例えばプライベート売るなんてことも可能だよね。

 

ずーっとFPS視点のカメラつけて生活してそれをリアルタイム配信ってまぁやるやついないだろうけど(笑)んでもまぁなんかさ、例えばFPS視点をハッキングできたら例えばなんかドローン飛ばして任意の対象のFPS視点をハッキング!っつったらまぁプライベートダダ漏れでギフハブ状態になるけどまぁでもある意味スノーデン的な感じだとそれはセキュリティって意味からそれはまぁある意味リアルにハッキングされてるんだけどまぁそういうんじゃないね、悪意があるもんじゃなくて思考実験的にそういうのが可能だったとして、んで他人のプライベートってyoutubeみたいに動画で見れたらそれってエンタメになるよね。

 

それはなんでなのか?ってのをすげー思ったのよ。そのFPS視点があくまで自分だとそれはただのクソゲーなんだけど他人だと面白いってのはやっぱ存在論的な自己と関係するということが存在を規定するっていうところの関係性ってのがまぁようはただのFPSじゃない確固たる自分っつー視点なわけじゃん?でも視点が他人の物だった場合、見えているものはそんなに変わらないっつーか物理的には大抵つまんない日常なんだけど他人のだと面白いってのは存在論的なことが無い完全な他者だからだよね。

 

んでまぁすげーいやらしい話だけどその他人のFPS目線ハッキングで仮に嫌なことが起こってても傍観者として見るとあー気の毒だなーとかこういうやついるよねーとか楽しむっつーとあまりにエグいけど他人の不幸は蜜の味ってのもまぁまさにそういうことなんでしょう。でもなんだろうね、こういうやついるよねーっていうどうしようもないやつと接したときの切なさとかやるせなさって別に目線が誰のものであろうがそういうやつはいるということは現前しているわけで視点がどうだろうが関係ないよね。でもそのFPS目線と自分が関係しているとそれはダイレクトに不快なものになってんで関係していないと第三者的な傍観者としていい思いはしないにしてもうわーこういうやついるよねーってことになるんだよね。

 

んでもそれは客観的には同じなんだよね。電車に乗ってるFPS目線なんてのも例えば隣に座っている人のFPS視点をハッキングしたらそれってまぁちょっと自分の視点より右だか左にズレてるものになるってだけで違いはないじゃん?でも面白いんだよね。まぁそれは色んな理由があると思うけど自分にはまぁ行く先とか明確な目的があって次に映し出されるであろうFPS映像も大抵なもんはルーティン化してるわけだから予測可能だよね。でも他人の場合、それは他人であるので全く予測がつかないしいやーこんな生活してる人いるんだーとかって思ったりもするわけでしょう。たかがそれがスーパーとかで買い物して適当に時間つぶして家に帰るというだけの映像でも他人のものとなると面白いわけだよね。

 

まぁこの話から色々と派生できるけどまぁとりあえずんで今思ったのは見えてるものが同じでつまらないっていう物理的な慣れとかはまぁある意味全然関係ないんだなっていうことなんだよね。自分のルーティンの場合、いつもと同じ映像で飽きてるんだけどぶっちゃけ他人のっつってもまぁそれも大体ルーティン化してるからそんなに凄まじい違いがあるわけじゃないでしょう。まぁ同じつまらない日常なんだけどワクワクするよね。他人の目線をハッキングしているっていう背徳感とかは別としてまぁそれが思考実験的に可能だったらまぁそれって面白いよね。

 

一つのスクリーンに何百っつー人の目線を同時再生してれば永遠に飽きることないだろうね(笑)でもそれを見て楽しんでいる自分は何を楽しんでいるんだろう?ということになるよね。んでその何百っつー目線の一つに同じ趣味のやつがいて何百っつー目線をハッキングしてスクリーンに映し出して見て楽しんでいるっていうやつがいたとしたらそれはもはやもう主体はどこにあるのか?ってことになるよね。仮にそのハッキングした100のFPS視点もまた100のFPS視点をハッキングしてたらわけわからないよね(笑)

 

でも本質的にそういうカオスの中に生きてるんだけどそれはFPS目線はまず自分の目線以外まぁ他のコンテンツ的なものはともかくとしてありえないってことになると実相がカオスでも別にそれは関係ないってことになるよね。実際にまぁ他人の目線をハッキングできないわけだし。んでもまぁあれだよね、同じ趣味のやつのFPS視点を見てもつまらないのはそこに固有性が無いからだよね。そいつも自分と似たようなやつで恐らくあんま見てるものも変わらないってことになるとある意味自分と関係が近くなることでつまらなさが発生するんだよね。逆に全く違う人とか知らない人のほうが面白くなるのは関係性が薄いからでしょう。

 

あ、そういえばマルコヴィッチの穴っつー映画があったな(笑)まぁなんだろうね、穴を覗くとそれは覗いている先が自分が見えている同じリアルでも一気にヴァーチャル化するんだよねっつーのがようはその目線は自分とは関係ない他人の目線だからなんだよね。だからリアルがヴァーチャルになっちゃう。そういう関係性の話だってことになると逆にヴァーチャルなもんもVRとか使うなり没入間が高い映画なりゲームやるなりってしてたらそれはあくまで自分の目線の中で仮想世界が広がっているというだけの話で対象がリアルかどうか?ということでリアルとヴァーチャルが規定されるわけじゃないんだよね。

 

自分と自分のFPS目線っつーことで規定されるんだとしたら仮想世界も自分と関係しながら自分が操作して見たり感じたりするわけだから主観的にはリアルだよね。というか対象物云々でリアルかヴァーチャルかってのを規定するのがそもそも間違いだってことになるよね。

 

そこなんだよね。いや、イマイチ言語化できてなかった気がするけど俺がそういう認識があってんでまぁあえてヴァーチャルなもんはヴァーチャルでリアルなもんはリアルっつー普通の規定の仕方をするとしてんでリアル志向になったっつーのがようはその自分の視点っつーのを自分でハッキングして今までの自分ではやらなかったようなことをやってみるとかね、なんつーかある意味傍観者目線だからそんなに気負わなくてもできるし実存を背負っているっていう気負いも無いからあくまでヴァーチャル的なんだよね。でも素材はリアルっていうそういう感じだよね。だからまぁまず本しか読んでない俺ってのがアーチェリー場に行って弓の練習するだとか道場に行って稽古するだとかってのもその時間はリアルを素材にして自分のFPS目線をハッキングして楽しんでいるっていう感じだよね。

 

最初はそういう感じなんだけどでもそこにやっぱり身体性が介在するのと自分を介したやり取りってのが生まれるからそれがヴァーチャル的なもんだったのがどんどんリアル化していくんだよね。んでまぁフィジカルなもんだと体が疲れるとか痛くなるとかっていう普通は苦痛にしか感じないようなことも何らかのフィジカルな活動をすることでそれ自体では苦痛としか感じないようなことも快楽となりうるっていうね、実際に体動かした後は気持ちいいわけじゃん?

 

いや、こんな根っからの書生気質なやつがフィジカルに目覚めるなんて凄いことだと思うんだけどでもね、それってまぁ最初から書いたような他人の目線をハッキングするみたいな観念的な妄想とか思考実験の結果だったりして、だからそれって観念的なものに行き過ぎると一気に逆にリアルに戻ってくるっていうことでもあるんだよね。

 

だからセックスとかにしても局所的な陰部への摩擦っていうことを考えると別にオナニーでいいじゃん!っていうディオゲネスとかが言ってたようなことになるんだけどでもポイントはディオゲネスは別にイケメンじゃなかったけどその独特の浮世離れした感じから結構マダムとかのファンがいて「好きにしていいのよ」なんつってマダムがディオゲネスの樽の中に入っていってセックスしてたなんてことがあったりして、ディオゲネス的なものってのの本質ってここなんだよね。実質的にリア充なんだけどんでもまぁ別に観念的に考えれば何でも事足りちゃうよねって言いつつもリアルが充実しているんだよねーっていうことだよね。

 

つまりは俺がフィジカルに目覚めてリア充とかになったりすればリアルディオゲネスなんだよね。基本ディオゲネスだけど観念を究めるためにむしろリアルとかフィジカルの充実が必須条件になるっていうようなね、まぁ別にリア充にならなくてもいいけどんでも観念を極めた先はフィジカルに戻ってくるんだっつーのは数学のプロセスと似てるなって思うんだよね。理論を精密化させるために限界の抽象まで行くんだけどんでまた抽象から具象っていうフィジカルな物性的なものに戻ってくるんだよね。

 

そこで抽象で培われた精密化された数学理論ってのが抽象度の低い物性っつーところで発揮するプロセスの中で精密化された数学理論の本質が見えてくるっていうようなね、まぁそれは抽象レベルでずーっと考えられる人にとっては別にどうでもいい話なんだけど一般論を考えたときにその抽象の精密さというのを物性的に感じ取ることができるっていう契機がようは抽象っつー高い世界から物性っつーコンクレートなものに降りてくるっていうことで得られるわけだよね。全然話は違うけどニーチェツァラトゥストラが瞑想的な生活から下山して伝道師になるべっつって下山するっつーそれがまぁようは抽象から物性っていうプロセスなんだよね。

 

んでまぁ俺の最近の実感としては上がって下がって上がって下がって・・・っていう感じだよね。これ以上ないぐらいの抽象度で色々と考えてんで凄く卑近なフィジカルとかリアルっつーところでその抽象で培ったものってのを発揮していくっていうようなね、まぁ別にリアルってのを次元の低いものとして見ているということではないんだけどんでもやっぱまぁ基盤は観念的な抽象なんだよね。

 

んでもまぁそこであれなんだよね、書生的気質だと部屋から出ないで考えたり本ばっか読んでるんだけどんでも逆説的に抽象を極めるには街に出ないといけないし人と関わらないといけないんだよねっつってもクソみたいな人間と関わるということじゃなくてまぁすんげー恋愛的な強度を感じられるような子と付き合うとかね、そういう子とフィジカルに激しいセックスをするだとかっていう情熱だよね。そこが身体性を伴う理論的には抽象的だったりもする武道っていうのを体を通して実践するということで体で感じて脳でも感じるっていうような統合を強度として捉えるっていうようなパースペクティヴですよね。

 

まさにそれって最たるもんなんですよ。恋愛とか武道とかスポーツとかフィジカル全般を必要とするものでなおかつ抽象的なレベルでのプロセスというのが考えつくされているっていうようなね、そこがまぁようはさっき数学の比喩で書いた抽象から具体へってことなんだよね。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。