黒い澱みに向き合うしかないねっていう。

道場通い始めてまぁまだ一か月ちょいなんだけど永遠と続く型稽古にだいぶ疲れてきたね(笑)結構遠出して道着の着付けで時間を取られ肝心の稽古は型稽古が永遠と続く感じでまぁ今までがほぼゼロからだったから発見が毎回あったんだけど最近は無いわけじゃないけど最初の強度って無くなるよね。んでまぁなんかせっかくやってんのにもったいないんだけど帰りの電車とかですんげー鬱になるんだよね。永遠に続く型稽古が永遠に続く退屈な日常の位相と同化してくるっていうか帰りの電車で涙が出そうになったくらい寂しいよね(笑)

 

んでそういうときにすんげー仲が良さそうなカップルとか見るとヤバいルサンチマンが湧いてくるんだけどまだそんなものが湧くぐらいならまだマシだよね。そんなんだったら彼女作ればいいわけじゃん。んでも絶望的なのが作ったところで別にそれは一時のもんでようは買い物とかと同じだよね。なんかそういうミッドライフクライシス的な本とかオーディオブックで聴いてたんだけど特に男はそういう恋愛とかにつまらない日常からの脱却を望んだりしがちなんだけど結局その先にあるのは恋愛依存体質だったり
まぁアル中とかギャンブル中毒と一緒だよね。

 

いや、ちゃんとした恋愛はいいと思うんだけどつまんないから恋愛するなんてのはまぁ大体うまくいかないよね。まぁそれにしても彼女作ればいいじゃんなんつっても絶望的に出会いの機会とかないしあーつまんねぇーなーとか思ってても何も変わらないんだけどさ、結局まぁなんつーか自分でやれることを探すしかないよね。なんだろう、今ってもっと外に出よう!みたいなリアル路線になったはいいけど別にそんなに変わんねーなっていう実感を感じてるってのとまぁ最初は強度があったものもだんだんそりゃ強度は減ってくるってことになるよね。んで最悪なのが寝る前ワインなんだけど飲む時間が早くなってくるのね(笑)

 

結果的に飲む量が増えて最近ヤバいんだよね。自分でも減りが早いとは思ってるけどさすがにこれだと肝硬変とかになってお陀仏だなって思うしねっつってもまぁそれはそれでいいのかなーとかペシミスティックになったりね。

 

なんだろうね、例えば今の俺が恋愛すれば変わるかもしれない!なんて思うのもようはなんつーかサラリーマンとかが仕事辞めて自由になれば変わるかもしれない!みたいな無いものを得ることで何かが変わるだろうって思う錯覚なんだよね。基本的にそこにあるのはドヨーンとした日常なんすよね。こういうのに耐えられないタイプはどう生きていってるのか?ってマジで思うもんね。まぁ欧米とかだとドラッグ中毒とかだろうね。俺は逆に日本で良かったかもねっつってもアル中になったら終わりだから酒には気を付けるけどっつってもうすでに飲んじゃってるんだけど(笑)

 

まぁ道を極めるっつーか道楽を究めるってまぁやっぱ俺のコンセプトでさ、まぁそういう意味で弓関係とかあとまぁファッションだよねっつってもなんかすげーおしゃれだって思われてもアレなんだけど別におしゃれかどうかじゃなくて自分的に納得いく感じのを追求する感じだよね。

 

で、欲しいものは絶対買うっていうね。んでもまぁこれも慣れてくるとあんま買ってもファッション道楽始めた頃よりかはだいぶ強度無くなるよね。んじゃあちょっと普段とは違うのを買ってみるかっつって他行ったとしても結局イメージと違ったりただの浪費になるだけでやっぱストイックに自分のスタイルを貫いたほうがいいわけでさ、あ、んでまぁそれで言うと眼鏡関係もそろそろ終わりに近づきつつあるんだよね。買い過ぎってのもあるけどやっぱ色々買いまくってかけてみるとどんだけ眼鏡自体がかっこよかったり良くても似合わないとダメだよね。

 

まぁそりゃちゃんと店舗に行って買ってるから試着はしてるんだけどそれでもやっぱ似合ってるってやつには及ばなくてんでもこういうのが似合うってパターンは大体もう昔からわかってるわけで。

 

まぁんですんげー奇抜だったりさ、人目が気になるようなもんでも当たり前のように着るようになると本当にそれがデフォになるよね。まぁだからどんどんエクストリームになっていっておしゃれ過ぎる人って意味分からない奇抜な恰好とかになるんだろうけどまぁそれはそれでいいよね。まぁこの着道楽だけは絶対やめないぞ!って心に誓ってますわ。貯金なんてくそくらえ!ですよ。それに全力全額使うんだよね。

 

んまぁそれで色々と考えると結局やっぱり読書っつーかさ、今までの自分を見てもやっぱり読書してきたんだよね。で、合間に娯楽が入ったりしてそれでやってこれたんだけど最近それが無くなったり他のものと入れ替わったりして、あとまぁいろんな学問に関しての失望っつーかまぁわかんねーもんはわかんねーよなってことだしそれでも色々読むっつって文献マニアみたいになるのも嫌だしだから自分の頭を使おう!ってことで今のリアル路線になってるけどまぁ辛いわな。

 

つまんねーし色々と刹那的に欲望することがあっても先が見えるしそうじゃない何かみたいなのを求めると超越論的になってスピっぽくなってなんか嫌だしまぁスピ系は趣味として好きだしオカルト然りなんでそれはいいんだけどスピ系に逃げるっつーのもそれはそれで完全に敗北だよね。そうはなりたくないよね。いや、なんのためにこんだけ学問やってきたんだ?って話ですよ。

 

あとまぁあれだわな、語弊があるけどまぁやっぱ話が合う人なんてのがもういなくなるよね。そもそもこんなに色々と深く追求して悩んでる人なんて滅多にいないしそんな人たちは大抵孤独でしょう。自分が異質なわけでさっつってもだからいつも書くけどウォール伝が自分のポータルなんだよね。こんだけ全部さらけ出している中で書いていることに共感を得てくれる人とかとコミュニケーションが成り立つってのは凄いことだなって思うからやっぱこの場は大事にしてるよね。

 

だからまぁなんか書こうと思うし更新しようとも思うしさっつっても別に義務だとは思ってないけどあ、んで前置き長くなってるけど図書館通いを再開したんだけどさ、まぁ結局なんつーかもうとにかくつまんないし暇だし虚しいからまたエクリチュール地獄の世界に一時的に逃避しようかな?って思っててさ、それこそデフォじゃ嫌になって読むのが億劫なぐらいの分厚い哲学の本とかを借りまくって無心で読もうと思ってね、なんかそのさ、道場の帰りみたいな寂しさとかまぁ型稽古が意味ないとは言わないけどそのさっき書いたつまらん日常と位相と一致してくるみたいなさ、そういう悲しさだよね。

 

んでまぁずーっと何か読んでたり数学にしても極めようとしていた頃ってそういうのがゼロじゃなかったけどあんまりフリーになる時間が無かったんだよね。今はあんまり読みたいと思う本も無いから道場の帰りの電車とかでフリーになるとまた色々考えるけどはぁー虚しいなーっつーのとつまんねーなーっていうことばっかになるんだよね。まぁ色々と抽象的なことも考えてるけどなんか基本鬱になるよね。

 

まぁそこをある種の逃げなんだけど読む本が大量にあるとまぁそういう虚しさを感じることも大事なんだけど読んでる間ってそういう鬱から逃れられるじゃん?んでも哲学ってそういう生の苦痛みたいなものもテーマになってたりするから思わぬところからヒントを得られたりもするよね。

 

なんかそんなんで結局やっぱ哲学に戻ってくるんだなってことを思うとまぁ哲学やってんのが一番自分にとってナチュラルなことなんだろうね。ナチュラルなことばかりやっててもアレだからほかのこともしよう!として道場に通ってるとかはまぁイレギュラー因子としてアリだしまぁそれはそれでいいですよね。んでもなんかやっぱ結局哲学なんだなっていう実感があるよね。でも「これだ!」というような感じではなくて腐れ縁の友みたいなのに結局行きつくみたいな「まぁ結局それか」っていうような感じだよね。

 

「結局それだ」って決めないで色々やっても「結局それだ」に行きつく必然ね。まぁでもそれは「結局それだ」から外れてみたりもしないと分からないことだよね。んでもまぁぶっちゃけあれっすよね、横浜の図書館って図書館があるくせに胡散臭い場所にあるんだけど(笑)途中にラブホがあって必ず通るんだけど通るたびに図書館通いよりラブホ通いしてーなっていつも思いますよね。それがまぁ本音だよね(笑)

 

なんかさ、求道的!っつってやるのもいいんだけどそればっかになって世界観狭くなるの嫌だし弓に夢中になるのもいいけどもっと人生単位で夢中になれることを探すなり模索するなりしなさいよってことだよね。そういう模索を目先の夢中で逃避してたらダメだよね。まぁエクリチュール三昧の生活に戻ってみるっつーのもまぁあくまで軸は模索だよね。本を読むとか知識を深めるんじゃなくて軸を深めるんだよね。それを模索するための読書だわ。

 

そこを本に求めてもしょうがないだろうってことだけどそうじゃなくてとりあえずこの澱んだ暗黒とも言うべき実存的な葛藤を誤魔化さずに疲れても毎日向き合うっていう中での取り組む材料だよね。それだけ考えてると死にそうになるけどそれを考えるための読書をすると若干楽になるよね。ヒントになることはいくらでもあるだろうってことでまぁそういう意味で別に哲学に限る必要はないんだけどまぁでもとりあえず天職な哲学からだなって感じだよね。あとまぁなんか読んでると書きたいこと増えるしウォール伝的にもいいからね。

 

まぁそんな感じだわ。んじゃまた。