ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ハイパーカオスとハイパーリアル。

メイヤスーの「有限性の後で」ってのを読んだけど思弁的実在論ってやっぱ俺が考えてることに近いんだわなっていうのをだいぶ前に書いて全然この辺ディグってなかったけどこの本はそんなに長くなくて簡単に読めるんでサラッと読んだけど概念の一部分だけを持ってきてどうって言ってもどうにもならないんだけどただまぁあれっすよ、メイヤスーがハイパーカオスって言ってるのが俺の言うハイパーリアルなんだよねっつーかメイヤスーのハイパーカオスの場合、色んなものの潜在性がある意味もう存在するものとして措定されるという世界観だよねっつーかまぁ完全に俺に寄せてるから(笑)メイヤスーについて知りたい人は本を読みやがれですよ。

 

前に弓について書いたときにさ、当たってるか当たってないか?っていうのはただの時間軸の問題なんであって型というのはその当たるということを可能とする絶対的なものでそれができていれば外れるわけがないんだよね。だから当たるか当たらないか?という的中率を気にしてもしょうがないわけだ。そうじゃなくて型ができているかどうか?でそれは決まるという二次的なものなんだよね。で、型ってのはもう決まってるしあるんだよね。ただやる人間がそれをできるか?という問題だよね。まぁなんかシュレーディンガーの猫みたいな話にもなるんだけど型ができていれば的にどう当たったか?というのを見なくても当たっていることは確定してるんだけどんでもまぁ観測しないと分からないっていうさ、まぁ厳密に言えばグダグダだけど(笑)あくまで比喩的にね。

 

まぁんで絶対者としてのカオスってのはあらゆる存在の蓋然性を調停するわけよね。で、自分の場合、それをヴァーチャルと現実とかヴァーチャルと主観みたいなところから考えてきたけど意味合いは違うけど構成要素は凄く似てるってのがまぁ俺の言うハイパーリアルだよね。ぶっちゃけ何もかもが可能であるし知覚においても出来事においても今までそうであったという経験が全くあてにならないぐらい何もかもが潜在的に可能なんだよね。

 

そういう世界ではヴァーチャルがリアル足りうるしそもそものオントロジーが対象の実在性に規定されないんだよね。それはあくまで主観的な意味合いでの潜在性なんであってそこでまぁ自分の世界を作るっつーと独我論的に思えちゃうかもしれないけどそこはフッサールを見ても分かるようにそれはあくまで方法論的な独我論なんだよね。だから文字通りのリテラルな意味で自分の世界を作る!といってもそれはバカげているわけで、それは作るというよりかは意識の志向性によって構築されるものなんだよね。

 

で、それは超越論的なものとか形而上学的なものも含むんだよね。そもそもアプリオリにとか常識的にこれは存在であるとか実在であるとかっていう決められた存在の規定
みたいなものを盲目的に常識として受け止めるってこと自体が思考停止的でなおかつ人間の目から見る客観性は可能であるとするのもまた主観というややこしい問題を取り除いた安易な考え方だよね。そもそも主観という観測者が介在しない客観てのはありえないわけであくまでそれは主観の中で構成されざるを得ない世界なんだよね。だからまぁユクスキュルの環世界を出してきてもいいよね。科学とか知識とかってので凄くある意味神的な視点を持つことができるなんて思っててもそんなもんは所詮は人間という主観を介した世界なんだよね。

 

あとそれは科学的にそうであるって思えても実際は主観を通してるから分からないわけだ。まぁ別に科学全般を否定するわけじゃないけど全てを知ることができるってのはナイーヴだよね。そこでまぁハイパーカオスとハイパーリアルなんだよね。実際に考えたり想定することにリミットはないんだよね。そこには常識すらも当てはまらない。んで逆説的にそのハイパーカオスとハイパーリアルの世界観のほうがより厳密な客観性を得られるかもしれないっていう蓋然性があるんだよね。

 

もちろんハイパーリアルもハイパーカオスも究極的な客観性を求めるためのものではないからあくまでそういうことは二次的なことなんだけどでもまぁ全てはカオスの元に置いて思考可能でリアルも思考してその具現化というのは可能なんだよね。でもそれは簡単なことじゃないけどでも潜在性と蓋然性という意味では常にそれは可能となっているっていうことだよね。

 

さっき弓道の型について書いたけど比喩として重要なのがフォームが世界を生成するっていうことなんだよね。ユクスキュルの話出したけど例えばカエルがハエ食べるのって
すんげー速いと思うんだけど(笑)それが別に神業だ!と思わないのはそれがカエルだからだよね。カエルに備わっているスキルなわけで人間の舌でああいう動きができるということはないわけだ。そういうフォームが規定してるんだよね。もちろん人間がカエルのような舌の使い方でハエを食べるってことは思考可能だけど実行可能かどうかは別だよね。

 

そこが思考可能っていうことと現実っていうことなんだけどそこで俺が言うハイパーリアルはそりゃ当然まずは主観から出発してるわけじゃん?っつーかまぁ当たり前だよね。そこですでにアプリオリに人間というフォームと主観っつーフォームが強制されているわけなんだけどそのアプリオリな主観性とか人間であるということですでに科されているいろんなものがあるわけなんだけどその一つがオントロジーでさ、何が実在で何がヴァーチャルなのか?ってのは実際は主観次第なんだけど常識としてのオントロジーってのがあるじゃん?んでもそんなのに規定される必要はないんだよね。

 

その主観のフォームと人間という形態自体はともかく人間である限りは可能であることってのは色々あるんだけどんでも勝手な自己規定でそれは無理って決めたりしてるわけじゃん?んでもそれは実際は考え方次第でどうにでもなるんだよねっていうところだよね。そこを普通の3次元じゃなくてヴァーチャルやただの妄想も含めた0.5次元みたいなのを3次元に足すんだよね。まぁようは相似次元とかフラクタル次元ってことが言いたいんだけどそれが見えるようになるかどうか?ってのは主観次第なんだよね。

 

でも別にそれが見えようが見えまいが客観的な現実は同じなんだよねっつーのがハイパーカオスな現実っていうところなわけなんだけどそこに俺はそういう現実に適応するようなハイパーリアルの主観性ってのを提示したいんだよねっつーか提示するなんつーと大げさだけど(笑)絶対的だと思われがちな当たり前の主観ってのがいきなりぶっ壊れたり変わることもあるっていうことなんだよね。ベタな言い方をするとそれによって世界は変わって見えるようになるんだけどんでも世界は変わってないんだよね。世界はそれそのものなんであってよく比喩的な言い方として世界が変わるっていうけどまぁまさにそれよねっつーのはまぁ世界が変わったかのように主観が変わるっていうことだよね。

 

ようはどうフォームされるか?なんだよね。型云々無しに和弓の命中率なんてのをそれだけ見ても何にも意味ないんだよね。命中率というところだけみればそれは唯物論的にドライに当たったか当たらなかったか?っていうところで決まるんだけど本来命中率なんてのは関係なくて型があればそれは100%が確定されているんだよね。それがフォームなんだよね。もちろんそれがいろんな要素で疎外されたり身体的なこととかミスでそれ通りにいかないことはあるわけなんだけどんでも型ということにおいてはそれは100%なんだよね。ようはそれができたかできなかったか?なんであって弓自体の命中率ということじゃないんだよね。それは全て身体っつーフォームにかかってるわけだ。

 

だからそれはフォームの潜在性と蓋然性だよね。それができるかどうか?の話で確率の話じゃないんだよね。んでまぁそろそろまとめると現実でどうしていきたいか?っていう中でんでも存在のフォームってのは潜在性があるからそれを待つしかないってことにはならなくて望む形態になるようなフォームなりそのフォームが出来上がるオリエンテーションをしないといけないんだよね。それはマインドセット然りなんだけどね。

 

んでまぁこっからは論理的必然性は無くてただの俺の立ち位置っつーか考え方だけどその最善のフォームってのがまぁ言わばイデアなんだよね。イデアだと言う論理的必然性は無いけどイデアだというと論理的整合性が出てくるんだよね。ようはそのイデアというフォームなりbecomingっつーイデア的なものになりつつあるということが存在の生成を促すっていうようなね、さっきの射の話で言えば射のイデアの具現化というのが型だからそのイデアを追求して同化すればそれは求めるものを得られるわけだよね。もちろんそこでいつも書くけど自分がどうなりたいか?とかどうしたいか?っていうそれ自体がイマイチ分からないって問題があってさ、それが明確だとフォームも作っていきやすいけど分からないとどうしていいか分からないって状態になるよね。

 

んでもまぁそれも存在の蓋然性と潜在性ということで考えると最終的にイデアにたどり着くと考えれば今もbecomingのなりつつある状態かもしれないんだよね。んでもまぁそこですんげー怠けてたり諦めてたりしちゃダメでそこがまぁようはwillですよね。力への意志ですね。んで俺バージョンで言うとそれはイデアへの意志ということになる。それが現在見えなくても志向することが大事なんだよね。そこを諦めないということだ。仏教とかでもあるようにそれは渇望しないと得られないんだよね。

 

死ぬほど求めないと得られない。だからまぁそのモチベーションを維持するのが日々の中で大変ですよねってことになるんだけどそこはもう俺のスローガンでもある意志のオプティミズムだよね。ペシミズムはあえて言うまでもなくデフォでそうなるから(笑)やっぱりそこのwillの部分ですよね。で、スピ的な蛇足を付けるとそれはもろに引き寄せの法則になるわけだ。今の俺は心が燃えて燃え尽きるかのような恋愛がしたい!と思っているわけだけどんでもそれは思い続けるんだよね。

 

んでまぁそういうwillがオーラとなって必然的な出会いに結びつくってことだよね。別にそれは恋愛に限らずそうなんだけど。カオスって前後の文脈関係ないじゃん?金融工学関係のマンデルブロのランダム性とかに出てくるけど全然前後との関係が無いんだよね。まぁそんだけ現在は自由ってことなんだよね。だから「今までこうだったから・・・」というのはなんのエクスキューズにもならないし理由付けにもならないんだよね。何しろ過去から自由なわけだからね。


って感じなんだけどまだ色々書けそうだったらまた書くわ。んじゃまた。