ペルソナ5に敬意だね。

いや、例によってゲームにドハマりでそればっかなんだけど(笑)ペルソナ5の路線変更っつーかかなりリアル路線だよね。なんかまさに俺が言ってるヴァーチャルとリアルが曖昧になる境目みたいなのが凄く明確に出てるっつーか、まぁそれであれはテーマがペルソナだからあくまでその境が人間の精神と現実の間っていうことになってるんだけどまぁそもそもメーカーがアトラスだからそれこそまぁ俺がヒーローと称えるギメルなんかを作り出してきたメーカーなわけでさ、根本的なコンセプチュアルな部分での哲学的な含蓄ってやっぱ一貫してるよね。見た目は学園モノとか怪盗モノみたいにポップになってるけど題材のディープさは相変わらずっていうかまぁそこがコアだからね。ペルソナ4神ゲーだったのを本当に継承してるっつーかんでよりなんつーか個人の心の闇と社会の闇みたいなのにディープに切り込んでる感じがあるよね。

 

不祥事のオンパレードのリアルがモチーフになってるものが多いしそれがパロディになってて笑えるんだけどそこがただの風刺とかにとどまってなくてディープな部分でのクリティークになってるっつーのがやっぱさすがだよね。

 

んでもあんだけアドホックな現代の日本の闇みたいなのをそのままモチーフにしてストーリーにしてんのはすげーなって思うよね。んでもそこでシリアスになり過ぎずにポップさってのを怪盗モノのモチーフだったりキャラクターだったりでバランスを取ってるっていう、なんか究極的な人間と社会のダークさと究極的なポップさみたいなのが共存してるんだよね。そこのエクストリームさにやっぱメガテン系列のハードコアさ加減を感じずにはいられないわ。

 

特に与沢みたいな虚構をそのまま「自分は儲かってます」みたいに言うことでまぁ騙されるほうが結局は悪いんだけどありもしないことをでっちあげてその虚構に群がる連中から金を吸い上げるっつーような虚構をうまく使ってるやつが悪役として出てくるのとか本当にいいよね。リュウジの「本当にクソだな」っていう言葉に集約されるんだけど具体的に何がクソなのか?って別に語られないじゃん?んでもなんであんなに大人がクソなのか?っていうのを直接的に言うことなく遠回しに隠喩みたいなレベルでメタフォリックにシンボライズしてるってのが本当にエッジーで最高!って思うよね。

 

まだそういうのが分かんない子供には楽しいRPGとして楽しめて大人プレイヤーにはそういうディープな面を楽しむっていう意味でのコアな楽しみ方があるっていうさ、まぁ与沢にしてもワタミにしても明らかに異常なクレージーピーポーなのに時の人みたいな扱いを受けてたりとかってまぁもうすでに昔の話だけどペルソナ系が最高だな!って思うのは人間としてまともなコモンセンスを維持しようぜっていうか社会おかしいよね?人おかしいよね?っていうところなんだよね。

 

ザワザワ・・・とかって表現されるような誰かの発言なんだけどあくまでアノニマスなザワザワとして出てくる断片的な発言だの意見だのってのが病んだ日本的な主体性が無い集団性みたいなのの最高なアイロニーになってるし街行く人たちのエネルギーのなさと胡散臭いものの跋扈みたいなのも本当にカリカチュアライズされてて最高だよね。

 

そこでまぁやんわりとそういうのを正すのが怪盗団っていう風になってるんだけどまぁぶっちゃけあれって血盟団的な戦前の右翼とか226的な世直し的な団体活動ってことを考えるとめっちゃラディカルなんだよね。だからまぁ俺は怪盗団の名前を「血盟団」にしてるんだけどああいう心の怪盗行為をそのままの直接的な暗殺とか破壊っつー武力行使になったらまぁ完全にテロなんだよねっつってもあくまでそれは善的なテロなんだけどそこでまぁ怪盗団についての意見としてそんなの独善的じゃね?とか明智みたいなそんなの法的に言えば完全に間違ってるみたいなことを言うやつとかさ、んでもまぁ俺はまだ途中なんだけどそこで明智みたいなやつが僕と組めばいいのにとかって言ってるのも本当に示唆的だよね。

 

主意主義的なテロリズムに法的なバックグラウンドとか根拠とか正当性が加われば最高の世直しになる!みたいなさ、まぁ実際はそんなヒーローはいないのが現状なんだけどまぁ俺のこのアンダーグラウンドレジスタンス活動(笑)はまさにペルソナ5の怪盗団のそれと一緒ですよね。クソなもんに立ち向かって抗う。んで諦めないで世直しを求めるっていうね、それがどんだけナイーヴだと言われようが相対主義に陥ればそんなの独善的だとされるものをそこをカールシュミット的な価値を決める主体として振る舞うんだよね。

 

相対主義的にそうでも自分はそれを信じてやっているっていうところだよね。それが下手するとナチズムに繋がるようなヤバいもんでもあるんだけどそれは使いようで結局、善を全うしようとするとそうならざるを得ないんだよね。でも今はそういうことを実行しようとするとエクストリームな行為とか思想になっちゃうっていうね、でもまぁクソなもんはクソってのは確定してるわけでそれをクソだと思い続けなきゃいけないんだよね。

 

で、それに抵抗し続けないといけない。俺はいつもそこで言ってるのがそのクソに順応しないと生きていけないぐらいになったら自殺するっていうことなんだけどクソにまみれてまで生きていようとは思わないっていうさ、あくまで善を突き通すんだよね。それを突き通せない生に未来はありますか?ってないですよねーってモロに言ってるのがペルソナ5ですよ。今までのペルソナシリーズとは比較にならないぐらいの踏み込んだメッセージ性だよね。

 

まぁ俺はゲームでペルソナ5みたいに直接言い過ぎるとヤバ過ぎて検閲がかかって発売できないようなもんでもどっかのメーカーがやるべきだとは思ってるけどね。ペルソナ5はあくまで間接的にんで娯楽のゲームとしてそれを成り立たせるためにモチーフの扱いとかが凄く慎重だけど直接的なものがあってもいいんだよね。それこそそういうクソなもんに抗う若者の抗戦を描くようなもんがあってもいいでしょう。あ、それがまぁアニメではありますよね。残響のテロルだよね。言わずもがな過ぎるけど。

 

精神的なものにオーバーライドして改心させるっていうようなマインドハック的な感じはある意味攻殻機動隊っぽいしサイバーパンクっぽいよね。まぁ実際は改心なんてことがないっつーかクソなやつはクソで終わるんだけどあくまであれはモチーフだからね。悪は許せぬ!っていうことをそのままやってもベタ過ぎるんだけどそこでペルソナシリーズっつー巨大な機構を使って描写するっていうさ、そこの根底にあるのは善のイデアとヴァーチューなんですよね。まさにメガテンスピリットですよ。相変わらずこれ以上の反権力というか社会への凄まじい批評ってのが作品に現れてるものってのを他に無いでしょ!こんなの!って言えるぐらいの凄まじさを感じるよねっつーかまぁあとは日本のアニメだよね。そういうのがあるのは。

 

ペルソナ5は情操教育に適した最高の教材ですよね。自分に子供がいれば全部やらせるわっていうレベルだよね。牛丼屋のバイトにしても一時期話題になったワンオペとかが風刺されてるしんでもそこが局所的な風刺に留まってなくて凄く大きな人間が持つべき価値観とか世の中おかしいよね?っていうようなまともなdecentな感覚をいくら社会がクソでも忘れちゃいけないぜっていうようなね、んでまぁそこでなんでもSNSに投稿するようなアノニマスな傍観者みたいなクソになっちゃいけないしあくまで個でいてその個が価値判断を自分で規定して行動するんだっていうような主体性だよね。まぁそれは哲学的に言えばまさに倫理だしディオニュソス的陶酔だし力への意志なんだよね。

 

クソなもんにはクソだと言わなきゃいけないし生殺与奪みたいな環境になっててそのクソな環境に順応していかないとやっていけないみたいな状況でもそこにファック!と言ってそういうところからは離脱するっていうね、んでもそれをやると現代日本ではなぜかアウトサイダー扱いされるみたいなのもペルソナ5では見事に描かれてるよね。誰よりもまともな感覚を持ってるのが主人公だったりその仲間たちだったりするんだけどすげーアウェーなんだよね。あたかもそれがソクラテスがポリスでアウェーだったかの如くね。

 

まともだからこそ腐った現代社会に居場所が無いというアイロニーだよね。ソクラテスがどこから悪が生まれるでしょう?みたいなのが授業のクイズに出てきたりするのもさすが!って感じだよね。まさにそれは回答と同じく無知なんですよ。ソクラテス的イロニーはまさにペルソナ5のモチーフだと思うんだけどそれは真理を追究するための概念装置だったりするんだけどそこでロマン主義的なイロニーってのはそういうクソみたいな現状に対して青二才的だと言われても追及するべき善や美があるっていうようなアティチュードのことを言うんだよね。喜多川祐介なんかはまさにそういう象徴として出てきてるよね。んでペルソナが義賊の石川五右衛門というのも完璧すぎて言葉を失うレベルでしたよね。

 

ペルソナ5は特に力への意志と普遍的倫理とディオニュソス的陶酔ってのがコアにあるなって思ったんだよね。4ではそういう闇に抗う力!みたいな感じだったんだけど5ではかなりそういうのが具体化されてるよね。そこでそういうシャドウに古今東西の超越的な神の力を得て善を成すってのがやっぱメガテンシリーズのコアですよね。まさに俺が書いてるでしょう。重要な局面なりコミットメントでの超越的な力の介入っていうのがね、それは目覚めたものにしかつかないものなんだけど確実にあるんですよね。

 

それは。そういう意味でそれはグノーシス的なんだよね。下手すればサタニックとされえないものなんだけどでもそれは精神的なrepresentationってのがペルソナという超越的なガーディアンエンジェルのような存在を呼び起こしたり惹起するもんなんであってペルソナが人間に乗り移ってそういうことをさせるようなものではないんだよね。あくまでそれは意志が定まったときに「契約の時がやっと来ましたね」っつってペルソナが開眼するわけよね。まさに俺の思うサタニズムそのものですよ。

 

弓にしてもただのレジャーなり習い事ではないレベルでの超越的なレベルでのものを求めてるからこそそういうものが降りてくるわけなのよね。んでそれが俺の意志と極めたい!という心と相まってペルソナがポテンシャルというのをどんどん引き出してそれを具現化させるものになるっていうそういう意味ペルソナを呼ぶために意志を強化するのではなく助けを得るためにそういう意志に持っていくっていうことでもなくて意志とペルソナの力ってのはあくまで同等にお互いを引き寄せるんだよね。それが相乗効果になるということのみによって本来はありえない超越的なものっていうものの介在が現実に現前するわけよね。

 

だからまぁそれはやっぱ形而上学無しには語れないんだよね。理詰めでどうのじゃないんだよね。でも根本は理詰めなのよ。その結果、超越的なものの介在が可能になって力が得られるっていうことなんだよね。これをオカルトと呼ぶのは簡単だけど真理の一面を突いたものなんであってオカルトだって言い切るにはあまりにも軽率過ぎるような不思議なアクチュアリティがあるんだよね。

 

そういうアクチュアリティの表現ですよね。そういうのがペルソナ5には顕著なんだよね。何はともあれ凄いゲームだわ。教育ツールですよ。マジで。まぁそんな感じでしばらくハマると思うけどまたなんかあったら書くわ。んじゃまた。