ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

プロ棋士になるぐらいのつもりで。

将棋なんだけど前にちょっと言及したけどまぁゲームと同じでっつーかまぁ依存性とか中毒性があるってことなんだけどさ、んでまぁ調べると無益だからむしろ辞めたいって人がいたりってことなんだけど前も話したかもしれんけどまぁそれ言い出すとゲーム全般そうだよねというか娯楽全般そうだよね。

 

ゴルフも別に上手くなったところでプロになれるわけじゃないってのはまぁ将棋もそうだけどんでもなんでとりわけってわけじゃないほどにしても将棋が無益とされるとか?っつーとやっぱボードゲームだからなのかな?っつーかね、ゴルフとか他の趣味の場合、そこにアクティビティというか、単純に外出て歩くとかさ、釣りとかにしてもまぁ割とヘルシーじゃないですか?で、将棋がネガティヴなのってっていうか将棋がネガティヴだとは思わないけど一人で淡々とやる感じのやつがなんつーか無益を言われがちというかやっててもしょうがないって思われがちっていうかまぁそれ言い出したらオンラインゲーム全般そうじゃん!って思うわけなんだけどね、そこでまぁ我々はゲームをやめるべきなのか?ってことなんだよね。

 

俺の場合、色々とやり過ぎてどんどん趣味が焼き畑状態でPS4にしたって買って一か月しか経ってないっつーのにほとんどやりたいやつやっちゃったしって感じでまぁどんどん無くなるんだよね。あとまぁCODのWW2のやつとか出るみたいだけど動画見てると面白そうだけどFPSももはや飽きたというかまぁ色々と飽きてるってのは普段も書いてるけどまぁそんな中で一気にプリミティヴな将棋ってのにハマり始めたのはまぁグラフィックがどうのとか音がどうのとかってのとは無縁なボードゲームの奥深さだよね。結局まぁ普通のゲームっつーかビデオゲームってまぁ別に楽しめばいいだけなんだけど結局まぁセオリー通りの最強武器とか強ポジとかってのが出てくるじゃん?で、まぁそれが固定化すんのよね。んでまぁどんだけ複雑な様相を見せてても結局、最善というところだけ見るとパターン化してきてつまらなくなるんだよね。

 

まぁぶっちゃけ将棋とかもそうなんだろうけどまぁまだそういうレベルに達してないのとまぁいつものことながらこうやって学んでる最中の特に初期ってのが一番面白いじゃん?だからまぁその楽しみを噛みしめてるんだけどいや、やってるのは相変わらず龍が如く極の将天なんだけど(笑)

 

昨日なんかは一局に二時間ぐらいかかってたっつーかよくそこまで考えようと思うよねっつーか他のゲームじゃありえないぐらいのドはまりっぷりを発揮してるんだよね。長く考えることが苦じゃなくてなおかつそこまで長く考えてるつもりはないんだけど結果的に長くなってるっていうさ、まぁこういうのを繰り返していくとどんどん先が読めるようになって強くなっていくんだろうなとか思いつつ凄まじい将棋の才能とセンスを自分に感じざるを得ないんだけど(笑)

 

んでもまぁ最初に書いたようにっつーかまぁなんでこんなことを書いてるのか?っていうとまぁ嗜む程度でやろうと思ってハマって求道的になって辛くなるってのがいつものパターンなんだけど自分で言うのもなんだけど将棋は相当向いてるみたいでんだからこそ極めれるかも?っていうような希望が見えてくるんだけどんでもまぁ現実のプロ棋士のレベル見るととんでもないっていうようなね、んでもまぁなんつーかプロ棋士になるぐらいの気迫でやるっていうさ、そうなると適当な手を打ちたくなくなるよね。

 

まぁそんな感じで最近は寝起きに大量にカフェイン→読書か将棋かゲーム→んでまぁ日内変動を通り越して調子よくなってきたら数学か将棋→眠くないけどそろそろ寝ないとリズムぶっ壊れるってことでワインがぶ飲みアンドお薬ちゃんぽん→そっからまた数学か将棋→んであんま眠くならないとお薬とアルコール追加→そのままお陀仏しそうなぐらいフラフラになって就寝・・・みたいなループなんだけど(笑)

 

今書いてて思うんだけどあんま寝れないってまぁ将棋やってたり数学やってたりして頭が冴えちゃって寝れないってのもあるんだけど起床後の大量のカフェインってのもあるんだよね。んでまぁこれが最悪の悪循環でそれで寝れないっつーんでもっと飲むようになっちゃってんで次の日ダルいからまたカフェインっつーループで体崩壊しそうになるんだけどそれとは別にまぁこれは良いことなんだけどずーっと頭をなんらかの形で使ってるから睡眠時間が異様に長くなるんだよね。10時間ぐらいだと全然足りなくて12時間ぐらい寝ないとダメみたいな感じでなんかまぁすんげー頭が頑張ってんだなーとか思うんですけどね。

 

まぁでも結局まぁ無益ですよねっつーかこないだ母に何気に「いやーすげー将棋の才能あるかもしんない」なんつったら言われたのが「またか!」っていうことでまぁどういうことか?っていうと実益にならないことばかりに手を出すっつーよりかは実益にならないことばかりに無駄に才能を発揮するっていうことなんだけどそれで「またそのパターンなの?」ってことなんだけどさ(笑)まぁホント、それ言い出すとまぁそりゃ虚しいわな。数学も自分なりに極めても数学理論を作り出すとかそんなレベルにならないのは目に見えてるっつーかまぁそれはそれでいいんだけどね。今は目標があるから。んでもそれ言い出すと将棋もプロになれなくてもプロ顔負けぐらいにはなれるよねっつってもなったところでどうなんだ?って話なんだけど。

 

んでもなんかそれ言い出すと実益なりプロになるみたいな職業に繋がらないもの=無駄ってことになると大抵のことは無駄だよね。んでまぁ普通の人なんてなんかの才能を発揮してそれで食うみたいなもんに仕事が直結してるわけじゃないしあとまぁ好きなことがあるのと好きなことの中で才能を発揮するってのは別じゃん?まぁんでどんだけそのめぐりあわせが良くたって実益に結びつくことなんてレアなわけでまぁそれ以外全部無駄ってことになるとアマチュアが数学勉強しても無駄だし将棋もそうだしってことになるんだけどんでもなんでその実益ってのが軸になっちゃうかね?っていうね、むしろ無益なことに廃人になるぐらいまで没入してるっていうバカさ加減こそ人情なんじゃない?って思うんだよね。

 

才能っつっても数学にせよ将棋にせよガチ天才と比べたらチンカスみたいなレベルでも一応才能はあるからある程度までやれるっていうところはあるわけだからそれを自分で楽しむっていうのは才能がある特権だと思うんだよね。そこで最上級と比べると苦痛しかないし足りなさしか感じないからダメなんだけどそこそこあるだけで結構楽しめる要素ってあるわけよね。いや、まぁ才能なんつーと大げさだけどこないだ病院だったんで団鬼六小池重明の小説買おうと思って本屋行ったんだよね。

 

んで当然将棋のコーナーにも行ったんだけど初学者特有のわくわく感があるんだよね。そこそこあってっつーかこんなに出てんのか・・・ってぐらい本がある中でまぁ色んな戦法の本だとか終盤の戦い方とかさ、仮に出尽くしてても知らない身からしたらこんだけマスターできるものがあるのか!って思うとウキウキしますよね。得意の戦法を見つけてそれを究める!じゃなくて没入を究めるわけだから全部やるんだよね(笑)もはやそれって娯楽とかゲームっつーより研究なんだよね。

 

まぁつまりはこういう凝り性というか研究好きってことに尽きるんだけどんでまぁポナンザっつー将棋AIを作った人の本とか出ててまぁそれも買ったんだけどパソコン関係の人工知能のコーナーにあってまぁ普段そんなとこ行かないじゃん?んでまぁ色々本出てんだなーってまぁそりゃ出てるだろうってことなんだけど色々とパラパラ読んでるとまぁさすがに今ガチでやってる純粋数学とかよりかは全然簡単なんだよねっつーかまぁ数式とか出てても楽ってことね。ん?ってことはこれって全部分かるってことじゃん!って思うとそもそも数学が絡めばなんでも理解できるわけだから数学っつー長所を活かしてディグれそうなのはガンガンやろうか!とかって思ったのね。

 

あとまぁ今は量子力学もやるって前に書いたけど基礎からやるとまぁ簡単だよねっていうかこの簡単って思えるのが前にずーっと永遠と取り組んできた結果なんだなーって思うと改めて数学関係をやらないってのがもったいないな!って思うようになってきてさ、んでなんか物理とかも面白いのね。普通に。っつーか流体力学がすげー楽しそうでっつーかウィルモットが元々は流体力学やっててそっから金融工学に行ったっつー話をしててまぁ両者がすげー似てるってことなんだけどまぁ面白いですよねっつーかまだまだやれそうなのあるわけよね。

 

なんつーかまぁ極められそうなものってのはもう常人では考えられないレベルで極めてる人がいてそんなのに追いつくのは到底不可能か仮に可能でもなんでやるの?ってぐらいの時間と労力が必要なんだけどそこで結局まぁなんでも実益に結びつけようとするからそこに合理性みたいなのを求めちゃうんだよね。んであわよくばプロに・・・みたいに思っちゃうんだけどこのプロって考え方が問題なんだよねっつーのはそれはもちろん実力を意味するものでもあるんだけどそれは近代的な制度の話じゃん?そこに食い込めるか食い込めないか?でコミットの価値を決めるってのはそのプロ的な発想に持っていかれすぎなんだよね。

 

なんつーかまぁ数学者にせよ棋士にせよ深くコミットしててそれが死ぬほど好きな時点でもう「自称数学者」とか「自称棋士」とかでいいんだよね(笑)なんつーかその辺は地下アイドル的なさ、別にアイドルでもゲテモノなりの良さとかもあるわけだしアングラアイドルとか居てもいいわけじゃんね?いや、何もかもの基準をトップに据えちゃうってまぁアイドルのトップってだれか分からんけど(笑)

 

それをトップに据えた時点で仮に歌と踊りがめちゃめちゃうまかったとしてももうダメだよねっつーのが見た目ね(笑)まぁ結局才能無いと意味ないってのはこのアイドルにおける見た目みたいなもんだよね。見た目ばかりは努力してもどうにもならんでしょう。んでも見た目がまぁまぁでも歌を究めるとか演技を究めるとかってことはできるわけだし別にトップにならなくてもそれなりの価値って磨き続けたものには出てきますよね。でもあれなんだよな、この辺アメリカって凄くてさ、ただのワナビーでテンポラリーなジョブをやりつつなんか書いてたり活動してたりすると自分の職業はその実益になってないほうだって言うんだよねっていうかまぁ例えばライターワナビーなら「俺はライターだ」って言っちゃうんだよね。

 

全くそれで食えてなかったりどっかで書いてるとかじゃなくてただ誰も買い取ってくれない原稿なり文章ってのを書いてるだけでそう言っちゃうってなんかすげーオプティミズムを感じるよね。底知れない感じの(笑)

 

だからずーっとエキストラぐらいしかできなかったりしても自分が役者を目指してたりちょっとその業界に入ってたりすればもう自分は役者だしさ(笑)でもこの感覚ってすげー重要なんだよね。日本人ってそういうのは烏滸がましいとか思って名乗らなかったりってまぁ別に名乗る必要はないけど映画とか漫画とかなんでもいいんだけどモチーフとしても出てくるけどここまでやってダメだったら諦めようとか諦めるのが早いんだよね。んでその「ここまでやって」っていう基準がそういう制度的なプロフェッショナルってことだったり金銭的な実益だったりしてさ、まぁ逆に諦めて他の道行けるぐらいの選択肢がある人には一つのことは極められないとも言えなくもないんだけどそれでもやっちゃう人ってそれ以外にやることとかやりたいこととかやれることが無いからなんだよね。

 

俺の道楽全般がまさにそうよ。んでも道楽ってのは謙遜した言い方でどれもすげーマジですからね。最近で言うと弓道然りだけど国体選手とかになるつもりなの?ってぐらいの度合いでやるからねっつーか一か月やってないからすげー鈍ってそうだけどまぁいいか(笑)なんかね、大会とかがあって賞金があるから頑張れるとかっていうそういう経済的なものにやるやらないの基準があるのっておかしいと思うんだよね。俺が今度、数学とか哲学とか弓道とか将棋を極めてもどう考えてもそれが金になることはないでしょう。あとまぁ音楽にしてもああいうの作り続けたところで金は入ってこないよね。でも別に金なんてどうでもいいからねっつーか別だからねそれはっつーかそれでお金を稼がなきゃいけないっていう発想自体がおかしいんだよね。

 

前にも書いたとは思うんだけど至るところで結局はそれで食えるか?とか金になるのか?みたいなところが価値観の大きいウェイトになってたりするわけじゃん?それ言い出したらそもそも哲学とかもありえないからな。哲学で食うって無いでしょう。まぁだから食おうとして哲学的素材を使った金になりそうなことをやったりはするんだろうけどまぁ大体行き当たりばったりでしょう。

 

まぁそれがラノベとか映画とか作品になってればそれは行き当たりばったりじゃないけど無理に結びつけても本当に意味ないっつーかそれやってる時間あったら研究したほうがいいっつーかさ、まぁもちろんこういうのって一人でやれるジャンルに限ったことだけどね。研究において実験とかデカい機械とかが必要だったりするとやっぱどっかに所属しないと難しいわけだけど自分でやるんだったら別に誰でもできるからね。そういう意味でやること自体の敷居ってめちゃめちゃ低いよね。ただ高水準でそれをやれるのか?ってのが問題なんだけどまぁ本人が楽しければいいんじゃない?ってことでもあるよね。

 

レベルってのは多岐にわたるわけなんだけどまぁそのジャンルはどうあれ真善美を見出そうとするようなattitudeですよね。そういう真善美に向かうエロスが内発性によって促されてるっていうような生活パターンっつーかそれってまぁ日常に埋没しないっていうような生き方であるわけでね、それは実益とは程遠くても学徒としては立派な生き方だと思うんですよね。なんつーか色々と学び続ける人っつージャンルがあっていいと思うんだよね。だからこそしつこいけど制度的なプロとか経済的な実益みたいなのがそういうのが計られてしまうとそういうのとは無縁でやってるっていうところに惨めさを感じたり後ろめたさとかを感じたとしてもでもそこはもう生き方であって態度なんだよね。んでももうやりたいからやる!っていうそれで十分なんだよね。


あー薬が回りまくりでヘロヘロだからもう寝るわ。んじゃまた。