虐殺器官を見たんだけど。

やることないしあんま色々とやる気起こらなくなってるから映画ばっか見てるんだけどアニメ映画の虐殺器官を見たんだよね。凄いとは聞いてたけど本当にヤバかったなっていうか攻殻機動隊系の深さだよね。本当に感動してしまったんだけどそこで作品の考察というよりかは最近俺が言っている暴力とこの虐殺ってのがほぼ同じだなって勝手に解釈したんでちょっと色々と書いてみるけど作品の中ではその言語なりなんなりに感染するということが極めて物質的というかあたかもウィルスに侵されたように作用するようになってるけどまぁそれは小説上の設定だよね。そうしたほうが展開が早いし構造が分かりやすくなるからね。まぁつまりはイデオロギーってことなんですよね。

 

これはやってはいけませんと教えられたことをなぜ?という理由もなく禁止されているという理由からやらないようにするってのはつまりは洗脳と同じだっていつも書いてるけどここ最近俺が書いてるところで言うところの思考停止的なドラッグダメ!みたいなプロパガンダに洗脳され過ぎてる日本とか暴力絶対ダメ!とかんでやくざもダメ!ってことになって結果的に法がどんどん人を縛るようになってるっていうでもそれは市民社会にとって良いことだから禁止が増えてもその代償としての市民社会的な自由を享受できてるでしょ?ってことになるんだけどそこで果たしてそうだろうか?っていうところだよね。

 

なんで暴力がいけないのか?って逆にちょっと昔の映画なんてこのやろーって殴ったりするシーンが当たり前に出てくるけど今はウーマンの村本みたいなやつがっつーか村本はキャラなんだけど村本を地で行くようなやつが「あー今の暴力ですねー撮ってますよー」みたいなんでネットに拡散されるぞ!っつーネットっつー相互パノプティコンを利用して陰キャラみたいなやつがやりたい放題できるようになったのと何かとガッツリとアグレッシヴな人たちが派手なことをやれなくなったってのもあって草食化とかが環境によって人為的に作り出されてる感はあるよねってのはこないだ書いたけど、暴力も一つの契機じゃん?殴り込みに参加したら武闘派であるっつーかアグレッシヴな自分に目覚めて性格変わるとかさ、それが若いころのやんちゃの一環でもそれって重要な経験だよね。そういうのが一切ない場所だとアグレッシヴなやつも目立たなくなるっつーかすぐ捕まっちゃうしアグレッションに目覚める人もいなくなるわけでしょ。

 

それってまぁようは暴力っつー言語が消去されてるから起こる草食化なんだよね。別に喧嘩っぱやいからっつってすぐ女の子と話ができるとかってのは別だけど殴り込みとかに参加してたら度胸がつくでしょう?で、それが人格に及ぼす影響っていうことなんだよね。若いころにやんちゃしてたからこそ前のめりにどんどん乗り込んでいくっていう癖がついて結果的にそれでダメになる場合もあるけど社会的に成功する場合もあるよねっつーか成功者って大体やんちゃなやつ多いじゃん?あんま良い例かは分からないけどホリエモンとかひろゆきとか二人ともヤクザ以上のヤクザでしょ(笑)二人とも好戦的だしヤンキーっぽい見た目はしてないけど中身はヤンキーだよね。それで言うとヒカキンなんかもちょっと若いころの写真見るとだいぶオラついてるしみんなカモフラ的にオラつかなくなるだけで本質は変わってないんだよね。

 

で、そういう人たちの特徴って良い意味で従順じゃないわけじゃん?別にほりえもんとかひろゆきとかが言ってることが正しいとかって話じゃなくてあのぐらいアグレッシヴに自分で考えるっつーかさ、あと言いたいこと言っちゃうっていうまぁそこでもちろん彼らの場合、ショー的な意味合いも含んでるんだけどそれこそ同じ発想してたらああいう風にはなれないよね。

 

あの二人のヤバさって平気で脱法行為をやりそうっていうところにあるわけで(笑)そこがただの小市民と決定的に違うところだよね。まぁそこで俺は法ってのを持ち出したけどようは従順さってことなんだよね。従順だとシステムに飼いならされるからシステムを作る側とか操縦する側に回れないし主体的に考えてるようでなんかの押し付けとかプロパガンダのモジュールの組み合わせで考えているように思わされてるだけでリアルに考えてたらそもそも意見なんてまとまらないんだよね。

 

いや、だからこそいいんですよね。んでも恐ろしいのが暴力はいけません!やくざはいけません!ドラッグいけません!みたいなそういうのをそのまま真に受けちゃってさ、でもそこで思考停止的にいけませんと言われることだけで抹殺できるってのが言わば思想の強さですよね。みんな思考停止的にそう思うようになるから自発的にそういうのにノー!って言うようになるじゃん?でもなぜノーなのか?ってのは考えないんだよね。その象徴がポスターだよね。旧ソ連とかのプロパガンダポスターとかと同じですよね。Noドラッグ!とかさ、でもそりゃTPOだしドラッグ自体にドラッグカルチャーってのがあるしそもそも音楽にせよ芸術にせよ親和性があるものなわけでさ、そこを勝手に切り離しちゃっていいの?って話じゃん?

 

そういうものをもう絶対イケないものとして否定することでそれこそ虐殺器官で言語が世界を作るっつーか主観を作るみたいなことを言ってるけどっつーかまぁ別にこれは虐殺器官関係なく哲学とか認知科学の一部の学派とかで言われてることだから自明っつっちゃー自明だしでもそうとは言い切れない部分もあるんだけどんでもそこでその言葉を消すということもようは注入するっていうこの場合、虐殺の言語を注入するということがまぁヤバいっつーかまぁ一概にヤバいとかどっちが良いの?っていうのはどちらとも言えないっつー話だから物語の話はしないけど注入ってのは洗脳だし消すということもまた洗脳なんだよね。

 

プリミティヴな世界だったら暴力なんて当たり前だったりまぁ今って世界的にもそうだと思うんだよね。なんでもすぐスマホで撮って逮捕しろ!ってアメリカとかでもよくそういう動画あるけどさ、本当にあれってイデオロギーだよね。いけないことをやっている!っていうところだけにフォーカスして肝心の暴力がなぜ起こったのか?とかそれこそ深いところまでいけば人類と暴力の歴史とかさ、でも大体人類と暴力の歴史みたいなのを述べてる本とかはまぁそんなこんなで暴力はいけませんよねっつープロパガンダが必ず入るからみんなそれが自明に思えちゃうんだけどそれで言ったらさ、それこそ極論みたいになるんだよね。

 

左翼っつっても色々いるけど所謂本当に変な独特のマルクスとも違うような日本のダメ左翼思想ってあるじゃん?っつーかむしろマルクス主義者だったらバクーニンみたいな活動家が出てきてもおかしくないのに暴力反対!はないだろうっつーかマルキストなら革命について考えろって思うんだけどあれもまぁ書き換えられてるんだよね。修正主義みたいなのとは違う意味で暴力とかテロみたいなPCが疑われるようなものってのは消されるようになってる。で、結果的に出来上がるのがいびつなキメラ化した思想だよね。もしかしたらその消した項目のこととかが相関して他のことも述べられてるかもしれないのにその項目とか言葉だけ狩っていったら関連性が無くなっちゃうじゃん?まぁそういう意味で思想って本来ヤバいからね。

 

いつも言うように右左関係ないんだよね。マルクス主義だってすべての労働者が団結して武装蜂起して資本家を殺せ!ってことを言ってたりもするわけでまぁそれをまた違ったゆがめられた形でやっちゃったのが文化大革命とかポルポトの虐殺とかなんだけどまぁーヤバいことこの上ないよね(笑)どうやって読解したらあんな風になるんだろう?って思うんだけどでもだからといってそういう歴史的な失敗があるから暴力はいけないんだってそういうことじゃないじゃん?

 

マルクスが権力と戦え!って言ってるのは思考停止なデモをするとかね、なんでそのNoNukeっていう色々な問題が山積みの中そこまで反核にこだわるのか?とかさ、まず人間の生活でしょうって思うんだけどね。反核もまぁ生きがいっつーかサークル活動みたいなもんだからね。お祭り好きの連中の集まりで真剣に国のこととかを考えてないでしょう。考えてたら現状もっと運動するべきことが他にあるわけじゃんね?まぁそれについてはいいか。あ、んで暴力とかドラッグですよね。

 

あ、その前にあとNo War!だわ。これも反戦っつー思考停止的な考え方で俺が元々思考停止的な典型的なダメ左翼だった時期があったっつーか駆け出しのころなんてみんなそんなもんだからこそよく分かるんだけどなんでも軍国主義的なものに繋がるのはヤバいとかさ、日本の歴史から学ばなきゃいけないっつっても226事件とかもあったわけで軍隊があると軍部が暴走して戦争始めるなんて独裁者がいる国レベルじゃないとありえないよね。No WarっつーよりどうWar的にならざるを得ないことを回避するのか?ってのはさ、それでバカな左翼は対話っつーけど完全にイスラム原理主義って言い方嫌いであれはテロ用に書き換えられたドグマだからイスラムのテロ思想とでも言いたいんだけどっつーか原理主義だったらすげー平和主義だからね。イスラムって。

 

まぁいいや。あれですよね、家族を殺すとかって脅されて爆弾全身につけられてテロやらされちゃう人とかってハートロッカーとかでも描かれてるっつーかまぁハートロッカーは映画的に面白いけど色々と微妙なところもあるからまぁなんとも言えないんだけどこういうのって対話っていうレベルじゃないじゃん?考えを変えるっつーよりかは脅されて爆破せざるを得ない人物とどう対話するのか?だよね。まぁ無理で解除も無理だったら爆破しても被害が無いところにまで連れて行って死んでもらうしかないですよね。
そこに対話なんてないですよ。

 

んじゃあ問題は何か?ってそんなえげつないことをさせる組織がヤバいわけでさ、もうそういうことする輩だったら無理じゃない?思想はどうあれね、テロはいいんだよね。要人暗殺とかそれこそパレスチナ人とかの場合、ゲリラとかレジスタンスになるからね。CODのWW2とかもめっちゃアツいっすよね。フランスのレジスタンスと一緒にナチのやつらを殺して「この国から出ていけー!」なんつってゲリラと一緒に戦うとかムネアツ以外のなんでもないわけなんだけどあれもまぁ暴力ですよね。ナチスから見ればパリのレジスタンスはテロリストでしょう。

 

まぁナチスみたいに相手が明らかな悪な場合簡単なんだけどレジスタンスに手を貸すっつー名目で武器とか流して政治的に利用してアメリカの都合のいいようにさせるとかってまぁアメリカよくやるから別にレジスタンス=善でもないんだけどね、まぁ話を戻すと暴力っつってもそりゃコンテキストによるでしょうってことだよね。野村秋介が目の前にヒトラーがいてこれからユダヤ人を大虐殺しようとしてる中でどうするべきか?ってそこで左翼の人は対話するって言うんだけど正しいことはヒトラーを殺すことだよね。もう明らかでしょう。

 

でも暴力はいかん!軍法会議にかけなきゃいけない!とかってのも分かるんだけどさ、なんかそういうところじゃないじゃん?相手はヒトラーとかイスラム系のテロリストなんだったら座間9遺体の犯人みたいなもんなんだよね。そりゃ左翼だったら加害者にも権利はあるってことになるんだけど仮にキュルルッとタイムスリップ出来てまだこいつが事件を起こす前って分かってたらそいつを殺すことが一番いいに決まってるよね。

 

そいつが殺そうとしてるんです!なんつってもタイムスリップしてるわけだから誰もそんな話信じないだろうしまだ犯罪も犯してないわけだからさ、マイノリティ・リポートみたいな話になっちゃうけどあれはまぁどこまでを犯罪とするか?っていうか明らかにサイコな例ばかりではない件でも事前に分かっちゃうから逮捕されちゃうっつーんで考えさせられる題材なんだけどまぁそんな話をややこしくしたくはなくて座間の犯人みたいなやつが事件を起こすってのが事前に分かってたらそりゃ身を挺してでも殺すでしょ。そこで仮に殺したら無罪の人を殺すことになるから自分がそのタイムスリップした世界では罪人になっちゃうっつーかまぁ別に今殺してもそりゃ犯罪になっちゃうんだけどまぁサンデル先生とかが出しそうな話だけど(笑)そこでの暴力は肯定されるか?っていうことだよね。

 

つまりは戦争についても論理は同じなんだよね。いけないのは分かってるけど戦争いけない!自衛隊の派遣すらも戦争加担になるからいけない!なんつってまぁそこで別に日本の自衛隊が参加するかどうかで物事が左右されるようなことはないんだけど仮に諸外国も日本みたいなスタンスでいたらテロ遣りたい放題だよね。対話対話っつってるなかでどんどんテロが起こってテロ組織が力つけちゃってっていうさ、結局日本がテロにあわないで済んでるってのも他の国の軍隊が排除したりしてるからなわけでさ、結局はそういう暴力の上に平和が成り立ってるんだよね。そこでもう世界のテロ単位だと関係ありません!って国は無いでしょう。結局そういう暴力を委任してるか委任してるつもりじゃないにせよ他の国がやるだろうっつー前提じゃんね?まぁ参加するとテロの標的にされるっていうリスクもあるだろうけどテロを根絶したいと思ってる一国として排除に参加するってのは当たり前のことだよね。

 

で、そりゃテロは無くなってほしいから暴力に頼るしかないのは明白なのにそこは考えないようになっちゃってるじゃん?なぜか話が戦争の是非になっちゃうんだよね。そうじゃなくても目の前で自分の家族やら恋人やらが殺されそうになってる中で一か八かというものではなく確実にその家族なり恋人を守れる手段があったとしてそれで守るか?って守るよね。結果そりゃ暴力だけどそれは正当な暴力だよね。話し合いしようとしてみんな殺されたら終わりじゃん?話し合いってもう完全に呑気っつーかさ、本とか知識だけの論理だよね。んで特に政治学とか政治哲学では暴力の肯定をするのはまずないし大体左翼がかってるからどう無くすか?とか対話をするか?っていうそういう実際には無理な話ばっかしてるのが大半でさ、まぁ本質的に暴力について考えてるのもあるだろうしっつーかまぁソレルとかPC的に問題でもやっぱ考察に値するような結果的に左翼陣営にも影響を与えてるカール・シュミットとかやっぱリアルに考えることが必要なんだよね。それがとにかく有用。いけない!って消しちゃダメなんだよね。

 

例えが良いかは分からないけど例えばCODの立ち回りで対スナイパー的な対策を取りたいなら自分自身がスナイパーやってみるってのが一番いいわけだよね。Bot相手にね。そうするといかに狙撃するか?っていうことを考えることになるから狙撃スポットってのが見えてくるしそれこそSMGで走り回ってる時には見えないような立ち回りとマップの使い方が分かるわけじゃん?これも言わば「スナイパー」っていう言語だよね。それがCODの立ち回りに実際にスナイパーを使うわけじゃないにせよその概念を理解してるからこそ対スナイパーもできるようになるっていうまぁあれだよね、都市伝説だけどセキュリティソフトとかの会社が一流のハッカーを雇って開発させるみたいなそれと似てるよね。

 

反暴力にしてもただ上から言われたことに追従して唱える反暴力は暴力を独占してる暴力機関の国家の言いなりってことなんだよね。言わば何でも警察!的なのって暴力を個々が権力側に委任するってことでしょ。最低限の自衛権すらも委任しようとするし委任しなさい!って警察は言うわけでしょ。ヤバくなったら通報して逃げ回ってくださいだもんね。ノックアウトしちゃいけないわけでしょ。市民がいかなる理由であれ暴力をふるうのはダメっつーのは骨抜きなんだよね。相当ヤバいよね。これって。そもそも民主国家なら革命権ってのがあるからね。抵抗権ね。あまりに理不尽なことを国家が言ったらそれに抵抗できるという権利があるわけよ。でも国家が言うことは絶対でいけないことはいけないっつー洗脳があるともう完全に思考が操縦されちゃうよね。で、俺みたいなぶっ飛んでるようで当たり前のことしか言ってないようなやつが異端みたいな感じになるんだけど俺から言わせると洗脳されてるやつらのほうがある意味よっぽど異端だよね。明らかに変だからね。

 

なぜそこを考えない?とか過剰にそこまで批判する?とかさ、おかしいことだらけなんだけどそのおかしいことって大体大衆のマイノリティによる数の暴力があるんだよね。論理とか理由とかではなく大多数がそう言っているという暴力ね。そういう暴力が結果的に暴力を徹底的に禁止しようとする暴力装置からの誘導で自主的に市民がそういう形の数の暴力を振るうようになるわけでまぁその一例ですよね。絶対的な暴力反対とかね、手を出したら終わりっつーけどじゃあ顔に唾を吐きかけられたらどうなのか?って市民社会ではそこで我慢しなきゃいけないし我慢するのが市民なんだろうけどっつーかその数の暴力の論理で言うと手を出したら終わりだからそうなるんだろうけどそこまでやられて手を出さないほうがよっぽどクレイジーですよね。

 

変な話、暴力はいけない!っつー刷り込みがあるからヤバい状況での咄嗟の防衛としての暴力すらもヤバい状況下ですらも暴力はいけない!っつって助けを呼ぶっつー選択をしてしまうかもしれないよね。命に危険があったらぶっちゃけ何してもいいんだよ。そうしないと自分の人生終わるわけだからね。暴力っていう言語が失われるだけでも本当にそれは由々しい問題なんだよね。虐殺器官で描かれてたような言語による刷り込みってのはむしろ刷り込みのほうが明確で分かりやすくて一番ステルス的でヤバいのは弾圧なんだよね。徹底的に禁止して思考すらもさせないってのが一番ヤバいわけよね。あんまいい例か分からないけどいじめられっ子の思考ってまさにそれだからね。

 

何やってもいじめっ子に反抗していいのに「良い子」として育てられてるから暴力っつー選択肢が浮かばないんだよね。まずだから掃除用のバケツとか学校にあるような用具を使って暴れて見たらいいんだよね。一番ヤバいのは我慢の限界まで追い詰められてカッターじゃん?それはいつも書いてるよね。もっと前の段階でキレないといけないわけよね。あとまぁキレる老人って話題になることがあるけど前にも書いたけどそれはキレなさ過ぎる今の人たちがキレるのが割とデフォだった老人とかに歯が立たなくなってるっていうことなんだよね。相手は老人なんだから常軌を逸してるようなレベルだったらキレ返していいんだよね。もうそいつは害悪をまき散らす国賊みたいなもんだから屠る権利がある。

 

こういう警察とかではない民間による暴力が有用に使われることで治安が守れる面ってあるわけだよね。法的に言えばグレーだけどキレまくる老人が好き勝手にやってたりなんでもネットでばらすぞ!とかって言いながらハラスメントを続けるようなやつとかが跋扈してたりするよりかは昔気質の鉄拳制裁っつー概念が若い世代にもちゃんと伝わらないといけないって思うよね。よく90年代はこんな野蛮な番組とか平気で流してたんだーとかって意見があるけど今の方がおかしいからねぶっちゃけ。

 

なんでもコンプラで行き過ぎるともうそれはダメだっつー規制がかかり過ぎてるんだよね。それを基準に見ればそりゃ昔のやつは過激に見えるでしょ。でもそんぐらい普通だよね。そういう普通っつーレベルすらもコンプラだの規制だのってやってるからリアルがどんどんクソ化するわけじゃん?そういう世界を作り出しているのは人々そのものだからね。リアルが規制でガチガチだからこそ自由なネットって世界とかヴァーチャルっていう世界に行きたくなるっつーのも分かるよね。映画のファイトクラブカタルシスがあるのもそういうことだよね。

 

風営法とか今どうなってるのか分からないけど最低限の騒ぐ権利すらも無くなってるっていうさ、ドラッグの過剰規制もそうなんだけどでもそこで戦うっつっても所詮はマイノリティだから勝ち目ないよね。そもそも大体の人はクラブに行かないしドラッグやらないからね。んでももっとなんつーかレクリエーションの多様さがあっていいんだよね。騒ぎすぎるとヤバいからそういうのを規制するってのは結局まぁ繰り返しになるけど肉食に覚醒するかもしれないような連中も草食動物として飼いならされるっていうことなんだよね。

 

そういうワイルドな感じってのを徹底的に規制してんでそういうのやってるとダサいとかもっと大人になりなよみたいなムードを出すわけじゃん?虐殺器官でもその「ムード」ってのがあるって言ってるけど凄く示唆的だよね。映画の中ではそれがムードとして語られててそこには虐殺のムードってのがあるって言うんだけどそれはもう何に関してもあるんだよね。んでもう今の日本ってのは相互監視社会のガッチガチなゆとりが全くないムードだよね。本質的に人間を殺すムードっつーかね、これも肯定できるような生を否定に導くようなムードが蔓延してるっていう意味での虐殺ムードそのものなんだよね。

 

もっと自由になって好き勝手やればいいのに世間体だの「それってどうなの?」みたいな他人の目を気にして色々と自主規制するっつーまぁそれが行きつくところはディストピアですよね。平和かもしれないけど全然面白くないってヤバいんだよね。まさに「自由は貨幣」なんですよね。でもそれは自由時間じゃないんだよね。色々と自由にやれるということ自体が貨幣なんだよね。まぁそれはやれる時間とセットではあるんだけど。そういう自由ってのが規制っていう中でどんどん奪われてるっていうことなんだよね。その自由ってのが平和のための対価として払われてるんだとするとその恩恵を得られるのは人畜無害な生活をする人たちのみでさ、んでなおかつ人畜無害にさせられてるんだよね。その一端が草食化なんだと思うけどね。あと意味をはき違えてるミニマリズムね。

 

酔っぱらって眠いからもう寝るけどまぁそんな感じでんじゃまた。