飯とVRかぁー。

最近ずーっと調子悪いっつーのも完全な夜型になってまずまともに太陽を見てないってのと病院とかで外行く機会あっても雨降ってるか暗いかっていうまぁ別に天候関係ないと思うんだけどねっていうかそんなのもあって調子悪いから色々やる気が出ないんだろう・・・って思っててまぁんであんま食欲も無くてさっつーか別にそうでもないなって思ったのがまぁ病院の日前後って大体薬が切れかかってて調子悪いんだけどこないだもいつも食べるラーメンを食べないでさ、んでまぁ地元の駅ついたぐらいのときにだいぶ体調がマシになってきてんじゃ食うかってなったときにっつーか地元って相当あるんだよね。食うところが。

 

いちいち遠出しなくても完結してるぐらいなんだけどまた孤独のグルメごっこっつーか焼肉食べたいなって思っててずーっと食べてなくてさ、んでいつも行こうと思ってたところに行ってきたんだけどまぁ大正解でっつーかまぁそこそこするんだけど旨さが半端じゃないっつーね、いつだったっけ?馬刺し食いに行ったの。

 

先月ぐらいか。まぁ孤独のグルメごっこっつーか食うことっつーのをコンテンツにいれるってことだよね。帰り際に本屋に寄るとかってのも無くなってるしっつーかまぁ行くところが無い問題だよね。んでまぁ飯はまだ色々余地があるなと思いつつやっぱ旨いもの食うとテンション上がるしさっきまでの地獄のような気分がなんだったんだ?ってぐらい解消されてまぁこれがストレス解消の方法にもなるって言われたりするのも分かるよなって思うけどまぁストレスから食うようになって過食になって摂食障害とかまぁそんなのもあるんでストレスがドライヴしてるとマズいよねっつーか俺の場合、ストレスっつーか空虚感だけどね。

 

まぁでも物欲も同じだよね。ただまぁ食うものってどの道食わなきゃいけなくて嗜好品とかただの消費物と違って必要なものだからそこをエンタメ化するってのは全然アリだよなって思うんだけど逆にまぁ相当追い詰められてんなって思うんだよね。色々他が無くなってなんかないか?っつって飯なわけでしょ?っつーかあんだけ焼肉でカタルシスを感じるわけだから鬱じゃないんだよね。

 

むしろ快楽に飢えててんでも満たせるものがないっていう感じだよね。まぁただ飯はありですよ。外出たついでに洋服買いに行った帰りとかに必ずどっかで飯を食ってくるっつーまぁ孤独のグルメと違ってちゃんと調べて食べたいものとうまいところか?っていうのをリサーチしていくんだけどね。

 

まぁこないだヴァーチャルとリアルの境なんて曖昧だって書いたけどヴァーチャルで旨い焼肉の味とか焼肉味を再現できてない現在では食は快楽足りうるよねって改めて思ったわ。あんなもんなんも代替ないもんな。完全だよねあれは。まぁそういう意味でコストがより高いけど性愛もそうなんだよね。ただのセックスなら飽きるだろうけど愛があるものならそれは違うんだろうけどこればっかは別にどっかの店に行って満たすようなもんじゃないから(笑)っつってもまぁそこで結婚したところで不倫したくなるのもまぁようは肉が食いたい!ってのと同じ衝動だよね。

 

なんだろうね、まぁ俺は外食するならこれ!ってのが決まっててそれは家庭料理とか中華とかじゃないんだよね。焼肉とかステーキとか蕎麦とかうなぎとか所謂ご馳走!っていうものだよね。あとまぁ刺身とか焼き鳥とかかな。っつーかこうやって書いてるとまた食いたくなるけど(笑)改めてまぁ人生ってなんなんだろう?感はあるよね。CODで武器のアンロックとかも含めて楽しんでる!っつー世界と飯で楽しんでるっつー世界とまぁ飯のほうが有益だけどコストがかかるけどさ、なんかあとそれで退行現象っつーのかね?

 

最近すげーノスタルジーに襲われてリメイク版のFF3とかFF4とかやりたくなってまぁやると思い出補正ですげー満たされるんだけどより空虚さが如実になるよねっつーか今を生きてねーなっつー感じがあってんでももはや今を感じるものが飯かゲームぐらいしかないっていうね、んで肝心のゲームもすぐ飽きるし何やってるんだろう感っていう意味ではなんでもそうなんだよね。

 

話し相手がいないからこないだ母親にずーっと今やってるマーシャルアーツの話したら色々と笑われて「それはなんのためにやるの?」とかって言われてまぁそれ言われたらそれまでだし母親に永遠とマーシャルアーツの話をする良い歳をした息子っつー構図も間抜けで最高だなって思うんだけどそれ言い出すとゲームもそうだし飯もそうだよね。まぁでもゲームは線引きが難しいよね。キャンペーンとかシナリオはある意味、映画のチケット代を払ってプレイしてるようなもんでそれ否定しだすとアミューズメントパークとか映画とかそういう一時的な快楽の否定になるからね。

 

んでまぁなんかさ、マルチでのレベル上げとかに虚しさを感じるのはまぁRPGのレベル上げと同じですよねっつってもそれ言い出すとゲームの否定になっちゃうんだけどさ、んでもそれ言い出すと思想とかもそうだよね。まぁ仮に論理的にそうだとしてんで何なの?っつーと何でもないしね(笑)最近また色々と戦前から近代までの右翼思想なんかを調べたりしてるんだけど活動家とかが晩年になって死場を求めて何らかのエクスキューズをして自殺するっつーのもずーっとこんな感じだからなんだよなーって思うよね。三島にしても飯の話なんかから地続きでするような話じゃないにせよ(笑)

 

結局思想の実践ってなるとあんな風になっちゃうんだろうし行き場がないんだよね。武術!っつって結局マジでやろうと思うと行き場が無さ過ぎる危険な技に行きつくように「それやってどうすんの?」問題ってのは常にあるよね。んでもこれってプラクティカルであるっていうことを実践した結果そうなるんだよね。凡庸なもんじゃないからこそ日常では役に立たないような尖ったようなもんか好事的なものばっかになるっていうね。

 

まぁそれ言い出すと別にエクストリームじゃなくても格闘技も同じだけどね。使う機会無いしあっても使っちゃいけないわけだし。まぁあとなんかおっさんの中年になってからの体づくりとかも嫌だしね、あれもまぁ色々とやり尽くした結果、やることなくて筋トレに向かったりするもんなんだと思うけどまぁ今ではすっかりその気持ちが分かるけどね(笑)ジム通いとかもまぁ体力作りっつー仕事をしてる上で体を作るっつー一応エクスキューズはあるにしてもまぁ基本的にあんま意味ないよね。

 

まぁ運動不足対策とかってのもあるし単純に運動から来る精神の健全さってあるからやっぱ運動って必要だよなとは思うんだけどね、なんかでも目的が無さ過ぎてなんかさ、ひたすら虚しさを感じるわけだよね。仮に棒なり警棒を持ったら最強とまでは言えないにしても相当強いっつーか実践したら過剰防衛になっちまうぞってレベルで凄くてもだからなんなの?って話だしそれ言い出すと思想とかもそうだよね。実践っつーと結果的にテロなり何らかの形での違法行為になったり社会的地位がある人の場合、干されたりとか研究するのはいいんだけど実践は不可ってものばっかりだよね。

 

そこをまぁ空虚な革命思想とか右翼思想とかにしたくないからこそ実際の武力とか暴力ってのを身につけるってコンセプトは一応はあるんだけど使ったら終わりだし実際に刑務所なんかにいったら家族に迷惑かかりまくりだし自分自身が刑務所生活なんて耐えられないだろうしそこまで覚悟してやるものなんてのもなさそうだしそういうのがないってのがまぁ平和な世の中なわけでさ、まぁ別にそれはそれでいいんだけどね。んでもまぁそういう実践の場がないから準備も意味ないってのは全然違うんだよね。

 

思想のレベルではそういうのがあるなら仮にその自分が言い続けてきたようなのが自分にできるか?っつーとそこはやっぱ武力の技術が無いと完全に矛盾するわけでまぁそういう意味で居合やり直し始めた頃にそれは気づいたことでまぁ今もそれは同じで別に変わってないんだけどね。

 

ただまぁその「いざというとき」のリアルさの違いだよね。居合やってても刀なんてそもそも持ち歩かないわけで、持ち歩けそうか持ち歩けなくてもいつでも発動可能なレベルでそれは発動可能っていう準備をしておかないと思想に矛盾が出るっていうことだよね。そこは思想を論理で固めるとかガチガチに理論武装するっていうところではないリアル武装だよね。まぁ理論武装してもリアル武装しても何にもならないものなんだけどまぁでも必須だよね。

 

まぁそこで準備良し!ってなったときに永遠と何を待ってるんですか?っていう話なわけでさ、まぁでもこれって普遍的なカフカの城問題っつーかさ、それは存在意義みたいなのが消失するみたいなことじゃなくて元々なかったんだっていうことに気がつくっていうね、んでも一応お題目としての城なり場ってのはあるっつー観念でいるんだけどそんな場はすでにないか元々ないとかね、んでもずーっとそれがあると思ってやってきた身としては今さら場がないと言われても困るんだよねーっつー中で来ないものを待ちながらどんどん実存の闇に捉えられていくっていうね、まぁこれって別に役割みたいなのが社会的にせよ個人的にせよ与えられても永遠にある問題なんだよね。

 

こんなのをやってるはずでは!とかこんなのが自分の人生なのか!とかさすがにクソみたいな仕事をするために満員電車に毎日乗ってたらそんな風に思うっつーか思わなければ相当何かが狂ってるかゾンビ化してるわけでさ、でも考えたところで場がないとかね、より実存的な問題に苦しめられることになるっていうことなんだよね。果たしてそうなのか?ってのを今俺が実践しててまぁそうらしいぜってのが大方の見立てだよね。物欲を満たしてやりたことやってやりたいゲームなりなんなりをやりたいだけやって旨いもん食って欲しいものを買うなりコレクションするっていうそこまで俺は派手にやってないけど時間をかけてそれをやってる感じだよね。ただまぁゲームに関してはコストがそんなでもないからコストが大したことないものに関してはやり尽くすよね。

 

本もよくこれだけの本があって読みつくせないだけの本があって・・・とかって言うけどずーっと速読でやってて映画にせよオーディオブックにせよなんでも倍速でやってると消費早いよね。驚きのスピードで消費できちゃうからこそ無くなるんだよね。いつも書くけど「やり尽くして無くなる」ってのを経験してる最初の世代が俺だと思ってるんだよね(笑)世の中にも俺みたいな好事家でなおかつ消費のペースが凄まじいってやつは絶対いるわけでそういうやつらも時間差はあれ最終的に実存的な空虚さを感じてるはずなんだよね。

 

なんだろうね、性愛関係で風俗に行こうと思わないのはゲームとかの虚しさより虚しさがより自明だから最初から求めないっていう感じなんだと思うよね。ゲームのシナリオなりキャンペーンが恋愛ならオンラインとかオンゲ要素ってのは風俗みたいなもんだからな(笑)そういう風俗要素に最初から見切りをつけてるわけよね。あとまぁコンテンツ関係にしても例えば低俗なドラマとかは見ないわけでさ、自分の欲求を満たせるようなものってのは限られてるって中でその限られた中を倍速で駆け抜けるもんだから一瞬でコンテンツが無くなるんだよね。まぁでも消化のプロセスには価値はあると思うけどね。仮にグルメにも飽きることがあっても食ってきたものってのは無駄にはならないでしょう。まぁただ今はグルメに飽きてないわけでそこは極める余地があるよね。全然そこはマーシャルアーツと一緒ですよ。

 

ただまぁ変な言い方になるけど昔の文化人とかに食道楽が多かったってのも分かる気がするんだよね。ある意味道楽の極みだし文化人なんつっても所詮はやってるジャンルに関して「だからどうなの?」みたいな感じを極めてるからこそ常に感じてるからこそ飯ってのは無限の道楽の境地があるように思えたんだと思うんだよね。だって文化人からしたら飯っつー道楽と学問なりやってる道ってのを計りにかけてるわけじゃん?で、飯にも時間もお金も費やすってことはやっぱ道楽的な要素があるっつーかさ、例えば文学研究もあるけどんでも文学の研究したところで何なの?っつーのがあって実存的なリスクヘッジも含めて食道楽の道にも進んでるみたいなね、まぁ仮に女遊びがあってもそれはそれでいいと思うよね。

 

逆に女遊びと食道楽と着道楽と・・・っつー道楽三昧に人生を費やすっつーのも最高に粋でしょう。そういう意味で俺は中途半端なんだよね。粋ってほどどれもやれてないし突き抜けた道楽感がない。十分道楽三昧なんだけど道楽三昧というほど精神的に埋没してないっつーかね、例えば食道楽にしても蕎麦のみを追求するなんつってあらゆる蕎麦屋を食べ歩くなんつーましてや今ほど交通が便利じゃなかった時代に蕎麦に道楽の相当な部分を費やしてた人なんかもいるぐらいでなんかこういうのってなんでそんなものに?っていうそのこだわりの意味不明な部分ってのが実は人生ってそんなもんなんだっつースケールを与えてるような気がするんだよね。

 

だからこそ楽しめばいいし楽しめてればいいんだよね。そこでまぁいつも書く客観的にどうなの?って思えても例えば趣味がエロゲーでそれだけで日々やってける!とかアイドル然りだけどそういうのがあるやつがやっぱ最強だよね。AKBのCDの投票権のために何百万使おうがゲーム課金に何億費やそうが基本的にどれも一緒だからね。それが酒だろうがアイドルだろうが飯だろうがとにかく道楽なわけでしょ。だったら一緒だよね。そこで俺が是非やめたいと思うのがそのテイストの差別だよね。

 

俺はグルメに金を使っているがお前はアイドルでずいぶん卑しいお金の使い方をしてるなっていうような見方ね。それってあるじゃん?ハイブローな趣味とローブローな趣味みたいなさ、でもそんなもん相対化しちゃえばこないだ書いたマトリックスの世界と同じなわけで、結局は対象がなんであれそれて生きていける!ってものがあるやつが最強なんだよね。JKの脚で生きる!とかってこないだ書いたのもそういうことだよね。

 

マーシャルアーツもやり尽くして思想もある程度納得するまでやれて数学やら物理然りだけど満足するまでやれたところでそれでも残るだろうなってのは今のところやっぱ脚と飯だよね。あとまだ手をつけてないけどVRだね。VRはもっとVRでの神ゲーみたいなのが出てきたりするまで手を出さない!って思ってたけどっつーかVRやる前に脚だの飯だのっつってVRの介在を許さないぐらいリアルを充実させてやろう!と思ったけどそれは無理っぽいから(笑)VRもそろそろ手を出そうかなって思ってるけどね。ただまぁー怖いんだよね。結局慣れちゃって最初の「うわー!」ってのが無くなるっていうそれが目に見えてるんだよね(笑)

 

FF7をトバルかなんかの体験版でやってうわー!ってなる経験が後に無くなるようにVRにも慣れるんだよね。んでも慣れたくなくてまだ手を付けてない世界として残しておきたかったんだけどバイオとかVRでやると相当良さそうだし「つまんねーな」って感じてるなら現存する享楽はさっさと消費しちゃったほうがより高次元の享楽への道が開かれてなくもないだろうって意味でVRもやり尽くしちゃおうかなって思ったね。飯とVRかぁー。仮にそれもやり尽くしたらあとは脚だけになるな(笑)

 

まぁでも脚と飯はヴァーチャルでどうにかなるもんじゃないから永遠に求道する享楽の道として残るだろうね。ただVRはスカイリムとかFalloutとか出るじゃん?さすがに無視できないレベルになってきてるよね。バイオもやりたいけどFalloutとかスカイリムをVRでやれる!っつーのはなかなかだよね。

 

まぁそんな感じでリアルの絶望と共にというかそれがあってこそのテクスチャなり触感なり脚感なりっていうそういう究極のフェティシズムにガンガン目覚めていきたいと思ってるよね。素でいてもつまらないから究極的に変態な質感の世界に目覚めるしかないでしょ。まぁもう目覚めてるんだけどより意識的になるってことだよね。意識が変われば世界は変わるからね。意識がある限りそこにエンハンスできる余地があるって考えればむしろ希望しかないともいえるわけでっつってもまぁ絶望と表裏一体な危険なものだけどね。

 

そんな感じでんじゃまた。