砂漠のリアルというよりかは砂漠「な」リアル。

WW2面白いわーっつってもやる気があるときしかやらないけど昨日やっとKarアンロックしたんすよね。そしたら満足しちゃって。んでもまぁ今XPブーストまたやってるからやろうかなとか思ったりっつーかどす黒い実存について考えながらもFPSとかやってるとより人生って何なんだろう?感が強くなるんだけど特に海外のハイテンションゲーマーっつーか配信やってるゲーマーとか見るとまぁ仕事だからっつーのもあるんだけどあんなに楽しめたら最高だろうなって思うんだけどもうさすがにゲームにそれは求められないんだよね。

 

んで色々なことやってると色々と分かっちゃって飽きやすくなってってまぁいつも書いてることだけどなんかでもさ、別にFPSだろうが将棋だろうがゲームなんだし楽しめばいいわけでさ、仮に将棋研究したって所詮そりゃ最強にはなれないわけでんでもまぁ別に仮になんか何もなくても将棋あればそれで楽しめるっつーのは存在的に強いよねっつっても最近一気に熱が冷めて全然やってないけどね(笑)

 

それで言うとFPSにしてもコスパって言葉最近嫌いになったけどまぁでもゲーム全般コスパいいよね。でもなんだろうね、それだけやってるとこれでいいのだろうか感が出てきちゃうんだけど仮にそのなんつーか人間らしい活動をしてその活動を通して知り合った友人たちと飲み食いして・・・みたいな、まぁそれはソーシャル面の充実ってことなんだけど別にそれが充実したところでなんでもないからねっていうかそういうのを求める人はいいけど求めない人は別に求めなくてもいいんだよねっつーかでもなんで孤独のグルメは良くて孤独のFPSはダメなんだろうね?っつーとやっぱゲームへのネガティヴな偏見だよね。

 

快楽を貪ってるって意味では同じなんだけどでも求道的な場合もあるわけでさ、でもなんで求道的っつーと高尚な感じの修行とかトレーニングは良くてゲームはダメなんだろうね?って思うよね。仮にもっとプロゲーマーの社会的地位みたいなのが出てき始めたら違ってくるのかな?っつっても棋士もプロゲーマーだもんな。同じゲームなのにコンテキストが文化だとハイになるんだよね。まぁそんだけ見る人とかが多いし商売として成り立ってるって意味では将棋って凄いんだけど世代が変わるとその昔は将棋だったみたいなもんがEスポーツとかゲーム実況になんのかな?とも思うよね。

 

CODやり過ぎてサルトル全然読んでないけどなんかあの嘔吐のダラダラしたどうでもいい感じのゲームって感じのフレーバーでトランプってのが出てくるけどさ、別にゲームってそもそもそういうもんだもんね。時間つぶしもできるし極めることもできるしっつってもなぜそれをやるのか?っていうとやっぱり時間を過ごすためなんだよね。戦争映画なんかでもトランプが出てくるけどまぁなんつーかな、ああいう隙間を曖昧なもんで埋めるみたいなところだよね。戦争映画とかではそこに個性が出てきて小説読んでるやつもいれば彼女からの手紙がどうのって言ってるやつもいればナードっぽいメディックはなんか書いてたりとか(笑)

 

あとまぁ筋トレしたり酒飲んだりゲーム感覚で格闘やったりとかっていうだいぶ前に貼ったと思うんだけどjarhead的な感じで実際の戦争のドキュメントっつって実際はクソ退屈だみたいな面を描いてるやつがあるんだけどね、まぁ最後のほうで兵士の一人が死ぬんだけど別に死なない方がいいし好戦がないほうがいいでしょう。でもなんだろうね、あとなにかまた忘れたけど戦場の恐ろしい退屈さを描いてるやつって結構あるよね。もちろんそれだけだと映画にならないから何か起こるんだけどでもまぁ実際にハードコアな紛争地帯とかじゃない限りあんなもんだろうって思うよね。

 

永遠と50Cal砲台に座って周りを点検・・・ってコンビニのバイト並に退屈だろうしましてや中東の暑い中で暑苦しい恰好をして任務に従事しなきゃいけないっていうさ、あ、でもあれだね、クリス・カイルなんかは私服っつーかコンビニ行くような恰好でスナイパーやってる画像なんかもあるけどまぁでもようは日常ってことなんだよね。それはどこに於いても同じだわ。まぁ戦場にもよるんだろうけどね。まぁそう思うとWW1とかWW2って恐ろしいよね。なんかあらゆる意味で残酷なんだわ。ローテク過ぎるが故にやることがプリミティヴでそれこそ永遠と塹壕生活しなきゃいけないなんつってそれで発狂したり病気になったりとかさ、ハイテクになったから塹壕掘らなくていいってわけじゃないんだろうけどなんかでもjarheadにせよハートロッカーにせよ実存を描いてるんだよねって今さら気がついたんだよね。

 

スクールでスナイパーにハマっても使う機会が無かったり戦争は殺し合いなんだ!なんつってイキってたやつが実際に行ってもう散々だ!ってことになったりとかまぁハートロッカーの場合逆だけどね。日常が退屈過ぎて戦争中毒になるっていうさ、でもまぁなんかFPS中毒もようは同じだよね。そこまで度胸があるわけじゃないけど刺激ジャンキーになってるっていうね、まぁでもFPSも慣れると怖いよね。最初にリアルFPSやったのはMW3だったけど迫力が凄すぎて「やべー!」って感じだったもんね。うわーこれが戦場かーみたいな迫力というかさ、でも今となっては慣れちゃってあんだけ苦労してたキャンペーンもスラスラ進めるようになって怖くもなんともなくなるっていうね、刺激の慣れってそうだよねってまぁ別にそれは戦場に慣れたってわけじゃ当然ないんだけどね。

 

VRもそうなるだろうってのが嫌だからVRヤバ過ぎるぞ!ってレベルになるまで我慢する!って前に書いたけどさ、んでそろそろ解禁かな?っつーのもまぁ別に飽きるということは来るべきものなんであって必然なんだからとっとと飽きてより実存に悩んだ方がいいと思うんだよね。ベタなカウンセリングとかだと何かやってみてはどうですか?みたいになると思うんだけどそこで「いや、やり尽くしてるんですよ」っていうと大抵は「は?」ってなるだろうけどやり尽くしてるタイプって絶対いるんだよね。俺みたいな刺激ジャンキータイプで好きなものには没頭しまくるけど消費も恐ろしく早いっていうさ、こういうジャンキーってどうやって生きればいいのかね?ってつくづく思うんだよね。

 

まぁただ色々なことをダラダラやるんじゃなくてどれも真面目にやるんだけどね。鉄拳7買ったことで久々に格ゲーやったっつーかいやKOFやってたかって思ったら結構格ゲーもやってるしそもそもスト2からやってるからさ、まぁ今のコンボにはついていけないしやろうとも思わないけどただまぁそこそこ真面目にやるよね。そこは地の真面目さが出るんだよね。楽しめばいいのに求道的になっちゃう。CODも久々にハマったからBO3とかIWとかイマイチハマれなかったっつーか実質的にGhostなんかもそうなんだけど過疎ってあんま楽しめなかったっつーのもあるんだよね。だからPS4で買いなおしてやろうかな?って思ったり(笑)

 

何より以前はノートでやってたから今画面でかいじゃん?玉当たる感じが半端じゃないよね。ノート時代が長くて今のデスクトップPCになってからって意外にFPSやってなくてまぁだから大画面になって以来かもしれないんだよね。ここまでFPSにハマってるのって。まぁWW2が神ゲーだからっつーのもあるんだけどね。

 

なんかでもさ、全部そこそこだよね。将棋は全然だけどゲーム全般そこそこ上手かったり色んな分野についてて知ってたりっつっても特化したもんが無くて中途半端なジェネラリストみたいになっちゃってるんだよね。なんかまぁ俺って特化への憧れが強いんだけど基本無理なんだよね。すぐ飽きるからね(笑)でもなんか常に能力を開発したいし新しいものを学びたいから色々と手を出すんだけどそこそこで終わっちゃうっていうまぁそれでいいんだけどね別に。

 

まぁあと何もかもが相対化されてるっつーのとただ知ってたりやれるってだけの価値がどんどん下がってるってのはあるよね。いつも書くけど小学校時代はスト2が強いっつーんで「あいつ強いぞ」ってぐらいになってたんだけど今の時代ウメハラとかの動画を見るのとかがデフォだから少々強くても強いっていう風にならないしベースのレベルがすんげー上がってるよね。だからまぁ初心者向けじゃなくなってるってのはあるんだけどまぁでもこれもゲームっつーシステムとそれに特化するっつー人間の行きついた先だからいいと思うんだよね。

 

まぁ知識に関しては別にググればそんなのいくらでも出てくるじゃんってことでそんなに博学ってことが凄いことじゃなくなってきたっつーのもいいんだけどこれってまぁなんか物知りなやつの社会的地位が下がってるってことだよねってまぁ高かったのか?って話でもあるんだけど別に年間何百冊本を読んでますなんつってたって「で?」だもんね。それよりも何ができるか?っていうことが重要になってるって別にでもそれって元々そうなんだけどね。

 

んでもそれって自ずとアプリオリに社会性みたいなのがついてきちゃうじゃん?なんかで売れるとか有名になるとかマネタイズできるとかまぁそういうのって金に縛られてる思考だっていつも書いてるけどもうポスト博学の時代でもあるよね。博学あんま意味ない。色々とできるっつーのも資本ってのが中心にある軸がないようなもんで何かができてても別になんとも思わないっつー中で何ができるのか?だよね。そこでやっぱ俺は自己に向かうんだけど昔はそのビジョンが修行っぽかったんだけど今はどんどん暴いていくって感じになってるよね。色々とまぁそれは触れないでおこうとかそれ言い出すとつまらなくなるからっていうのをどんどんつまらなくしていこうってことだよね。VRに飽きよう!っつーのもある意味そういうことだわ。

 

そこで何も残らない中でどうすんのか?ってことだよね。んでもこういう人間は絶対今後増えると思うんだよね。基本のインフラが凄くなっちゃってるから色んなものにアクセスできる分、アクセスするやつはアクセスしまくってるんだよね。んでやり尽くしちゃってるわけだ。昔はそれが金銭的なリソースに左右されてたっつーかそれこそ金なきゃ音楽も聴けないし映画も見れなかったわけだけど今はまぁフリーなもんが多いからね。あとまぁゲームにしてもサービス精神あり過ぎだよね。昔はゴミみたいなハードに金かけてなんじゃこりゃ?ってのを一万円近く出して買っちゃったりなんかしてっつー今はサービス精神たっぷりな神ゲーとかがいくらでも手に入るっつってもまぁそんなに多くはないんだけどそこも慣れると怖いよね。そこそこの良ゲーだとそんなに満足しなくなっちゃってるっていうね。

 

まぁあとマンネリですよねってこれもいつも書くけどゲームもそうだもんね。RPGとかシミュレーションとかFPSとかホラー系とかサバイバル系とか色々あるけどなんかちょっと成功したのが出るとそれの亜流ってのがあらゆるメーカーで作られるようになって飽和化するじゃん?そんな中でバイオの変化ってすげーいいと思うんだけどね。あとまぁサイコブレイク2もよかったしな。んでもまぁもはやホラーゲーに慣れてる人間だと怖くもなんともないんだよね。ぶっちゃけ心霊系とかもそうだからね。

 

元々好きだったけど怪談聴きながらなんかのゲームのレベル上げするとかさ、なんかお話が欲しいときに怪談聴いてるっつーのをずーっとやってると稲川淳二とかもほぼコンプしちゃうし(笑)怪談士の話っつーのも聴きつくしてるからなんかでyoutube配信とかじゃない番組とかで怪談士が出ますっつって見ると大体全部聞いた話っていうね(笑)これってまぁ本当に何についても言えるよね。まぁ本当に体験したいとは思わないし子供の頃はそういうのがあって困ってたから全然そういうのは必要としないんだけどね。ただまぁ怖さってすげー刺激の要素だよね。まぁでもんでベタな言い方になるけど一番怖いのってやっぱ人間なんだよね(笑)

 

いつも書くけど特に普通を装ってるサイコパスとか恐ろしく歪んだやつとかだよね。だからいつも書くけどあからさまに嫌なやつだったり高圧的だったりするほうがそれはそれで嫌なんだけどんでもそれが素なんだろうなって思うと安心できるよね。裏があるってのが一番怖いからね。まぁ高圧的だったりしてでも裏は実はすんげー小心者ってのはあってもそういうダウングレードならいいんだけど(笑)普通を装うのが当たり前になってるやつってマジでヤバいよね。

 

だから前にも書いたけどツイッターとかで失言しちゃったりとかってほうがまぁ本音を言ってるんだってことでまだマシっつーのかな?装うやつは何もかもを装うから見た目普通か良かったり魅力的な人間にしか見えないからね。でもそれは全部演出なんだって思うとホラーの演出なんてのがぶっ飛ぶぐらいホラーですよね(笑)そういうリアルホラーはマジで勘弁だよね。そういう意味でやっぱ人間が一番怖いってなるからこそやっぱ避けたくなるよね。

 

そうじゃないんだ!人間関係なんだ!ってだいぶここ数年は思ってたけどやっぱりまぁ落ち着いてきたは今のスタンスに(笑)基本なんか虚しいから何かが足りてないんだろうって思うんだけどそれは大体存在の虚しさなんだよね。自分自身がつまらないわけだ。つまらない人間なんじゃなくて面白い日々を送ろうとするからつまらなく感じちゃうんだよねっつーかまぁグレートギャツビー的な感じだよね。つまらないからこそ華麗であろうとするんだけどその根底には空虚さがあるっていうね、だからどんどん装飾していかないと持たないから色々やるんだけど結局それもまぁいつかは暴かれるっつーかさ、誤魔化してるわけだからね。

 

これはまぁある意味人間が平等に抱えてる問題だよね。富が幸福を規定するってまぁ最低限のラインはあるにせよ別に金はあったはあったで別に実存的な虚しさが無くなるわけじゃないし普通の人間が考える「金があったら・・・」とか「時間があったら・・・」とかってのもあったらあったでやり尽くしてつまらなくなるんだよっていうまぁそういう意味で「金があったら・・・」って夢想し続けられることがある意味幸福の条件であるような気もするけどまぁそれってプラトンの洞窟と同じだからね。なんつーかまぁ俺が今考えてるのは被投性をどんどん暴露していこうっていうことなんだよね。色々なもので保たれている存在のバランスとかってあると思うんだけどそこにごまかしがあったらそれはガンガン自分から暴いていくんだよね。

 

徹底的に自分の身ぐるみを剥ぐっていうかね、んでもそこには結局色んなごまかしがあるから自分を騙して生きてられるようなもんだからそういうのはもう一切ダメにするっていうことにするんだよね。心底CODやりたいならそれは内発性だからいいけど虚しいからやるっていうんだと消極的だし実存から逃げてるし逃げるタイプのゲーミングってのは一番ダメだと思うから基本やっぱリアルだよね。砂漠のリアルですよ。んでもまぁ誤魔化しって言わば砂上の楼閣なんであってね、んでも存在って基本的にそんなようなもんだからこそやっぱ結局、ビジョンとか生涯続くものかはともかくとして「これだ!」っていうようなことにコミットするということに尽きるよね。少なくともそこにおいてはそれは誤魔化しではないし内発的なものじゃん?

 

まぁもちろんその対象が砂上の楼閣だとか幻想みたいなもんだと意味が無くてそこが難しいよね。対象もリアルじゃないといけないと永遠と砂漠が続く現実で何が対象足りうるのか?ってことじゃんね。ロマンティシズムも恋ってのを棚に上げて実際に恋をして子供ができたりして責任ってのが生まれて結婚生活みたいなもんがファジーな概念になってっつーリアルさみたいなのを踏まえてないって意味で観念的だしね、まぁそういう意味でエロティシズムこそ至高だと思うってのが最近の俺の脚で食うっつー例の概念になるわけなんだけどね(笑)

 

質感へのこだわりこそ主観とこだわりと性欲なりなんなりってのが介在しないとドライブできないものなんであってさ、あまりにも人間的過ぎる感じだよね。そういう意味でのヒューマニズムだよね。サルトルがこういう意味で実存主義ヒューマニズムであるって言ったかどうかはともかくとしてスローな自殺行為に見えるような実存の暴露こそ実は人間的に生きるっていうことの基盤を作るっていうこと足りうるっていうことなわけだよね。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。