ハイテク・ニルヴァーナ。

メタルギアなんだけどさ、予想通りっつっちゃー予想通りなんだけど第一章で普通のゲームの分量を終えててそれ以上はサブミッション的なもので間を凌ぎつつクライマックスまで展開するっていう感じで構成は良くないなって思ったね(笑)まぁでも面白いんだけどね。


ただまぁ当然酔っ払いモードじゃないよね。素面で真面目にやる感じでんで最近は酔っ払いモードで映画を見たりなんか読んだりして朦朧としてきたら寝るみたいな精神が涅槃に収束するかの如く毎日をあたかも死んだかのように終えるっていう感じになってるんだけど(笑)酔っ払いゲームモードはいいんだよね。寝る前の儀式的な感じなんだけど映画見ながら飲み始めたら終わりだなって思ったねっつーのは一通りゲームやり終えてちょっと飽きたし映画でも見るかっつってんでもまぁ当然まだ早いんだよね。半日とちょっとぐらいしか経ってない。でもまぁ飲みたいしいいかっつって飲みながら映画を見るのはいいんだけど明らかに酒量が増えるよね。ここ最近どうも酒の減りが激しいなと思ったら原因はこれだった!っていうね(笑)完全にアル中の脳萎縮モードになっちゃうっていう涅槃に収束するどころか脳が縮小したら俺の唯一の取柄である頭ってのがダメになったら完全にダメ人間になっちゃうからそれはちょっとダメだよなって思うよねー。


でもなんかあれなんだよね、間なんだよね。魔とも言うべきか。メタルギアにずーっとハマってて「最近映画見てるしそろそろ映画かな」って思うあたりからだんだんゲーム終えようって思ってくるとそこから移行が生まれるんだよね。まぁちょっと飯食うとかして頭のモードが切り替わるんだけどその切り替わる最中ってのがすぐにゲームから一気に映画!ってなるわけじゃなくて素の自分っていうそのまんまの存在が出てくるんだよね。それは何かに没頭してると見えなかったりいい感じで覆い隠されてるものが一気に露呈するんだよね。んで恐ろしい虚無感に苛まれるんだよね(笑)


「なんなんだ・・・人生って」っていうなんなんだモードに入るとヤバくなるけど諸刃の剣でもあってそこから得られる認識とかインスピレーションはあるんだけど行き過ぎると良くないんだよね。そこでとりあえず飲んで映画でも見るかってことになるとアルコールの生活時間を占める割合が高くなってよりヤバくなるっていうね(笑)まぁそれは分かってるから俺は大丈夫なんだけどでもその「俺は大丈夫」という考えがやっぱり危ないんだよね。そこはやっぱ批判的に見なきゃダメだよね。


まぁでもあれですよ、そろそろ外出るかって話なんだよね。また洋服でも買って弓も買いに行ってヴァーチャルに没頭し過ぎだからリアルのほうに戻るっていうまぁなんかまぁやるソフトを変えるぐらいの感覚だけどね。戻るまた行くではなくて媒体の問題だよね。で、リアルはあんまやってなかったからリアルライフやるかって感じでんでまぁリアルライフやるとそれなりに時間持っていかれるから酒飲んでる場合じゃなくなって必然的に飲むのは寝る前オンリーってことになるよね。まぁそういう絶妙なバランスですよね。


なんかさーでもメタルギアやってるとクワイエットにムラムラするからすぐ抜きたくなるんだけどエロサイト巡回してて思ったんだけど3Dとかヘッドギア用のAVとか実験的にもうあるんだよね。ヤバくない?(笑)横になって踏まれているという目線を360度で感じながら罵倒され続けるってもう最高のエクスタシーでしょう。これってでも最強だよなって思うんだよね。はたから見ると「うえーキモい!」ってことになるんだけど本人的に最高だよね(笑)肉体関係におけるファジーな関係とか金銭的なコストとか一気に飛ばしてエクスタシーのみを得るっていうね、で、まぁそれを得たらまた凄い解像度のヴァーチャルの世界と凄い深さの学問とか武道の世界に没頭するっていうさ、常にエクストリームな状態を保つっていうことで人生やっていけるかもしれない!っていう希望が生まれるよね。それをうまい具合に雑に消費せずに味わい尽くして回していけばなんとかなるだろうっていうね、今は酒もあることだし(笑)ヴァーチャル環境は最強だし別にそれはもう任意でヘッドギア買うか買わないか?って話で弓を買うか買わないか?みたいな話なんだよね。


で、まぁヘッドギアはもっとヴァーチャル化が進んでっつーかヘッドギアとかの性能が良くなってから買うので全然いいしいつも書いてるように攻殻機動隊の素子みたいな世界観で生きてるわけだからそんなもんただのヴァーチャル世界とかデータ世界に没入するガジェットの一つでしかないんだよね。だからそれはもうただのガジェットなんで初期段階というよりかはもっと試行錯誤で品質が良くなってからのを買えばいいんじゃない?っていうことになるんだよね。まぁ今買えばそれで「うわーすげー!」っつって世界観変わるのは分かるんだけどまだ取っておきたいかなって感じかなー(笑)


それよりかは弓ですよ。やっぱ。今は弓でしょう。ヴァーチャルなんていつでもアクセス可能なんだからね。まぁでもやっぱヘッドギアでよく動画とかでも上がってる「うわー!」っつって倒れちゃうぐらいの臨場感のジェットコースター感とかさ、そういうのってあるじゃん?でもこれって小手先のもんだよね。ニューテクノロジー!凄い!みたいな浅い世界で俺はもっと深みを目指したいんだよね。そういう目先のことじゃなくメガテン2のギメル的な千年王国を夢見るものとしてそんな小手先のことで一喜一憂してる場合じゃないんだよね。もちろんヘッドギア対応のAVは楽しむでしょう(笑)でも目指すのはっていうか見たいのは自分が思ってる例の2.5次元フラクタルの世界だよね。それをリアルと同時にヘッドギアとかハイスペックのゲームPCとかを通じて同時に知覚し続けるっていうね、それを知覚し続けるという生活をビルドすることで認識がハイパーになるんだよね。ハイパーリアリズムを感じるには道具だけじゃなくてそういうものを知覚できるという認識とか精神のマインドセットが必要なんだよね。


まぁようはニルヴァーナへの道ですよね。ハイテクニルヴァーナ的なね、んでも寝る前は必ず酔っぱらってるみたいな酔いどれなんだけども(笑)そのどうしようもなさとかどうしようもない実存とか存在っていうのがありつつ精神的にブッダの境地を目指しているっていうようなものをオカルトとか宗教抜きにして達成してしまうっていうようなデジタルクンダリーニだよね。そういう意味でもう今の俺の生活自体がヨガとも言えるべきものになってるよね。まぁなりつつあるわけで完全になってるのではなくて生活自体がヨガぐらいの境地を目指すっていう感じだよね。でもそれにはヴァーチャル空間へのアクセシヴィリティとリアルでの求道的でなおかつ快楽的なエピキュリアン+ヨガみたいなハイブリッドなリアルの生き方っていうようなものを実践してそれを自家薬籠中ものとするような生きるうえでのテクネーだよね。それは知恵でありテクネーという技術でもあり単純にアドホックな剣術とか弓術とかFPSとかにおける技術ということでもあったりして、でもそういう局所的なものと大局的なものってのが相反せずに常にユニティを保ってる状態というよりかはそれこそがまさにユニティというようなね、そういう感じだよね。


そういう意味で仮にそういうハイパーリアリズム的なリアルを生きられるというか生きることができるような修練を毎日行えるようになったらやっと人生を全うに生きることができるようになってきたかも?って言えるかもねっていう感じになるよね。だからまぁ今までの体験とか物事ってのは序章にしか過ぎなくてようやく自分の道を知ることができるかもしれないっていうような境地になってきたという感じだよね。


でもそれはある日突然分かった!というような瞬発的なものではなくて日々の認識の中から得られるものっていう感じだよね。そんな中でそんな崇高な精神の高みを目指してるように見えてんでも酔っぱらいながらFPSやるみたいなことも必須の構成要素として内在されてるんだよね。まだヘッドギア買ってないけどヘッドギアで360度目線で踏まれるっていうことも含めたニルヴァーナだよね。でもそれは360度目線でヴァーチャルに踏まれるということと同相の次元で弓を極めるということも存在するっていうことなんだよね。所与の観念で考えるとコンテキストという意味でただの変態行為というのと崇高な武道の道っていう分別が生まれてしまうんだけどそこを分別するなっていうのが仏教の教えの真骨頂じゃないですか?それを今いろんな意味でスピリチュアルに体験してるっていう感じはあるよね。でもそれは奇跡とかハッとするような出来事とかに惹起されてるわけではなく認識的な論理的必然性によって得られている認識というところに論理的な合理性とスピリチュアリティみたいな精神性の統一を感じるよね。


まぁそんな感じなんだわ。とはいっても試行錯誤ですけどね。色々とそれでまぁ「こうすればこれはこうなるのでは?」っていう仮説を立てつつやれる範囲でどんどん実行していってまたそれのフィードバックを受けて考え直すっていう自己生成の繰り返しですよね。


まぁ今日はそんな感じで。んじゃまた。