ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ラヴ&ヴァイオレンス。

弓のことばっか考えてて日々良い感じっすね。調べてたりなんかしら読んだりしてるだけで日々が過ぎていくってのは良いことだわ。「はぁー」っていう実存的な無駄な絶望とかってのが介在しないってのは精神的に健全だわな。でもなんかさ、雰囲気がアンニュイって言われたこと昔あったんだけど思うにアンニュイってまぁ主にファッションのことを言うんだろうけど本質的には実存的なことだよね。嘔吐のロカンタンの如く「それ自体」ということに居心地の悪さを感じ続けているという。まぁ今ハイデガー関連の本読んでてサルトル実存主義は間違いだってよく書いてあるけどまぁああいう現象学とか実存主義ってまぁ流派みたいなもんだからね。まぁオリジンはフッサールであるに違いないだろうけどただまぁ哲学ってことでまぁ結局みんなプラトンとかデカルトとかカント読んでるわけでさ、そんな中で同じような考え方のスクールって中で色々と意見が分かれるのは当たり前だよね。それが哲学者の個性というやつでしょう。


ただまぁそれに比べて最近また調べてる思弁的実在論なんだけどまぁなんかやっぱ言い方悪いけど小粒の現代哲学者達が狭い世界で色々やってる感は否めないよね(笑)特にムカつくのがこういう界隈の連中の過剰なコンテキスト主義っていうか文献主義ね。いや、ハイデガーとかサルトルとかフッサールも「ガーッ!」って書くタイプじゃん?それで言うとニーチェもそうだけどさ、んでまぁ学術的なフレーバーを出すために引用とかもするけどあくまで自分の論を立たせるためのツールとかアイコンにしか過ぎなかったって意味でまぁすげー作家的だよね。それに比べて現代哲学の連中って全然自分でやらないよね。やれ誰々がこうだアリストテレスがどうだハイデガーがどうだっていうまぁめっちゃ本読んでるのは分かるけど別にそこまで過度に文献に依拠しなくてもよくない?って思っちゃうぐらい文献に依存してるよね。まぁそれもそうだわ。現代のアカデミックな哲学者なんてそれやらないと論文認められないからそういう優等生ばっかになっちゃってだからまぁあんなつまんねーもの書くんだろうなって思うし(笑)


ドゥルーズとかサルトルとかあの辺の世代って狂気があるからいいよね。実際に酔っぱらってたりするし(笑)極端に特定の概念にめちゃめちゃこだわったりとかさ、バタイユなんかもそうだよね。それで言うとライター寄りのバルトですらも作家的だよね。いかにもゲイな感じのお洒落な哲学評論を書きそうな感じの耽美的な人なんだけどでも作家的なんだよね。だから魅力があるんだと思うし書いたものが面白いんだと思うんだよね。だから読んじゃうんだと思う。でもただの面白みのない学術論文しかないような現代哲学の場合、そういう作家性とかその書いてる人の人生とか人格とか人間性とかってのが全然出てないじゃん?まぁそんなの出さなくていいんだろうけどその結果まぁすんげーつまらないものになってるんだよね。


あ、ちなみに今ギリギリ生きてるアガンベンとかあの辺の世代の人たちで最後だろうね。面白い哲学者は。あとまぁそれまでの哲学らしい哲学をやってきた人たちってのはあの世代が最後であとはもう断絶してるよね。まぁそれでいいんだけどね。まぁそれが時代精神というやつだろうし今真面目に哲学やるなんてパリの戦前のカフェでアーティストとか作家とか哲学者とか科学者がまじりあって色々話してたみたいなさ、あとまぁウィーン学団みたいな雰囲気だよね。まぁそんなのもうないし今後もないんだけどでも多分そういうところにロマンを感じ続ける人たちの心の中では生き続けるよね。でもそれはあくまで後で文献で知るようなロマンが入ったものなんであって実際のものとは違うかもしれないけどでもまぁそこにロマンを感じるわけよね。結局まぁ論理性だの合理性だの現実性がどうのって言ったところで俺が追い求めてるのはロマンなんですよ。なんかそういう学芸的なロマンっつーのかな?


武道もそういう意味でロマンだもんな。まぁ凄くリアリスティックだけどでもやっぱロマンだよね。いつもそこで今の時代にあえてロマン派であることは?っていうことなんだけどそういうところに尽きるよね。人間臭さとか「これだ!」というようなアードベックの香りのようなねって早速形容詞で使うけど(笑)まぁでもそういうところはやっぱ本拠地は文学だよね。でもわからねー文学は(笑)Ardbeq10さんに教えてもらった町田康から始めるかって感じだけどまぁ一時期J文学みたいなのを一通り読んでみたことはあったんだけどね、まぁそれなりに面白かったんだけど。まぁでも文学っつっても文学が原作の映画とか文芸ってのはそりゃ生粋の書生ですから大好きですよ。でも文学を文字で読むってのがあんまり本当ではないっていうかやってこなかったから難しいんだよね。まぁでも町田康の告白は面白いけどねっつーかまぁ文学っつーと村上春樹みたいなのを思い浮かべるほどの素人なんだけどさ、でもすげーああいうの嫌いだから(笑)そこで文学に抵抗があるんだろうね。でもまぁビートは一通り読んでるしっつーよりかはビートとかって生き方って感じで文学読んでるっていう感じがしないよね。ただひたすら憧れる対象みたいな。


ただそれってもう見るだけ読むだけでアウトプットに反映されることはないよね。まぁ若干あるんだろうけど縁がないもんだって思ってたけど何気に自分の今やってるものの素材がロマン・武道・精神・酒・ヴァーチャル・哲学・歴史・そして恋愛・・・なわけでモロに文学チックですよね(笑)だからまぁ文学は取り入れていいのかなって思うけどね。まぁあともうこのウォール伝自体を文学としてやるとかね(笑)それもありだよな。でもまぁあれなんだよね、身を張ってなんかやったり実践してそれが書くネタになるからっつー理由もあって色々やってみるっていうまぁYoutuberのブログバージョンみたいな感じだけどさ、でもまぁそこで俺ってやっぱ観念的だから観念的なアウトプットってのが何かをやるごとに出てくるよね。なんだからまぁそれでもういいんじゃないかって気がしてるんだよね。


ただそこで哲学とか逆に宗教とかになるとなんかに到達してあとあんま変わらないみたいなさ、でもまぁ永遠に悩み続けるのが哲学なんだったらやっぱりそれはどちらかと言えば文学的な哲学のほうがいいし実際に俺の好きな哲学者っつーかまぁさっき上げたアガンベンとかドゥルーズとかデリダとかっつーかデリダはさっき挙げてないけどまぁすんげー文学好きなんだよねみんな。バタイユもそうだしラカンもそう。ありえないぐらい文学を読んでて超文学リテラシーが高いのね。そういうところから思想が紡ぎ出されているってのが凄く素敵なんだよね。出発点がそういう人間臭いものなんだよね。そういうのにやっぱ惹かれるよね。


そういう意味で俺の文学リテラシーはゼロとは言わないけど皆無だよねっつーかまぁドストエフスキーについての本とかは読むけど小説自体は長すぎて途中で大体投げちゃって(笑)まぁでもサルトルの嘔吐は面白かったからちゃんと読もう!と思っていや、こりゃ借りて読むような本じゃないなと思って買おうと思って買ってねーなって思ったりさ、あ、でもかといってもシオランみたいなアフォリズム連発するようなのは大嫌いでああいうのは肌に合わないんだよね。あとまぁ詩人とかがすげー苦手だわ(笑)まぁビートとかって詩の文化と密接だけどただその文芸臭さは嫌いなんだよね。


それで言うと理系にしてもそうだよね。理科系っぽい感じはすげー苦手。でもまぁ超理系でもある俺は科学もやるわけなんだけど唯一「臭さ」で馴染むのが哲学だよね(笑)っつってもまぁ今のさっき書いた文献ばっかに寄るような学術哲学は苦手だし大学ってまともな学科行ったことないから分からないけど多分なんかまた独特の雰囲気なんだと思うよね。哲学科とかって。まぁそういう意味で俺って何にも属さないボヘミアンなわけでっつーか求めてたわけじゃなくて結局なんかほっぽり出されるという結果になりがちなんだよね。だからまぁこれがmy wayなんだなと自覚するわけよね。逆にまぁ自分がどっかに属してるっていう感覚が逆にそれが現実だったらすんげー気持ち悪いと思うしだからまぁよく肩書とかで自慢するとかそれに誇りを持つ人とかいるけど気持ち悪すぎるよね。


あ、道場に通うのが嫌なのっつーか武道関係の雰囲気もまた大嫌いなのもそういう理由もあるよね。何段だのなんたら道場のなんたらですとか師匠が誰ですみたいなそういういらない属性の部分で幅効かせるみたいな剰余でオラつくみたいな文化じゃん?(笑)すんげーバカバカしいと思うしあとまぁ嫌いなんだよね。ヒエラルキーが凄くダメ。かといっても武道は大好きっつーよりかはむしろ本当の武道が好きだからこそただの道場文化になってる武道に激しい違和感を感じるわけよね。だから俺は昔の侍になった気分っていうかそれはヴァーチャルにっていうことではなくて実際に例えば学者がその時代の人になった感じでその時代の雰囲気を感じるってのと同じで俺は武道でそれをやりたいんだよね。そこがやっぱまぁ武道的なものの関心だよね。まぁ他にもいっぱいあるけどってまぁそれは散々書いたからいいと思うんだけど。


まぁそんな感じなんだけどそうそう何を書こうかと思っててこんなに長くなったからもういいんだけど(笑)アサシンクリードのシンジケートやってるんだけどさっつーかこれも積みゲーの一つだったんだけどいつも書くけどアサシンクリードシリーズ自体がそんなに好きじゃないんだよね。中世のヨーロッパとかに全然興味がないから全然感情移入できないんだけどシンジケートは産業革命の頃のイギリスっつーのとって意味でまぁもっと前のイタリアとかよりかはだいぶマシなのとあとまぁ個人的にアツい子供の強制労働を開放するとかさ、そこで働いてる工場の主みたいなやつらとかも一掃するとか人材派遣会社にマトリックスばりに突入していって派手にやる的な爽快感があるよね(笑)


ようはまぁより近代になったことで感情移入しやすくなってるってことだよね。あとまぁシステムが色んなゲームが模倣し合うかの如く統一されてる感があるけどまぁそういう意味でのクラフトシステムとかまぁBlac Flagの頃とかもっと前にあったけどなんかまぁFar Cry的な感じっつーかさ、まぁよくできてるよねっていうかやってて楽しいよね。あとやっぱ銃が使えるってのと投げナイフが実質的にサイレンサー付きピストルみたいな役割を果たしてるってのが良くてさ、まぁなんか結局チャンバラかよ!って感じがあったのよね。今までは(笑)まぁただ下手なだけってのもあるんだけど近接率高いじゃん?


で、そこでなんかあのロードオブザリングみたいなまぁそれ言い出したらスカイリムもそうなんだけどああいう西洋の昔の感じって全然好きじゃないんだよね。んでもまぁ産業革命ってことでまぁ現代的っつーかあとダーウィンとかマルクスNPCとして出てくるってのもなかなかアツい要素でさ(笑)ダーウィンは生物学に興味持ち始めてまぁ全然やってないけどホットな人リストに入ってるのよね。マルクスは言うまでもないわ(笑)


やっぱりでもなんかあれだよね、強制労働を開放してそんなあくどいことやってるやつらをみんな殺す!みたいなところに楽しさを感じるのってやっぱまぁ根本的な革命欲みたいなもんだよね。もうそういうのが好きとしかいいようがない。あとまぁ何かといえばとりあえず反体制軍っつーとシンパシー感じちゃうとかさ(笑)思えばArma3とかにしたって結局目線はゲリラ目線だもんね。だからハマるんだよね。まぁそりゃそうだわ。国家とか背負ってやるゲームなんて気持ち悪くてやれないわな。


ただでもそういうところで言うとGTA5のLife Invaderとかさ、いや、最近やり直してて改めて思うんだけどそういうのあるけどいやだよなーとかなんかムカつくんだよなーっていうところの無意識の嫌悪感を見事に出力してるよね(笑)だからあれがユーモアになるわけだし世界中から支持される理由なんだよね。まぁ俺みたいに特定の思想を持ってる人は何かといえば解放とか自由みたいなのにすんげー熱を感じるってのはあるんだけどLife Invader的なものへの嫌悪ってやっぱ世界市民のgeneral willとしてあるんだよねーって思うよね。かといっても別にテクノロジーファック!ってことではないしテクノロジーがあるからゲームやれてるんだけどでもまぁLife Invader Missionみたいなのはとにかく痛快っていうさ、まぁあれも結局はあのミッションのディティール探っていくと国民のことを考えない利益中心の連中の考え方とかっていうのにレスターはそんなやつ生かしておけるか!っつって暗殺するわけだけど根本的にまぁ資本主義っつーか利益中心っつー国民の生活を考えない連中への怒りだよね。


そういうのをゲームってのはうまく利用してユーモアにしたりスパイスにしたり「よっしゃ!」と思わせるようなものにしたりね、まぁそこでガス抜きが行われてリアルへは全く抵抗しないということになりすぎても困るんだけどそこはまぁ俺もゲームやりながら思いますよね。まぁ実際やったら犯罪になるけど不当な搾取への怒りとかさ、なんでそんなもんがまかり通ってるんだ?みたいなことへの怒りを納めないってことだよね。それはプリミティブな怒りとして持ち続けることが大事でまぁそれが結局革命に繋がったりするわけですよ。まぁ海外とか凄いでしょっつーか一瞬で暴動起こるじゃん?あれだよね。あれ。


それがないとダメだよね。それとロマンが無いと革命は起こせないよね。だからまぁそういう意味で自分が追い求めてるのってあくまでその革命へのプリミティヴな意志というかさ、観念的な止揚なんだよね。あとまぁ愛ね。愛(笑)


そろそろ酔っぱらう時間になってきたからっつーかこんなもん素面で書いてたのか!って話だけど(笑)まぁ今回は素面ですよっつーか素面が大半なんですよね。あ、んで明日病院だからちょっと早めに寝ないといけないからそろそろ終わるけどね、まぁやっぱ忘れちゃいけないものってありますよね。それは危ないとかイリーガルだみたいな理由で抑圧されがちだけどそんなもんは後付けでしかないということだよね。本質的に何が重要か?っていうところじゃないですか?それが結果的にヴァイオレンスなものでもラヴがあればそれはラヴ&ヴァイオレンスになるわけですよ。ヴァイオレンスという剥き出しのものを中和するのではなく調停するのが愛とロマンですよね。だからそのベクトルは剥き出しのまま外部に行くのではなく自己革命という形で内面に行くわけよね。でもそのパワーってのは常にあるわけよね。それをフルに維持するのは大変だけどそれを維持できるのがまさにロマンと愛なんだよね。


愛欲的な愛も否定はしないけどもっと崇高な愛だよね。例えばここ最近の俺が弓のことばかり考えてしまうというのも愛じゃないですか?好きな人を思い続けるかの如く一途な感じっていうね、でもまぁリアルは頽廃しているし終わってるし死んでいるってのは分かっているしでも情動的な愛ってのは行き場がないまま残り続けてるんだよね。そういう力のベクトルが精神性に繋がったときにより高い認識のステイトに向かえる気がするんだよね。だからまぁずーっとリアル路線ですよね。でもパワーはナンパに行くのではなくて例えば今の俺で言えば弓に行くわけだ。でもつねに声を掛けられる状態でいるということはまさに!武道と同じなんですよ。常に戦場に向かう面持ちでいるってことですよね(笑)そういうのを力まずに自然にできるようになるということがまさに心と身体性の統合だと思うんだよね。カント的な概念で言うと統覚が近いね。


まぁそんな感じなんですよね。だからまぁってのも変なんだけどまぁ今日はそんな感じでってことでんじゃまた。