躁鬱さんへの返信。

躁鬱!奇想天外! 2017/01/24 17:25


自分もアル中っぽいんであれなんですが、なぜ依存症になるのかっていうと「現実逃避」したいからだと思うんですよね。。直視するにはつらすぎる現実から目を背けるために何かに依存しなければならないっつーか。自分もそのつかの間の夢の時間だけ彼安らぐことができるっつーか。酒好きっていう人はたくさんいると思うんですがそういう人たちが依存症レベルにならないのは、その人たちにはそのつかの間の夢よりももっと大切な守りたい現実があるからなのかな、って思ったりするんですよね笑。まあすげーイルヴァイブスですね笑。


結局そういう依存から逃れるためにはその淡い夢よりも大切な現実が必要なのかなー?みたいな。けれども自分はそれをつかむこともできなかったっつーか。そこにおいてもう他人にできることってなにもないですよね。自分もまたなにもかもわかっているってところであるんで。わかっていても踏み出せないことってあるんじゃないですか?わかっていてもからだがついていかないというか。まあ辛いですね。わかっているがゆえにつれえー!みたいな。


ただわからないのは、まあ日本でいうと窪塚洋介とか、海外だとリバティーンズのピートドハーティとか。ああいう人たちってルックスもよくて頭も良いのになんでシャブ中になったりするのか?ってことなんですよね。耳セミさんはどう思いますか?やっぱすごいネガティブなことがないと依存症になったりしないと思うんですがやっぱ一般人にはわからない苦悩だったりがあるのかな?みたいな。ジャックケルアックも晩年はアル中になってたみたいですし。つーか海外のミュージシャンってだいたいシャブやってますよね。果てには自殺したり。人生を楽しめないから依存症になるもんかなと思うんですがまた別次元の動機付けがあるのかなーみたいな。よろしくお願いします。


躁鬱!奇想天外!躁鬱!奇想天外! 2017/01/24 17:32


あっ書き忘れました。あと普通の人の生きるモチベーションとかがわからないんです。だいたいいい歳した大人に聞くと「子供がいるから」とか「パートナーがいるから」とかが多いんですが、結局それって「死ねないから」とか「やることがないから」っていうネガティブなことに立脚してるというか。安楽死みたいなものがあって、それで死ねたらわざわざそんなことしないんじゃねーの?って思ったりするんですよね笑。死ねないから、というか死ぬのがこわいからいやいやそういう生きるための動機付けを見つけるために普通の人は生きてるのかなと思ったり。


それは本当にそう思いますねっていうか酒に限らない現実逃避全般に言えますよね。パチンコとかギャンブルとかネトゲとか依存するものって色々あると思うんですけどそれがリアルかヴァーチャルかはともかくとして本当にそれが好きでハマっているのか現実逃避したいだけなのか?ってのがありますよね。でもまぁなんか国とか文化を超えてリアルはクソゲーって認識は不変だと思うんですよね。そもそもリアル最高!って言ってる人たちはパーリーピーポーか脳内がお花畑のおめでたい人たちだけだと思うんですよね。というかパーリーピーポーも現実逃避でパーティーばっかやってたりクラブカルチャーなんてのも言わば現実逃避とか別世界への扉みたいなところがありますしだからまぁドラッグカルチャーと切り離せないわけなんですがまぁそれ言い出すとドラッグ依存も同じですよね。


アッパー系の人はドラッグやってクラブで踊ってダウナー系は安定剤とアルコール漬けになってネットゲームやってるみたいな(笑)その差は言わば人間類型的な気質の違いだけなんであってやっていることは現実逃避なんですよね。陰気だから現実を見るバイアスというのがネガティヴになりがちで現実逃避に陥ってしまうみたいなことではなくて気質に限らず大体少なからずみんな現実逃避的なものを持っているというか、あとまぁ守りたい大切な現実があるというのは素敵なことですよね。家族のために生きているっていうのは立派ですしそれって実存的な一つの答えですよね。それはまぁ恋人とか奥さんとかでもいいのかもしれませんがやっぱり子供ができたりすると余計にそうなるんでしょう。まぁそれが重荷にもなるわけですがそれを背負うってのが言わば実存ですからね。


だからまぁ躁鬱さんもおっしゃってますけど淡い夢よりも大切な現実が必要なんだと思いますよ。それは見つけるのでもいいし作るのでもいいしただ悲観的でいたり絶望ばかりしているのではなくて能動的に見つけていくというのは大事ですよね。その辺はやっぱり実存主義的なアンガージュマンっていうんですかね。別に知識人が政治に参加するとかっていうレベルではない自分という存在が現実に対してアンガージュマンしていくっていうことですよね。それで別に道が切り開けたり答えが見つかる保証はないわけですがコミットしていれば可能性は上がりますよね。最初からないとか絶望して何もやらないのだと文字通り可能性ゼロになりますからね。


で、別にそれって才能とかに依存しないですよね。才能があってもダメなやつっていっぱいいるし才能があっても不幸な人もいるしやれることがあるのに不幸な人もいますからね。ただまぁ窪塚洋介がシャブ漬けかはともかくとして(笑)才能があってイケメンでも全然それって変わらないと思うんですよね。別に自分がそうでも他が変わるわけじゃないしクソなことはクソなままですから悩む人は悩むでしょう。ハリウッドの俳優なんかも大体やってるかまぁそれ言い出すとアメリカ人なんてドラッグ経験がない人を探すほうが難しいぐらいなんですが(笑)アメリカ的な感じってやっぱりまぁサバイヴっていう感じがありますよね。サバイヴしていかなきゃいけないからたまにはこういうこともいいでしょうっていうような一時的な現実逃避を肯定するという感じですね。日本の大学生はずーっと遊んでばっかりかバイトばっかですがアメリカの学生はめちゃめちゃ勉強しないと学校卒業できないので必死に勉強するんですよね。でもハメ外すときはシャブだらけの乱交パーティーやってたり週末は大麻パーティーだ!みたいなのとか当たり前ですしっていうかまぁ場所にもよるとは思いますがハレとケのバランスですね。


でもそれというのも「生きていかなきゃいけない」という現実があるからこそ週末ぐらいはぶっ飛ぼうぜ!ってことになるわけですよね。その場合、生きていくということと現実逃避とかぶっ飛ぶっていうことがセットになっていて依存症とはまた違うんですよね。とは言いつつも結局まぁなんか普通に仕事して帰ってきてからはビールでも飲んで動画見たりちょっとゲームやったりエロサイト見るぐらいしか楽しみがないって人も多いわけででもそれってネット動画とかゲームとかビールに依存してるのか?っていうと違いますよね。仕事してるから疲れるとどうしてもそうなっちゃうっていう仕事とセットなわけでまぁこれが現実逃避かどうか?ってのはともかくとしてイギリスなんかも労働者階級とか仕事の後にパブに行くのがデフォですしあとノーザンソウルカルチャーなんかも労働者階級の若者がアメリカ産のR&Bなんかに合わせてシャブキメながら激しく踊りまくっていたっていうカルチャーですしイギリスって階級社会なんで下級のそういう独特のサバイヴ感ってやっぱあるんですよね。


でも結局それって別に下級だからとか労働者階級だからシャブが必要なのか?っていうことでもあって今は階級社会じゃないといっても結局仕事とかやらなきゃいけないことに追われる人たちってのはそのソウルで踊っていたイギリスの労働者階級と変わらないと思うんですよね。結局まぁデフォでも現実がクソでなおかつ仕事は我慢の連続で頭おかしくなりそうなわけですよね。だから趣味が必要なんだけど疲れ果てて趣味すらもやる気無くしてるとかっていう人もいますし別に仕事があろうがなかろうが現実に疲れてる人ってのもいるし、そういう意味で生きるモチベーションなんて持ってる人少ないと思うんですよ。


それはいや、さすがに死ぬということはないでしょうっていう当たり前の論理的帰結があるんでどの道生きるしかないっていうことで生きているわけですよね。まぁそんなに消極的じゃないにせよでも突き詰めるとそうですよね。だからまぁ少しでも人生を良くしていこうと色んなことに努力したり工夫したりするわけですよね。でもまぁなんていうんでしょうね、若いときは「なんで生きてるのかな?」って思っていてもまぁでも生きなきゃいけないんでやっているうちに良いパートナーを見つけて家族ができて人生観変わったとかデフォの「現実クソだよなー」っていう考えは変わってないけど良い奥さんと子供に恵まれたということでそれが生きる理由になっていたりする人もいますよね。あとまぁ悲しいことですけども家族のために生きてる!とは言いつつも辛いのを我慢していてもう限界ですっつって自殺する人もいますよね。


で、家族は裏切られた気持ちになってしまうとかね、ただそれも流動的な色んなリアルの出来事とか経済的なこととか不可避的なこととかも含めて色んな複合的な要素が絡み合った結果なんでその場その場ではなかなか判断しづらいですよね。完全にダメになってたけどあるきっかけがあって一気に変わったとかまぁそんなに一気には変わらないけどだいぶマシになったとかブラブラしてたけどこういうきっかけであることを初めてそれが天職になったとかっていう人もいますしね、そういう意味で生きる動機づけを探すために生きているってのはみんなそうですよね。おそらく。まぁただよくこれは母とか妹にもまさに躁鬱さんと同じような質問をしたりするんですけどまぁ大抵の人はそんなに深く生きるということ自体を考えないだろうということでしたね。まぁそれは別に馬鹿だとか考えないということではなくてそこまで突き詰めて考えるということが珍しいということですね。


ただまぁぶっちゃけ僕はなんで生きるのか?ってのはずーっと分からないことだと思っていますけどね。自分は仮に聞かれたら「まだやりたいことがあるしエンジョイできる余地があるから」って答えるでしょうね。逆にそれすらもやり尽くしたらどうすんの?って言われればまたその時考えるしその時にまたなんか新しいこととか違うことが見つかっているかもしれないって思うしそういう意味で固定的じゃないですよね。常に流動性の中にいるので仮にその時点での生きる理由が「これです」と言えたところで5年後とかにそれに挫折して絶望してるかもしれないですよね。あとまぁ有能な人はやりたいってことをやり尽くしちゃって「はぁーつまんねーなー」って高級な悩みを抱えてたりもしますよね(笑)まぁただそういう人達の場合金が死ぬほどあるんで旅行したり良い飯食ったりしてまぁセミリタイア生活を謳歌するという感じにもなるとは思うんですけどまぁそれと実存の問題は関係ないと言えば関係ないですよね。金があれば解決できるような問題なんてそもそも実存的問題じゃないんですよ。金あったらあれもやれるしこれもやれるし旅行も行けるし!っつってそういうので悩みが解決するんだったら浅いですよね。まぁ逆におめでたいですよね。実存的な問題だと思っていたことが実はただの金と時間の話だったっていうね。


ただ自分の場合、これはもうかなり前に気が付いたことなんですけど自己啓発メソッドとかを使って億万長者になった自分ってのを想像するとかそれをリアルに体感するってことをやっていた時期があってまぁそれでそうなるとまぁワクワクするんですけどそれが当たり前になると「で?」ってことになるんですよね。まぁ今はないけど未来では億万長者になっていると。まぁそうなんだと思ってんじゃあ何しようか?と思っても特にないんですよね。まぁそりゃお金はあるに越したことはないんで億万長者になることは良いことなんですけど別にそれで実存の問題が解決するということではないんですよね。まぁそれは本当にニューヨークに居たときに思ったんですよね。どこいってもまぁ大体こういう西洋的な見た目でスタバとマックがあってまぁどこも変わらんだろうってまぁ行ってみるのはいいんですけど飽きるもんなんだなーって思ったんですよね。で、これは何についてもそうなんだろうなって思ったんですよね。欲しいものを買っても手に入れたいものを買ってもまぁ結局それで欲望が満たされたらまぁ満たされない人もいるわけですが満足しちゃったら何もいらなくなるかそんなに急いで買うわけじゃないけどそんなに性急に何かが欲しい!ということにもならんだろうということで結局まぁ生きてる理由なんてそこでまた分からなくなるだろうってことなんですよね。


だからこそ見つけていかないと生きていけないというか、かといっても「現実を見ろ!」というようなクソみたいなリアリティの中にそれはあるのではなくて僕はハイパーリアルにあると思っているんでそういう知覚で居ますけどもこうなるとまぁ結構面白いですよね。例えば今弓やってますけど別にそれが和弓であってもMod無理やりつけるかっつってアーチェリー用のスコープ無理やりつけたらどうなるのかな?とか道楽の極みっつっちゃー極みですけどゲーム内の武器で「あれにあのModつけたらどうなるか?」って試したくなりますよね。そういうのがまぁ別にゲーム内じゃなくてもリアルでも結構やれる余地があるというか、あとまぁGTA5とかWatch Dogs2とかやってるとまぁしょっちゅう洋服変えたくなるんで洋服めちゃめちゃ買いますよね。んでもそれって別にリアルでもできることなわけでなんでリアルでやらんの?っていうとリアルはそんな場はないからっつってもそもそもファッションなんて自己満足ですから自分が楽しければいいんですよね。だから今は原宿に行くことが習慣になっていますがこれもハイパーリアルのおかげというかなんというか、でもそれに飽きたらどうするの?っていう問題は別に普遍的でそのゲームに飽きたらどうすんの?っつーとまた違うゲームを探してやるだろうっていうことですよね。


ただでもそれが生きる理由なのか?っていうと違うんですよね。それは相変わらず分からないままだけどとりあえず現状ではまだ色々と楽しめる余地があるのでそれをまずやるわってところですよね。あと書き忘れてましたけど芸術家系の連中がドラッグにハマるってのはまた別の話で例えばカート・コバーンなんかはあんな超絶イケメンで天才的な才能があってどこに死ぬ余地があるのか?って思いますけど本人は凄まじい鬱に昔から苦しんでいたが故の自殺だったりっていうかまぁ他殺説とかもありますけどそれは置いておいて感性が鋭い人たちのまた独特の悩みってのがあるんですよね。ジャズミュージシャンなんかもシャブ打つのが当たり前だったしシャブ打って凄いインプロやってるやつとかがいるんで「俺もだ!」ってことになって自分もやるようになるとかむしろそれは演奏のためとか日々のセッションとかインプロを作っていくために必要だったり芸術家全般そういうのはありますよねっつっても今みたいなこなれた感じの自己プロデュースとかしちゃうタイプのアーティストには縁がない話だと思うんですが(笑)まぁそういう昔気質の芸術家気質の人たちですよね。そういう人達はドラッグをやってそういうところからインスピレーションを得ていたり感受性が高すぎるために現実に適応できなくてドラッグの助けを借りて生きているっていう人達ですね。ただまぁそういう人達の場合、現実逃避なんじゃなくて生きていくための術だったり何かを生み出すためにやっていたりもするわけでこの場合まぁかなり能動的ですよね。ハリウッド俳優なんかが冴えまくった演技をするためにドラッグやるなんてのもまぁそういうことですよね。


まぁシャブ話はまた今度にしましょうか(笑)この場合あとまぁラッパーとかもそうですけどシャブやると凄いラップできたり色々浮かんだりするわけですよね。飛鳥なんかもそうだったみたいなんですがシャブとクリエイティビティってのは切っても切り離せない関係にあってこれはまた現実逃避とは別のところの世界なんですが、ただまぁそれが原因で身を滅ぼして結局シャブ漬けというところだけが残って結果的にただのジャンキーになるというような、能動的な何かを生み出すためのシャブだったものが身を滅ぼすものにもなったりして、まぁそういうのは伝記とかに昔から書かれていることで事欠かない感じですがまぁでもそれは半々ぐらいなのかもしれませんよね。危うい実存とか自分の人生ってのを支えるためにそれがあってそれがラップであったり表現するということであったりして、でもそれにはシャブが必要になるというようなジレンマがある中でそういうジレンマを抱えつつなんとか生きているっていうようなそういう感じの人も多いですよね。


ただまぁその所謂依存してしまうようなものに依存症というレベルでハマるかはともかくとして少なくとも色んな人がそういう何かを持っているっていうのは絶対的な事実ですよね。めちゃめちゃゲームばっかやっててプレイ時間とか廃人レベルでも普段はすげー真面目に仕事をしていてゲームをすることが何より楽しいから生きているんだみたいな人もいるわけでこういう人の場合はまぁリアルを生きていますよね。現実逃避じゃなくて能動的にそれをやりたいからやっているというね、まぁスタンスの問題でしょうね。


これってまぁニート問題なんかにも似てて僕は別にドラッグもニートも自己責任で勝手にやればいいってことを昔から言い続けていて今もそれは全く変わらないんですが、ただその何かに依存するにしても何かをやるとかなんかやりたいってのがある中でそれをやっているのかどうか?ってのが重要になりますよね。そんなことを考えたくないから思考停止的にゲームやってるのと何かやりたいし見つけたいんだけど分からないとか見つからない・・・という中でとりあえずゲームがあるんでゲームやってるっていう人達もいますからそこでまぁなんか常に何かを探していたりなんらかのワナビーであったりっていってもまぁ現実性が無いとそれは全然ダメなんですが、なんかがあってフラフラしてたり何かに依存してたりする場合はいいですよね。ただまぁ何もなくそれをやっているのだと本当にただの現実逃避がそのまま人生になったいたりフラフラして何も考えないことが人生になっていたりまぁそれでいいんだって納得してればそれはそれでいいんですけどね。だから結局まぁ全部自分の問題というか自分の実存と納得の問題なんですよね。


・・・とまぁこんなところですかね。自分の場合、今はまぁだいぶ進歩しましたけど結局まぁ生きる理由というよりかは改善の余地があるから色々やってみるっていう育成ゲーな感じですよね。で、まぁリアルというクソゲーを少しでも良ゲーにするべく諦めずに向かい続けるみたいなことですよね。こんなのがあと何十年も続くわけだから面白くなきゃやっていけないですよねってことですね(笑)まぁなんでしょう、ハイデガーで言うところの被投性ですね。なんで?っていう理由はスポーンしたからっていう(笑)ゲームをスタートするつもりもなかったんだけどやることになっちゃって勝手に色々と決められてリアルという世界に投げ出されてしまったからさてどうしよう?という感じですよね。最初からクソゲーの予感はしていたけど大人になって予想以上のクソゲーだと分かってしまってもスポーンしてしまったという事実は変わらないのでそのクソゲーを少しでもマシなものにしていこうと努力するっていうのがまぁつまりは可能性に向かうっていうことですよね。そこを僕は本文では可能性の蓋然性を上げることだと書きましたけどもね。で、自分のスピノザ解釈だとスピノザはその上で認識を改めていってどんどん良いものにして「快」という善を最大化するべきだって言っていたんですね。まさしくその通りですよね。それをみんなやれば世界が平和になる!ってのはスピリチュアルな本とかに書いてありますが別に間違ったことを言ってるわけではないんですよね。まぁ現実的に無理ですけども(笑)


まぁなんでしょうね、躁鬱さんが言っている「分かっているが故に辛い」というステイトの次が「分かっているからこそ改善する!」ということに踏み出せるっていうんでしょうかね。他人にできることが何もないというのは救いですよね。自分にならまだ他人よりかはなんとかできるかもしれない!っていう余地が残ってますよね。それがあるだけでまだガチのクソゲーよりかはよっぽどマシだと思うんですね。


あ、あと蛇足ですけどドラッグって必ずしも絶望してるからやるわけじゃなくて最高に人生をエンジョイしたりエフィカシーをマキシマイズするためにやってる人もいるので一概にネガティブなものとは言えないですね。まぁただやっぱり身体的な影響を考えると例えば脳がダメになるってレベルだと特に僕みたいに頭ぐらいしか取柄が無い人間にとっては資本を失うようなもんですからってまぁ別に資本は生み出してないですけども(笑)まぁそこのバランスですよね。そういう意味で別にアルコールとかと同じなんですよね。ただまぁ法的に禁止されているかどうか?っていうことなだけで。まぁもちろんヘロインとかのレベルになるとヤバいですけどね。


まぁそんな感じでとりあえずこの辺で終わりな感じなのでまた返信あったらよろしくお願いします。