ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

Ardbeq10さんへの返信5。

Ardbeq10 2017/02/05 03:44


つーか「野生のアノマリー」ってなんかどっかで聞いたことのあるフレーズだなあと思ったらネグリでしたかね。まだネグリがいるじゃないか!嬉しいですよね、
こういう発見は。本棚の隅で埃かぶってたわ。いやー我ながら朝令暮改だけど、これも紹介しとかないとっていう一冊がありましたよ笑


NO FUTURE -イタリアアウトノミア運動史-


フランコ・ベラルディ(ビフォ)


ネグリも含めて後世からの評価で現代における「ルネッサンス」になるかも知れない本ですね。チェイサーにはオルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」。って、全然チェイサーになってないですよね。ストレートのダブルいやトリプルみたいな感じかな笑 思想的ラッパ飲みですかね。Ardbegのキックがしっくり来るような。まあ「半島を出よ」なんかは完全にシンギュラリティの肯定ですからね。んで、耳セミがイスラエル人に関連したエピソードを面白がってくれてたので、イタリアに関してもちょっとしたエピソードが紹介出来ればいいなと。僕の友人にイタリア人女性と結婚してイタリア在住の奴輩がいて、彼とちょくちょくやり取りしてんの。彼は僕よりは多少過激な思想を持ち合わせているヘテロなんですけど、彼の送って来るナマのイタリア情報が面白くて。出血大サービスということで、伏字ナシ、とあるイタリア在住日本人のある日の日常的な非日常を全文掲載させて頂きます。


「街のダニ」になる ここ一年バイトしかしていなかった。日本にいる頃と別に変わらないほどシフトに入り、小銭をかせぎ、使い、また働く。 家計はもちろん自転車操業で、一ヶ月バイトをやすめば即貯金がなくなるといった状態だ。 飲食店はかなりの肉体労働で夜も遅く、アドレナリンのせいかバイト後みなよく眠れない。疲れてるのに頭が変に冴えて、眠れなくなる。 それでバイトがはけた深夜一時頃、バイト友達とトリノの夜に繰り出す羽目になる。


サンタジュリア広場は大学生の溜まり場で、大学近くの住宅街の駐車場のような場所に何件かバーが開いていて、ひどい時には500人ぐらいの若者がやってきて朝まで路上で飲んでいる。※だいたいいつもここで知り合いに会う。たまにPizzicaやTarantaという名前の南部民謡(バルカン、「ジプシー」風の酔ってると踊り出さずにはいられないやつ。日本ではほとんど知られてない)をやる旅まわりの楽団がやってきて、バーの前で演奏をするときは、南部出身の学生や労働者は大盛り上がりで踊る。


そして酔いがいい感じに回ってきて、今夜はなにか起こる気がする時は、近くの不法占拠=スクウォット「アスカタスナ」へ行く。毎週末非合法クラブか開かれていて、タダかカンパ制で中に入れる。フロアーには巨大な横断幕が掲げてあり、そこにはアニメ「AKIRA」の主人公の目だけが、でかでかと書かれているのに気づく。音楽はレゲエとかヒップホップが多い。イタリアアンダーグラウンド歌謡界で有名な99posseが来た時はおばあちゃんから学生まで来てパンパンだった。 そのあとは中心部に戻りながらトリノ王宮の一部を占拠している 「カヴァレリッツァ」に行く。


街の中心、それも元はお城だった建物の中でもスクウォッターたちが毎晩パーティーをひらき、払いたいだけ払えば自由に入れる。(このあいだ友人の一人は、持っていた酒を半分エントランス係にあげることで入場していた)。酒は3ユーロぐらい。安い。 それから午前三時を回ると、「ムラッツィ」と呼ばれるポー川の防波堤をくりぬいた倉庫群を一部スクウォットしたもの、のパーティーが入場無料になる。そこでまた誰かと会う。貧乏そうな学生、南部出身者、労働者、アフリカ系移民・難民といった人種が一緒に朝まで踊っている。


他にも海賊ラジオ放送局ブラックアウト、アジロ、ガブリオ、メスカル、バロッキオと市内外に伝統ある不法占拠が目白押しかつ、不定期に公園内や森で勝手に開催されるTAZパーティーもある。フィアット工場のそばにある、パンクで有名な「エル・パソ」は、ヨーロッパでも最も古い不法占拠の一つだ。おかげでトリノの孤独な貧乏人、酔っ払いは今夜も気兼ねなく酒を死ぬほど飲める。いまやスクウォットはイタリアの文化の一つといっていい。


「社会センターのディスコ化」という批判もあるかもしれないが、実際に同じ街で生き、暮らしてみると、彼らのパーティーがいかに若者文化とつながり、多くの人の孤独の苦しみを忘れさせ、辛い労働のあとに一緒に楽しめる。大切な場所になっているかがわかる。(ちなみにエル・パソのスローガンにはこういうものがある『「社会」でもなく、「センター」でもなく』) そしてもちろん各スクウォットは、パーティー以外にもやるべきことを全てやっている。


今、ここトリノだけで何百家族の金もパスポートもない移民難民が家を見つけ(たぶん数千人)、今夜も屋根の下で安全に寝ていることか、それは全てスクウォッターたちと、最近の日本では運動の側からも「過激派」よばわりされるような思想の持ち主たちがやっているのだ。   ここで夜出会う多くの友人とは、昼間滅多に顔を合わすこともない。 だけどいつもお互いに泥酔した状態で偶然出会い、10年来の友人にあったような挨拶をしてまた別れる。みな故郷を離れ都会に一人孤独でいる。


で、もう一本。


トリノから西に40キロぐらい行った所にピネローロという小さな街がある。人口は3万人程度。アルプスへの入り口で、サヴォイアの要塞があり、フランスの植民基地にもなったことがある場所だ。トリノのアパートの元同居人はこの街出身で、この春に15年ほど暮らした大都会を離れピネローロに帰って行った。彼はトリノアンダーグラウンドではちょっと名の知れたミュージシャンで、その彼から「今度地元で路上ライブをやるからこいよ!」とメッセージをもらったので、どうせならと自転車をこいで行ってきた。
 

「ここの若者はドラッグをやるか、大都会に行くか二つに一つだ」


トリノはイタリアでもかなり大きな街だが、フィアットの工場街を抜け三十分も行くと、アルプスまで永遠とトウモロコシ畑が広がるだけの農村になる。二日酔いから醒め昼頃に自転車でいく旨を伝えると「バカな日本人がトリノから自転車でやってきてる」とライブの準備に追われている友人の仲間たちの間でちょっと話題になったらしい。というのもピネローロはこの地域では一番大きな街なので、付近の本当に何もない村の若者はみんな夜そこに集まることになる。


イブに集った彼の友人たちは皆が皆ピネローロ出身というわけではなく、それぞれが近くの何々村の出身といった具合なので、自転車で向かう途中「今〇〇という村にいる」とトウモロコシ畑の写真を送るとそれを見て「ここは俺の村だよ!」とみんな爆笑してたらしい。


はっきりいって何もない、過疎の街の路上でライブをして人を集めることが如何に大変なことか、文化の違いこそあれ日本の田舎出身の人ならわかると思う。大して広報しなくてもパーティーをすれば数百人が集まるトリノとはぜんぜん違う。この日のライブを企画した20代から30、40代の連中はかなり気合いが入っていたに違いない。しかも金のためでなく街の文化のための無料ライブだ。元同居人ももう40歳近く、大都会を離れ地元に帰るという決断はなかなか大きいものだったと思う。彼を見て自分のことも考える。
 

「この街の若者文化は90年代で死んだんだ」


夕方頃に着いてビールを飲みながら待っていると最初のバンドが始まった。ニルヴァーナのカヴァーバンドで演奏はかなり上手いが一時間オリジナルなしはちょっと苦痛だった。だけどこのカヴァーにも意味がある。というのも90年代この街には3つのライブハウスがあり、毎週末ライブが行われ海外からツアーを呼んだりとそうとう盛り上がっていたらしい。今日ライブをしている連中は十代でそういうライブハウスに潜り込み、俺たちもいつかここでやるんだと思っているうちにブームは去り、不況が訪れ何もなくなって行くのを見ていた世代だ。そして90年代はみんなニルヴァーナを聞いていて、そしてその影響で小さな街にバンドができまくってたらしい。ニルヴァーナはいわば彼らの世代にとって忘れることのできない存在なのだ。


さて夜も更け始めると二つ目の友人がやっているレゲエ・パンク系のバンドの登場。始まる前には子供が勝手にドラムを叩き出し、ドラマーが叩き方を教えるドラム教室もゲリラ開催されていた。群衆も500人ぐらいに膨れがり完全に道が封鎖されている。珍しくアジアぽい顔をした二人組がいたので話しかけると台湾から来たそうで、よく松本哉やイレギュラーのナリタくんとかが出入りしてる台湾の地下文化の関係者だった。世界は狭い。


でこのバンドはすべてオリジナル曲だったが、めちゃくちゃ盛り上がったのは最後にやった曲、あとで聞いたら90年代ピネローロ出身の伝説のアナーコパンクバンド「I fichissimi」のカヴァーで、このバンドはヨーロッパ最古のスクウォットel pasoレーベルからレコードを出していたらしい。歌詞の方も不法占拠に住んでるアナーキストに恋してとか不穏な内容だ。もちろんこの街の元不良たちにとっては伝説的な存在で、盛り上がらないわけがない。


最後のバンドが始める頃には1000人ぐらい集まってきて、「ほとんど知り合い」の中にもちらほらと10代後半ぐらいの若者がいたり、遠巻きに様子を覗きに来るようになった。おじいちゃんおばあちゃんや子供連れもめちゃくちゃ多く、近くに住む移民難民も聞きに来て、わけのわからない人種でごった返している。友達の両親も覗きに来たりして、アングラライブと村の祭りが一緒になった感じだ。カオス。二十四時をまわるころには主催したバーのビールは全て売り切れ、道を占拠したことに対する罰金(数百ユーロぐらい)もそのバーが持つだろうとのことで、なかなかすごいライブになった。


友人が「今の市長は五つ星で俺たちの子供の頃からのダチだから、なんかあったら電話したらいいよ」と言っているのも面白かった。あとで打ち上げに行った住宅街の中にある謎のバーは、この日のために二十四時まで営業を中止。扉に「今日はライブだから24時まで閉店。みんな〇〇広場に来い」と貼り紙を貼り付けておいてくれたらしい。そこでみんな朝六時まで今日は何人集まったとか、若い奴も来たとか、バーの売り上げが100万円以上いったとか、次はいつやるんだとか延々酔っ払って話していた。この日、一応広場の使用許可は取っていたらしいが、公道が群衆で封鎖されても最後まで警察は一度も来なかった。


今のイタリアとフランスの「差」みたいなのが出過ぎてて、なんかもっと書こうと思ってたけど友人のテキストが熱量過多で、読み直してるうちに今日はこれでいいやってなったのでお終いにします。少しだけ補足しておくと、こんな彼の周囲でネグリやビフォまでアクセスしてる人間って極々一部みたいで。その運動体と言うか思想というか、ネグリとかビフォの骨組みだけが残ってて、それに今関わってる人間が肉付けしてる感じなんかが凄く好きなんですよね。


人のフンドシで相撲取りましたよっと笑


そして相変わらず追いつけてないよね。


基本的にネグリ的な深い思想に依拠しつつプラグマティズムとしての行動や左翼用語になりますけど情況を理解するっていうんでしょうかね、これって普遍性があってちゃんとしてれば右も左もなくなるんですよね。ただ右も左もまさに「こんな彼の周囲でネグリやビフォまでアクセスしてる人間って極々一部みたいで」ってことに尽きるんですけど例えば具体的に運動してる人って運動に時間取られて思想やってる時間ないとか日本にしてもちゃんとした右翼にしても結局ただの右翼っていう風な感じで終わっちゃってるのって思想の浅さだと思うんですよね。確かに枠組みだけ残ってて関わっている人たちが肉付けをしてるって良いことでもあるんですけど論理的な急所というか、例えば右翼活動だったらああいうのって完全にバイアスかかるじゃないですか?外国人排除とかってのもそうだしちゃんとした人はちゃんとしてればみんな日本人だって言うと思うんですけどそこでやっぱ元の実存のバイアスがかかっちゃうっていうんですかね。そこでまぁ特に右翼団体とかに入ってるような人は周りの雰囲気もあってそれが強くなりますよね。で、それは左も同じですよね。


だからそこで肝心なところを押さえてないといけないんだけどそれは実際は難しいというところに尽きますよね。右から左から政治的思想を読みつくして知り尽くして考えつくすみたいなのは膨大な時間と労力を必要としますしそれがスクワッティングだろうが街宣車だろうが色々とやってるっていうところで時間取られるわけですよね。それでもやることが重要なのは分かるけどでも運動って難しくて思想の深いところを極めないと何にもならないとか運動が無に帰っちゃうみたいなことにもなりかねなくて、ただでもそこで深めるっていうところにフォーカスし過ぎると具体的に行動するというプラグマティズムがなくなったりもするんですが、でもまぁそこはアサシン的っていうんですかね。鈴木邦夫さんの「腹腹時計と狼に書かれてますけど凄くステルスなんですよね。表面上は何も疑われない一般市民を装ってるんだけどいつでも直接行動に移すっていうだけの技量とか知識があるっていうね、そこに組織性は必要なくて単体(モナド)が陰に隠れて実行に移すっていうことですよね。そういうマジさですよね。


だからそれって組織的であったり運動的な雰囲気を帯びなくても純化された思想が深まった末の直接行動なり思想のアウトプットの結果って重要だと思うんですよね。逆にそのぐらいの軸がないと社会を変えるだけのものは生まれてこないですよね。だから僕は226事件とかには本当に感銘するんですけどね。なんだろう、すべてが監視されていて普段はアノニマスで反体制運動とかをしていても完全にメタデータとしてそれはトレースされているっていうことで委縮しちゃうみたいな、でも思想の強さってそんなもんで委縮しないわけなんですよね。むしろブラックリスト大歓迎!みたいなね、社会性とは真逆なんですけどでも本質的な倫理ってのは反社会的なものだと思ってるんですよね。その最たるものがソクラテスなんですけども。


やっぱりネグリって評価されるべきなのはそのプラグマティズムなんですよね。すげーポストモダン思想とかも踏まえてるしそれプラス牢獄に放り込まれた中での絶望みたいなのも経験していてその中から出てくる思想ですよね。その結果が要注意人物なんだけど基本的に思想なんて極めたらそうなるもんですよね。ある意味での極道ですよね。道を究めたものという意味で。


なんかそういう意味で委縮が一番ヤバいことだと思うんですよね。極めるとヤバいし家庭なんて持てないぐらいブラックリストに入れられる要注意人物になっちゃうんだけどでも論理と倫理を極め尽くしたらそうなるよねっていうところでじゃあそこにコミットできるのか?っていうところですよね。やっぱり自分で言うとそこでのコミットがあるんでやっぱり身体的な言語として武道っていうところにも必然的に行くわけなんですよね。三島も絶対そういう感覚だったと思うし。それをバカバカしいとあざ笑うのは簡単ですけどもそれをあざ笑うレベルでは変革なんて何も得られないということなんですよね。その結果が今の世の中だと思うんですよね。みんなマジなものをあざ笑うポーズを決めて身の保身にばかりフォーカスしているっていうね、僕がそこで「危うさがドライブするんであって愛じゃない」っていう根拠もやはりここなんですよね。愛だと所詮は実存的なものに帰結して終わるじゃないですか?結局小市民的なささやかな幸せで終わってしまう。やっぱそうじゃないんですよね。


そこでやっぱ委縮するってのが所詮は身の保身とささやかな幸せのために結局はもたらされているんだとしたらそれを投げ出すとかそんなものに目的があるんじゃないんだっていうテロスを持てるかどうか?ですよね。そうなるとまぁ小市民的なもの全般に関してはそれは求められないですよね。僕が小市民的なもの全般に嫌悪感を抱いたり危機感を感じるっていうのもやっぱりそこなんですよね。結局、身の保身を考えると飼いならされちゃいますよね。そこはさすがに超えてこないだろうというラインが明確なのでコントロールしやすいですよね。コントロールされないことってリテラシーでもあるんだけどそれと同時に思想的な強さでもあるんですよね。もちろん間違えるとそれはヤバい方向に向かうしナチズムとかイスラム原理主義とかそういう類のものなんですけどもでもそうだからヤバいってことにはならないんですよね。そういうヤバさを踏まえたうえでそれをハンドリングできるっていう能力ですよね。主意主義主知主義弁証法止揚とでも言うんでしょうかね。そういう彼方にこそウルトラレフトとウルトラライトが行きついた先で共闘できちゃうみたいな強度が生まれると思うんですよね。


なんか返信というより普段のエントリーみたいになってしまいましたが(笑)現在のやり取りでやっぱり「常にマジであること」の重要さを改めて感じているっていう実感があるんですよね。そんなところも含めてその「イタリア在住の奴輩」と繋がりを感じるっていうんですかね。ネグリの言うマルチチュードってそういうことだと思うんですよね。


まぁなんて締めたらいいのかわからないんですけども(笑)そんな感じの合いの手でした。ではまたよろしくお願いします!