ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

弓に劔を当る事。

弓道関係の本をだいぶむさぼり読んでるけど「現代弓道講座」の中にこんな記述があって「弓を射ることは、すでに得ている中(あた)り(未発の中)を、相対の世界に表現するという行事(己発の中)にほかならぬものとなるのである」ってのがあってなんか自画自賛になっちゃうけど我ながら凄いよね。これって俺が前に書いてたことじゃん。矢はすでに当たっていてそれは相対的な時間軸の見方の問題で弓を引いている時に時間軸を見ればそれは未発だけども放った後の場合はそれは中っているということだよね。思うにこういう抽象的なことってのは弓術特有のアドホックなものがあるわけじゃなくて抽象性においてそれは普遍性があるからまぁ逆に言えば抽象性を高めるとそれは普遍性になるっていう必然的なことだよね。


だからあやふやな形而上学的なことをこねくり回しているのではなくて抽象性が高いレベルでも論理を突き詰めればそういうことになるっていうある種の論理的必然性ってのがあってそれが抽象性が高ければ高いほどそれは奥義みたいなことになるよね。だから多分、俺みたいに元々抽象的なことばっかやってて哲学とか仏教とかいろんな文系っつーかまぁ理系もそうだけどそういう下地があると奥義を掴みやすくなるんだよね。これは理屈の技術論なんじゃなくて抽象的な形而上学なんだっていうね、でもそれは身体を介するヨーガのようなものなんだけど極めてクンダリニー的なんだよね。まぁ俺が気がどうのって言ってたのもこれなんだよね。


もちろん技術論的なこととか弓術に関する物理学的な解析の知識とかは当然頭に入っているっていう前提での抽象性だけどね。でもこれはまさに座学の領域でまぁもちろん体を動かさないで本を読んでばかりってのはダメだけどまぁ物理的に弓をやれる時間が限られているからこそ座学の時間が長くなるわけよね。そこで思索的に磨かれる技術の理解ってのがあってまぁそれが本当に抽象性ということなんだけどね。


まぁもちろんそういうのがわかっているだけじゃだめで実際にできないとダメなんで当然身体を介したフィードバックが必要になるんだけどなんつーか説明が難しいんだけどまず恐らくはもうこれ以上最善の方法はないでしょうっていうぐらい完璧なものとされている型をマスターするっていうことだよね。それは完全に無駄がなくて華法的な見栄えの良さとかではなくて科学的な最善の体の使い方と弓を引く方法だよね。逆にそれができていなければ全く意味がないわけだ。例えば今主に取り組んでいるのは離れだけども全く矢の邪魔をせずに自然に離すっていうことがどれだけ難しいか?ってことだよね。んで離れだけ練習すればいいってことじゃなくてもうそれは胴作りから打ち起こしに至るまでの一連の流れでの離れっていうことでだからもう型を意識して全く意味のない稽古をするのではなくて最善の型に向かいながら離れにフォーカスして稽古を続けるっていうまぁそれがあって矢数を重ねるということに意義が出るんだよね。


だから知識もなしにやってもしょうがないし逆に変な形でやり続けて自己流の癖とかついたら最悪なわけでやっぱり猛勉強が必要になるよね。っつっても自分はデフォで本ばっか読んでるからその膨大な読書時間を弓道研究に費やすってことで別にそんな苦労しないよね。ただ内容が弓道になったってだけだからね。だからまぁ短期間でのその蓄積が凄いものになるんだよね。特に今みたいにフォーカスしてハマっている時ってのは起きたらもう弓のことを考えてて気になっているところを修正したいとか間違っていたところをちゃんと正した状態で引いたらどうなるのか?とかさ、もう本当にそればっかになるよね。


んでもそこで実行するのが難しいのが技術と型っていう色々とやることが膨大にある中で気にもフォーカスしないといけなくてすごくなんつーかアドバンスドな感じなんだよね。やるのがめちゃめちゃ大変。ただやるだけだと全く意味なくて毎回それに全部配慮してやらないといけなくてそれに配慮するという癖をつけないといけないしむしろそれがないと上達もしないしない中でやってても到達できるレベルはたかが知れてるんだよね。だからそこでプラス気功的なこととまぁあと体に気を充実させて引くってことだよね。まぁ骨法で引くということでもあるんだけど気を充実させるという気の鍛錬の方法をやるとより弓が軽く感じるんだよね。何も引いてないような感覚になるぐらいってのが一番良いんだけどそれって稽古始めてから一時間以上経った後にようやくそういうステイトになるかならないか?ぐらいのことでそこに行くまで毎回大変なんだよね。


だからそれは稽古を重ねれば割とすぐそのステイトに入れるようになるとは思うんだけどまぁそれはもう膨大な時間費やさないとダメだよね。あ、んで何回も書くように時間費やしてるだけじゃだめでちゃんと色々と押さえた上でやるということね。んでまぁ今日やったんだけどさ、まぁぶっちゃけ離れにかかわらずやり方って色々あってまぁそれが流派の違いなのか教えの違いなのか分からないんだけど離れは親指を内側に入れて弦を掴むようにして引くと引きやすいんだけど難点が離れが悪いっつーか鈍くなるってことなんだよね。親指が引っかかって凄く嫌な感じになる。でも引くのは凄く楽なのね。んでまぁ別の本では親指はむしろ伸ばすぐらいでいいって書いてあってさ、んじゃあどう引くの?って感じなんだけどまぁこの方法やったらまぁ引くのが大変でさ、まぁ今まで親指曲げてたから伸ばすってのがまた全然違うやり方でさ、やってみたんだけどまぁとにかく一射一射疲れるのなんのって。んでも離れが冴えるんですよ。あと離れやすい。


んまぁこれかなと思いましたけどね。まぁようはこっちは引くのが大変だけど良い離れになるから俺が求めてたのってこれだなと思いつつ体力の消耗が激しいんでこれはまたまぁ色々と検討する必要があるなって感じだね。ただまぁまぐれだけどすんげー弓返りして上級者のような弦音がして凄い!ってのが何射かあってそれがまぁその例の親指を伸ばすやり方なんだけどね。あとまぁ角見も大変だよね。離ればっかりにフォーカスしてても左手がベタ押しみたいになっちゃったりしてなかなかうまくいかないんだよね。まぁただ変な方向に行くとかってのはなくて射ることに関しては問題無くなってるんだけどようはまぁ正しい射だよね。引っかかっててもまっすぐ飛んでればいいかもしれないけど「ゴン!」っていう鈍い感じと当たった感じがあっていやなんだよね。


居合で言うところの鞘走りというかさ、鞘が刀に当たっちゃダメじゃん?その分エネルギーが消耗してるわけでその摩擦をほぼゼロにしなきゃいけないんだよね。馬手と弦も全くそうで馬手が鞘で弦が刀みたいな感じだよね。押さえてるんだけどリリースの際には摩擦がゼロというね、当たるだけならいいかもしれないけど飛貫中ってのがすげー重要なのよね。ちゃんと飛んで貫くってのがすげー大事でようはちゃんとしたリリースがされてるかどうかなんだよね。的に刺さるだけなら簡単だけど甲冑を貫くような勢いでリリースするってのはすんげー難しくてんでもまぁ目指すのはそこですよね。兜を貫いてヘッドショット!ぐらいの勢いの冴えたものをリリースしたいわけで。


まぁそんな感じっすね。もう弓三昧だわ。理想の射を求めるっていうところにイデアがあってさ、だからまぁもうオブセッションですよね。んでもまぁそのなんつーのかな、ここが重要よね。活人弓みたいなのじゃなくてあくまで殺人弓なので威力が当然必要だから貫くだけの勢いが必要になるっていうところだよね。んでそこには殺気も必要なんだよね。居合の時はめちゃめちゃ殺気出してやってるけど弓も自分がやりたいのは殺気だった弓術なわけでエレガントな弓じゃないんだよね。野武士の弓みたいなのをやりたいわけね。作法とか座り方がどうのってことじゃなくてもう射抜くことにオブセッシヴになるっていうさ、んでまぁやってる姿勢としても当初は禅的とかって思ってたけど違うんだよね。あくまで命を取るものなんだと。毎回命を取るぐらいの気迫でやらないと結局体もついてこないし勢いが出ないんだよね。んでも力むということではなくて完璧な矢をリリースする際に一切の邪魔が無いベストな状態でそれが恐ろしい勢いで対象を射抜くということだよね。見栄え重視のものばかりが稽古事として形骸化されてそれが武道とかって言われたりするけどいつも書くように基本人殺しの術だからね。それは宮本武蔵も言ってるわけで。


あ、んで当時からっつーか割と世の中が安定し始めてっつーかすんげー大戦みたいなのがあった数十年後には武術の華法化と芸事化とか習い事化しているっていうのを嘆いているっていう文章が残ってたりしてまぁ当時からそうだったんだからまぁそりゃ今はそりゃそうだろって思うけど逆になんかあれじゃないっすか?習い事じゃない生の武芸ってのを復元するってのは逆に今の情報化社会で必要なことだよねって思ったりもするし俺はそれをやろうかなって思ったよね。剣術とかだと殺気だったようなものがちゃんと古流として残ってるけど弓はどうなのかな?って思うよね。まぁ古流のはあるし全部華法化しているわけじゃないんだけど殺すつもりでやるっていうかそんなの弓である以上当たり前ってのを踏まえるってのはメンタル面で凄く重要だよね。


まぁそこは日置流とかでちゃんと教えは残ってるんだけどね。外したら死ぬし変な型やっても意味ないから四方八方を刃物で囲まれたような状態を想定してやれっていうまぁ微妙に違うか(笑)「弓に劔を当る事」という箇条ね。最善の型に寸分の狂いでもあればそれは刀に当たるぐらいの状況を想定してやれってことね。まぁ本当にそこですよね。つまりはそれって別な言い方をすれば射ち損じれば即、死に繋がるわけで命のやり取りをしているんだっていう臨場感だよね。そういう緊張感と命のやり取りというところから生まれる必然的な殺気ね。武術の本質って俺はここにあると思ってるからそこをどんどん掘り下げていきたいよね。


まぁそんな感じでんじゃまた。



PS


この動画の8分30秒ぐらいを見てみて。