ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

欲望すること。

これ何気にヤバいんだよね。

http://news.livedoor.com/article/detail/13021081/

「自分の奥底、根底にある、世間や人、自分に対する概念や意識を捉えることで 自分好みの世界を創ることができるのでは?と、思っています」


まさに俺の言っているハイパーリアリティとか自分の世界を作るっていうことそのままなんだよね。んでまたその気づきというのが人間不信から来ているというのも、そもそも絶望がないと世界を構築しなおすなんてことはしようとは思わないわけでやっぱりいつも思うのはこういうレアグルーヴ的なのってめちゃめちゃ色々と研究してそういう結論に至ったとかじゃなくてクソみたいなリアルと対峙しつつサヴァイヴしているという感覚から生まれてくるものなんだよね。


そういうところからサヴァイヴ術としての「世界を構築する」ということが生まれてくるわけで、んでもまたこのパンチラインもヤバくて

「意識的に、人は信用できるというコトバの世界観の中で、生きています」


ようはこれも完全に信用できないということがゆるぎないからこそ世の中でやっていくには建前のロゴスの世界で自分をだましていくしかないっていうことだよね。絶望の深さが垣間見える。自分みたいなやつの場合、信用できないで終わるけど信用できるというロゴスの世界を構築して生きていこうとするっていう生き方に感銘を覚えるよね。こういう人ほどある意味思想家なんだよね。逆に思想とかやってるやつのほうがルーザーだったりしてまぁ俺もそんな風にならないように気を付けないといけないわけだが(笑)


んでまぁ

「実際は、人って信用できるんだ、という現実がたくさん起きてきて 自分の概念が変わりそうです」


ということを意識的に引き寄せるっていうことだよね。人間不信とかトラウマってのはまぁ消えないもんだけどそれがデフォになるともう完全に人生詰みますよね。でもかといっても「信用できるんだ」と思えるような人とか出来事があるかどうか?ってのはぶっちゃけ蓋然性でしかないよね。それに期待してもしょうがないし期待するほどそれは裏切られるし。


で、そこでまぁ俺的にこの記事を読んでコペ転だったのがさっき引用した「意識的に、人は信用できるというコトバの世界観の中で、生きています」っていうところでこれは俺流に言い換えれば人は信用できないからそもそも人なんてもんにフォーカスする必要はないっていうことなんだよね。それは例えば自分の場合、日々生きてて最近は嫌なことばっかがフィードバックしてきて頭がおかしくなりそうなんだけどんでもそれってようは自分が人にフォーカスしてるからなんだよね。だから「なんであんなことが言えるんだ・・・」とかって思っちゃうわけだけどそもそも人間なんて大体そんなもんだしちゃんとした人なんて限られてるわけでそもそものその知覚を人間にフォーカスするということ自体が間違いなんだってことに気が付いたんだよね。


っつーのはまぁもちろん文化とか武術にしてもそれは人間によって培われてきたものだけどんでもそれは技術とか方法論とか精神論とかっていうことなんであって別に人間関係じゃないじゃん?そりゃ偉大な人間もいるからそういう人間にはフォーカスするけどゴミみたいな人間にフォーカスして色々と絶望してても全く意味がないっていうことなんだよね。まぁ自分ではフォーカスしてないつもりでもやっぱそれに対して不快感を得るってことはフォーカスしてるっていうことなんだよね。


それは言わばハエが集ってるドロドロに溶けた死体みたいなもんにフォーカスして「気持ち悪い!」って言ってるようなもんでまぁそりゃそういうものはあるけどあえてそれにフォーカスする必要もないしそれで嫌悪感を感じることもないでしょう。かといってもみたい世界だけ見るというようなご都合主義的なことではないんですよ。ただそれを実存的に受け止めるか事象として受け止めるかっていうことなわけで真に受け止めすぎるからこそ色々と辛いんであって実存的に受け取る分に関してはようは知的文化とか偉人の業績だとか素晴らしい芸術作品だとかっていうそういうのだけにフォーカスしてればいいんだよね。他にくだらないことはいっぱいあるけど別にそれ自体にフォーカスしなくてもそういうもんはあるっていうだけでただの事象ですよね。そういうのが多いってことで悩む必要は全くないよね。


例えば今の俺だったら犬だったり弓だったりっていうことに救われてるけどそもそもさ、なんで人間を軸に考えなきゃいけないの?って話なんだよね。例えば今の俺にとって犬とか弓が救いなんだったらそれは逃避でもなんでもないよね。それ自体がものすごく自分にとって価値のあるものだっていうことなわけでそれは言わば世界そのものだよね。それは凄く大事なわけだ。自分にとってはね。


ももちろんほかの人にとってはそうじゃないかもしれないけどそんなの関係ないよね。あくまで自分が生きる世界なんであって他は全く関係ない。思うに人と接するとか人と何か共有したり楽しむっていうことが幸福につながるんですみたいな戯言が映画とかメディア全般とかで喧伝され過ぎなんだよね。だからこそ友達がいないと疎外感を感じたりするんだけどそれってあんま人が信用できないっていう人生経験からあんま人間関係にコミットしなくなるっていうことなわけで別にそれ自体が悪いことじゃないよね。でもそれが悪いこととかなんかそれがルーザーみたいな烙印を押されるみたいな感じがするというのもそもそもイデオロギーなんだよね。


仲間とワイワイしてないといけないっていう理想像が押し付けられすぎてんのよね。自分の世界なり自己との対面とか自己修錬みたいなところから生まれる世界観とかもあるわけだし何も人と関わり合いがあるということが必要条件じゃないわけでこういう呪縛から逃れないといけないよね。逃れた上でただ別に来るものを拒まずだから人との接触を避けるということではないんだよね。常にオープンだけど別に期待するわけじゃないしそれ自体は何でもないっていうことだよね。


そもそも人間を軸に考えるってことが病理なんだよね。それはまぁ自分が人間という種だからしょうがないんだけどでもそんなもん超越しちゃえばいいんだよね。それは認識的には可能なことでしょう。それで自分好みの世界を構築するっていうことだよね。でもそれは嫌なことから目をそらすということではなくて逆に嫌なことだらけだからこそ自分の世界を構築してサバイヴしていくしかないっていうことになるわけよね。


結局これは「意志と表象としての世界」みたいな世界観にもつながるわけだ。完全にそうじゃないとしても整合性は凄くあるよね。結果的に思わぬところでこういう整合性を発見するわけよね。これって凄くないか!ってめちゃめちゃ思うわけね。でもそれはまぁ語弊があるけど望む世界ってのを構築する意思がないといけないよね。でもまぁ人類が愛にあふれている世界とかそれはファンタジーの世界以上にありえないことだからあくまでベースはマイルド鬱な感じの今の俺みたいなドライな目線だよね。でもどういう世界を作りたいか?というのは結局自分に委ねられてるわけで、例えば弓にしても文句の付けどころがない完璧な射を目指したい!ってのがあればそれはやればいいわけよね。それは望めば望むほど実現に近づくわけじゃん?


意思が自由でなおかつ縛られる柵みたいなのが無かったらリアリスティックなレベルでは望めばそれは可能になるんだよね。問題は何を望むか?っていうところでまぁ困っちゃうっていうところなんだけど何を望むか?ということを自問するということがそもそもの世界の形成に繋がるわけなんだよね。例えば弓で百発百中というぐらいの恐ろしい精度を誇る弓術の技術を持っているということは望めば可能だよね。それはどんだけそれを渇望するか?ということで決まるわけで才能どうのではないよね。まぁ才能もあるとは思うけどでもまぁ主に意思でしょう。そういう意味で意思だけじゃどうにもならないというのはやっぱりエクスキューズだと思うんだよね。色々とあきらめることを正当化するエクスキューズだよね。


だからまぁ不可能なことなんてないわけよね。まぁリアル目線での話だけどね。だからリアルでこれをやってみたいとかこんな風になりたい!ってのはある程度まともな認識を持ってれば実現可能なリアリスティックなレベルでのものを想定するわけじゃん?まぁこれが自己啓発系になるとほぼ不可能なことも可能だと想定せよみたいなことになるんだけどまぁそれは行き過ぎとしてまぁでもできることってあるんですよね。やりたい!と思ってひたすら上達を願って始めた弓もまぁ20キロの弓も普通に引けるようになってまぁかといってもそれが最善の射であるということではないんだけどただ明らかに上達してるわけよね。それは結局意思によってもたらされてるものなわけよね。


そういう意味で強い意思さえあれば過去がどうであったとかっていうこととは関係なしに未来を作れるっていうことだよね。これは別にオプティミズムとかではない客観的な事実だよね。だからまぁやっぱり知のレベルではペシミスティックだけど意思のレベルではオプティミスティックっていうことになるっつー奥義みたいなもんだよね。


求めれば得られるんだったら何かを求めたほうがいいでしょう。そこはやっぱなんつーか仏教的などんどん減らしていくみたいなミニマルな感じではないアグレッシヴな感じだよね。どんどん減らしていくのが幸福につながる人もいるかもしれないけど俺みたいな刺激ジャンキーにとってはそれは地獄なんだよね。だから目まいがするような刺激と強度を渇望するということだよね。かといってもそれは安易なドラッグだのセックスだのっていうことではない根源的な意味での強度を渇望するということだよね。まぁ学問もそうじゃないですか?浴びるほど知識を得たいってのは良い渇望ですよね。それもようは世界の形成の一つだからね。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。んじゃまた。