ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/徳の戦士/サタニストによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

道場に見学に行くことに。

サンクラに過去音源アップしたんでよろしく。


https://soundcloud.com/mimisemi/



カントの言う倫理って武道における型だよねっていうか逆か。武道における型がカント的倫理ってことだね。その倫理自体が機能をドライヴさせるものになるっていう型もまぁそういうことだからね。まぁそれが華法化されたような見栄え重視のものじゃなくて弓なら弓の力学的なダイナミズムってのを最大限に効果的に発揮するものっていうものに限るんだけどね。


まぁそんなことを考えてると余計に型だのって言ってても独学じゃなーっていうかさ、やっぱり肝心なのが基礎だよね。んでまぁそれはどんだけマニュアル通りにやってても自分がそもそも初心者だから前に自分の中に先生をビルドするみたいなことを書いたけどまぁ方法論的にはいいんだけどいつもやってて「これで合ってるんだろうか・・・」っていうことになって混乱するんだよね。このやり方が引きやすいし力も入れやすいみたいな身体感覚だけを頼りにやっててもまぁ何を本当の射とするか?というところなんだけど型としては必ずしも身体的な力の効率みたいなものだけではどうにもならないところってのがあるっつーかまぁなんつーかね、かといってもまぁ現代的な科学的で生理学的な観点っていうところからの合理性はあっていいと思うんだけどそれってやっぱ基礎ありきだよね。


ある意味ガッチガチのフォーマリズムってのが身についている中で自分がどういう風にやりたいのか?ということを追求するべきなんであってそのガッチガチのフォーマリズムってのはなかなか自分じゃ習得できないでしょう。何しろ何が正解かが分からないからね。もちろん引いてるところの写真とか動画とか取ってチェックはしてるけど結局まぁなんつーか見様見真似だよねっつってもまぁそれでいいんだろうけどただそこで問題なのが見栄え的につべとかにある有段者のちゃんとした射っての完全一致ということではないにせよまぁ割と近いものになってきているっていう風に仮に見えたとしても問題なのがそれがどういうところに力が入っててどういうところが抜けているのか?っていうところだよね。それは見ただけじゃ全く分からないわけで、かといってもまぁ俺は中ればいいと思ってるんだけどやっぱなんかそれでやってても所詮アマチュア止まりだよなってのがあってさ、そういう基礎無しに矢数ばかりかけててもちゃんとした方向に進んでるかどうかが分からないからやってると不安になってくるんだよね。まぁやればやるほどそれっぽくはなってくるけどそれはただそれっぽいだけで実際は全然てきてないかもしれないし。


あとまぁ居合の道場に通ってたから分かるんだけど所謂お決まり事ってのがあるわけじゃん?いや、それが俺はいらないと思うんだけどただそれを教えてもらうとこういうところがただ形骸化してるだけでなんの合理性もないものなんだなっていうところが分かるしこうだと言われてもこうしたほうがよっぽど良いというのも「こうなんです」という指導があるからこそ批判を入れられるよね。ただまぁなんつーか道場って聖域みたいな雰囲気があってっつーかまぁいつも書くようにオーソリティーだから批判しちゃいけないみたいな雰囲気があるし納得できないなら来なければいいっていうところでまぁ場所にもよるけどすげー閉鎖的だったりするからね。


まぁでも自分が居合をまたやるようになったというのもそれができたのはやはり道場に通っていたからなんだよね。半年いかないぐらいだったけどそろそろ初段試験受けたら?とかって言われるぐらいになるまではやっていたからこそそこでまぁ基礎がちゃんと身についているとは言い切れないけど一応はやっぱ習っててそういう基礎があってんでんでも制定居合のこういうところやっぱおかしいよねーっていうところがあって辞めたわけでさ、んでまぁ今は納得のいく流派のものでやっていてっつっても全然最近はやってないけど流派は違えどまぁ一応半年やってたっていうのと無いのとでは雲泥の違いだからね。まぁそういう意味で今の流派は独学だけどでもそれは基礎の昔やってた流派ってのがあるからできるんだよね。


まぁそれも合ってるかどうか分からない問題は常にあるんだけどまぁでもよく考えれば基礎あってのものだなってところでさ、いや、居合も独学でやったし弓もって思ってたけど居合は一応基礎があってやり直してるんだよね。それに比べて弓は全くそれがない。変な話、初心者講座だけでも受ければいいんだよね。それがまぁ制定的なもんであれなんであれこれが基礎とされていますっていうところが分かってないと色々なものが判断できないよね。


さっきカントで書いた倫理自体が機能をドライヴさせるというのもそれが倫理の場合、誰かに習わなくても良識と地頭さえあれば理屈とか論理で理解できるじゃん?あとまぁ身体性が伴わないものだからそもそもの倫理の教えとか哲学の理論ってのが文字になっててもまぁそれは伝わるんだよねっていうかまぁそれも訓練次第なんだけどさ、理解できるよね。でもそれが武道の型になると「こうです」という理屈と説明と写真があっても自分がやったときにそれが合ってるかどうか?ってのはまぁさっき書いたことの繰り返しになるけど形だけできてても分からないよね。体の使い方とか力の入れ方と抜き方とかなんかの角度とかにしてもそれがなんで最善の角度とされているのか?っていう理合いってのが型には存在するわけでしょう。


で、それがようは武器の威力なり攻撃なりなんなりってのを最善のアウトプットで出力できる機能をドライヴさせるものになってるわけよね。少なくとも目指すものが型の美しさとかではなくて効果的な武器の使い方とか攻撃の仕方ということなんであれば数学と同じで最適解ってのがあるわけだよね。まぁそれはようはメカニズムと人体と物理学っていうまぁ工学的なもんだから当たり前だよね。もちろんそれで体形とか身長とかってのも関係してくるわけだけどそもそもの理屈が分かってればそれは調整可能になるよね。でも理屈が分からないとどうにもならないよね。


というわけで明日というか今日、道場に見学に行くことになってので行ってきます!好きなものは全て極め尽くすのだ!絶望がドライヴする感じを体現しなきゃね。


ってことでんじゃまたね。